きみとぼく
「坊ちゃんはナルシズムをお持ちだと伺いました」
背後からかけられるしゃがれた声に内心舌打ちをして、しかしそんなことはおくびにも出さず笑顔で振り返った。情も何もない人間におくる薄っぺらい笑顔がさらにやるせなさを助長させる。
向かい合った顔の中で、白銀の髪に、その合間から覗くロイヤルパープルの宝石が妖しく光っている。光に含まれる成分は嘲りが大半だろうことは聞かずともわかった。
「やっと仕事が終わったというのに…その空気を読まないところ、いい加減治してもらえませんかねぇ。ましてや僕がナルシスト?はっ、冗談もほどほどにしてください」
ほとんど嘘はついていない。組織だろうとそうでなかろうと、話すものは真実にほんの少しの嘘を混ぜ込まなくてはならない。そのほうが信憑性が増す。
相手の発言にイラついたのも、ナルシストではないことも、仕事終わりに水を差されて気分を害したのも、全て本当のことなのである。もっとも、俺の発言で何かを直すような人間でないことくらい知っているが。
予想通り、相手…アドヴォカートは、目を皿のように細くして軽薄な笑みを濃くするだけで、口から「努力はします」「善処します」なんて譲歩の言葉は出てこない。
「先日坊ちゃんの荷物を拾ったのですが」
「ああ、あの」
「その中に坊ちゃんそっくりの人形があったんですよ」
消えちゃったんですけどね、なんて言葉に肩を震わせる。確かに見目が似ていたとはいえ、ただのぬいぐるみ。すぐに忘れてしまうだろうと油断していた。
動揺したことを悟られたのだろう、緩やかにカーブしていた口の合間から、毒々しいまでに赤い舌が覗く。
「まさかあんなものを持ってらっしゃるとは…見る限り、とても大切にしてらっしゃるようでしたねぇ。くたびれたところもありましたが、やけに小奇麗で」
「…知人から頂いたものですから。それに、日本では物を大切にしないと化けて出るんでしょう?」
「おや、先日のあなたと「日本など嫌いだ」といった意味の会話をした記憶があるのですが、これは自分の記憶違いでしょうか」
「先日も何も、あなたとのまともな会話はこれが初めてですよ」
「なんて嘆かわしい。バーボン、勝手に記憶をデリートしちゃいけません。そんなことだと人形のこともすぐに忘れてしまうでしょう?」
内心で舌を打つ。話題を逸らせず、ふりだしに戻された。
日本が嫌いだと言った記憶はないが、そう取られるような発言は何度か繰り返したことがある。もっとも、アドヴォカートという男とそんな会話をした記憶はないと誓って言えるため、こいつはどこかで会話を傍聴していたのだろう。
「仮初でも信じていたほうが日本になじみやすいので」。そんなもっともらしい適当な返事をして会話を打ち切ろうと閉口した。もちろん化けて出るとかいう話は平均程度に信じているくらいだ。
こちらが人形に触れられたくないことを知ってか知らずか、アドヴォカートは変わらずにこにこと人を食う笑みを浮かべている。気分が悪い。
「それにしても、あの人形、本当に坊ちゃんそっくりでしたねえ。思わず欲しくなっちゃうくらい」
「…」
「どうです?無理に押し付けられたのなら、私が貰ってもいいんですが」
無理だ。今手元にないものをどう押し付けろって?そもそもあのぬいぐるみの正体は俺なのだから、譲渡はつまり同居とイコールで結ばれてしまうだろう。絶対嫌だ。
人からの貰い物だからと断り文句を口にする。これでもう追求してくることはないはず、そう思って息を吸い込んだとき、
「勝手に動いて持ち主のもとへ帰るぬいぐるみ、とても貴重ですもんね」
咽せた。
そうだ、勝手に荷物から飛び出して着の身着のままで帰ったのだ。勝手にぬいぐるみが消えたことを男も知っていた。奇妙な光景を享受している自分は、実はかなりの弱点を背負っている。
電池式で動くのにも限界がある。嘘を塗り重ねたところで、男に通じるかはわからないし、俺の正体がバレていたっておかしくない。
ごほごほ、咳を重ねる俺に向けて、アドヴォカートが弾んだ声色で言葉を吐く。
「人形が動く理由は不問にします。その代わり、ひとつだけお願いを聞いていただきたい」
―――
――――
故意にぬいぐるみへと姿を変え、ドアを軽い素材のパイプで叩く。乾いた音があたりに響いても無視してドア横から叩き続けた。
少しして、鉄のこすれる音と同時に目的の扉が開いた。
「…本当に来たのか」
昼間に聞いたときよりもはるかに澄んだ声が上から降ってくる。後ろに転げそうなほど上を仰ぎ見れば、そこにはメガネを外したアドヴォカートの顔があった。
バーボンとして出会うときに浮かべている気に食わない笑顔はなりを潜めて、何の感情も見出せないほどの無表情で出迎えたそいつは、俺が部屋に入ることを確認してドアを閉めた。
アドヴォカートが提示した要望は一つ、「ぬいぐるみを一日に一時間だけ貸してほしい」、それだけである。
動くとしてもぬいぐるみの足じゃ大変だろう、なんなら取りに行くとも言われたが、それは俺から拒否した。セーフハウスの場所は知られたくない。俺も手渡せないわけだし。
ぬいぐるみは貸す、通行費や迎えは要らない。その条件で引き受けて現在に至る。
「バーボンは律儀だな。いくら貸しとはいえ」
玄関の段差をようやっとの思いで乗り越えている間に、アドヴォカートの姿は既にリビングの奥へと消えた。気づかれずに取り残されるのはごめんだと必死に走ると躓いてこけた。
思い通りにならない現状にイライラしつつも、なんとかリビングのドア付近に走り寄る。鍛えられている足首にぶつかった。
「ぬっ」
「ん、ああ、悪い。配慮が足りなかった」
特に痛みはないものの、後ろにこけてしまうと起き上がるのに時間がかかる。人間のときと違って頭が重いこの体は本当に面倒なのだ。
ものの見事に起き上がれない俺の姿を見たのか、しゃがんだらしい男が体を震わせて笑っている。
「ぬー!」
「くっ、ふふ…ふっ」
「ぬ゛ーっ!!」
笑ってないで助けろ!
「お前の持ち主といい、お前自身といい、随分と愛らしく振る舞うもんだな。何はともあれ、来てくれて嬉しい。歓迎するよ」
ふざけるな!この俺が怒ってるっていうのに愛らしい?目が腐ってるのか、早く起き上がらせろ!
手足をばたつかせて体の向きを変えようと奮闘しているのは見飽きたらしい。男が後頭部に手を差し入れて上に持ち上げた。ぐんぐんと上がっていく視界に混乱する。
「まずは晩飯でも食べて、…そもそもぬいぐるみは食べるのか?」
それは知らないが、フェルトに押し付けたら嫌でも味を感じるだろう。視覚も聴覚もあるんだから味覚だってあるはずだ。多分。
手に握られた俺の存在を忘れたのか、それとも夕飯を食べるかどうかに気を取られすぎているのか、手は歩調に合わせてぶんぶん振り回された。気持ち悪くて吐きそうになった。吐くものないけど。
くそっ、明日覚えとけよ。