置いてかないで一人は嫌だ

白いロボットに引っ張られるままに歩くのにも違和感があったけれど、少し慣れれば思考を回す余裕も出てくる。
先ほどあったばかりで気まずさを残したままだったが、現状まともに意思疎通ができることがわかっているのはこのリオルという種族だけ。気まずいから状況の把握をしませんでした、では厄介事に巻き込まれていても笑うことさえできない。

痛んだ気がする頭を軽く押さえつつ、先の見えない廊下を上機嫌に歩くリオルにここはどこの駅かということを訊ねる。

『ここはライモン駅、僕の知ってる中で一番大きな駅だよ!ちゅーおーせん?ってやつ?』

中央線というか、中央駅じゃないだろうか。
ライモンと聞いて曖昧な記憶の中から某超次元サッカーを思い起こすのは仕方ないと思う。人間、無駄な知識はよく覚えているものだ。

とりあえずその名前を何回か声に出さず唱えてみるが、やはりライモンなんて地名は私が覚えている地図の中にはない。
あっても平面世界上のものか、あるいは浅草の雷門くらいか。後者はライモンではなくカミナリモンだけれど。

仮にこれが前者である某超次元サッカーの世界だとして、こんな獣がいる世界ではなかったような。朧気な記憶はあまり頼りにはならないが、ないよりはマシ。

じゃあここは丸っきり知らないようなファンタジーな世界なんだとほっと息をつく。
中途半端な知識の世界だとどうしていいのかわからなかったのだ。この体でサッカーをするわけにもいかないし。

『それでね、今僕の隣にいるのがノボリさんで、キミの隣を歩いているのがクダリさんっていってね!バトルがすごく強いんだよ!』

へえ、量産型ロボットにも名前があるんだ。同じ型みたいだし、衣装や呼び方で区別をつけているのかもしれない。
ああでも、口の形とか違うから似た形の違う番号のロボットだったりして。

それにしても、先程から日常では耳慣れないような言葉がちらちらと目立っているような。トレーナーといったり、バトルといったり。バトルなんてゲームの中でしかやらないだろうに。喧嘩の言い換えか。

ちょっとゲーム風にいわれても首をかしげることしかできないので困る。喧嘩なら喧嘩とそういってほしいので、「喧嘩が強いの?」と確認の意味を込めて口にした。

『?ううん、喧嘩じゃなくてバトル。確かに二人とも護身術は体得してるらしいけど、僕は見たことないから知らないよ』
『えっ』

喧嘩とバトルは別物なのか。
そういえば自分や目の前のリオルが既にファンタジーよろしくな様相で、そしてこんなのが出てくるようなファンタジー世界観で考えればバトルが喧嘩のようなものでないということのほうがよっぽど現実味があった。笑えない。

それじゃあバトルって、と、リオルに尋ねれば、途端に目を輝かせてもちろん!と高らかに宣言する。

『ポケモンバトルに決まってるじゃない!』

ノボリさんとクダリさんはね、ここだとサブウェイマスターって呼ばれててね。そんなリオルの言葉が頭を素通りして抜けていく。
ポケモン。ポケモンバトル。トレーナー。それに出会った最初の毒タイプや電磁波という言葉。聞いたものが頭の中で組み立てられて私に世界の答えを示した。

大人から子供まで幅広い年齢層に親しまれているもの、その名をポケットモンスターという。縮めてポケモンと呼ばれるそれは、遠い記憶にしまわれたゲームの名前。

いわゆる、トリップ。私はポケモンの世界にトリップしてきてしまったのかもしれない。

夢であったら覚めてくれ。半ば反射のように出てきた言葉だが、思い出せるのはバチュルから受けた電磁波のこと。認めたくないのに夢でない確率が上がった。残念で仕方なかった。

とりあえず、信じたくはない事象ではあるものの、トリップしてきた世界のことがわかったなら専門の単語は割と素直に理解できるようになったのだけはありがたい。
なにせ小さい頃は自分でプレイをしていたので、言われなければ思い出しはしないが、言われればある程度は思い出すこともできる。

ポケモンの世界に来て、人間じゃない。つまり私はポケモンになっている。
種族はリオル、…聞いたことがない。私がやっていたのはもう大分昔で、少し前に新作なども出ていたから、どこかで出てきたものの一種だろうということだけ心に留めておく。
同じく駅の名前も聞いたことがないが、一々名前を覚えているわけでもないし、わからなくともまた同じことを学び直すだけなので、思い出すことは早々に諦めることにした。

『ねえリオル、いきなり立ち止まってどうしたの?』

トレーナーというのも私の持ち主のことを指していたのか。
思考を飛ばしていれば、不思議そうにこちらを覗き込むリオルとばっちり目が合う。いつの間にか立ち止まってしまっていたらしい。

白いロボット(確かそう、クダリさん)も一向に進まない私と一緒に止まり、こちらをハイライトのない目でこちらを凝視している。純粋な子供だったら絶対泣いているだろうなと頭の隅で関係のない感想が出た。

『ちょっと考え事してて』
『うーん…家に帰れるかどうかとか?』
『…まあ、そんなところです』
『そっか!』

いきなり立ち止まった言い訳としてはいささか苦しいが、それ以外に誤魔化す理由は見つからない。実際考え事をしていたし嘘はついてない。
私の曖昧な返答を聞いたリオルは、大丈夫!と胸を張っていう。

『キミがちゃんと帰れるまでサポートするのが僕たちの仕事だから!』

至極誇らしげで、ちゃんと様になってるはいるんだけど、うん。
(もうほぼ確定に近いほどの高確率で)異世界にある我が家にどうやって帰すのかな、なんてつぶやきは心に秘めておくことにしよう。


―――
――――
私がトリップもどきな体験をしていることはなんとなく理解出来たわけだけど、果たしてこれからどうすればいいのか。

トリップしたことについては、知らない場所にいること、自分が知っている平面世界上にいることがそれぞれ別れて判明したのであまり取り乱すことはなかった。まだいくらか誤魔化しが効く範囲なので助かる。
だけど問題は、迷子センターを出てからの話だ。

誤魔化すことから考えると、なるべくゲームに出てくる人間に関わらないほうがいいことはわかる。話の流れを変えると世界が滅びるかも知れないので、自分の命のためにも関わりたくないのだ。
けどそのゲームに出てくる人間を覚えていない。覚えていないどころか知らない。詰んだ、これは関わるフラグ。

廊下での発言を撤回する。微妙な知識を持っていても、恐らくここじゃ見たことのないポケモンの方が多いだろう。むしろ思い出すことが妨げになるかもしれない。
こんなのを全く役に立たないのでいっそこんなものを投げ捨ててやりたい。本当に夢であって欲しかった。

「●●●!」

私たちの前に立ったクダリさんが元気よく何かの言葉を発し、閉ざされた扉を勢いよく開ける。勢いがよすぎたのか、扉が壁にぶつかって大きく音を立てた。
思わず耳を塞ぎ音量の軽量化に努めた私とリオルの前で、クダリさんはノボリさんに強く叩かれていた。それもまた痛そうな音を発した。

「●●●●●●!」
「●●●●●●●●●●●●●●●●●」

二人の言葉ももちろんわからないまま、いったい何を話しているのか。クダリさんから話し始めたので殴ったことに対する抗議かもしれない。
扉の向こうは少し狭い部屋が広がっていて、そこに何匹かのポケモンがいた。

「●●●、●●●●●●●●●●●」
「●●●●●●●●●●、●●●●●●●●●●●●●●」

上から降ってくる声に首をかしげていると、なんとリオル含む三人は私を部屋の中にいれて扉を閉めてしまった。
え、ちょっと、待って。まさかと思うけどそんな、あの。

状況が理解できていない私の様子を知ってか知らずか、この体ならきっとぶち破ることも可能だろう薄い扉の向こうで、リオルが清々しいほど明るい声で私に声をかけてくる。

『それじゃ、僕もお仕事に戻るね!みんなと仲良くしなきゃダメだよ!』

ばたばた、慌ただしく遠ざかっていく足音に、どうやら三人は余裕のない時間を押して私をここに連れてきたらしいということを知る。
しかし私はそれに対する感謝の念より泣きたい気持ちが勝ってしまった。
そりゃ、事情も何も話してないけど。ただの迷子かもしれないけど。

『言葉が通じないのに、どうやって仲良くすればいいの…』

しんと静まり返った部屋の中、呆然と呟いた私の視界はほんの少しぼやけ始めている。