血は水よりも濃い

「あっ」

ばしゃん。


―――
――――
カルロスは引きずられるようにして夕食へと赴いた。
珍しく寮の自室に戻って睡眠を貪っていた彼は、一度寮から出ると入れなくなるからと引きこもる姿勢を見せたが、ちょうど居合わせたルームメイトがそれを許さず外に放り出したのだ。

なんの因果か、カルロスを引きずり出したルームメイトはイリーナと血の繋がった兄であった。名前をイリヤ・メンデレーエフ・レシュリスキーという。
三年になった際に部屋割りが変更され、ルームメイトになった二人だったが、言葉を交わした回数は両の手で足りるかと思えるほど少なかった。元来の性格からウマが合うとも思えず、交友関係も重なっていなかったからだ。

ただし、それは妹の存在によってあっさりと覆されることになる。

「イルーニャ、隣いいかい?」
「ええ。…あら?カルロスくん、今日は夕飯にも来たのね」

妹であるイルーニャ、もといイリーナの隣に腰掛けたイリヤは、半眼になって向かいに座るカルロスに目を向ける。イリーナの発言に答える素振りを見せず、詰んである料理の数々を適当に皿に盛っていた。
話すときに見せる笑顔はなりを潜め、ただ無表情で料理にかぶりつく様から目をそらしながらも、イリヤは妹に答えを返すため口を開く。

「眠っていたから起きてもらったんだ。失礼かなとも考えたんだけど、一日一食はあまりにも不健康だと思って」

いくら一食の量が多くてもね。カルロスの皿に盛られた料理の数々を視界に収め、バランスも考えていない状態に苦笑いを禁じえないままに告げると、イリーナは納得したようにふうんと言葉をこぼした。

イリーナがブリジットと交流を持ったことをきっかけに、イリヤとカルロスも多少の会話を交わす程度の仲になった。カルロスはブリジットと行動を共にするし、イリヤはイリーナと会話を交わすことだってあるのだから自然の流れである。
少しばかり変わっていると耳にして以来警戒していたカルロスという存在は、話してみると意外にイリヤと相性が良かったようで、特に気を遣うような間柄にはなっていない。

相手がどう思っているかは不明だが、大抵のことには真面目に取り組もうと意気込んでいるイリヤからしてみると、好きなことばかり突き詰めていくカルロスは尊敬の対象でもあった。

カルロスは思ったことを口にして、そばにいる人間を巻き込んで様々な場所を練り歩くことを好む。
主に餌食になるのはイリヤかブリジットだが、勉強で張り詰めた糸を僅かに緩ませるその時間はいい息抜きになる。失言をしたとしても、相手は気にするような人間じゃない。

カルロスを見ながらイリヤは少年への認識を改めて確認したが、目の前で行われている食事風景には少しげんなりする。彼はお世辞にも食べ方が綺麗とは言えない。
数え切れない食べこぼしの数々に、とうとう少年の隣でもそもそとサラダを頬張っていたブリジットが彼を小突いた。

「もう少し綺麗に食べられない?」
「…いたんですか」
「カルロスくんより先に、ね」

ブリジットを認識したからか、どこに向けられているわけでもない色のない瞳に穏やかな光が灯る。への字の口も両端が緩やかに上がり、感じていたよそよそしさがなりを潜めた。
最早見慣れた光景とは言え、ブリジットの言葉にだけ反応する彼にはもの侘しさを覚える。
交友を持ち始めたのはブリジットよりも十日ばかり遅かっただけだが、彼にとってほんのわずかな時間でもブリジットが先に友達になったことは大きいのだろう。寝起きはその差が顕著に表れる。

しかし、汚れた口周りをナプキンで拭われているカルロスを見ると、まるでブリジットと彼が姉弟のようにも見えてくるから不思議だ。イリヤは上品にベーコンを食しながら思う。

「世話焼きのお姉さんと、大人しく世話を焼かれてる弟ね」

一定の量を食べ終わったらしいイリーナも同じことを思ったのか、口にした言葉がイリヤの内心と被った。少年の耳には届かないだろうと予想したのだろう、特に抑えてもいない声量だった。

「それいいですね。ブリジットさん、姉として僕の家に来てくださいよ」
「光栄だけど、遠慮しておくわ」

しかしカルロスはそれを聞き逃さなかった。
話題に乗った彼の誘いをすげなく断ったブリジットは残ったサラダを豪快に口に入れる。それほど意地汚く見えないのは、食べ方が綺麗だからこそだろう。

反対に、それほどがっついているようにも見えないのに汚く見えるカルロスは、どうも食べ方がおかしい。フォークをグーで握っているので食べにくいようだ。
直したほうがいいと言っても聞いてくれそうもないため、特に注意をしたことはなかったが、早めに矯正したほうがいいと小言でも漏らしておくべきだったろうか。イリヤは真剣に悩んだ。

「僕、上の兄妹がいないんですよね。姉や兄って憧れます」
「兄さんがいてもいいとは言えないわよ?賑やかにもなるし、家督のことを考えると気楽でいいのだけど」
「確かに!兄さんが嫌ってわけじゃないけれど、時折…うん…」

言葉を濁らせる女子二人の様子に苦笑をこぼしつつ、「いい兄さんなんだけどね」とフォローした。
イリヤとイリーナの兄は五つ上だが、とある事情で二年ほど留年している。わざわざいうことではないが、事情が事情なだけにフォローを入れにくいのが現状だ。

「ブリジットさんだけじゃなく、二人にも上の兄妹がいたんですか。いいですね」
「うん。ほら、向こうのハッフルパフのテーブルに紛れ込んでる…レイブンクローなんだけどね」
「ジュリアって監督生に何か話に行ってるみたいよ」

へえ、カルロスがトマトにフォークを突き刺して相槌を打った。瑞々しいトマトが潰れて汁が周りに飛び散るが、本人は気にすることなくそれを口に運んでいる。
遠くに見える二人の兄は至極楽しそうだ。夜行性と称される人なのでこれからが一日の始まりなのだろうと、イリヤは現実逃避のように思った。

「僕たちは三人兄妹だから、イルーニャが末っ子ってことになるかな」
「私のところは兄が一人と弟一人よ。真ん中っ子だから、イリヤくんとお揃いかしら」
「あっ、イーリャってばずるいわ!ほんの少し出てくるのが早かっただけだもの、私ともお揃いになりましょ!」
「ふふふ、それもいいわね」

もちろんその道理が通じるわけもないのだが、カルロスは命に関わるような話題ではないと判断し、ツッコミをいれることを放棄した。元より揃いのものには興味がない。
イリヤはそんなカルロスにも同じ話題を振った。

「妹が一人。身内の欲目ありで見ると可愛いですし、とても聡明な子ですよ」
「欲目ありなのね」
「顔の美醜については詳しくないもので」

少年の言葉に納得する。顔の造形に興味が沸かないのだろうことは日頃の態度で誰しも理解していた。

それからの話は兄妹から四人の誕生日に移り、ブリジットの誕生日から一ヶ月後に待ち受けるクリスマスのプレゼントへと転がる。
それぞれがほしいと願うものを話題にしながら(カルロスの欲しいものは大体変なものだった)、ゆったりとした食事を終えて、じきに消え去る料理を背に、四人は大広間の扉を開いた。