ディミトリ王子とシャーロット嬢の婚約は瞬く間にフォドラ全土に広がり、王国内ではこのニュースは概ね好意的な声で迎えられた。一部、王太子妃の座を狙っていた貴族には貴賤結婚と揶揄する者もあったが、それをはねのけるほどの地位と信頼のあるフラルダリウス家にとっては些細なことであった。
一方、王子の婚約者となったシャーロットの生活は、これまでと一変した。
これまではどこに嫁に行っても大抵の場合実家であるフラルダリウス家より格下か、せいぜい同程度の地位の家と想定して教育が施されてきたが、シャーロットは王家に輿入れすることになったのだ。彼女の勉強はフラルダリウス夫人に代わって、代々王妃になる者への教育係を務めるという、年老いた子爵夫人が務めるようになった。科目は多くなり、内容もより厳しく、より難しくなった。「王妃になる身」として感情をなんでも素直に出すことは許されず、「王家にふさわしくない」と立ち居振る舞いの一部始終を指摘・矯正される。自由な時間は、殆どなかった。
そんな窮屈な生活に少しずつ娘の心が蝕まれていくのを、ロドリグは苦虫を噛み潰したような気持ちになりながら見ていた。やはり婚約をさせるべきではなかったのではないか、と悔いたこともあった。今からでも解消を申し入れようかと、ブレーダッド家へ文書を出そうとしたことさえあったという。
そんなある日、フラルダリウス邸に1人の騎士が訪ねてきた。
予告もなくやってきた人は、なんと立派に成長した兄グレンであった。ガルグ=マクの士官学校を卒業し、王から正式に騎士としての叙勲を賜ったところで妹の王家への輿入れを聞き、帰省も兼ねて休暇を取って実家に戻ってきたのだ。
久しぶりの兄の帰還に、家族は顔を綻ばせる。もちろんシャーロットも例外ではなく、幼い日のように走り寄って兄に抱きつこうとしたところで、このところ教育係に「感情をなんでもすぐ表に出さない」と注意されていることを思い出した。どう気持ちを表現したらいいのかわからず、物陰からそっとグレンを見つめる。
妹からの出迎えがないことに気がついたグレンは、きょろきょろと辺りを見回して、すぐにシャーロットを見つけ出した。
「おーい、シャーロット。こっちに来いよ。」
しゃがんで目線を近くすると、人好きのする笑顔を浮かべて両腕を広げる。なお行くのを迷っているシャーロットを、ほらこっち、と手招きした。
耐えきれなくなったシャーロットはついに、グレンの元へ走り寄って、ぎゅうっと抱きつく。
「お兄様、おかえりなさい。」
「おー、ただいま。シャル、大きくなったなぁ。」
グレンの太くなった腕が体に回り、とんとん、と背中を叩かれる。昔フェリクスと喧嘩して泣かされた時もお兄様はこうしてくれたと、まだ自由に遊び回っていた頃のことを思い出すと、すこしだけ目元が潤んだ。グレンのシャツにちいさなシミがふたつできたが、彼は気がつかないふりをして優しく背中を叩き続けた。
久しぶりの家族揃っての夕食は、とても賑やかだった。士官学校在学中に起きた様々な出来事を面白おかしく語り、家族は笑ったり驚いたりする。皆グレンとは手紙のやり取りをしており、士官学校で起きた出来事のほとんどをもう知っているものの、久しぶりに会えた家族の会話は賑やかだった。そんな中、シャーロットだけは表情を変えても微笑む程度に留めていた。「王妃たるもの、いついかなる時も気を抜いてはならない」というのが、老夫人の口癖だったからである。
そんな妹の様子を、気遣わしげにグレンは見ていた。
「兄上はいつまで領地にいられるんだ?」
フェリクスが尋ねた。
「そうだな、2週間くらいはいられると思うけど、辞令がくればもう少し早くいかなきゃいけなくなるかも、ってところだな。明日剣の腕前見てやるよ。俺から一本くらいは取れるようになったか?」
「望むところだ、絶対に兄上を負かしてやる。」
「言ったな、フェリクス!明日楽しみにしてるぜ。」
続けて、シャルも見に来るか、と誘った。彼女は首を横に振る。子爵夫人は、毎日やってきては朝から晩まで彼女に教育をつけるのだった。そうか、と残念そうに言って、暫し彼は逡巡した。
帰ってきてからこのかた、愛しい妹の本当の笑顔を見ていないような気がする。このまま置いていってはいけない、と彼はなんとかして妹を笑わせることを決意したのだった。
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