野原を2頭の馬が駆ける。少女の楽しそうな笑い声が辺りに響いた。
シャーロットにとって、遠乗りに出るのはとても久しぶりのことだった。愛馬とともに駆け回りながら、よく晴れた初夏の高い空を見上げる。最近は外に出るときも広いパラソルで日焼け対策をされていたから、陽光にあたりながら広い空を見るのは久しぶりであった。
気が済むまで乗馬を楽しんだ後、木陰に敷物をしいて持参したバスケットを開く。サンドイッチや果物、瓶に入った紅茶など、ピクニックらしい食事に歓声をあげた。
グレンは、そんな妹の様子を内心心配しながら見ていた。やはり、昨日までの彼女は相当無理をしていたのだろう。殿下と婚約が決まる前までの妹に戻ったかのような表情だ、と彼は分析する。
食事を終えたシャーロットは、日向に走り出て衣類が汚れるのも気にせず地面に寝転んだ。
「こんなに楽しいのは、とっても久しぶり。」
ぽつり、と呟く彼女の声色が少し硬い。シャーロットは空を飛ぶ鳥たちを、少し羨ましそうに眺めていた。
「…辛いのか?」
「辛い…のでしょうか?シャルには、よくわかりません。」
「シャル、ここは今俺しかいない。自分の気持ちに素直に、答えてくれればいい。辞めたいか?」
何を、とは言わない2人の間に、つかの間の沈黙が広がった。シャーロットは目を伏せ、ぴゅー、と口笛を吹く。彼女の伸ばした指先に向かって、小鳥が舞い降りてくる。指の腹で優しく撫でながら、シャーロットは自分の考えをまとめているようだった。
「辞めたい、わけでは…ないのだと思います。殿下のお助けになりたいという気持ちは、今も変わりません。お勉強が辛い、というのも少し違う気がします。
ただ…窮屈だとは、感じているのかもしれません。」
婚約が決まるまでは、シャーロットはよく笑いよく泣く少女だった、とグレンは思い返す。フェリクスと喧嘩をすることもしょっちゅうだった。
「窮屈、か。」
少し遠慮がちに、彼女は頷いた。
「国のため、殿下のためにはそう在るべきだとは分かっているのです。王妃として、立ち居振る舞いは完璧にしておかねばならないと。…しかし、同時にこうも思うのです。これは、シャルではないと。…王妃になるのは、私でなければならなかったのでしょうか。」
陛下は、何故私を殿下の妃にと望まれたのでしょうか。
彼女は、王妃教育が始まってからずっと疑問に思っていたことを漸く口に出した。思い悩んだ様子に、グレンは暫し自身の考えを逡巡させる。しかし、
「…俺には、陛下のお考えなど拝察することすらできないよ。」
諦めたように、肩をすくめながら簡単に言い放つ。少し残念そうな表情を見せる妹の頭を、優しく撫でてやった。
「俺には分からんが。でも、シャルらしくやればいいんじゃないか?確かに、王妃らしく振る舞うことを求められるシーンは多いかもしれない。何があっても動じず、凛としていることも必要だろう。でも、常に肩肘を張っていなければならないわけじゃないと、思うが。」
「そうなのかしら…。」
「そうさ。前王妃様とパトリシア様でも、宮での振る舞いは異なるが、どちらも優れた妃と評されているだろう。シャルはシャルらしい妃を目指せばいいんじゃないか?」
そう言われて、シャーロットは二人の妃の顔を思い浮かべる。優しく微笑む顔が印象的だった前王妃と、どちらかと言えばクールで知的な横顔のパトリシア様。どちらも、印象は違えど彼女にとっては尊敬すべき人で、そして国民からも愛されている妃の姿であった。
「私に、なれるかしら。」
「なれるさ。俺の可愛い、シャルなら。」
勇気づけながら、グレンはシャーロットを抱き上げた。子ども扱いしないで!と聞こえる抗議の声はまだ子どもらしいものだが、抱き上げた体は最後に抱えた頃よりずっと重くなっていて、彼女が気楽な公爵家令嬢でいられる時間の終わりの近さを感じた。
野原の向こう側で、太陽は少しずつ夕方の色になっていく。
グレンは、そろそろ戻ろうか、と声をかける。シャーロットは名残惜しそうに、太陽を眺めた。
「ありがとう、お兄様。」
「ん?」
「お陰で、覚悟が決まりました。」
そう振り向いて笑う彼女の顔は晴れやかで、その覚悟が後ろ向きなものでないことは見て取れた。そうか、と最後に頭をひと撫でする。
「じゃあ帰るか。お父様とお母様も心配してるだろう。」
「久しぶりに日傘なしで過ごしたから、お母様に怒られてしまうかしら。」
「大丈夫さ、その時は一緒に叱られよう。」
全然大丈夫ではありません、と笑う横顔に曇りはない。少し安心して、吐息を漏らした。
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