私とアビスの女王(男)
ありふれた話だった。
無害な微笑みで握手を交わし、共にあたたかな食卓を囲んだ。相手を蔑む目など一度も見せず、善意と真っ当な仕事意識をもって歩み寄った。そうして気の置けない友人のように肩を叩き、笑いあえるようになっていたはずだった。……しかしどうやら、その優しい貌の下では、汚泥に満ちた悪意が育っていたらしい。
両親が友人の殺意に気付いた時にはもう、全てが終わっていたのだろう。
そうして失われたのが、私の家族だったというだけで。それはどこにでもある、ありふれた愛憎劇、そして陰謀と結末だったのだ。
そして、何も知らない哀れな遺族を演じた私が、幼い頃から憧れていた彼を殺すのも、これまたありふれた話だった。
「…で?アンタは一体何なんだ?」
色素の薄い目が眇められると、僅かに髪が揺れてふわりと花のように香る。少しばかり黴臭い地下空間だというのになぜだろう。目の前の男はこの地下空間の女王のように美しく尊大な佇まいで、こちらを鋭く観察していた。
「私はリルメ。放蕩の身です。」
堂々と生き難くなった弱者の集う街、後暗い連中の隠れ家、浄化すべきガルグ=マクの闇。様々な噂を聞いてきたが、恐らくアビスというこの地下空間はそれなりに排他的だ。弱者や敗者を拒絶するほど非情ではないが、面白半分で観光に来る人間を受け入れることはないだろう。だからといって、自分が明るい身の上ではないことなど口にしたくない。
咄嗟に最低限の現状だけを告げると、目の前の男は名乗り返しもせず「いや、お前は修道士だろ。」などと睨んできた。
「あれ…私をご存知で?」
「俺たちは地上での情報収集や隠密行動も欠かさないんでね。ガルグ=マクを拠点にする人間のことは多少なりとも把握してる。」
「末端修道士のことまで?」
「生粋の信徒が集うこの大修道院で、アンタみたいな毛色の違う奴が混ざってたらそりゃあ目に留まるさ。」
「毛色…。」
「信仰心の欠片もないだろ?」
片側だけ口角をあげた皮肉るような笑み。なるほど、彼はそれなりに信心深いのだろう。でなければ不信心であることを嫌悪しない。
「よく修道士になれたもんだよ。」
「巡礼者に連れてきてもらったからですかね?それとも高位の信仰魔法を会得していたからとか?」
「巡礼者に?」
「ええ。住処を無くしていた時にご縁がありまして。行く宛てがないなら大修道院で奉仕活動を、と。」
「誰もが簡単に修道士になれるわけじゃないはずだが、」
「まあ、ここも救いを求める全ての者に居場所を与えられるわけではありませんものね。私の場合、幼い頃はそれなりの信徒で聖句なども覚えていましたし、巡礼者達との旅でいろいろお勉強したからでしょう。」
「見るからに不信心だったのに、誰も気づかなかったのか。」
「えー?んー…そんなにわかりやすかったですかね?」
「……さあな。」
すっと視線を逸らした女王は、目を伏せるとそれはそれで美しかった。目元は化粧を施しているようで、柔らかな毛先がかかる頬は灯りに艶めいている。
「えっと、何の話だったか……ああ、そうそう、一応修道士ではありましたがそのお役目は先日降りまして、」
「は?」
「故郷で奉仕活動を考えていると告げて修道服もお返ししてきました。」
「だが故郷で奉仕活動を考えてるわけでもなさそうだ。」
「そのへんは当たり障りない社交辞令のようなものですよ。あなたの仰る通り、私はもう熱心な信徒ではなくなりましたから。やはり修道士でいることは心地良くなかっただけなのです。」
「へぇ…じゃあ、アンタが申告通りの放蕩者だったとして、このアビスに何の用だい?」
何の用、そう問われると少しばかり答えに困って苦い笑みが浮かんだ。
「理由はいくつかありますが……一番は、生家を無くして行く宛てがなくなったから、でしょうか。」
「あー…住処無くしたっつってたな。」
「はい。ここに住み着かなければ生きていけない、というわけでは無いですが…。」
どうせなら、不信心者でも許される場所がいい。修道士がそんなことでいけないのは当然として、フォドラの人間は大半がセイロス教徒だ。他神教であれば異端扱いされるし、信仰心が浅いことも大っぴらにはし難い風潮がある。
しかしアビスならば、仮に異端であっても拒絶はされない。様々なワケあり人間達の逃げ場だとも聞いているのだ。そんな場所ならば、私は、
「私を、死んだことにしたいのです。」
「……」
「別の人間になりたいとまでは言いません。ただ……ゆっくりと、退屈であっても平坦な時間を、静かに過ごしたいだけなのです。」
生家はもうどこにもない。両親から継いだ姓を今後名乗ることはないだろうし、家族と共に幸福な時間を過ごしてきた実家は灰にした。人知れず仇を討ち、家族と恋を失った傷心女となって故郷を出た。
「……波乱万丈な人生を送った年寄りの台詞だな。」
「ふふ、いつかは心からこんなことを言ってみたいと思っただけですよ。」
はぐらかすように浮かべた微笑みを見て、彼はすぐに顔を逸らした。溜め息混じりにユーリスと名乗った彼は、女王のように外套を翻してアビスの中へと連れていってくれた。