不肖姫


大樹の節。
じんわりと陽射しに温もりが宿り、高地の風も前節よりは穏やかになった。ガルグ=マク大修道院も厳しい冬を越え、寒さに縮こまっていた人々も伸びやかに過ごす日が増えてくる。
若い修道女達が花を眺めて楽しげに微笑み合う様を眩しく思いながら、その男は重い口を開いた。

「聞いたか、不肖姫の話」

ひとりの司祭が問う。

「ああ、聞いたとも。またもや大司教に呼び出されていたのだろう?」
「先週にも話し込んでいたばかりだ。またもやお忙しいレア様を煩わせおって……」
「今度は何と言われたのだろうな?」
「あの怠惰な生活態度を咎められたのでは?」
「まったく……下働きのようなまねはするくせ、なぜ、神に仕える者がすべき責務を果たせないのか…」
「大司教の養女という身でありながら、祈りひとつ捧げられないなどどうなっているのだ」
「ああ、嘆かわしいことだ」
「だから、あのような不信心者はさっさと帝国にでもどこぞの貴族にでもくれてやればよかったのだ。稀な境遇であるからとレア様が慈悲を与える必要などなかった」
「そうだそうだ」
「レア様があの赤子を抱えて現れた時は、あまりの美しさに言葉を失ったものだが…、」
「女神からの贈り物だと言う大司教の言葉を、素直に信じていられたのは数年だけであったな」
「本当に」
「ああ。セイロスの紋章と大司教と同じ色の瞳を持つ子供など、奇跡の産物だと思っていた」
「しかし、どうしてああなったのか…」
「宝の……いや、紋章の持ち腐れというものだな」


ああ、そうだ、まったくだ。そうしみじみと頷きながら、司祭ウィリアムはつまらぬ話の手慰みに聖衣の裾の皺を伸ばした。

( ……いい歳こいた大人が、よくもまあここまで中身のない話で盛り上がれるものだよなあ )

年嵩の司祭達が眉を顰めて口にしているのは、リルメという少女のことだ。
彼女は大司教の養女という格別な立場でありながら、どう育て方を間違えられたのか、教団の信奉する女神に見向きもしない愚かな不信心者、と評されている。大司教の養女ともなれば次期大司教や補佐にと望まれそうなものだが、思い通りにならず信仰に馴染まないまま年頃になったリルメを、教団は大層持て余していた。不肖姫などと雑な蔑称で呼ばれているのも、教団とリルメの不和ゆえだ。

( リルメは、本人の意思はさておき、教団の姫として担ぎ上げられる要素を揃えている…… )

なんと言ってもまずは、アドラステア帝国皇家に伝わるセイロスの紋章。そしてウィリアム自身はそこまで惹かれないが、どこか人を狂わせるらしい美貌。誰かが霧の烟る雪原のようだと例えた銀糸の髪に、大司教と同じ白緑色だがそれ以上に光を集める瞳。何より儚げで美しい顔立ちの彼女は、幼い頃は紛うことなき愛らしいお姫様だった。
しかし今となっては、大司教の養女という立場に不相応な、愚かで怠惰な不肖姫と呼ばれるようになってしまっている。
それはもう、リルメ当人の望む通りに。


「……え、私また大司教に呼び出されたことになってたの?大司教ってそんなに暇だったっけ」

リルメは大司教レアのことを養母とは呼ばない。大司教の養女に相応しくないと周囲から評されているからでもあるが、そもそも幼い頃から親子らしい関係ではなかったと聞いている。

( リルメは親族の愛を知らないから、女神の愛も他者の好意も信じることができないのだと言っている騎士がいたな… )

セイロス騎士団に属するその男は、そう同情する体で「だからリルメは可愛げのない高慢女になってしまったのだ」とも言っていた。彼女に素っ気なく袖にされた腹いせだったのだろうが、それでも周囲は男に同調した。
それは恐らくリルメというひとりの子供が、どうしようもなく普通の子供であったからだろう。

慈愛に満ちた美しい笑みを浮かべ、女神に真摯に祈りを捧げ、救いを求める人々に手を差し伸べる……心優しく慈悲深い女神のごとき大司教レア。そんな彼女のように美しい慈愛の笑みを浮かべることを周囲はリルメに求めているのに、リルメは慈悲も見えなければ愛想も差程ない。教徒どころか人としてもどうかと思うが、彼女は大多数の他人に心を向けていないのだと思う。端的に言えば、救いを求める人々に手を差し伸べようという聖職者らしき心意気がリルメにはない。女神を信じ仕えようという素振りも皆無であり、擦り寄ってくる者があればじっと観察しては気分と嗜好だけであっさりと境界線を引く。
そんな自分本位で浅慮にも見える言動が増長していった結果、彼女は美しいが教団の姫としては相応しくない凡庸な子供であると断じられた。不肖姫などとあだ名されるようになり、年頃になった今では早くどこぞへ嫁げと望まれるようにもなった。


「……そういえば、最近は大司教と全く話してないなあ…別に話すこともないんだけど」
「アビスのことは話さないのか?」
「それはアルファルドさんの仕事だよ」
「じゃあお前のアビスでの仕事は何なんだ」
「……奉仕活動?」
「嘘はよくないな」
「アビスの人達が退屈のあまり暴れ出さないよう、盤上遊戯の相手したり魔導具開発したりしてるのに?」
「奉仕とは、私心を捨てて尽くすことだ。お前はそれができるのか?」
「あ、それはできないわ」


ふふっと胸を鳴らすような軽やかな笑い声。愛想がないと言われているが親しい者には簡単に微笑み穏やかに話す、ただの人見知りの子供のようなものだ。この笑顔を振り撒けば彼女を疎む者の大半は簡単に対応を変えるだろう。その気になればリルメという少女の立ち位置は今とは随分違ったはずなのに、などと時々つまらないことを思う。








「聞いたか、不肖姫の話」

ひとりの司祭が問う。

「ああ、とうとう帝国が答えを出したのだな!」
「あの不肖姫がフレスベルク家の庶子ではないと表明された。まったくもって、正当な評価だ。あのような堕落者が皇族の血筋なわけが無い」
「そうだそうだ」
「セイロスの紋章を持ってはいても、あの有様ではさすがに皇家の者とは言えないだろうな」
「しかし、なんというか。平民から紋章持ちが現れるという話もないわけではないが……まさか、フレスベルク家の血筋でもないのにセイロスの紋章を持って生まれるとは…」
「加えて見目だけは良いからな。惜しいとしか言えん。あれで出来が良ければ大司教の後任に推してもよかったのだが」


ここにリルメがいれば「余計なお世話だ」と顔を顰めて、心の中で彼らの顔に唾を吐きかけていたに違いない。

こうして大修道院内でリルメに関する噂を集めるようになって、三年目くらいだろうか。
これは万が一にも教団に担ぎ上げられたくないリルメが持ちかけたことで始めたものだ。「ウィリアム司祭は社交上手だし、私のことはわりとどうでもよさそうだから」と言って、彼女に関する悪評を聞いて回ることを他ならぬ彼女自身に頼まれた。代わりに教団の面白い事件に首を突っ込ませてもらったり、業務等において何かと融通をきかせてもらったりしているが、まあそれはさておいて。

最初こそ噂も彼女のこともどうでもよかったし、面白いことに首を突っ込めるような取引は愉快だったので何も不満はなかった。しかし、一体いつからそうなってしまったのか、今では敵を知る為の諜報活動のように思っている。
それもこれも、リルメという少女がどうでもいい存在ではなくなったからだろう。


「これを付けてみないか」

自分が高揚した気分で差し出したものを、リルメはゴミを見るような目で睥睨した。いや、正しくは、これを差し出した自分を睥睨している。


「なあに、この幼女趣味なリボン」
「この明るいピンクと白いひらひらは女の子の特権だろ?」
「要らない権利だね」
「そしてお前ならこの安っぽい造花も似合うはずだ」
「もしかして喧嘩売られてる?」
「お前、俺の妹の力作をバカにするつもりか?」
「作品ではなくウィリアム司祭をバカにしているんだよ」


よくできてるとは思うけどねと彼女は苦笑しながら、差し出したリボンにそっと触れる。

これはガルグ=マク大修道院の孤児院にいる自分の実妹が作ったものだ。まだ十歳になったばかりなのにとても器用で、時々趣味で髪飾りや小物を作っている。妹はお姫様そのものの容姿を持つリルメに憧れていて、彼女のために素敵な装飾品を作ることを生き甲斐としているらしい。


「私にはちょっと可愛すぎるかな…妹さんの方が似合うんじゃない?」
「俺もそう思うが、これは妹のためなんだ。お前が付けた様を見て一頻り笑った後、妹に報告してやらなきゃならない。よく似合っていたからもっと可愛らしく作っても大丈夫だ、と」
「大丈夫なわけあるか」


と言いつつリボンの髪飾りを手馴れたように付けて、リルメはそっとこちらを見上げた。不安げに口元に手を添えて上目遣いで、「に…似合うかな…」と鼻にかかった声で呟く。


「さ、さすがだな……とても、よく似合っ…っぶは!」
「吹き出すと思った」
「っいやあ、堂にってきたな、ぶりっこ」
「舞台立てるくらい?」
「それはマヌエラさんをよく見ればわかるだろうが、無理だ」


とはいえ、彼女がやるとぶりっこでも破壊力はある。リルメがその気になって大司教などを目指し、誰もが望む女神のように振る舞えば、その辺の修道士や信徒達は容易く傅くことになるだろう。

事実、大司教がリルメを拾ってきた当初は様々な騒ぎがあったらしい。早々にセイロスの紋章を持っていることが判明すると、ぜひとも養子にしたい、いや実はうちの子かもしれない、などと言って彼女を望む貴族が殺到したそうだ。紋章至上主義のフォドラ社会。まして帝国皇家が持つ希少なセイロスの紋章だ。英雄の遺産が手元になくともセイロスの紋章は十分強力だし、それを継ぐ子供も産まれるかもしれないのだから、貴族が彼女を欲しがるのは当然だった。
そうして貴族同士の争いが起こることを危惧した大司教は、それならばと自分の養子にしたらしい。大司教が産んだのではないことは明らかだったが、セイロスの紋章を持つ美しい容姿の子供を得たことに教団は沸いた。


「……さすがに、ずっとは付けてられないな」

そう言って髪飾りを外したリルメは「カーテンに飾ってみようか」と呟いてこちらを見上げる。あざとく首を傾げて、これ貰っていいの?と。


「……ああ。妹がお前にって言っていたからな」
「そう。ありがとうって伝えておいてね。前くれた首飾りも壁にかけて飾ってるんだよ」
「部屋の雰囲気とか気にしないのか」
「特に拘りはないよ。でも、目につくとこに人の善意があるのっていいじゃない」


( ……そういう感覚があるから、嫌えないんだよなあ… )

それはウィリアム自身も理解できる感覚だ。
昔、妹が初めて描いてくれた絵をウィリアムはずっと自室の天井に貼っている。妹が孤児院に引き取られることで離れて暮らすことになるから、兄が寂しくならないようにとくれたものだった。幼児が筆をぐるぐるわしゃわしゃと紙に叩きつけただけのような何を描いているのすらわからないうえ、少し黄ばんでしまっているので、景観は大層損なうものなのだが、それでも、どんな名画よりも価値あるものなのだ。ウィリアムにとっては。
あの時の妹の憂いも優しさも、もはや過ぎたものであり、色褪せた愛情なのかもしれない。リルメが受け取る妹製の装飾品も、一過性の憧れや好意でしかないのかもしれない。そうであろうと考えていても決して雑に扱うことなく、リルメ自身を満たすものとして部屋に飾ってくれるのだから、兄としてこんなに喜ばしいことはない。


( ……大司教との親子関係が希薄であることは公然の秘密…血の繋がった家族を持たないからこそリルメは情に疎いらしいと言われているが、 )

そんな者が子供の作った贈り物を丁寧に扱えるだろうか。到底自身が身に付けられるようなものでもなく全く高価でもない装飾品の、その価値は作り手の感情にあるのだと。そう考えるのは情に疎い者ではなく飢えている者なのではなかろうかと、そんな浮ついたことを思う。








「聞いたか、不肖姫の話」

ひとりの司祭が問う。

「ああ。士官学校の生徒に求婚されて蹴ったそうだな」
「なんと勿体ない。さっさと嫁いでガル=グマクから去ればいいものを」
「そうだそうだ」
「だが相手は子爵家だったのだろう?それでは、その…金銭的に惜しいのではないか」
「いや、商人から成り上がった子爵らしい。うまくいけば、結納金だけでなく寄付金も相当な額が取れただろうな」
「……その話を蹴ったのか」
「即答で拒否したそうだ。せめて大司教にご相談されるべきだったのに……不肖姫ときたら、そのような作法も知らんらしい」
「本当に、外見と紋章以外何の取り柄もない娘なのだな」


数人の司祭が顔を合わせて下世話な話に花を咲かせる。ウィリアム司祭は問いかけを振って以降は、雑な相槌を打って聞き役に徹することを心がけていた。しかし内容は似たり寄ったりだし、最後は実妹が憧れるリルメへの侮蔑で着地するのだ。決して愉快な時間ではなかった。



「いきなり知らない人に話しかけられてね。お前、ここに居場所がないのなら私が娶ってやろう!ってさ」
「まあ!なんて不躾な…!」
「それを嫌の一言で断ったのかい」
「まさか。ちゃんと礼儀正しくお断りしたよ」
「一昨日来やがれクソ野郎、と?」
「そんな汚い言葉使わないよお、常識と作法を学んで出直してほしいって言っただけだよお」


ついでに歯磨いて髪洗ってヒゲ剃って服整えて花のひとつでも持ってきてくれなきゃ話聞く気になれないって言っただけだもぉん。
上目遣いで瞬きを繰り返すと、長いまつ毛がぱちぱちと煌めく。見た目がいいだけあって可愛こぶると文句無しに可愛いのが腹立たしい。


「身なりのなってねえ男はダメだな」
「ほらあ、バルタザールもそう思うでしょ?」
「そんな不潔な男に求婚されるだなんてゾッとしますわね…」
「居場所がないとか勝手に決めつけてるのもヤな感じ」
「あげく上から目線で、娶ってやろうとは…いい性格してんじゃねえか。おい、リルメ、いい加減そのぶりっ子やめろ」
「そうする…これ目乾くわ」
「アホかよ」


ユーリスの呆れた声に、バルタザールの「可愛かったぞ」と揶揄う声。コンスタンツェが真似るように瞬きを繰り返して「確かに乾きますわね」と生真面目な呟きを落とし、ハピが「コニーへたくそだね」と笑う。

ガルグ=マク大修道院の地下に広がる薄闇の街、アビス。
その一画に在る灰狼の学級ヴォルフクラッセは、リルメが心穏やかでいられる場所らしい。

大司教の養女となって、最低限の学びを得て、生活に伴う仕事だけは真面目に熟してきたリルメ。彼女の将来は大司教の補佐、もしくは次期大司教、などと言われていた頃もあった。しかしリルメの関心がセイロス教に向いていないと気付いた大司教が無理を強いることはなかった。怠惰で愚かな振る舞いが目につくようになると、周囲からも不相応の烙印を押された。
だからといってタダ飯食らいはいけないからと、リルメは奉仕活動としてアビスの支援をすることにしたらしい。十歳より以前からアビスに出入りしていたリルメにとって、ここはもはや庭なのだと言っていた。


「ところでウィリアム司祭は何をしに来たんですの?」
「用がなきゃ来ちゃいけないのか」
「普通の司祭は用があっても来たがらないんだがな。やっぱアンタも変わってるよ」
「そうかい」


ユーリスにひらりと手を振れば、彼は心得たように「ところで」と話題を切り替える。自分はいないものと思えばいいと言ってあるので、彼は気構えることなく話し出す。

「先日探らせた枢機卿の会合だが…」

当たり前のようにその話題を進めるユーリス達の異様さに内心溜め息を吐く。枢機卿の会合など地上で活動する人間だって簡単には探れない。誰が枢機卿かということすら公開されていないのだ。その会合の日程も場所も、どうやって知っているのか不思議でならない。相変わらず得体の知れない情報網だなと考えて、ふとリルメを見る。

( ……いや、さすがにリルメも枢機卿のことは知らない…はず、だろう… )

ウィリアムがアビスに来るのは頻繁なことではないが、来る時は必ずリルメの護衛や監察を兼ねている。
護衛というのもリルメはその容姿や紋章を狙われやすかったからだ。幼い頃は紋章や身代金などを目的とした誘拐に遭い、年頃になってからはその容姿で変質者まで引き寄せるようになってきている。
時々でいいから気にかけてやってほしいとウィリアムに依頼してきたのは、リルメに憧れる妹と、そんな兄妹の事情を聞き齧りリルメの動向や思惑を探ることに利用せんとした大司教だ。

リルメの監察を望んだ大司教にもいくらか報告してきたことだが、リルメが表に出さない彼女というのは存外多くあった。
地上では不肖姫などと呼ばれる傍ら、地下では敬愛を持って姫様と呼ばれるリルメ。警戒心が強く排他的なアビスの住人達を懐柔して、更にはリルメ自身とも親しくなることで、彼女が普段していることもある程度は把握した。

( ……しかし、さすがに枢機卿のことまで掴める程、教団の深部に触れていることは…ないこともないか……?…まさかリルメが枢機卿……いや、それはないだろう )

となると、やはりユーリス達の情報網が異様、ということに尽きるのだが……。緩く首を振ってウィリアムはその思考を頭から追い出した。
灰狼の学級やアビスのことは詮索したり地上に情報を持ち帰ったりしないとユーリス達に約束している。苦労して得た信頼を、無駄に詮索することで失うわけにはいかない。
今はただ彼等の会話を聞き流しながら監察対象を注視しておくしかないだろう。



「ウィリアム司祭」

不意に呼ばれて目を瞬く。コンスタンツェが横に立って「お待たせしましたわね」と軽く頭を下げた。彼女は元貴族なだけあって、その所作は地下街に似つかわしくなく整っている。


「終わったか」
「ええ。リルメはもう連れ帰るんですの?」
「何か用があるのか?」
「私の研究を見せようと思っていますわ。素晴らしい成果が出ましたのよ!」


コンスタンツェが得意げに胸を張ると、にやりと悪戯に目を光らせたリルメがその脇腹を擽るように突いた。ぎゃあっと奇声を上げて飛び跳ねるコンスタンツェを笑って、怒らせては揶揄ってじゃれている。

彼等と過ごすリルメは年相応で無邪気だ。できることなら、可笑しな立ち回りなどしていないで、ずっとここにいればいいのに、なんて虚しいことを思う。