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そういえば今夜は月が満ちる日だったのだと思い出す。女神がいる星海の星さえ霞む眩さを放ちながら、しかし地上の暗さの全てを照らしはしない。
闇に紛れることを望む者には安寧を、光を求める者にはその道を。願うことも叶わぬ者には……どうか、安らかな眠りを。







「鐘の音…?このような夜更けに、なぜ…」

静謐な聖廟に届くのは荘厳な響き…とは言い難い、まるで警鐘のようなもの。カンカンとけたたましく、しかし端的に短くしてそれは鳴り止んだ。

長らく……そう、随分と長く待ち望んでいた。陥れられ地下に来たあの時から今まで、ずっとこの機を望んでいた。ああ、これは解放の音だ。そう悟ったユーリスは、安堵と高揚に口角をにやりと持ち上げた。


「白銀の騎士たちが、牢から罪無き者たちを解き放った合図だ。あんたが捕らえて隠していた、俺の身内をな」
「なぜその場所を……いや、そもそも騎士団は……!」


アルファルドの予想通り、確かに騎士団は街での賊退治に追われた。それは夜中まで続いたので後始末は未だに終えていないし、大修道院内外の警備も緩められない。
しかし、アルファルドには予測しえなかった事態がいくつもあった。


「はは、言ったろ……あんた、本当に悪役面が似合ってないってよ」

灰狼の学級を設立し居場所のない若者の寄る辺としたこと、教団内に敵を作ろうともアビスを支援していたこと。行く宛てのない者に手を差し伸べ庇護しようとした彼の行いは聖職者そのもの。
だからこそ、大司教はアルファルドの異変に気付いたのかもしれない。真っ白な布であれば、どんなに小さな薄染みであっても目立ってしまう。

「俺が捕まる原因となったあの掃討作戦の立案者も、あんただったわけだが……やり方が杜撰だったな。俺だけじゃねえ、レア様にもおかしいと勘づかれちまった。あんたが俺を支配下に置く前から、すでに俺はレア様と取り引きしていたんだ。あんたが何かを企んでるなら調べて、レア様に報告するようにな」
「な……!?」
「……だが、あんたは俺の身内を人質に、俺の行動を縛った。灰狼の学級やアビスの連中の首にまで、縄をかけて俺が裏切らないようにした」


謎の装置に血を吸われながら、バルタザールは密かに嘆息した。知らぬ間に自分の命が危機に晒されていたことは、こうなった以上気付いていたが、それをユーリスがひた隠して彼自身の首を絞めていたかと思うと……酷く、腹立たしかった。何も知らないまま気儘に過ごしていた愚かさを思う。


「流石の俺も、レア様に全部伝えることは躊躇ったよ。仲間の命がかかってるからな」

( 嘘つけ馬鹿野郎。仲間だと思っていたならなんで言わねえ…! )
後ろ手に縛られた縄がギチギチと軋む。怒りのままに縄を解こうとするはバルタザールは傍目には苦悶しているようにしか見えなかった。

「誰も頼れねえとなっちゃ、自分の力で
どうにかするしかねえ……と、思っていたが…あんた、リルメのこと甘く見過ぎてたようだな」
「……まさか。私はリルメほど厄介な者はいないとわかっていましたよ。だからこそアビスから遠ざけ、地上の者と交流するように命じたのです」
「あいつは俺の様子が変だってだけで、いろいろ動いてたみたいだが?」
「動ける範囲など知れています。リルメとアビスに近しいウィリアムには監視をつけていましたが、地上での仕事以外はセイロス騎士団に扮し…、!」
「騎士に扮するだって?へーえ、あいつそんなこともやってたのか。それなら調査を外注することもアビスに入り込むことも容易かっただろうよ」

そうわざとらしく声だけで笑ったが、ユーリスの目は酷く冷たかった。自他共に認める美貌に化粧を施し、青ざめてきた頬はその儚さに拍車をかけている。しかしその目元をぐしゃりと歪めると、美しくも悍ましい幽鬼の形相になった。

「……よくわからねえが…あんたは、あの死体に心を奪われてたんだろ?」
「……」
「だがな、そうして心を失くして、どれだけ残酷なことをしようとも……正真正銘の悪党と化かし合いをするには…あんた、少しばかり人が好すぎるんだよ」

ふと、アルファルドと宝杯を交換する為に礼拝堂跡へ向かう前の出来事を思い出す。
寝込んでいるリルメをユーリスが襲っていたのだと、コンスタンツェが道中で憤慨していた。あいつら知らねえ間にできてやがったのか、つーかそんなことしてる場合か羨ましい…とバルタザール自身も苛立ったし、それを聞いたハピがアルファルドに言いつけた際も援護射撃をしたくらいだ。
……けれど、アルファルドとユーリスはどんな顔で、どんな話をしていただろう?

「………なるほど、君は私より一枚上手だったようですね。ですが、それがどうしたというのです。儀式を妨げるものは、最早ありませんよ。君たちは死ぬ。もうまもなく……」
「そう上手くは事が…」
「は、こ、ば、ねえ……よっ!」

ぶちっという音ともに訪れる開放感。ユーリスが本気で縛り上げていたせいで、引き千切るのに時間がかかってしまった。腕を慣らすように回しながら文句を言えば軽い謝罪が返ってくる。その軽さのままコンスタンツェとハピに自分で縄を外すよう頼んでいたユーリスに、先程の形相は見えない。

「自由になったのはいいんだけどさ、何かこれまだ血を吸われてない?」
「この日のため、私は万全を期した。私財も私兵もすべてを投じた……」
「……そして心まで捨てて、俺達だけでなくリルメも殺そうとしたってことか?」
「なっ、ど、とういうことですの!?」
「え…リルメは儀式に関係ないんじゃなかったっけ…」
「ええ、リルメは"宝杯の儀"に必要ありませんよ。全てをかけたこの日をあの子に邪魔されてはたまりませんから、排除を命じるのは当然のことでしょう?」
「はっ…その"排除"をユーリスに命じたってんなら……」


バンッッ!!

不意に聖廟の扉が大きな音を立てて開け放たれた。助けでも来たのかと思いきや、そこにいるのはただひとり。

「リルメ…!」

その手には鈍く光る剣がある。シェン爺から譲られた魔法剣だ。そういえばあれで戦う姿をここしばらくは見ていない。ひとりで突っ込んできて大丈夫なのだろうか。
残念ながらこちらは装置が止まらず血が抜かれ続けていて加勢はできない。

「……アルファルドさん、教えてください。あなたを脅しているのは誰ですか?」

( ……まだ、信じてるのか )
思えばこの中でアルファルドと最も付き合いが長いのはリルメだ。幼少の頃から、教団の教育から逃げ出す彼女をアルファルドはアビスで匿っていたのだと聞いている。自分達以上にアルファルドという人間を知っているのかもしれないし、もしくは盲目になっているのかもしれない。

「……いいえ、誰にも脅されてなどいませんよ」
「あなた一人でここまでのことができるはずがありません。外部から何らかの力がかかっているはず」
「協力者…のようなものはいます。しかしこれは全て私が望んだこと。シトリーを…彼女を取り戻せるなら、他には何もいらない……」

聖廟の奥。セイロスの棺が眠るとされていところ…実際には天帝の剣が眠っていたところ…を見てリルメは痛ましげに目を細めた。

「…………ああ……なるほど」

そして何を悟ったものか、ふっと短く息を吐き出して駆け出した。リルメが真っ直ぐ死体へ向かうと、当然のようにアルファルドが立ち塞がる。

「何をするつもりだ…!」
「あの死体を埋葬するんです」
「彼女は宝杯の儀をもって蘇る!宝杯の儀は、魂を…」
「呼び戻しませんよ。始原の宝杯は女神がつくった女神のための神器。あなたにとっては彼女こそが女神であったとしても……宝杯にとっては、手に負えぬ死体です」
「…っ!」

静かにかつ冷酷にそう言い放ったリルメに、アルファルドは激昂して魔法を叩きつけた。誰かを慈しむ姿ばかりを見慣れているし、自分達やリルメには穏やかな顔を向けていたのに。今や酷く歪んだ顔で、それこそまるで虫嫌いのコンスタンツェが害虫を排除する時のような、そんな遠慮のなさで武力行使をした。それを魔法剣で振り払った彼女が、ふっと光を失くしたように表情を消した。

「……私がおかしな変質者に会って、その愚痴を言う度、あなたは私を慰めながらも変質者を庇っていました。彼等の思いは本物だ、って」
「…ええ、彼等は心からあなたを望むからこそ、犯罪に手を染めてしまうのです。何があろうともあなたを手放しはしない者達だ」
「何かあれば私の手を取ったまま真っ先に地獄へ堕ちようとする者が私にはお似合いだと…?」

リルメの言葉尻が震えた。

「ねえ、私は……死ぬことよりも不幸をと願われる程に、邪魔だったのですか」
「いいえ、あなたは思ったよりも役に立ってくれました。あなたがアビスへ注力してくれたおかげで私はこの計画に専念できましたから。……とはいえ、いざ実行するという段階になれば、話は変わりますね」
「だから…幸福を願うと言っていたその口で、誰かに殺せと命じていたのですか」
「あなたを愛する者が、あなたと共にいられるよう手助けをしただけです」

綺麗な言い方をしているが、要はリルメやセイロスの紋章を狙う変質者を大修道院に引き込んでいたということだろうか。

「彼等はいずれあなたが心を砕く者に成りえたかもしれない。大事にできるものを得られることがどれ程のことか……以前、お話ししたでしょう?」

何の話か知らないがアルファルドがろくでもないことを言っているのはわかった。まだアルファルドを信じていたらしいリルメもさすがにもう…、と思った時には、魔法剣が不気味な光り方をしていた。

「お…っおいおい、リルメ!落ち着け!」
「いいい一度剣を手放した方がいいのではなくって!?」

あの魔法剣は持ち主の魔力を循環させる道具でもある。不吉に赤黒く、そして淋しげで冷ややかな薄色を斑に混ぜた光は、リルメの感情を昂らせているように見えた。
チッと舌打ちをしたユーリスが、ふらつきながらも駆け寄ってその手から剣を払い落とす。あっさりと魔法剣を手放したリルメは、すとんっと糸が切れたように座り込んだ。そのまま倒れそうなリルメを慌てて支えたユーリスに、アルファルドが似合いもしない嘲笑を向ける。

「ご覧なさいユーリス。あなたがきちんと片付けていれば、ここで彼女が無駄に傷付くことはなかったのです」
「……何言ってんの、アルフさん…!」
「彼女が最も心を砕く相手はあなた達です。その手にかかるのなら、彼女の言う変質者と共に死ぬよりもマシでしょう?」
「……」

本気で、アルファルドの言ってることが理解できない。アビスで悪事を企むうえで障害となりうるリルメを排除しようとしたことはわかる。自分達を犠牲にし、アビスの住人の首に縄をかけ、リルメを殺してでも儀式を成したいのだろう。けれど、

「……ユーリス、あなたまさか、あの時…」
「……試みたが失敗した、っていう証拠が欲しくてね。お前が騒いでくれたおかげで助かったぜ、コンスタンツェ」
「え、ユリー…どういうこと?」
「お前らに見せつけアルファルドさんに告げ口させつつ、リルメに忠告するためだよ。出歩けばアルファルドの手配した敵に狙われるってな」

ユーリスは座り込むリルメを支えながらも飄々と告げている。けれどその手に握り込んだ剣先の震えを見つけると、腹の底から耐え難い怒りが湧いてきた。

「……さて、無駄口はここまでです。お前たち、ユーリスを装置の元へ戻しなさい」
「っ……おい、リルメ!しっかりしろ!」
「リルメ、そこは危険ですわ!早くお逃げなさい!」

ユーリスが引き剥がされてもリルメは項垂れたまま。聖廟の真ん中でぽつんと残された姿は頼りなく、いつアルファルドに殺されても不思議ではない。どうにか駆け付けようにも、自分達を囲む敵が阻むせいで装置の傍から動けなかった。

( アルファルドが戦力外とみなして放置してくれりゃあいいが… )

正直、自分達の身も危ない。頼みのリルメもああなった以上、他に何の手が……と、俯きかけて、バルタザールの耳はその音を拾った。小銭の落ちる音にさえ敏感な耳だ、聖廟へと近付くそれが複数の足音だと気付いて僅かに緊張が緩む。

「……おい、ユーリス」
「あぁ!?」
「そうカリカリすんなって。お前が打った手じゃねえのかよ、この足音は」

そして聖廟の入口に現れたのは、この件に散々付き合わせてきた教師と生徒達だった。

「げげっ……すでにいろいろ危なそーなんですけど」
「これが"宝杯の儀"……?何が起こっている?」
「聖廟の奥に向かって魔力が流れ込んでる。4人に血を流させ、それを力に変換して…………うええ、血が流れ過ぎじゃない?なんてやる気の削がれる儀式なんだ……」

一目見てそこまでを看破したリンハルトに感心していると、ベレトが一人歩み出た。そして生徒達に待機を命じると、そのまま聖廟の中央を突き進む。

「……止まりなさい!儀式の邪魔をするならリルメを…っ」

途端、ベレトは素早く駆け出した。慌ててアルファルドもリルメに走り寄ろうとしたが、恐らくベレトの方が早く着く。こちらが呼びかけてもリルメは項垂れたままなので、あの教師の俊足に期待するしかない。

「くっ…こうなったら、君ごと…!」

アルファルドは立ち止まって両手を掲げると、大きく魔力を溜め込んでリルメに放った。

「リルメ!起きろ!!」

無防備な状態であれを食らうのはさすがにマズイ。正面からそこに突っ込もうとしているベレトはどういう神経をしているのか。

( …あれを食らえばリルメも正気に……いやいや、今ここで戦力を削ぐのは…! )

「先生!」

生徒達のざわめきを聞きながらベレトはリルメに突撃し、そのまま横に飛んだ。何にもぶつからなかった魔法がしゅんっと立ち消えると、リルメを抱えたまま倒れるベレトの姿が。

「ちょ…ちょっとキミ、大丈夫なの!?」

近くにいたハピが声をかけると、むくりと起き上がる。そして抱えたリルメの顔を両手で掴み覗き込むと、ひとつ小さく頷いた。どうやら二人とも無事らしい。

「っぎゃあ!」

ベレトがリルメを担ぎ上げると、彼女の可愛げのない悲鳴が聞こえた。
それに構わず生徒達の元へ戻ったベレトは、まるで景品のように「リルメは取り戻した」と掲げて見せる。よくやったぞ、さすが先生、無事でよかったです、と口々に声をあげる生徒達の真ん中でいたたまれなくなったのか。ベレトに掲げられたままのリルメが暴れているのを見て、ようやく人心地がついたのだった。