私は不思議な歌を知っている。

物心ついた頃から今までずっと、何度も何度も何度も、繰り返し聞いてきた。初めこそ内容は理解できなかったし、神秘的な旋律に馴染めなかったが、十年以上聞き続けた今となってはもう定型の挨拶のようなものになっている。

それは、夢の中でしか聞けない歌だった。現実では耳にすることも、本の中や誰かの話から知ることもない。
子供に古い教えを言い聞かせるようなそれは、デタラメで不可解なのに、穏やかで優しい子守唄のようでもあった。おやすみなさいと柔らかに告げ、必ず悪夢をつれてくる子守唄。

闘いと痛み、失う悲しみを繰り返す、不思議な悪夢。最後に失って終わる…そんな悲しみばかりの悪夢。

不思議な子守唄を悪夢のなかで耳にして、泣きたい気持ちで目覚めたとき、私はいつも途方に暮れている。

そんな眠りと目覚めを繰り返しているうちに、私は気づいてしまった。
失う悪夢がすでに始まっていることも、全て終えてたどりついた先には、手に入られない幸福を眺める孤独が待っていることも。







重く薄暗い空を見上げ、冷たい風に触れる日々。
童話の中にあるような青い空や温かな太陽、柔らかい風を、私は知らないまま生きてきた。それらが存在しないのが、この暗夜王国だ。


「それでね、ハロルドったらおかしいの!買ったばかりの新品の本にコーヒーこぼしてね、それからね、」

身振り手振りをまじえて明るく話すのは妹のエリーゼだ。くるりと巻いた髪をふわふわ揺らしてこちらを見上げる姿はとても可愛らしい。
ハロルドとという彼女の臣下がいかに不運であるかを、愉快そうに、ときに心配そうに教えてくれている。

「慌てて本を拭いて、すごくがんばって乾かしてたのよ。半日くらいかかってたかなあ…」
「結構こぼしたんだね」
「カップ一杯ざばーっだったからね!それでね、さあ読むぞって開いたら……前に買ったのと同じ本を買っちゃってたの!」
「えええ…ドジだねえ」
「ううん、店員さんに頼んで持ってきてもらったのを買ったらしいの。表紙が似てるから店員さんが間違えちゃったのよ!でもコーヒーこぼしちゃったから交換もできなくってね…」
「うわあ」
「二冊も同じ本があって、困ってるみたい」

エリーゼは可笑しそうに話しながらも、眉をさげて「どうしたらいいかなあ」とこぼした。笑い話にしてはいるものの、大事な臣下であるハロルドが困ってるのはどうにかしてあげたいらしい。

「ねえ、コーヒー溢しちゃったほうは一応読めるの?」
「え?うん。字はわかるよ」
「じゃあ、溢してない綺麗な本を別の本と交換してもらえばいいよ。店の人に事情を話せばわかってもらえるんじゃないかな」
「あっ、そっかー!」
「もしダメだったら持っておいで。私が持ってる本と、何か交換しよう」
「ええっ、いいの!?」
「エリーゼがお世話になってる人だもの、困ってるなら放っておけないよ」
「わあああ…っありがとうおねえちゃん!大好きー!」

そう言って抱きついてくるエリーゼが、私も大好きだ。甘えんぼで少しズルイ、だけど元気で優しくて可愛いエリーゼ。

( ……この可愛い妹はあまり本を読まないからハロルドにそんな提案してあげられないだろうし…私が姉として妹の憂いを晴らしてあげなければね )

この暗夜王国において異端な王族である私が、同じ王族でありきょうだいでもあるエリーゼにできるのは、この程度のことだ。ささやかな…ともすれば解決できなくても構わないような問題の対処。そんなことしかできないくらいに、私はこの国の王族として無力だ。


いつからそうだったのか、はっきりとは覚えていない。
私には母がおらず、そこから連なるはずの親族も何故かいない。母が暗夜王の何番目の妃なのかも知らないし、どの家の出身でどんな派閥に属していたのかも知らない。まるでそんなものは初めから存在していなかったかのように、私は後ろ盾や人脈を持っていないのだ。

だから早々に権力争いから外されたのだろう。気付けばこの北の城塞に閉じ込められ、どこへも行けなくなっていた。
当時の記憶は曖昧で、だからこそ感情だけはやけに覚えている。

( 何か大切なものを持っていたはずなのに、それさえも思い出せなくて、ただ孤独なばかりだった )

私は誰かに愛されていて、誰かを大好きだと言っていたはずなのだ。誰も傍にいないことが寂しくてならず、いつも誰かが傍にいた。そんな誰かのことは覚えていないくせ、誰かがいた温もりだけは覚えていた。
だからこそ、その温もりを得られないことが孤独なのだと理解できてしまった。

( ……けれど、少なくとも今は、孤独じゃない )


「……エリーゼ、」
「なあに?」

呼びかければ、呼ばれたことに喜ぶ子犬のような目をする。その輝きがいつだって私を大好きだと伝えてくれる。もう忘れたくはないし手放したくもない温もりだ。
けれど同時に、やはり違うものなのだと痛感もする。私はいくら大事な妹を愛していようとも、青空も太陽も柔らかな風もない世界で、こんなに無邪気には生きられない。

「エリーゼは、どうして、」

そんなに幸せそうなの?
…なんて馬鹿げたことを聞けるわけがない。大事なきょうだいがいるのに、素敵な景色に焦がれてばかりで不幸なふりをしている私が愚かなだけだ。

「……」
「おねえちゃん?」
「……どうして、ここに来ることをギュンター達に言わないの?」
「ぎくっ」
「ギュンターとレオンがすごい顔でこっち見てるんだけど…」
「え!」

そっと私の肩の向こうを覗いたエリーゼは、ぎゅうっと強く抱きついてきた。その髪をすきながら渋い顔で近付いてくる二人に苦笑する。

「…ったく。黙っていなくなったと思えば、また姉さんにベタベタして…」
「ふふ、レオンもしたいならいつでもおいでよ」
「違うから!」
「私はレオンともっと仲良くしたいんだけどなあ」

たまには頭とか撫でさせてくれないかなとレオンを見れば、彼は顔を顰めながらも目元を染めた。普段はちょっとツンツンしていて大人びているのに、「ベタベタは違うでしょ…」と視線を泳がせてボヤく横顔なんかはとても可愛い。

「#name#様、マークス様がお呼びですぞ」
「兄さんが?」
「ああ、僕とエリーゼも呼ばれてるんだ。本当はギュンターが先にエリーゼを呼びに行くはずだったんだけど、」
「う」
「ギュンターの耳に入ってなかったってことは、やっぱり誰にも言わずにここへ来たんだね」
「……ごめんなさい」
「うん、みんな心配するから今度からは誰かに言うんだよ」
「はあい」
「いいこだね。じゃ、行こうか」
「うん!」
「また甘やかしてる…姉さんもエリーゼも王族なんだから、程々にね」

そう告げたレオンに思わずにっこり微笑んだ。
出会った当初のレオンは、周囲の大人の影響を受けてか私を王族外れの弱者のように見ていたのだ。レオンにとっての私は取るに足らない存在で、私にとってもレオンは赤の他人だった。
けれどそんな私達を繋いだのは、可愛い盛りだった幼少期のエリーゼのイタズラや、私を構い倒していたカミラ姉さんと、レオンを交えての鍛錬を行ってくれていたマークス兄さんだった。
私を暗夜王国の王族のひとりとして、きょうだいとして認めてくれた人達だ。


大切な人がいれば、それでいい。…というわけではない。
けれど城塞の外の世界に焦がれてやまなかった私が、これまでこの狭い世界に耐えてこれたのは、やはり彼等きょうだいのおかげだった。彼等がいなければ、私はこの狭い世界で塞ぎ込み死ぬように生きていたかもしれない。

だから、彼等を失う悪夢を繰り返し見たって、それを実現させるわけにはいかない。彼等がいない未来も、私がいない未来も、許すわけにはいかないのだ。






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