どうも、九井の彼女になります


寝不足で動かなくなった脳を、エナジードリンクを飲んで叩き起こす。春千夜さんには「もっと効くモンやるよ」と謎の錠剤を投げ付けられたがそれは服用していない。疲れ切っていてもさすがにその辺りの分別はつく。

「おー引き篭もり元気してっか?」
「うわっ汚ねぇ」

アジト内の窓もない防音室である作業部屋。私がキーボードを叩く音しかなかった空間に男二人が現れた。申し訳ないが今画面から目を離せばどこまでやったか分からなくなるので返事だけする。

「ってかオマエ前の格好に戻ってね?」
「空き缶くらい捨てろよな。袋どこだ?」

そして目の前で私が見るからに忙しく仕事をしているというのにこの兄弟は構わず話しかけてくる。あ、蘭さん!いま私の頭を肘掛け代わりにするのやめて!ここの入力ミスったらドリンク二本分の労力が無駄になる!
やめてください、と言っても「タイピングはえー」と感心されるだけだった。そして何とかミスなく終えたところで私はようやくモニターから視線を上げた。

「……お疲れ様です」
「疲れてんのはオマエだな。隈やべぇ」 
「三徹してますからね」
「だからそのナリか」

蘭さんは私の顔を見て笑う。三徹してすっぴんで着ているものはメンズ用の3Lパーカー。それをワンピースのようにして着ている。家に帰る時間も惜しいので風呂はアジト内のシャワー室で済ませ、着替えは近場のドンキで買ったのだ。

「ハッキング終わったかー?」

そして私を肘掛けにしている蘭さんとは違い、竜胆さんは空き缶や飲料ゼリーのゴミを片付けてくれていた。特に臭うものでもないため後で片付けようと思っていたのだが、いやはや申し訳ない。

「まだ終わっていません。寧ろここからが本番です」

みんなハッキングって簡単に言うけどそんな簡単なもんじゃないからね。エンターキーをタァンッしてできるのはドラマの中だけだから。実際には向こうのセキュリティを破るためにカギとなるプログラミングをいくつも組む必要がある。

「コミジュルの情報探ってるんだっけ?」
「そうです。韓国系のサーバーにアクセスするの初めてなんですよ。だからいつもより慎重にやっていて……」

それなのに九井さんときたら五日で情報を引き出せと無茶振りしてきた。どうやらボス直々の急を要する依頼らしい。それでもせめて七日は欲しいと言ったのに「イエス意外の返事はいらねぇ」と真顔で返された。鬼か?

「そういえばお二人は何しにきたんですか?」

プログラミングしたものを韓国仕様にエンコード中なので私が今できることはない。そのため回転式の椅子をくるりと回して二人を見た。

「せっかく会いに来てやったのにその言い方はないわー」
「いや…特に頼んでは……」
「これ、オレと兄貴から差し入れ」
「私もお二人には物凄く会いたかったんです!ありがとうございます、頂きます!」

椅子を飛び降りて竜胆さんが持っていた箱に飛び付く。「現金だな」と蘭さんには笑われたが頑張ってるんだからご褒美くらいは欲しい。ちなみに私に無茶振りをしてきた鬼は三日前から出張に行っているので会ってもいない。

「わぁ今話題の限定プリンじゃないですか!さすが女の扱いに慣れてるだけあって神チョイスですね!」
「馬鹿にしてんの?」
「最高の褒め言葉なのですが」

箱を開けてみれば三種類のプリンが収められていた。どれ食べていいですか?と聞けば好きなのでいいと言われたのでプレーンを頂いた。竜胆さんは抹茶を選び、残りの苺は蘭さんが食べるのかと思い箱ごと持って行く。そうすれば私の椅子に座っていた。足が長い人が座ると絵になるな。

「蘭さんは苺でいいですか?」
「オレはいいからオマエが食べな」
「えっいいんですか?やったぁ」

この部屋に椅子は二つしかなくもう一つは竜胆さんが使っている。そのため机に寄りかかり立ったまま食べることにした。行儀は悪いがずっと座りっぱなしだったから寧ろこの方がいいかも。

「座って食えよ」
「椅子もないので立って食べます」
「おにーさんのここ空いてますけど?」
「そんな世界一お高そうな場所には座れませんね」

蘭さんが自分の両手を広げてにこやかな笑みを向けてきた。だから私はにこやかにお断りした。
限定プリンを口に入れればすっと舌の上で溶けてしまった。実に美味である。隣にいるおにーさんの存在も忘れ夢中で食べていれば急に服を引っ張られ重心が崩れた。そして気付けば視野が一段低くなっており、蘭さんの膝の上にいるのだと理解した。

「危ないですよ」
「遠慮すんなって」
「そうではなっ……ひっ⁉ちょっとどこ触ってるんですか⁈」
「やっぱ若い奴の太腿はちげぇわ」

ワンピースのように着ていたパーカーの裾から手が差し込まれる。此奴、これが目的だったな?ただ触られるだけならまだ我慢できたが、さすが女を抱き慣れているとあって触り方一つとってもいやらしさがある。ぞわっと肌が粟立った。

「やめてください!」
「女が男モンの服着てんの唆るよなぁ。こういうの、なんて言うんだっけ?」
「彼シャツとか?それパーカーだけど」
「それだ」

食べかけのプリンを机に置き必死に抵抗しているというのに竜胆さんも私を助ける気がないらしい。というか蘭さんマジでエロい。わざと内腿の皮膚が薄いところに指先を這わせて私の反応楽しんでる。ここ、そういう店じゃないから。

「私は頂いたプリンを食べるので離してください!」
「その礼まだ貰ってないんだけど」
「差し入れって言ってたじゃないですか!」
「あ?まだ挿れてねぇだろ」
「今なにも面白いこと言えてないですからね!」

この貞操の危機に救いを求めるべく竜胆さんに向かってヘルプ!と声を上げたが電話中だった。同じ部屋で兄が盛ってるというのによく平然と電話に出られるな。

「そういやオマエ、家燃えて九井んとこいんだっけ?」

腹に巻きついていた腕に力が込められそのまま背後に倒れた。蘭さんのラストノートの香りが重く全身に纏わりつく。不覚にも身体を預ける体勢になってしまった。すぐに起きあがろうにも回された腕が締められ耳元に唇が寄せられた。

「ヤッた?♡」
「ぎゃぁあ!」
「ちょっと煩いんだけど!」

お巡りさんこちらです!声までエロいって何事?さすがは見かける度に毎回違う女を連れている男は違う。この声なら名前を囁かれただけで簡単に女は釣れるだろう。

「いいね〜初々しい反応。で結局どうなの?」

顔は見えないが確実に私はいま蘭さんに遊ばれているのだろう。事実、真っ赤になった耳に息を吹きかけられた。
私の反応からも察するように、その質問の答えはイエスだ。あの夜は、まぁすごかった。ちゃんと優しくしてくれたし、初めては血が出るとは聞いていたがそんなこともなかった。でもまさか三回もするとは思わなかったよね。食用旺盛だとそっちも旺盛なのだろうか。ググろうともしたが結局怖くてやめた。

「ご想像にお任せします」

と、色々な感想が頭に浮かんだもののそれを話す気はない。どちらにしろ揶揄われるだけだ。もう蘭さんも飽きた頃だろうと思い、それとなく腕を引きはがそうとしたら再び骨張った手が服の中に侵入してきた。

「あっそ。じゃあ今から確かめるわ」
「はぁ⁈ちょ、マジでやめてください!」
「まだ処女ならハジメテもらってやるよ」
「やめてぇえ!」
「悪ぃ、外出て掛け直すから待ってろ」
「……オマエら何やってんだ?」

この騒音に嫌気がさした竜胆さんがドアを開けたところで九井さんが目の前にいた。
泣き叫ぶ私に笑う蘭さん、完全スルーの竜胆さんに真顔の九井さんという実にカオスな空間が出来上がる。とてもじゃないが助けが来たと喜べる状況ではなかった。
というか出張から帰ってくるのって今日だっけ?確か木曜日って……あれ、今日って何曜日だ?

「オレ外行ってるわ」
「待って竜胆さん!お兄さんも連れてって!」
「あとは頼んだ」
「あ?」

竜胆さんがすれ違いざまに肩を叩くが九井さんはめちゃくちゃ機嫌が悪い。その様子に私はすっかり萎縮したというのに蘭さんは楽しそうに喉を鳴らしていた。

「何やってんだ」
「お楽しみ中♡」
「違う!九井さん助けて!」
「遊んでるっつう事は仕事は終わってんだよなぁ?」
「今はエンコード中で……じゃなくてこの状況おかしくないですか⁈」

よく見て!貴方の恋人が目の前で襲われてるんですよ!ガッツリ服の中に手入ってるから!そう訴えているのに九井さんは相変わらず真顔である。そして私に何を言うでもなく、未だ服の中に手を入れている男へと視線を移した。

「部下が下で待ってんだから仕事戻れ」
「竜胆が上手くやるよ」
「弟だけにやらせんな」

私のことは無視かよ!でも蘭さんもいよいよこの状況に飽きたのか思いの外あっさり解放してくれた。

「わーったよ。次はベッドの上で抱いてやるかな」
「おことわ……ヒッ」

去り際に尻を触られる。というか揉まれた。そして嵐のように来て嵐のように去って行った。私の貞操は守られたもののこの場の空気最悪なんですけど。

「とっくに終わってんぞ」
「アッハイ」

振り返って見たモニターには満タンになった緑のゲージが映されていた。無事にエンコードは済んだようだが今はすべきはその話ではないような……しかし自分から底なしの沼に踏み込む勇気もない。困ったように視線を泳がせていたら九井さんがニコリと笑った。取ってつけたような笑みに思わず背筋が凍る。

「遊んでる暇あったんなら今日中に終わるよなぁ?」
「え、約束は明日でしたよね?」
「終わるよな」
「無理ですよ!そもそも七日はかかるって言ったじゃないですか!」
「イエス以外の返事はいらねぇ」
「は?ちょっと……!」

話途中なのにバタンッと思いっきり扉を閉められた。あの人仕事のことしか頭にないのかよ!私も言いたいことが山程ある。だから文句の一つでも言ってやろうと部屋を出ようとするがドアノブが回らない。マジか、鍵閉められた。

「鬼!」

防音設備の整った部屋で私は叫んだ。



私の場合、睡眠不足に陥ると最初に頭痛が来る。次いで吐き気と眩暈に襲われるのだが、それさえ乗り切れれば脳がバグでも起こしたかのようにハイテンションになり二、三日は平気で起きていられる。しかしその後一度集中力が切れてしまえば強制シャットダウンでもさせられたかのように一瞬で眠りに落ちてしまうのだ。
 


「起きたか?」
「あ…九井さん。………おはようございます?」
「いま夜だけど」

遮光カーテンの隙間からは光の筋すら見えず、常夜灯のライトだけが頼りだった。扉の方へ寝返りを打ちつつ周囲を確認すればふかふかの布団の中にいた。居候先のマンションであることは間違いないが九井さんのベッドで寝た記憶も、家に帰ってきた覚えもなかった。

「えーっと……」
「寝落ちしたオマエを運んだんだよ」

未だに寝ぼけている脳をフル回転させ記憶を辿る。あぁそうだ。あの後作業に没頭し無事にデータを入手できたんだった。最後に時計を確認したのは夜の三時だったっけ。今日中にできなかったな、と無に還って力尽きた記憶が薄っすらある。

「そうでしたか……もしかして丸一日寝てました?」
「おう」
「そして大変申し上げづらいのですが着ている服が違うのですが」
「脱がして捨てた」

布団を頭から被って丸くなった。死ぬほど恥ずかしい。というか服脱がされても起きないって私ヤバくないか?

「二度寝か?」
「いま羞恥に耐え忍んでいます」
「もう見られてんだからいいだろ」
「これは私の問題です」

服はまだいいが下着の方は……しかしそこまで確認する勇気はなかった。もう考えるのはやめよう。九井さんからしてみれば私如きの着替えなど川で芋を洗うようなものだろう。
僅かにマットレスが沈み、布団でアルマジロごっこをしていた私に手が添えられた。それはちょうど頭のところで布団ごしに撫でられていることが分かった。

「あんま隙見せ過ぎんなよ」

隙間もないくらいアルマジロになりきっているのだが。しかしどうやらそういう意味ではないらしい。

「隙、とは?」
「外で無防備な格好すんな。本気で嫌ならブン殴れ」

九井さんの言葉を三回ほど脳の中で復唱する。そして私は心の中で叫んだ。わっっっかりづらい……!分かりづらいですよ九井さん!もう少し言葉で言ってほしいですね。私、恋愛初心者なんで。

「ん?」

もぞもぞと布団から這い出てアルマジロごっこを終了する。そしてそのまま這いつくばってベッドの縁に座っていた九井さんの腰に腕を巻きつけた。

「私を甘やかしてください」

人を仕事漬けにした挙句、三日間も会えなくて寂しかったんですよという私の最大限のアピールだ。仕事とプライベートをきっちり分けるところは九井さんの良いところだとは思う。でも今がプライベートであるなら私は甘えたかった。

「オマエを運んで着替えさせただけで十分だろ」
「あーあ鶴張さんはご飯買ってきてくれたのになぁ蘭さんと竜胆さんは差し入れ持ってきてくれたのになぁ春千夜さんだって来てくれたのになぁあぁぁ」

電気ドリルになったつもりで九井さんのお腹にぐりぐりと頭を押し当てる。しかし「あー分かった分かった」なんて言いながら笑われる。いや、どちらかと言えば私は怒ってるんだからな。こうなったら腹に頭突きでも入れようかと考えていたところで今度は直接頭に手が添えられた。

「よく頑張ったな」

今まで聞いた中で一番やさしい声色だった。でもこれじゃあ足りない。残業代はしっかりもらわないと。

「睡眠不足と愛情不足の私にそれだけですか?」
「まだ欲しがんのかよ」
「あーあ!他のみんなは私に優しくしてくれたのになぁ!」

本当に良くしてくれたのは鶴蝶さんだけではあるがここは敢えて過大評価しておく。でもさすがに面倒臭い女になり過ぎたかもしれない。九井さんが一向に反応しなくなってしまった。
一度電気ドリルのスイッチをオフにして様子を伺う。そうして腕を緩めたところで抱え上げられた。

「めんどくせぇ女」

九井さんの膝の上に跨る体勢となり、反射的にバランスを取るため肩に手を添えた。薄暗い部屋の中で視線が交わる。面倒臭いっていう割に九井さん楽しそうな顔してますね。私はそれを都合良く解釈していいですか?

「だって好きですもん」
「よく平然と言えるな」
「九井さんは?」

残業代はお金じゃなくていいんです。というかお金はいりません。
言葉の続きを今か今かと待つ。その僅かな待ち時間すらじれったくて私は掴んでいた服をきゅっと握った。

「オレもだよ」
「違う、ちゃんと言ってください」
「今日は我儘が多いな」
「三日分をまとめて請求していま——」

九井さんは不意打ちが好きですね。唇が触れついばむようにキスが繰り返される。ようやく九井さんが近くにいると感じられた私は、単純にもそれだけで満足してしまった。

「これ、ご褒美」

何度目かのキスの後、ひとつの箱が手渡される。目を凝らして見ていればベッドサイドのライトが付けられた。九井さんと同じように私もベッドの縁へと腰掛ける。ブルーの箱に掛けられたホワイトのリボンを慎重に解いていき、そして中身を見たとき私は小さく声を上げた。

「誕生日おめでとう」

バースデーカードと共に美しいネックレスが収められていた。祝ってくれる人もいなくなり、自分でも忘れていた私の産まれた日。九井さんに誕生日教えたことあったっけ。

「なんで……」
「保険証の控えみりゃ分かんだろ」
「あ、そうか」
「当日まで寝てたらどうしようかと思ったわ」

もしかして出張を早めに切り上げてくれたのもこの日の為だろうか。だからといって仕事を無茶振りしてきたことは許せないが。でもこんなにもこの日を嬉しいと思ったことはなかった。それに、思えば二十歳の誕生日だ。これで私もまたひとつ大人の仲間入りをしたわけで。九井さんにもっと近づけたようですごく嬉しかった。

「本当にありがとうございます」
「ワインも買ったけど開けるのはまた今度な」
「じゃあ私が料理作りますね」
「なんで自分の誕生日に自分で作んだよ」
「祝ってもらったことのお礼です」
「オマエなぁ」

頬を摘ままれ、視線をネックレスから九井さんへと移動させる。まだまだ嬉しさの余韻に浸っていた私の顔はバカみたいな間抜け面だったと思う。そんな私を見て九井さんは「バカだな」と言った。それ、最早口癖ですよね。

「オマエは素直に喜んどきゃいいんだよ」
「だって、そんな……」
「来年も再来年も祝ってやるよ」

ネックレスの箱を握りしめ、私は九井さんに抱き着いた。割と勢いづいていたのに倒れることなく支えられる。
九井さんにとってはなんて事のない会話だったのかもしれない。でも、当然のように未来の話をされて私は泣きそうになってしまった。やっぱり私の居場所は九井さんの隣だ。

「九井さんの誕生日はいつですか?」
「四月一日」
「覚えやすいですね」
「だろ?」
「私も絶対にお祝いします」
「期待せずに待っとくわ」

すん、と息を吸えばお馴染みの九井さんの匂いがした。いい香りだと思うのは蘭さんの香水だけど好きだと思うのは九井さんの香水だなぁ。

「九井さん、好きです」

私のこれも、最早口癖なのかもしれない。背に回された九井さんの手が一定のテンポで私の背をたたく。それが心地よくって、あれだけ寝たのにまたも睡魔が襲う。安心して眠くなるなんてやっぱりまだ子供だなぁ。年を取ったとて、突然何かが大きく変わるわけでもなかった。

「知ってる」

あとね、九井さん。それじゃないんだって。
九井さんも私への対応が変わることなどなかった。でも別にいい。祝ってもらえただけで十分だし。まぁ少しだけ寂しいけれど。
だから私は不貞腐れて、完全に身体を預けた。今この瞬間が夢でないことを願いつつ、このまま眠ってしまおうと思ったのだ。
うつらうつらと彷徨う夢と現実の狭間。
寝るのが少しだけ惜しいような気もするけれど睡魔には抗えない。

「——愛してる」

あぁ、もう。九井さんって本当にずるい。なんで人の意識が途切れる直前で言ってくるかな。私が聞いてるか聞いてないかの時に言う。そういうの、ずるいんだって。

でもそれを言っても適当にあしらわれる。
だから私は聞こえなかったふりをして、そっと眠りに落ちるのだ。

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