誕生日の旦那とそれを祝いたい嫁と世話焼きの反社


月末ともなればいつもの事だが年度末ともなればさらにひどかった。

「終わる兆しが見えない……」

梵天での私の主な仕事はハッキングなのだがこの時ばかりは事務仕事に駆り出されていた。何故なら年度末特有の仕事が終わらないからである。今年度の決算書の作成に加え減価償却を改ざんした二重帳簿も付けているからため仕事量も二倍。それに来年度の予算書の作成まで乗っかってしまえば休む暇などなかった。

「オマエはもう帰っていいぞ」

霞んだ視界に目薬の潤いを投下していたところで声が掛けられた。ぱしぱしと目をしばたかせて焦点を合わせていく。そして目の前の物がはっきりと見えるようになったところでそちらを向いた。

「いや、まだ終わってないじゃないですか」
「昨日も遅かったろ先帰って休んでろ」
「九井さんは?」
「オレはまだやってく」
「じゃあ私も残ります」
「帰れ」
「やだ」

互いに疲れがピークに達しているため会話が端的だ。世間一般では倦怠期と言うのかもしれないがここ一ヵ月あまりはこれがデフォルトだった。同じ家に住んでいるのに顔を合わせない日だってある。それは一重にこの仕事が外も中も真っ黒だからだ。

「昨日も日付け変わるまで居たろ」
「それは九井さんもですよね?」
「オレはいいんだよ。オマエは帰れ」
「一人で帰るの嫌なので帰りません」
「なら車回させる」
「そういう問題じゃないです」

あの無駄に広い家で一人きりになる方が虚しいんですよ、と叫んでやりたいくらいなのだけど如何せん気力がない。思っているよりも私の脳と体は限界に近いのかもしれない。

「職場でいちゃつくなよ」

高麗人参の描かれたアルミ缶に口を付けたところで間延びした声が聞こえた。そちらを向けば気怠げに煙草を吹かしている蘭さんの姿があった。先程までソファで仮眠を取っていたようだが起きたのか。垂れ下がった前髪をかき上げながらこちらへと歩いてくる。

「そういうのじゃないですよ」
「どーだか」
「わっ⁈」

フッと息を吹きかけられれば辺りに煙が充満し思わず咽せる。鼻を摘んで手で空気を払っていればもう一度吹きかけられた。

「やめてくださいよ!」
「なぁ、男が女の顔に煙吹きかける理由知ってっか?」
「知らないです!」
「今夜オマエを抱くって意味ぃ」
「蘭、ここは禁煙だっつったろ。外で吸え」
「じゃあコイツ連れてっていい?」
「行かないですよ!」

怒って席を立てば満足したように笑われる。これは毎度のことだけれど自分の暇潰しに私を巻き込まないでほしい。そしてアルミ缶の中に灰を捨てるな。私の心強い味方であるモンスターくんはまだ残ってたんだから。

「あー!クッソ疲れた!」
「おかえり竜胆」
「あっ兄貴こんなとこにいたのかよ」
「お疲れ様です」

叫びながら入って来た竜胆さんは中々に疲れた顔をしていた。この様子だと蘭さんの仕事の後始末でもしていたのだろう。可哀そうに……と同情の眼差しを送っていたところで目の前にボストンバッグが置かれた。

「これは?」
「始末した奴の荷物」

側面の赤黒いシミは見なかったことにしてファスナーを開ける。銃、銃、銃、札束、銃、札束、クスリ……うん、予想通りのラインナップだ。

「これを私にどうしろと?」
「片付けといて」
「えっ自分でやってくださいよ」
「これからすぐ別の現場出んだよ」
「私もまだ仕事が残っているので」
「竜胆、自分の仕事は最後まで責任もってやれ」
「つってもよぉ九井、今から行くのは得意先だけどいいわけ?」
「まだ時間あんだろ」
「げっ……ンでこんな人いんだよ」

再び開いた扉からはタフィーピンクの髪が除く。ここはいつからポケストップになったのか。アイテムも使っていないのにファンシーなモンスターたちが大集合である。みんな暇なの?それならぜひこちらの仕事を手伝って頂きたい。

「三途?ボスに言われた仕事はどうした」
「とっくに片付いたわ」

はじめさんと春千夜さんの会話を聞き流し、目の前のブツをどうするか考える。どうせ私が片付けることになるだろうからね。銃は管理ナンバーを振ってから保管庫に移して、クスリもグラム数を測らないと。そして一番困るのは現金なのだがこれは——

「おい、」
「は、…ッ⁈あっつい!」

ノーモーションノータイムのうちに何かを突っ込まれそのままの勢いで口を閉じてしまった。その瞬間、唇と舌に熱い何かが触れ思わず吐き出す。それをギリギリキャッチすれば手の上には頭が抉られた魚が一匹乗っていた。

「たい焼き、ですか?」
「差し入れ」
「えっどういう風の吹き回しですか⁈明日は空から槍が降ってきそう……」
「あ?オマエもその魚みてぇになりたいって?」
「そんなことは一言も言ってないですけどこれは有難くいただきますね」
「ウケる。マジレスされてやんの」
「蘭、テメェは黙っとけ」

混ぜるな危険、ではなく合わせるな面倒くさいの二人が騒ぎ始めたがたい焼きは美味しい。甘いものと言えば久しく人工甘味料のものしか摂取していなかった為あんこの優しい甘味は身に染みる。意外にも食が進みあっという間に食べきってしまった。

「ご馳走様でした」

一応はお礼を言っておこうと顔を上げればじっとこちらを見下ろす春千夜さんの目が合った。何となく嫌な予感がして、なにか?と聞けば体調の心配をされた。え、明日は槍どころじゃなくて岩石でも降ってくるのでは?

「急にどうしたんですか?」
「それマイキーの使いで買ってきたモン。いつもの店が休みで路駐ンとこで買ったから念のための毒味ぃー」

どうせそんなことだろうと思ったよ!でも果たしてわざわざそれを言う必要はあったのでしょうか。黙っておけばそれこそ少しは好感度が上がったのに安定に低下層を突き進んでいる。そしてそれは疲れがピークに達していた私を容易にプッチンさせた。

「いっつも私のこと都合よく使って!もう少し人の心を持って接して頂きたいですね!」
「オマエはいつからンな偉くなったんだぁ?」
「春千夜さんこそ私にそんな態度取っていいんですか?今月のお給料、減給してやってもいいんですからね!」
「職権乱用」
「今まさに銃持って職権を行使してる人に言われたくはないです!」
「ハッ!おい、逃げる準備はできたかぁ?」

今からリアル鬼ごっこの始まりである。全国の佐藤さん、私と一緒に逃げましょう。さぁ闘いの火蓋は切って落とされ……
バァン——

「……ッ」
「ひっ⁈」

よーいドン、の合図よろしく戦闘開始の銃声が聞こえたがこれは春千夜さんが発砲したものではない。全員の視線がただ一人の元へと注がれる。その先には三月に入ってからまともな睡眠時間が確保できず確定申告後から目の下の隈が消えなくなりある意味おクスリよりもヤバそうな栄養ドリンクが手放せなくなったはじめさんの姿があった。

「テメェら全員出てけ」
「「「「ウス」」」」

某テニス部部長の後ろに付き従う彼よろしく、私達はその言葉しか発することが出来なくなった。今敵に回してはいけないのは春千夜さんでもなければ実は副部長よりも怖い神の子でもなく無我の境地に達した九井一である。私達は逃げるように部屋を後にした。



先に家に帰ったとて食事と入浴を済ませてしまえば特にしたいことは思いつかなかった。この家は一人じゃ広すぎる。気晴らしにテレビをつけてはみるがバラエティ番組の笑い声が反響して逆に虚しくなってしまった。こうなるから今日だって居残ろうと思ったのにさ。

「うぉっ」

玄関のライトは人感センサー。瞼越しに強い光を感じ脳が覚醒する。肩を揺らされ薄ら目を開ければすぐ近くにははじめさんの顔があった。これは夢なのだろうか。やや呂律の回らぬ舌で、おかえりなさいと言えば呆れられたように笑われた。あぁ本物なんだ、って。それが分かってしまえばへらっと頬が緩んだ。

「こんなとこで何やってんだよ」
「帰りを待ってました」

伸びてきた手に頭を撫でられる。ご主人を待つ飼い犬の気持ちはこんな感じなのだろうか。私に尻尾が生えていたら千切れるくらい左右に振っていたのかもしれない。

「先に寝てろよ」
「待ってたかったんです」
「ならせめてリビングにいろ、風邪ひくだろ」
「馬鹿は風邪ひかないって言いますよ」
「大バカは風邪ひくんだよ」
「あーもう!さっきから小言が多い!」
「イッテェ⁈」

しかし当のご主人はといえば全く褒めてくれやしない。飼い犬に手を噛まれるが如く、妻に頭突きを喰らわされろ。
膝をついて腰を浮かし、一点集中で狙いを定めれば見事クリーンヒット。玄関に尻もちをついたはじめさんを思いっきり笑ってやりたいところではあったがその分反動ダメージも大きかった。だがしかし、私の勢いは止まらない。おでこを抑えたまま口を開いた。

「『ただいま』の一言もないし文句ばっかり!挙句にやっぱり帰ってくるの遅いし!」
「だから先に休んでろっつったろ」
「一人で寝るのは寂しいんです!」

先程は言えなかったその言葉を私は声を大にして叫んだ。子供として見られるのが嫌で、普段は我儘を言わないように気を付けているけれどもう我慢は出来なかった。

「ったく。ガキかよ」

ほら、やっぱりそういうこと言う。でもそうなればとことん『ガキ』でいてやろうと逆に開き直ってみる。だから私は分かりやすくむくれて反論してやった。

「違います。私ははじめさんの妻で、ッ…ん」

しかしその続きは重なった唇にいとも容易く飲み込まれてしまった。伸びてきた手が私の腕を掴んで引き寄せる。体が床を滑り数センチの距離が詰められれば角度を変えてもう一度唇が重ねられた。先ほどよりも深い口付けに溺れそうになる。でもまだまだ物足りない私はそれに応えようと必死に手を伸ばした。抱きしめられているせいで腕が伸びず、胸元の服を握りしめるだけになってしまったけれどそれで十分だった。だってその時、はじめさんが私の頭を撫でてくれたから。

「赤くなってる」

ようやく離れた唇にツツ、と親指が這わせられる。触れられたところが甘く痺れ先ほどの激しさが窺えた。少しだけ恥ずかしくなったけれどそれを知られたくなくて私は同じ調子で突っ掛かった。

「誰がやったと思ってるんですか」
「はぁ?オレはたい焼き食ったときの火傷のこと言ってんだけど。何勘違いしてるわけ?」
「なっ…!や、火傷は元からひどくなかったですしどちらかと言えば今の方があれだったのでその……」
「ははっ」

私の必死の言い訳にクツクツと喉を鳴らす姿は憎らしい。でもそういうところが愛おしくって。久しぶりに見たその表情にまた自分の頬が緩んでいくことを感じた。

「もしかしてヤキモチ焼いてくれました?」
「バーカ、あんなんで焼くかよ」
「でも機嫌悪かったですよね?」
「それはあのクソ忙しいときにアイツらが、ッ——」

次は私の番だ。はじめさんの肩に手を掛け少しだけ腰を浮かせ唇を奪う。触れるだけのキス、でもリップ音は忘れない。それが私の出来る少しだけ大人びたキスだから。そして先ほどよりもはるかに近くなった距離で顔を見つめた。

「さっきのお返しです」
「オマエなぁ……」
「え?なんですかその反応は」

昔なら少しくらいは照れてくれたというのに今はそれすらなかった。あれ、おかしいな。一応新婚なはずなんだけど。もしや既に飽きられたのだろうか。というかウザがられた?でも冷静に考えてみれば向こうは仕事を終えて帰って来たばかり。私の行動は少し、いやかなり非常識だったかもしれない。

「おい、」
「え……?」

珍しく自己嫌悪に陥っていたところで顎に手が添えられる。そして救い上げるような動作で上を向かされれば自然と見つめ合う形になった。私の顔に影が落ちる。真上からの照明のせいで表情は窺えない。でも銀の髪が反射し垣間見えた顔は、意地悪な男のソレだった。

「舌噛むなよ」

私は小さく息を吸って与えられたもの全てを受け止めた。ぬるり入れられた舌は求めるように絡み合い、取り込んだ酸素もすぐに尽きる。顎に添えられていた手は私の髪を撫でながら後頭部へと回され抱え込むような形で固定された。そしてもう一方の腕も腰に巻き付いてしまえばもう逃げられなかった。でもね、私はどこにも行くつもりはないよ。私の居場所はもうここ以外に考えられないから。

「はじめさん、」

互いを繋ぐ銀の糸を眺めながら名前を呼ぶ。本当に小さな声だったけれどちゃんと届いたのか私の名前を呼び返してくれた。
身をよじり窮屈な腕の中から抜け出す。そして膝をつき、背伸びをするような体勢で首筋に手を回した。繊細なガラス細工を扱うよう優しく包み込む。私にそうしてくれたように、今度は私が銀の髪を撫でた。

「ンだよ急に」

きっと今、ものすごく可愛らしい顔をしてるんだろうな。でも私が見ようとしたら直ぐにその顔を隠してしまうのだろう。だから少し悔しい思いをしながらも私は隙間から覗いた耳に唇を寄せた。

「好き」

言葉にして僅か二文字、しかしこの気持ちを自覚するのに私は随分と時間が掛かってしまった。でも気付いてしまえば案外素直に行動が出来た。それは子供らしい私の唯一の長所かもしれない。

「やべぇ」
「はじめさん……?」

しばらく微動だにしなかった頭がもぞりと動く。腕を緩めれば両肩に手が添えられ体が離されてしまった。もしかして嫌だったのかな、なんて心配になったけれどうやらそうではないらしい。

「先に寝室行ってろ」
「え?」
「すぐにシャワー浴びてくっから寝ンじゃねぇよ」
「あっはい」

色気のない返事しかできなかったのは言われた言葉があまりにも早かったせいだ。
そして寝るどころか寝られない夜を過ごすことになるとはこの時は知る由もなかった。



スプリングが弾む感覚に徐々に意識が浮上する。目を開ければ白い壁、ではなくシャツを羽織るはじめさんの背中が見えた。そこへ草むらの陰から獲物を狙うライオンの如く身を低く近づいていく。そうして狙いを定め後ろから抱き着いた。

「どこ行くんですか?」
「びっ……くりした。悪ぃ、起こしちまったか?」
「ヤり逃げですか?」
「人聞きの悪い聞き方すんな」

昨夜の甘い夜が嘘だったかのような塩対応である。でもまだまだ一緒にいたい私はその背に頬を擦りつけた。

「お仕事ですか?」
「あぁ、今日は昼前に一件出るからその準備」

まぁ当然だよね。昨夜だって家に帰ってきたのが奇跡だったくらいだ。でもこの忙しさもきっと年度末まで。だったらあの日は一緒に過ごしたい。

「四月一日……いや、三十一日は絶対に帰ってきてくださいね」
「なんで?」
「え、誕生日じゃないですか」

まさか忘れてるんじゃ……と心配していればそのまさかだった。なんて淡白なんだと驚いたがそういえば私も自分の誕生日に無頓着であったことを思い出す。祝い事というのは本人よりも周囲の人間の方が感心が高いのかもしれない。

「私が一番にお祝いしますから」
「もう喜ぶ歳でもねぇよ」
「私が祝いたいんです。日付け変わった瞬間にお祝いしますからね」
「大晦日かよ」
「それに勝るビッグイベントです」

そう断言すれば声を出して笑われる。こっちは真剣に話してるのに。その思いを込めこのままジャーマンスープレックスを決めようとしてみたがさすがにそこまでの力はなかった。

「もう離せ」と手を叩かれ諦めて腕を緩める。そしたらこちらを振り返ったはじめさんに唇を掠め取られた。そしてびっくりして固まっていればそのまま鼻を摘まれた。

「ちょっ、何するんですか!」
「わぁーったよ」
「分かったなら離してくださいって!」

パッと手を離しはじめさんは立ち上がる。もう本当に時間がないらしい。寂しい思いを抱えながらも、いってらっしゃいと小さな声で伝える。そしたら同じくらいの声量で「ごめん」と返されたので小さく笑ってしまった。そういうところ、好き。

「なら約束は守ってくださいよ」
「分かったって。それより今日は襟付きのブラウス着ろよ」
「え?」
「マーキング」

べっ、と舌を出してはじめさんは部屋を出て行った。この部屋に鏡はないのでスマホをインカメにして確かめる。あー……これはひどい。当分、Vネックの服は着れないな。
私は枕に顔を埋め、羞恥に身を捩った。



よし、四月一日の予定は抑えた。ケーキの予約も料理のメニューも決めた。そして肝心のプレゼントなのだがこれは非常に私の頭を悩ませた。なんせ今まで男の人に何かをプレゼントしたことがないのだから。



「死体はいつもの倉庫に運んどけ」

私の方の仕事は比較的落ち着き、以前と同じ時間帯に帰れるようになった。しかし、いざ帰ろうと一歩踏み出したところで休憩スペースの一角から声が聞こえてきた。物騒な会話にはもう慣れっこだ。でもそこに居るのが誰であるかは気になったので少し覗いてみることにした。もし居るのが鶴蝶さんや竜胆さんだったら相談してみるのもありかもしれない。

「ボスにはオレから報告しとく。金の方の回収も忘れんなよぉ」

あちゃーこれは一番のハズレですね。タフィーピンクの頭を見て一気にテンションが下がっていく。先日のたい焼き然り、関わると大体碌なことにならないのが春千夜さんである。絡まれる前に早くこの場を去ろう。私は透明人間、いや空気だ。

「あ?」
「げっ」
「あぁ?」
「……お疲れ様です」

妙に勘が鋭い所がさすがはナンバー2様といったところか。気配に気付いたのが勢いよく振り返った春千夜さんと目が合ってしまった。しかし絡まれるのを覚悟で挨拶をすれば「おー」という気怠げな返事があっただけでそれ以上何かを言われることはなかった。面倒くさいことこの上なし、と覚悟はしていたが意外である。この様子なら少しくらい話をしてもいいかもしれない。

「あの、少しいいですか?」

春千夜さんはソファの背もたれに体を預けそのまま仰反るようにして私を見上げた。「あ?」とお得意の会話をする気もなさそうな返事しかなかったが機嫌は悪くないように思える。というか今日は母音以外の言葉しか発してないな。まぁ奇声よりかはマシか。

「今までで貰って嬉しかった物ってなんですか?」
「んだよ急に」
「プレゼントの参考に」

春千夜さんの様子を伺いつつ距離を詰め、ソファの背もたれに両手を着いた。あまり期待はしてないが参考は多いに越したことはない。

「ぷれぜんとぉ?」
「そうですそうです!今欲しいものとかでもいいですよ」

やはり機嫌は悪くないのか話は聞いてくれるらしい。少し嬉しくなって、にこにこしながら返事を待つ。しかし長い睫毛を揺らして瞬きを一度されたところで春千夜さんの瞳が弓なりに歪んだ。あっこれは碌でもなさそう。

「処女♡」

数秒前までの私の期待を返せ。というか聞いた私が馬鹿だった。アリガトーゴザイマス、なんて心にも思っていないお礼を言って立ち去ろうとすれば素早く腕を掴まれた。そういえばはじめさんに「アイツら(望月と鶴蝶を除く)とは距離取れよ」と再三言われてたっけ。でももう遅かった。

「そういやオマエ処女だったよなぁ?卒業させてもらえたわけ?」
「あはははご想像にお任せしますのでとりあえず手を離して頂けませんか?」

そうは言ってみたものの当然離してはくれないわけで。見た目によらない強い力のせいで抜け出すどころかその場で踏ん張ることが精一杯だった。

「つーかアイツに性欲あったことに驚いたわ。それともオマエに相当なテクでもあんの?処女のくせに?」
「人のことを処女処女言わないでください!」
「じゃあもう卒業できたわけだ」
「ご想像にお任せします!」

知り合いにその手の事情を知られるほど嫌なことはない。でも私がどう答えたって春千夜さんの中では答えは出ているし、しかもそれは正解なのだ。だから私がどんなに抵抗したところで結果は変わらないしこの尋問からは逃れられない。

「アイツ以外の男知らねぇなんざ勿体ねぇなぁ。オレが教えてやってもいいけど?」

背もたれの向こう側に引きずり込まれたら終わりである。そしてこの場合は教えるではなく犯すだ。当然ながらどちらであってもお断りである。こうなれば反動はあるが渾身の一撃を喰らわすしかない。

「いい加減離してください!」

踏ん張っていた足を浮かせ一歩踏み出す。そして腕を引かれる力に自身の体重を乗せ私は前のめりに倒れていった。さすがの春千夜さんも私の予想だにしない動きには着いてこられなかったらしい。大きく目を見開いたお人形のような顔を視界に留め思いっきり頭突きをした。

「いッ……⁈」
「〜〜〜っ!」

自分が仕掛けたことではあるがあまりの痛さに声も出ない。そしてそれは春千夜さんも同じらしく頭を抱えたまま動かなくなってしまった。しかしおかげで腕は解放され、その隙に急いでソファから距離を取る。その直後、涙目の春千夜さんからは当然ながら罵声が飛んできた。

「ッてぇなぁ!このクソ女!」
「私だってしたくてしたんじゃありません!」
「見た目はそれなりのくせにテメェはマジで生意気だな!」
「その言葉そっくりそのままお返ししますよ!」
「なに仲良く戯れてんだ?」

呑気な声と共に休憩スペースに現れたのは春千夜さんとあまり仲がよろしくない蘭さん。そして蘭さんがいれば竜胆さんもいるわけで一緒になってこちら見ていた。今だけはこの救世主ブラザーズの登場に感謝するしかない。その二人の背後に回り込み大きな壁になってもらった。そして竜胆さんの服を掴んでしまえばこちらのものだ。私はここから動かないし壁を動かさない。

「何だよ急に。引っ張んな」
「春千夜さんに絡まれました。助けてください」
「おーおーオレらの妹に何してくれてるわけ?」

別に蘭さん達の妹になったつもりもないけれどこういう時はいい顔をしとくに限る。オニーチャンタスケテーなんて半分だけ心に思っていることを言えば蘭さんに頭を撫でられた。いや、そうじゃないから。あっちを何とかしてください。

「オマエら何の話してたんだよ」

竜胆さんがため息混じりにそう言った。ため息をつきたいのはこちらの方だ。ぜひ一から話を聞いてほしい。しかし私が答えるより先に春千夜さんが口を開いた。

「九井がヘタだからヤッて欲しいだとさ」

くっ……先を越されてしまった。でもその行動自体は予測済みだ。だからこそ次に私が取るべき行動も決まっている。蘭さんと竜胆さんの興味がこちらに向く前に私は大声で言ってやった。

「違います!春千夜さんが処女厨って話です!」
「なっ……⁈」
「ブッ!」
「マジかよ……」

爆笑する蘭さんに本気で引いてる竜胆さん、そしてブチ切れる春千夜さんという最悪にして最善の環境が生み出される。そこからはこちらの読み通り銃を取り出す春千夜さんに煽る蘭さんという図が生み出された。よかった、これで私への二次被害は免れた。事態は深刻化していくが私はもう知ーらないっと。

「あっ竜胆さん」
「なに?」

春千夜さんと蘭さんがお戯れをされている間に竜胆さんから話を聞いてみることにした。今のところ有力な情報は何一つ得られていないからね。

「竜胆さんが貰って嬉しい物って何ですか?」
「嬉しいもの?……あーアレ、レイバンのサングラス」

おおっ分かりやすい。でも竜胆さんの場合は聞かなくても欲しい物は分かったかもしれない。いつも身なりに気を使っているしセンスは問われるがファッション系の何かをあげれば喜んでくれそう。はじめさんもこれだけ分かりやすければよかったんだけどなぁ。

「オマエは他の奴にも聞くのかよ」

私への興味はなくなったのかと思いきや意外と話を聞いていたらしい。ひとしきり乱闘を終えた二人がこちらを見ていた。そして私と竜胆さんの会話に割り込んできたのは春千夜さんだ。

「参考は多い方がいいですからね」
「は?」
「九井さんの誕生日プレゼント考え中なんです」
「はぁ⁈」

うるさ。もしかして自分が貰えるとでも思ったのだろうか。そんなことは一言も言ってないのだけれど。

「残念ながら春千夜さんの分はないです」
「プッはるちゃんカワイソー」
「自意識過剰」
「おいテメェらそこに一列に並べ。順に脳天撃ち抜いてやるよぉ」
「次は竜胆なー」
「わーったよ」

蘭さんから竜胆さんにチェンジして第二ラウンドが開始された。実はこの人達って本当は仲良しだよね。ピンクと紫の髪色も相まって傍から見ればとってもファンシーな空間である。まぁその輪に死んでも入りたくはないけれど。

「結局アイツに何やるか決まったわけ?」

遠目で異世界ファンタジーを見守っていればいつの間にか蘭さんが隣に並んでいた。

「まだ考え中ですね」
「ふぅん。じゃあオレの場合も聞いとくか?」
「あ、蘭さんは大丈夫です」
「は?」

いや、どうしてキレた?虚無を映すその瞳は少し怖いがここで逃げるわけにもいかないので言葉を続ける。

「蘭さんって昔はS62世代って呼ばれてたんですよね?」
「そうだけど」
「つまりは昭和生まれですよね?」
「だから?」
「いやぁジェネレーションギャップが……」

以前、明司さんに似たような質問をして色々と教えてもらったのだが結局参考にならなかったのだ。やはり昭和生まれと平成生まれとでは世代という名の壁が乗り越えられないように思えた。確か竜胆さんも昭和生まれだったと思うけど蘭さんの場合は実年齢よりも考えが大人だから今回はご遠慮願いた——

「いっ⁈」
「へぇーつまりはオレのことをオッサンだと言いたいわけか」

真上からUFOキャッチャーのアームの如く頭を鷲掴みにされた。先ほどの頭突きの反動ダメージも少なからず残っているので是非止めて頂きたい。しかし一向に手は緩まない。この場に春千夜さん以外の敵を作ってしまったことに後悔しかないがこうなってしまえば打つ手は一つしかない。

「あっ首領!お疲れ様です!」
「「「⁉」」」

逃げるが勝ちだ。古典的な嘘ではあるが全員上手いこと引っかかってくれた。こういうところがオッサ……この話はもうやめよう。
動きが止まった瞬間、蘭さんの手を払いのけその場から逃げ出した。



三月三十一日、二十一時十六分——私は事務所の机に突っ伏していた。

「オマエだけかよ。九井はどこいった?」
「いないですよ」

てっきり私自身灰になったつもりでいたが頭を叩かれたことで実態がある事を認識できた。しかし気持ち的には灰かぶり状態。未だに私の頭を叩いてくる春千夜さんに怒ることもできなかった。

「望月さんの方でトラブルがあって九井さんが対応に行きました」

昨日の時点で仕事も粗方片付いていたし、今日は一緒に帰るつもりだった。だからこそバースデーカウントダウンしましょう!なんてはしゃいでいたけれど事務所を出る直前、はじめさんのスマホが鳴った。その時点で何となく嫌な予感はした。そしてそれは外れることなく的中し、私に何度も頭を下げて行ってしまったのである。

「アイツが?珍しいな」
「向こうが事前の交渉金額と違うっていちゃもん付けてきて金周り管理している奴連れて来いって騒いでるみたいです」

何故今日に限ってそんなことが起きるのか。望月さんは恨まないがいちゃもんを付けて来た相手にはものすごく腹が立っている。彼らの情報を全部引っ張り出して世間にバラまいてやろうか。今すぐボスに許可を取りに行きたいくらいだ。

「アイツが行った場所はどこだ?」
「え?」
「送れ」

ふつふつと燃え上がる怒りを押さえつけていたところで斜め上から声が降ってくる。二度言わせんなとばかりに睨まれたのでその住所をメールで送れば「県外かよ」と舌打ちされた。そう、はじめさんは一時間ほど前に神奈川の方にまで行ってしまったのである。向こうでの話し合いがどうなっているかは分からないがきっと今日中には帰ってこないだろう。つまり日付が変わった瞬間におめでとうを言う密かな私の夢も叶わなくなってしまった。

「オマエはまだここ居んの?」
「そのつもりです」

だからせめて少しでも明日一緒に過ごす時間が増えるよう仕事を片付けるつもりでいる。ただし気力が湧かずに何もしていなかったが。

「そぉかよ」
「どうしたんですか?」

春千夜さんはスマホ片手に出口へと歩き出していた。もしかしてナンバー2様へ連絡を入れなかったことに対して怒っているのだろうか。でもそれなら暴言の一つや二つ飛んできそうだがそれもなかった。不思議に思いながらその背を見つめる。そして部屋を出ていく直前、こちらを振り返った春千夜さんと目が合った。

「化粧崩れてんぞブス」
「はい?」

だからといって罵倒してほしかったわけじゃないんだが。本当に何をしに来たのか分からない。そして扉が音を立てて閉まってしまえばまた部屋に一人きりになってしまった。もうここに誰も来ないだろうけれど指摘されてしまえば気にはなるので化粧は直すことにした。メイクポーチを取り出し席を立てば、明日まで二時間半を切っていた。



化粧を直した甲斐はあったらしい。一時間余り仕事をし、そろそろ帰るかと席を立ったところで蘭さんがやって来た。しかし、どうにも様子が変だ。いつもなら感じられる余裕が今はないように思える。それは歩く速度にもでていてあっという間に私の席までやってきて机の上に荷物を置いた。

「四十秒で支度しな」
「はい?」

私は今から天空の城にでも行くのだろうか。しかし目の前に置かれたものと言えばブランド店のショップバック。訳が分からず口を半開きにしたままそれを見つめていれば「早くしろ」と脱がされそうになったのでそれらを持って急いで空き部屋に駆け込んだ。

「似合ってんじゃん」

四十秒以上かかり支度を終えればお褒めの言葉を頂いた。背中の開いたワンピースは大人らしくそれに合わせた靴は上品だ。未だに状況には着いて行けないが嬉しいのも事実。だから、キャバクラだったら何位になれますか?とお決まりの質問をしてみた。そうすれば「一位」とまさかの即答。初めてのナンバーワンの位置づけに喜んでいれば「オマエにはパトロンがいるからな」と鼻で笑われた。確かに。でもそれは私としては笑えないかな。

「やっと来たか」

蘭さんに連れられ外へと出ればそこには鶴蝶さんの姿があった。そしてその隣にはバイクがある。女手が足りないとのことで何かを手伝わされるのだろうか。それでも構わないがそろそろ説明はしていただきたい。しかし二人は私を無視して話を進めていく。

「待たせた。地図情報先に送ったけど場所分かるか?」
「問題ない。あの辺りは馴染みがあるからな」
「あのー…今からどこ行くんですか?」
「とりあえずこれ被っとけ」

私の質問は無視され蘭さん経由でヘルメットが渡された。早くしないとまた怒られると思い手早くそれを身に着ける。そうすれば当然バイクに乗るよう言われてしまった。

「飛ばすから落ちないようにな」

どこに行くのかすら教えられずにバイクのエンジンが掛けられる。そうなってしまえば落とされないよう鶴蝶さんしがみ付くしかなかった。

「楽しんで来いよ」

蘭さんのお見送りの元、バイクは派手なエンジン音と共に動き出した。



それからバイクは下道から途中で高速に乗り、休むことなく走り続ける。安全運転ではあるが風が強くて口を開く余裕はない。それにバイクで高速道路にのったのは初めてで怖くてずっと目を瞑っていた。

「おい、大丈夫か?」

どのくらいの時間走ったのかは分からない。次に目を開けた時には高層ビルが建ち並ぶ裏路地でバイクは止まっていた。どこからか潮の香りがするに、海沿いなのだろうか。

「はい、なんとか……あれ?竜胆さんがどうしてここに?」
「よぉ」

暗闇の中から独特なシルエットが顔を出す。近くの街灯の灯りを受け深海を泳ぐクラゲかと思ってしまった。そんな竜胆さんの姿を視界に収めよろけつつバイクから降りる。そしてヘルメットを外して改めて周囲を見渡した。

「鶴蝶さん、ここどこですか?」
「横浜だ」
「えっ⁈なんで⁈」
「よし、とりあえず時間ねぇからあっち向いてじっとしてろ」
「は…?いだっ」

竜胆さんに頭を掴まれ百八十度捻られた。先ほど心の中でクラゲと言ったのが聞こえたのだろうか。このままでは頭がもぎ取られると思い、慌てて体の向きを変えた。

「コテもねぇからあんま凝ったのはできねぇけど」

竜胆さんの指が髪を梳く。どうやらヘアメイクをしてくれるらしい。こんな手の込んだことまでしてくれて本当にどこに行かされるというのか。髪を一纏めに括ろうとしている竜胆さんにも訊ねてみるが「マジかよ……」の言葉しか言わなかった。それはこちらのセリフです。

「少し外す」

鶴蝶さんが電話に出る。しかし距離的に内容までは聞き取れなかった。片や竜胆さんはというとせっかくまとめた髪をまた解いていた。そしてまた一から編み込みを初め、私の髪型が出来上がったころにようやく鶴蝶さんも戻って来た。

「向こうは終わったようだ」
「よしこっちも完成」

自分の姿がどうなっているかは分からないが普段と違うことは分かる。もちろんそれはいい意味でだ。そしてこの時、ようやく私は一つの可能性に気が付いた。その僅かな希望を口にすれば二人には肯定と取れる笑みで返された。

「あとこれな」

竜胆さんがスマホを操作すれば自分のアドレスにメールが一件送られてきた。どうやら転送してくれたものらしい。その内容を確認し目を見開いた。

「ここって人気ホテルのスイートルームなんじゃ……」
「予約は明司で代金はモッチーのツケな」

もう驚き過ぎて言葉も出ない。そんな私を見て鶴蝶さんですら声を出して笑っていた。そして穴が開くほど見つめていたディスプレイにパッと十一桁の番号が映し出された。

『オマエら二人、明日休みな』
「は?」
『三途に感謝しろよ』

要件だけ伝えた電話はすぐに切れる。それがボスだということは誰に聞かずともすぐに分かった。
メール画面に戻れば右上の数字に目が留まる。その一番端の数字は一から二に変わり、時間が差し迫っていることが分かった。地図は一度見れば覚えられる。だから行くべき場所はもう頭に入っていた。

「ありがとうございます!」

他の皆にもあとでお礼は言わないと。でも今は時間がない。時計の0が揃う前に、私は一歩踏み出した。

「いい夜にしろよ、シンデレラ」

それでは魔法が解けてしまうのでは?でも悪い魔法使いたちにかけられた魔法なら制約も制限もなさそうだ。
こうなることも想定していたのか、ヒールだけれど走りやすい。アスファルトを一定の間隔で鳴らし夜を駆けていく。潮風に髪を遊ばれ火照った頬をネオンライトが照らす。私が必死に足を動かすなかでワンピースの裾だけは蝶のように優雅にはためいていた。

「っとに……マジでクソ」

おおよそ場所は分かるがここからは賭けだった。でもきっとあの人のことだから海の見える場所にいると思った。だからホテル前の遊歩道で街灯が一カ所切れているところを見つければそこにいると確信できた。

「はじめさん!」
「は?——ッ、ちょっ待て、止まれ!」
「無理!」

人も急には止まれない。減速なしに突っ込んでこのまま柵を乗り越え海にダイブを決める覚悟でいた。しかしその前に伸びて来た腕に受け止められ最悪の事態は免れる。ただその直前、脚がもつれて体を支え切れなかったため押し倒すような形で倒れ込んでしまった。

「おい、怪我はねぇか⁈」
「はじめさんこそ怪我は⁈」
「バカ!オレの事は良いんだよ!それより足は?」

抱えられるようにして上半身を起こす。はじめさんが足を見てくれている間、私の意識は海を挟んだ対岸にあるただ一つの物に集中していた。

「ここの観覧車も綺麗ですがイギリスにも有名な観覧車があるみたいですよ」

結局私はプレゼントを用意することが出来なかった。私自身何も考えなかったわけじゃない。服もアクセサリーも靴も、芸術品や電子機器も色々と調べたりはした。でもどれもしっくりこなかった。だってお金で手にはいる物って私でなくてもあげられるだろうし、何なら自分で買いそうだもの。

「あっでもはじめさんなら台湾の九份の方が似合いそう。今度行ってみませんか?」

私にしかできないことは何か、そしてお金に変えられない物は何かと考えた。

「急にどうした?」
「ずっと旅行には行きたいって思ってたんですよ。国外が難しいなら沖縄とかどうです?はじめさんって確か水泳できましたよね。久しぶりに泳ぎに行きませんか?」

もしかしたら私が楽しいだけかもしれない。でもね、私はその楽しいを共有したいって思う。そしたらきっと楽しいことも二倍になるはずなんだ。こういうことは難しく考えずに単純計算した方が一番いいんだよ。

「マジでどうした?」
「これが私なりのプレゼントです」

アルバムなんかなくたっていい。でもその代わり簡単には消えてなくならない二人の思い出を作っていきたい。

「なんだよそれ」
「この世で一番お高い贈り物です」
「へぇ。なら値段をつけるとしたら?」
「お金であれば日本の総資産額に匹敵しますが九井一に限り私への愛情表現が対価になりま——」

デジャヴだった。はじめさんは最近これがお気に入りらしい。でも私としてはちょっと面白くない。そしてそのことも全部分かってやってくるから意地悪だ。だからこちらもべっ、と舌を出して対抗してやれば急に腕を引かれてバランスを崩す。しかし寸でのところで胸に手を付き押し倒すことはなかった。

「じゃあもう一回したら何くれんの?」
「あっだめ。まってまって」

再度近づいてきた口元を抑えれば不機嫌そうに睨まれた。でもあと数秒だけ待ってほしい。
視線を対岸へと向ければミッドナイトブルーを背景に色とりどりの宝石が浮かんでいる。そしてその光が全て消えた瞬間、私は皆の分も代表して用意してきた言葉を口にした。

「お誕生日おめでとうございます!」

まずは今日という日を一生の思い出にしよう。
そして来年も再来年もこの日を共に祝えますように。

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