生きる理由
山頂から眺めると木々が風になびく様子が海原でうねる波のように見えるらしい。そのため、うっそうと茂るほぼ同一種からなる自然林を『樹海』と呼ぶようになったのだとか。ただ、そのイメージ通りに木々が隙間なく根を下ろしているわけではない。存外、倒木も多くそこには苔が青い絨毯を広げている。それはこの地面が溶岩であるため固く、地下に根を張るには適さない土壌だからだ。
『こちらA班!C班聞こえますか?!』
苔むした地面に転がった無線機。こんなところまで吹き飛ばされていたのか。青臭い湿り気を帯びた空気を吸い込んで地面を這う。自分の通った場所はわだちのように左右に苔が盛り上がり黒色の土が露出した。それは血液を吸いさらにどす黒い色へと変化する。
『誰か生き残りはいますか?!応答を願います!』
樹海と言えども全ての場所で電波が通じないというわけではない。それにコンパスが狂うというのも迷信だ。しかし自殺の名所というのは本当で、毎月二桁以上の遺体発見報告がある。それがパタリとなくなったのが二ヵ月前で不審に思った管理団体が公安のデビルハンターに通報をした。悪魔の仕業ではないか、と。
「こ、…ちらC班、対象の悪魔は殲滅。至急、救援を……」
真実でも迷信でも、その都市伝説自体が悪魔を生み出す恐怖に繋がる。そして、やはりいた。『樹海の悪魔』はこの地形を自身の好きなように変化させ、私達の不安と恐怖を煽り、一人一人神隠しのように攫っていった。
『よかった…!直ぐに向かいます!』
その最後の一人が私だ。どうやらこの悪魔は好きな物は最後に食べる質だったらしい。いつもなら香りに惑わされ真っ先に襲われるのに先に狙われたのは
「…ッ、……うぅ」
ザーザー鳴る無線機を傍らに置き、針葉樹に背中を預ける。空を見上げて見ても幾重にも重なる葉が日光を遮り、降水確率ゼロ%の昼過ぎであっても辺りは薄暗かった。しかし、遠い遠い天上から一筋の光が差し込んでこの場だけがスポットライトに照らされたように明るい。その光に悪魔の中から押収したものをかざす——銃の悪魔の肉片。
「マキマさん、よろこんでくれるかなぁ」
この身の全ては彼女の為に。
指先の鉛に思いを馳せゆっくりと瞼を閉じた。
◇
日本は法律で満二十歳以下の飲酒は禁止されている。一部の欧州では十六歳から認めているところもあるらしいがここはあくまで日本だ。というか、そもそも怪我人の見舞いにアルコールを持ってくるだなんて常識的に考えてありえない。
「ほらよ、富士山の雪解け水から作った名酒だ。せっかく任務で県外に行ったつうのに地酒の一つも飲めなかったんだろ。遠慮はするな俺からの差し入れだ、礼なら新潟の菊水でいい」
「だからまだ未成年だって言ってるじゃないですか!」
「そうだっけ」
冗談なのか本気なのか、それともすでに物忘れが始まっているのか。しかしこちらが何度指摘したとて「まともだと早死にするぞ」の一言で取り合ってはもらえない。
私にデビルハンターとしてのいろはを教え込んでくれた岸辺さん——先生の頭のネジはぶっ飛んでいる。しかし、だからこそ五十を過ぎた今でも現役であり、最強のデビルハンターとまで呼ばれている。だが、どんなに尊敬していようとも未成年飲酒はダメ、ゼッタイ。
サイドテーブルに置かれた見舞いの品は丁重にお断りをし、上体を起こしてベッドの外へ足を下ろした。
「まだ本調子じゃねぇだろ。いいから寝てろ」
「もう傷は塞がっているので大丈夫です」
「へぇやっぱり回復も早ぇな。お前を見つけた救護隊も驚いてたぞ、出血の割に傷は浅かったってな」
人間離れした回復力はもちろんこの身に宿す悪魔の力だ。さすがに不死身ではないし悪魔そのものの体よりは脆いため体を真っ二つにされでもしたら死ぬが、内臓が傷付けられなければ止血程度の自己回復はできる。
「だからこそお偉い様方はオメガであるにも関わらず私を公安に置いてくれていますからね」
この世界には男性と女性の性別の他に、アルファ、ベータ、オメガと呼ばれる第二の性が存在する。
アルファ性は数が少なく、生まれつきのエリートタイプと言われている。社会的に見ても地位が高い者に多い性であり、事実、公安のデビルハンターの中にも数名存在している。
そして最も人口が多いとされるのがベータ性。個性はあれど身体的特徴や行動に突出すべき点がない者たち。故に「一般人」という括りで呼称されることが多い。
そのどちらでもない者がオメガ性と位置づけられる。数はアルファ性よりも少なく、一部では都市伝説として扱われるくらいにその個体は少ない。そしてオメガ性の一番の特徴と言うのが男女ともに生殖機能を有している点だ。また、ヒートと呼ばれる発情期が存在し約三ヵ月に一度の頻度で一週間ほど強いフェロモンをまき散らす。
これは社会的強者であるアルファを惑わす効果があり、どんなに理性的なアルファであっても抗しきれない強烈な発情状態を引き起こす。過去にはフェロモンに当てられたアルファがオメガを襲い、暴力的な性行為の末殺してしまうという事件もあった。
「アイツらは常に壊れない武器を欲しがっているからな」
そして人間と悪魔が共存するこの世界において、悪魔はオメガ性の血肉を好む傾向がある。その理由は未だに論証されていないが一説によると他の人間に比べてW甘いWらしい。例えばそれは桃のような、バニラのような、ケーキのような味。
「悪魔のおかげで体はそれなりに強いですけど最近は無茶振りな任務も増えて嫌になっちゃいます」
発情期でなくとも悪魔はオメガのフェロモンを嗅ぎ取ることができる。抑制剤を使いヒートを抑えたとしても彼らの鼻は誤魔化せない。また、その悪魔が
「最近になって銃野郎の肉片回収の報告はよく上がるようになったからな。確か先日アキんところが当たった森野ホテルの悪魔もそうだったか。偶然か誰かが仕組んでるかは知らねぇけどな。まぁお前はマキマのお気に入りみてぇだし掛け合ったら休みくらい貰えんじゃねぇか」
オメガ性故の処置なのか私は公安のどの課にも属していない。顔も名前も知らない上層部からの指示に従い任務をこなす日々。それも当然だ、オメガ性は繁殖に関することのみが仕事であるとされていた歴史的過去がある。
「休みはいいんです。私はマキマさんの為に悪魔を殺しているようなものですから」
しかしそんな中、私の社会的地位を生み出してくれたのが内閣官房長官直属のデビルハンターでありアルファ性のマキマさんだった。
ベータ性の両親から生まれ山奥の閉鎖的な集落で育った。同年代の友達は少なかったけれど近所の人はみな私を孫のように可愛がってくれた。しかし、十四歳のとき初潮と共にヒートの症状が起きたことで周囲の反応は一変する。将来を期待する若者から悪魔を呼び寄せる忌み嫌われ者になった。
「差別しかなかった田舎から私を連れ出してきてくれた。だから私はマキマさんにそのご恩を返したいんです」
初めて出会ったときは、それこそこの地に女神が舞い降りたのではないかと思った。ヒナゲシの花弁のような透き通った髪、トパーズのように煌めく瞳の中には吸い込まれるような波紋が広がる。そして圧倒的強者であるアルファという第二性。その全てに魅了され今では彼女と唯一無二の関係——番になりたいと思っている。
番とはアルファ性とオメガ性の間にのみ発生する特別な繋がりの事である。オメガのフェロモンに誘われたアルファがその分泌腺があるうなじや喉元を噛むことで何よりも強い関係を築くことができる。そして番になったオメガは以後フェロモンを発さなくなり、番関係も周囲に判別できるようになるらしい。
ただ、その理由からマキマさんは私を番にはしてくれなかった。フェロモンの発生が一切なくなってしまえば餌としての価値なくなり、銃の悪魔の肉片が集めづらくなるからだ。
「銃の悪魔を倒したらマキマさんの番にしてもらうって約束してるんです。だから肉片をたくさん集めて一刻も早く銃の悪魔を見つけないと!」
でも事が解決してしまえば問題ない。多少なりとも平和になった世界で共に生きる。私はそう夢見ている。
明日から復帰すると意気込んだ私を、岸辺さんは虚な目をして見ていた。