はじめまして

平日の十七時過ぎ、初夏を迎えた東京の空はまだ明るく駅前には人が溢れていた。取引先帰りであろうサラリーマンに買い物袋を抱えた女性、子連れの親子や学校終わりの学生たち。そんな人等を横目で見ながら待ち合わせ場所へと靴の踵を鳴らした。

今日は公安の任務に民間のデビルハンターが同伴することになっていた。本来なら民間で処理できなかった悪魔が公安に回ってくるためこのような支援要請は滅多に行わないのだが如何せん人手不足なのだ。先日のサムライソードとの戦闘で数人のデビルハンターが亡くなり、また退職した者もいる。

「すみません、公安のデビルハンターの方ですか?」

待ち合わせ時刻の十分前に到着すれば後ろから声が掛けられた。パッと振り返るが思ったよりも背が高く目に映ったのは黒のシャツと青の上着。そこからすーっと視線を持ち上げていけば日の光を一切反射していない瞳と目が合った。

「はい」
「あぁよかった。今日の任務支援を任された民間の吉田です、よろしくお願いします」

口端だけの筋肉を持ち上げて笑みを作る。その表情にぞわりと背中が粟立った。

深海の底を覗き見たような漆黒の瞳には目に映るすべての光が吸い込まれていく。また髪も漆を頭から被ったような深い黒だった。けれども、それと対比するかのように肌は陶器の冷たさを連想させるような白をしていて、そこに笑みを張り付けた姿は蝋人形のようであった。

しかし何よりも恐ろしさを感じたのは彼の容姿が非常に整っていたからだ。アルファ性の者はその能力の高さに加え容姿の良さも特徴に上げられる。

でも今日の任務はベータ性の者であると聞いているし、ただの思い過ごしであると信じたい。それにアルファ性でなくても容姿が整っている人もいる。公安対魔特異四課の早川さんがそうだ。

「遅くなりすみません」
「いえ、俺が早く来すぎただけですから。それにしても驚いたな、まさか公安に自分と同じくらいの年齢の人がいるとは思いませんでした」

同じくらいの年齢……なの?少なく見積もってもお酒を買える年には達しているように見えるのですが。それとも自分が老け顔なのだろうか。どちらにせよ反応できずに呆けていれば彼は気にも留めずに「悪魔の目撃情報があったのはどの場所ですか?」と仕事の話を続けた。

「えっと、この先の住宅街になります。地図を持って来たので先に目を通して頂いてもいいですか?」
「分かりました」

印刷してきた地図をポケットから取り出し手元で広げる。その瞬間、さらりと私の頬を黒髪が撫でた。目の前には六個のピアスが括りつけられた耳がある。
数秒の読み込み時間を経て彼が屈んでいるのだと理解した。

「あのっ地図は二枚あるので一枚は差し上げます…!」
「そうなんですね、ありがとうございます」

その一言でようやく手元から顔が離れて行く。しかし、地図を渡した後も腕が振れ合う程の距離は保たれたままだった。

……これは些か近すぎるのでは?自分に男性への免疫がないと言ってしまえばそれまでなのだが女性同士でも近すぎる気がする。ただ、これは私が知らないだけで都会の人の距離間なのかもしれない。東京に来てからも公安の、自分より年上の人としか接する機会がなかったから若者事情には疎いのだ。それにこれだけかっこよければ女の子からもさぞモテるのだろう。だから言い寄られたりもするわけで。彼としてはこれが通常運転なのだ。うん、きっと、そう。

「では早速向かいましょうか」
「はい」

わざとらしくないように誘導するような形で彼から距離を取った。しかしこれは寧ろ悪手であった。半歩後ろから追いかけて来る足音。スニーカーが砂利を踏む音を聞く度に心臓が絞めたように息苦しくなる。次いで体に纏わりつくような視線とうなじに熱を感じた。喉は人体の急所であり、そしてオメガの弱点である部位。見えない何かがそこに絡みついている。

「どうかしましたか?」

視線を僅かに後方へと向ければすぐにバレた。それに対し動揺の色は見せずに、隣に並んでも大丈夫ですよと声を掛ける。しかし彼は緩く首を振り「背も高いしガタイもいいんで並んで歩くと道を塞いじゃうんですよね」ともっともらしいことを言って半歩後ろを歩き続けた。



悪魔の目撃情報があった住宅街まで行くには商店街を抜ける必要がある。そこへ一歩踏み出せば仕事帰りの買い物客を見越して店の人等が慌ただしく準備をしていた。

「一週間ほど前から住宅街の路地で人がいなくなる事件が発生して、つい先日も派遣した民間のデビルハンターが行方不明になっています」

アーケード街を歩きながら今回の任務のあらましを説明する。まず最初の行方不明者は買い物帰りの主婦。次は習い事帰りの小学生で、ピザ屋の配達員、女子校生、犬を連れた老夫婦といなくなる人に共通の特徴はない。ただ、いなくなる時間は十八時から十九時と決まっていた。

「何故時刻の断定が出来るんです?その人ごと消えてしまえば分からないじゃないですか」
「実は襲われた人の中に悪魔が目の前で消える瞬間を見た人がいたんです。逆に表れる瞬間を遠くから見た人も。そしていなくなった人の行動パターンからおおよその時間を割り出しました」
「なるほど。よく考察されてますね、さすがは公安のデビルハンターの方だ」
「いえそんなことは……」

道幅が広がったことで彼は隣りを歩いてくれるようになった。しかしこれはこれで顔をじっと見られているようで落ち着かない。W見られているようWと言ったのは気配からそう感じたからだ。今顔を上げてしまえばきっと目が合うに違いない。だから私は前を見続けたままだった。

「それにしてもその年で悪魔と最前線で戦われてるなんてすごいですね」
「それを言うなら貴方もじゃないですか」
「貴方じゃなくて吉田です。吉田ヒロフミ」
「あ、はい…吉田君も私と年近いんですよね?」
「多分」

実際に確かめてみれば確かに同い年であった。今まで一番年が近い人でも精々二十歳。少し前にマキマさんが連れて来たチェンソーマンになれる人も年が近いという話を聞いたことはあるが私は会ったことがない。

「すごい偶然だな。なんか周囲が大人ばかりだと疲れません?職務中に酒飲みだしたり未成年にタバコ進めてきたり食事をしても奢らせてくる人っているじゃないですか」
「それって岸辺さんのことですか?」
「あっやっぱり知ってるんですね」

なんだろうこの感じ。言葉の一つ一つがマニュアルで、すでに答えが決まっているかのような会話。導かれているような、言わされているような気分になる。

「公安に入った時に色々とご指導いただいたので。確かに少し頭のねじは外れていますが鍛えて頂いたことには感謝しています」
「本人がいないんだからそんなにかしこまらなくていいのに」
「吉田君も私が公安の人だからってそんなにかしこまらなくていいですよ」
「本当?じゃあお互い敬語もやめようか」

しまった、と気付いた時には遅かった。彼はノータイムで返事をして人好きの良さそうな笑みを浮かべた。距離を詰めるつもりなんてなかったのにするりと隙間に入り込んできた。ごく自然に、そうなるべきかのように。

「何か気になるものでもあった?」

視線から逃げるように顔を背ければ覗き込まれるように距離がまた近づく。腕と腕が触れ合って、きっと風のせいだろうに彼の吐息が髪を掠めたような気がした。そんな一挙一動にカチコチになりながら大して興味もないのに一つの店を指差した。

「美味しそうだなって思って」

精肉店から香る油の匂い。ガラスケースの中には黄金の衣をまとったコロッケが行儀よく並べられている。そして見た目通り味もいいのか、ちょうど四十過ぎの女性が八個分の会計をしていた。きっと今夜の食卓にはあのコロッケがメインで並ぶのだろう。

「本当だ。その場で食べられるよう包んでくれるみたいだし、せっかくだから食べてみようか」
「でも仕事中だし」
「まだ時間に余裕はあるだろ。飲酒業務よりはマシだ、行こう」

軽く背中を押されそのまま精肉店の前まで来てしまった。職務怠慢の横文字が一瞬頭を過るがいざ間近で見てしまえば、くぅと小さくお腹が鳴る。恥ずかしくなり慌ててお腹を押さえるがしっかり聞こえていたらしい。小さく笑い、吉田君はコロッケを二つ購入した。

「はい、どうぞ」
「お金払うよ」
「いいよ。俺が誘ったんだから」
「いや、こういうのはきっちりしないと」
「じゃあ次はキミが奢ってね」

熱いから気を付けてと付け加え、コロッケを渡される。また彼のシナリオ通りに動いてしまった気がしなくもない。でもこの場の空気を悪くするわけにもいかず素直にお礼を述べた。

「あっつい!」
「だから言ったでしょ。大丈夫?」
「うん。こんな揚げたてのコロッケ初めて食べたかも」
「俺もかな。買い食いするにしても基本はパンばかりだし」

ふうふう冷ましながら少しずつ頬張っていく。中のじゃがいもに甘味があって美味しい。しばらくは火傷しないように夢中になって食べていた。しかしまた纏わりつくような視線を感じる。それを意識しないよう、再び目に付いたもので話題を変えた。

「ノア・ウォーレン、ついに映画に出るんだね」

精肉店の向かいにある電化製品店。そのショーウインドウに置かれたテレビには白いジャケットを着て微笑む青年が写し出されていた。

自らアルファ性であることを公言しモデルとして活躍するノア・ウォーレンの人気は日本でも高い。蜂蜜を溶かしたような金色の髪に空の青を思わせる透き通った瞳。イギリス人特有の高い鼻と彫の深い顔には厳つい雰囲気を持たれがちだが、彼の場合はたれ目がそれを中和していた。おまけに笑うとエクボもできるものだから結果としてあどけなさが好印象として残る。そのチャーミングさと百八十を超える高身長はまるで童話の中の王子様を彷彿とさせ、彼を特集した芸能誌は一瞬にして書店からなくなるのだとか。

「彼、最近よく見るな。キミはああいう男がタイプなの?」
「いやそうじゃなくって。映画の方に興味があるの」

日本語で『運命』という名のタイトル映画は第二性社会における実際の関係を題材にしたものだ。
アルファとオメガ間で結ばれる番関係の中には『運命の番』と呼ばれるものがある。その二人には遺伝子レベルでの強い結びつきがあり、発情期とは無関係に接触した途端に発情すると言われている。その時、互いに番がいたとしても運命には抗えない。しかしそんな彼れが出会う確率は奇跡に近い。だからこそ番関係のないベータ性一般人からは憧れを持たれ、しばしばこのような大衆受けの商材に昇華される。

「ああ、運命の番ってやつね。やっぱり女の子はそういう関係に憧れるのかな」
「私はそうじゃないけどフィクションであっても知りたいんだよね、彼らのことが」

当事者である私からしてみれば、互いの気持ちを無視した関係性など死んでも御免である。例えそれが本能的なものだったとしても私は認めない。私が好きな人はマキマさんだ。

マキマさんのために悪魔を殺して、マキマさんに喜んでほしくて肉片を集めて、番にしてもらえるようマキマさんに尽くす。これが私の存在意義で生きる理由。だってマキマさんは私に——

「そろそろ時間になるね、住宅街の方に向かおうか」

何をしてくれたんだっけ……?

「そうだね」

太陽が西に傾きレンガを敷き詰めた足元が茜色に染まる。その色にマキマさんの髪色を思い出しながら僅かに抱いた疑念を振り払った。