マブ達とシェアハウス始めました1

人生で一番嬉しかった日かもしれない。
模試では最後までC判定。友人には「落ちてもズッ友だよ」と肩ポンされ、塾講師には「滑り止めだけは滑るな」と言われ、終いには担任に「記念受験だな」と笑われたが第一志望の大学に合格できた。だから合格発表帰りにそのテンションのまま幼馴染の家のインターホンを高速連打したことはどうか許して頂きたい。

『うっさいわ!!』
「柚葉ちゃん!私受かったよ!!」
『えっマジで?!』

直ぐに家から出て来た柚葉ちゃんは涙と鼻水だらけの私を抱きしめてくれた。そして「よくやった!」なんて姉のようなことを言うので笑ってしまう。私より一つ年下なのにどこかで大人びているのはきっと彼女の家庭環境のせいであろう。

「うぅ…本当によかったぁ」
「アタシは受かるって信じてたよ!ほらお祝いしよ!準備してたんだって」
「え?」
「慰めパーティーがお祝いパーティーになっちまったけどな」
「えー……」

彼女のペースに乗せられそのまま家へと上げてもらう。相変わらずこの家はプールまである豪邸だ。L字型のソファに座り待っていれば柚葉ちゃんがジュースとお菓子をたくさん持って来てくれた。オレンジジュースで乾杯をし、ポップコーンやポテチを摘まんでいく。

「ついにアンタが大学生かぁ。大学は私服だからいいよな、毎日好きな服着て行ける」
「柚葉ちゃんらしいね。でも家からは遠いんだよね」
「一人暮らししないの?」
「したいけどあの辺りは家賃高くて狭いからなぁ」

家から大学までは乗り換えを含めると一時間ほどかかる。それに朝の通勤ラッシュが重なれば肉体的にもキツイ。でもユニットバスの1Kで四年間過ごす方が私としては辛いのだ。

「ふぅん。八戒は最近『一人暮らししてぇ』が口癖なんだけどね」
「そういえば八戒くんはいないの?」
「うん。多分三ツ谷んとこ」

家の中に私たち以外がいる気配がない。二階にも部屋はあるけれど玄関の靴を見る限りおそらく柚葉ちゃん以外いないのだろう。
私はポップコーンを口に放り込んだ柚葉ちゃんの横顔を見つつ、少し緊張しながら声を掛けた。

「大寿くんとは連絡取ってる?」

母親同士の仲が良く度々柴家にはお邪魔していた。大寿くんは小さい頃から賢くて勉強を教えてもらった記憶がある。

「取ってねぇよ」

ただ彼らの母親が亡くなって、父親が海外出張に行くようになってから大寿くんは変わってしまった。いや、彼自身に大きな変化があったわけではない。彼の描く家族像を柚葉ちゃんたちに押し付けた結果、暴力的な一面をみせるようになった。

でも私は知っている。彼が食前のお祈りを必ずしていたことを。そしてクリスマスには毎年欠かさず礼拝に行っていたことを。だからどうしたって彼の事を悪い人とは思えずに、今も変わらず友達でいるつもりだ。

「そっか」
「アンタこそ取ってないの?」
「まぁ連絡先は知ってるけど……」
「じゃあ自分で連絡してみなよ。アンタからだったらきっと出るよ」
「そうかなぁ」
「はい、もうこの話は終わり!っていうかJDになるんなら化粧のひとつくらい覚えろよな!」

アタシが教えてあげる、と続けた柚葉ちゃんに引き摺られ二階へと行くことになった。階段を上がってすぐ左手にある部屋に視線を移す。かつてよく足を運んだその部屋は固く閉ざされていた。





その夜、私は数ヵ月ぶりに幼馴染に電話をかけた。もしかしたら電話番号が変わっているかもしれない。しかしそんな不安は僅か三コール目で聞こえた声ですぐにかき消された。

『よぉ元気か?』

それはこっちのセリフだって。そう思いながら頷いて、久しぶりだと返せば大寿くんには電話越しに鼻で笑われた。

『柚葉と八戒は?』
「今日、柚葉ちゃんに会ったけど元気だったよ。八戒くんは最近一人暮らしがしたいって言ってるんだって」
『ハッ!アイツにはまだ早ぇよ』

ほら、やっぱり怖い人ではないのだ。じゃなきゃ自らの行動を悔いて兄弟たちと距離を取るような行動はしない。この家族は不器用で、そして歪だ。

『で、オマエは今何やってんだ?』
「ふふっ実はね第一志望の大学に受かりました!」
『へぇ。おめでとさん』

反応うっす。これでも百人に聞けば百人名前を知っているくらい有名な大学なんだけどな。といっても大寿くんであれば余裕で合格できるだろうけどね。

「もっと祝ってくれてもいいのに」
『オレが勉強教えてやったんだから当然だろ』
「高校からは自力で勉強したんですけど?」

だって中学三年になったあたりで大寿くんは不良グループのボスになって忙しくなっちゃったからさ。黒龍と呼ばれるそのグループはここら一体を縄張りにしていた。大寿くんの家の前に白の特攻服を着た人たちがたくさんいたのはよく覚えている。

『オマエも元気にやれよ』
「うん。大寿くんもあんまり無茶しないようにね」
『余計な心配すんじゃねぇよ』
「心配くらいさせてよ。じゃあまたね」
『待て』

気付けば思い出話にも花が咲き一時間以上話していた。携帯の通信料金がそろそろ怖くなったので切ろうとすれば最後に呼び止められる。一体何かと耳を傾ければ、一人暮らしをするのかと聞かれた。兄妹揃って同じことを聞くんだな。

「ううん。家賃の割に部屋は狭いから今の家から通うつもり。一人暮らしには憧れるんだけどね」
『分かった。じゃあ頑張れよ大学生』

尋ねられた割にあっさり電話は切られてしまった。意外なようならしいような。大寿くんは常に私の三歩前を歩いている人なのでその考えは分からない。でも元気にはしているようなので安心した。

「私も大学生か……」

大寿くんの言葉を復唱しベッドへと倒れ込む。そうしたらまたむくむくと喜びが沸き上がり日付を超えても全く睡魔がきてくれなかった。ついには寝ることを諦めベッドから飛び起きる。本日、柚葉ちゃんに譲ってもらった雑誌を開けば夢中になって朝まで見入ってしまった。これからの花の大学生活が楽しみだ。





さて、大学の入学式を終え早二週間。シラバスを見て講義を選び、それなりに友達もできた。夢に見たキャンパスライフで悪くない毎日を送っている。だがしかし、ひとつだけ不満があった。

「お、おはよう…」
「おはよーってめっちゃ汗だくだけど大丈夫?」
「駅から走ってきたから……」

それはやはり通学だ。乗り換え含めて一時間というのはあくまで順調にいった場合の時間であって一本でも遅延が発生すれば授業に間に合わない。今のところ遅刻したことはないがこの調子ではいつか必ずやらかすだろう。

「お母さん、やっぱり一人暮らししたいんだけど」

ということで今さらながら部屋探しをすることにした。この辺りの管理に関してうちの親は緩い。小さい頃から共働きで良くも悪くも放任主義なのだ。
しかし、探し始めたものの四月半ばにそうそう良い物件があるわけでもない。結局、大学から遠い場所になるか空いていても築六十年の風呂なしや事故物件だけだった。

一人暮らしをするにしても来年まで待つしかないか……そう諦めて惰眠を謳歌していたゴールデンウィーク初日。私の元へ一通の手紙が届いた。裏の差出人名を見ればなんと大寿くんからで。そして中身を確認した私は二度目の衝撃を受けた。だからそのテンションのまま幼馴染の家のインターホンを高速連打したことはどうか許して頂きたい。

『うっさいわ!!』
「柚葉ちゃん!家貸してくれるって本当?!」
『はぁ?』

大寿くんからの手紙には私に一軒家を貸し出すと記されていた。柚葉ちゃんに手紙と共に事情を説明すれば確かにその物件は柴家が所有するもので半年ほど前から空き家になってるらしかった。

「本当にいいの?」
「大寿がそう言ってんならいいんじゃない。見に行ってみる?」
「行く!」

そして柚葉ちゃんに鍵を用意してもらい次の日に二人で足を運んだ。そしたら想像以上に立派な家でびっくりした。私の身長よりも高い塀に囲まれたその家はヨーロピアン調のガレージハウスだった。建屋は直方体と円柱を組み合わせたような形で小窓もたくさんあって可愛らしい。どうやら二階建てのようだが外観から察するにきっと天井が高いのだろう。そして中へと案内してもらえばなんと家具や家電までもが揃えられていた。これは一体どういうことなのだろうか。

「八戒が産まれる前はここに四人で住んでたんだ」

その時の家具や家電はそのままの状態で貸し出していたらしい。柚葉ちゃん曰く、当時から新しくなった物は幾つかあるがそのまま使っていいとのことだった。

「空き家にしとくのも勿体ないし誰かに住んでもらった方がいいかもね」

それに加えて家賃もゼロ。大寿くんからの手紙に寄ればこの待遇は“合格祝い”らしい。
大学からも近いしスーパーやドラッグストアも徒歩圏内で立地条件も悪くない。ただし、次の住人が決まるまでの期限付きでの貸し出しにはなる。そうだとしても私の答えはもう決まっていた。

「私この家に住む!」


大学生活一年目、皆より一ヵ月ほど遅れ一人暮らしをすることになった。





梅雨入りを迎えた六月某日。

一人暮らしの生活にはおおよそ慣れた。元より両親が家にいないことも多かったから洗濯や料理なんかも自分でできる。寧ろ最新家電のおかげで掃除は楽になったくらいだ。お洒落な家具にふかふかのベッド、文句のつけどころのないような素敵な家。ただ一つ難点を上げるのならば広すぎるのだ。

広い玄関には私の靴が一足だけ。大きなソファに腰掛けるのもそわそわするし、毎日六人掛けのダイニングテーブルでぼっち飯を頂くのも精神的に堪えてきた。特に夜がさいあく。十七畳のリビングの電気を消して自分の部屋へと上がっていくときが一番怖い。階段の下から手が伸びてきて足を引っ張られやしないかとダッシュで二階まで駆け上がるのだ。

それに最近だとあの辺りで不審者が出たという噂を聞く。いくらセキュリティがしっかりしているとはいえ不安にはなる。まだ部屋も余っているし、一緒に暮らしてくれる人はいないだろうか。





その日も十八時ごろまで大学の図書館にいた。五限目までない日はもっと早くに帰れるけれどあの家に一人でいるのは寂しい。だから友達との予定がない日は図書館で課題を終えるなどして時間を潰していた。

「ん…?」

そろそろ帰るかと席を立ちあがったところでちょうど傍を通り過ぎた人が鍵を落したのが見えた。携帯をポケットから取り出すときに落としたのだろう。私はそれを拾い上げて黒髪の男の人に声を掛けた。

「あの、すみません」
「え?」
「これ落としまし……あれ?ココくん…?」
「オマエは確か———」

その人はぴたりと私の名前を言い当てて。そしてお互い口を開けて固まってしまった。まさかこんなところで十代目黒龍のメンバーと再会するなんて。

「えっうそ?!同じ大学だったの?」
「マジか」

特徴的な吊り目を細め口角だけを上げて笑う表情は懐かしい。顔を合わすのは半年ぶりくらいか。私はココくんの進路を全く知らなかった。というのも元より出会いが大寿くんを通じてだったからだ。

当時、黒龍の人達はよく大寿くんを迎えに柴家へと訪れていた。特に親衛隊長である九井一くんと特攻隊長の乾青宗くんは頻繁に来ており私も顔くらいは知っていた。そしてある大雨の日、柴家の前でずぶ濡れになっている二人に声を掛けたのがキッカケだった。

それからはなにかと交流が続き、一時には何故かうちが黒龍の取引現場に使われたこともあった。その度にお金を渡してこようとするココくんを拒否したり、人の家で勝手に空と海と大地と呪われし姫さんのセーブデータを作ったイヌピーくんとゲームをしたりして。気付けばそれなりに親しくなっていた。

「雰囲気変わったから分からなかったよ!ココくんは何学部なの?もしかしてイヌピーくんもいる?」
「オマエは相変わらずだな」

感動の再会に震える私に対しココくんは「図書館なんだから静かにしろ」と至極真っ当な理由で注意した。不良だったのにそういうところ昔からあったよね。
二人揃って図書館を後にした。ココくんもちょうど帰るところだったらしく二人でキャンパスの煉瓦道を歩いていく。

「ほんと久しぶりだね。去年以来?」
「そうだな」
「不良やってたのに大学受験するとは思わなかったよ」
「保険はいくらかけたっていいんだよ。それにオマエよりは勉強できっし」

べっと舌を出したココくんにはちょっとムカついたのでイーッと歯をむき出して威嚇してやった。「小型犬かよ」なんて笑われるがミ○キー大好き舌ペロガールをリスペクトしてるココくんよりはマシだと思うんだ。まぁそんなお戯れはさておいて、履修科目や取った講義の話なんかをしていればあっという間に駅が見えるところまで来ていた。

「ごめんココくん、私の家こっちなんだ」
「え?あぁ、オマエ一人暮らししてんの?」
「うん。ココくんは?」
「実家」

ココくんの家の場所は知らない。でも前に、家から近い浅山図書館によく行くと言っていた記憶がある。浅山図書館はここから一時間半ほどかかる。だからココくんの家も同じくらい遠いはずだ。

「一人暮らししようとは思わなかったの?」
「いい物件なかったからやめた。まぁいずれはしたいと思ってるけど」
「あるよ、いい物件!」

思わぬところに鴨はいた。口元を弧に、そして目元を三日月にして笑みを浮かべれば「気持ち悪ぃな」と包み隠さず言われたので笑顔で返しておく。そしたら逃げられそうになったので思わずココくんの腕を掴んでしまった。

「この後時間ある?」
「ねぇけど」
「五分だけでいいからさ」
「悪徳勧誘の常套句だな」
「いやぁそんなに褒めなくても」
「褒めてねぇから放せ」
「ここから歩いてすぐなんだよね」

駅から住宅街へと続く道に方向転換する。ココくんは逃げなかったにしろチンタラ歩いていて着いてくるので私の腕が無駄に疲れた。これはあれだ、散歩から家に帰るのを嫌がる犬のようだ。いい加減、駄々をこねるのはやめて頂きたい。

「すっげぇ」
「でしょ?」

さて、そんな駄々っ子を連れ帰って来たわけであるが鋳物門扉を開けた時点でこの反応。そして吹抜けの玄関へと招き入れればココくんは首が痛くなるくらい上を見上げていた。

来客用のスリッパを履いたココくんに一階を一通り案内する。キッチンにリビング、風呂場に庭。シューズクローゼットとウッドデッキの案内も一応しておいた。そしてもう一度リビングに戻って来たココくんにお茶を用意した。

「マジでここ住んでンの?」
「うん」

ココくんが物件探しにどのような条件を持っているかは分からない。でもこの家ならおそらくそれもクリアしているだろう。そしてダメ押しとばかりに家賃タダということを伝えればついには言葉を失っていた。

「ということでこの家に住まない?」
「いや、ちょっと待て。オマエの他に誰住んでンの?」
「私だけだけど」
「なら却下」
「えぇ?!」

なんで?!もしや私が生活力のない女だと思われてる?
そりゃあズボラな性格だから取り込んだ洗濯物を畳まず山積みにしたり、ペットボトルのゴミを部屋の隅にジェンガの如く積み上げることもあるけれど共用スペースは汚くしないしそれなりに気は使える。

「そういうことじゃねぇよ」
「じゃあ何が不満なの?」

ココくんは私の顔を見て盛大なため息をついた。まさか私の顔が嫌いってこと?毎朝視界に入れることすら耐えられないって理由ですか?

「オマエは自分の立場を考えろ」
「つまり私とは同じ空気すら吸いたくないってことね……流石に泣く」
「はぁ?何勘違いしてんだよ。フツーに考えて男女の二人暮らしはないだろ」

言われてみれば確かに。でも部屋にはそれぞれ鍵も付いてるしトイレも一階と二階にそれぞれある。お風呂と洗濯物さえ気をつければ問題はない気がするんだけどなぁ。

「あっもしかして彼女とかいた?」
「いねぇけど」
「ならよくない?」

大学でできた友達は既に一人暮らしをしているか実家暮らしだ。他に声を掛けられそうな人もいない。それに男の人の方がいざというとき安心できる。しかもそのお相手がココくんともなれば最高の同居人では?

「へぇ」
「え?」

これは一体どういうことか。ニヒルな笑みを浮かべたココくんが徐に立ち上がった、かと思えばL字型ソファの斜め前に座っていた私の元へと近づいてくる。私はその様子をぼーっと眺めることしかできなくって。気付いたら後ろの背もたれに腕をついて私に覆いかぶさるココくんがいた。

「ちょっと近いんだけど」

この時間はメイク崩れをしているから至近距離で見ないでいただきたい。その意を込めてココくんを押し返そうとしたところで手首が掴まれた。細身なのに意外と力はあるらしい。私の腕はびくとも動かなくなってしまった。

「オレが本気出せばすぐにでも襲えンだよ」

ぐっと顔を近づけられ体を引けば体が深くソファに沈み込んだ。これは逆に悪手だったかもしれない。より身動きが取れなくなりみるみる距離は近づいていった。それはココくんの長い黒髪が私の頬を擽るほどで。そして鼻先が触れるまで、あと一センチ———

「もう分かったろ、オレは帰る」

パッと体がはなされ視界が明るくなる。今まで相当近い距離にいたせいであろう、部屋の照明が眩しいくらいだった。

「ちょっと待って!」

玄関へと向かっていったココくんを慌てて追いかける。こんなことをされてしまえば女の私も黙っていない。ココくんに確かめなければいけないことがある。だってそうじゃないとこれからどんな顔をして会えばいいのか分からないから。 

「スキンケア何使ってるの?」

毛穴も開いていないきめ細やかな肌なんて羨ましすぎる。
私が詰め寄ってそう聞けばココくんは再び吹抜けの天井を仰ぎ見て。そして今日一大きなため息をついていた。





週末、日用品の買い出しにドラッグストアへと出掛けた。家に届いたチラシで特売セールをやっていたことは知っていたけれど広告以外のものもかなり安かった。だから一人暮らしであるにも関わらずつい大量に買っちゃったよね。

「ぎゃっ?!」

そして私よりも先に悲鳴を上げたのは袋の方だった。手持ちのビニールのところが切れコンクリート上に物が散乱する。しかもあろうことか一本のスプレー缶が前を歩く男の人の足元まで転がってしまった。

「……?」
「すみません!」

そして親切にもその人はそれを拾い上げてくれた。これがオレンジやリンゴなら恋の一つも生まれたかしれないけど残念ながらGジェットである。

「どうぞ」
「はい。ありがとうございま——え?」

受け取ろうとしたところで、ひょいっとそれが目の前から消えた。反射的に真上に掲げられた男の人の腕を見上げる。そしたら見知った顔が目の前にあった。

「イヌピーくん?!」
「久しぶり」
「髪なっが!」
「それ今言うことじゃねぇだろ」

特攻服でもなく、また鉄パイプも持っていなければただのイケメンである。かつては死んだ魚のような目をしていたが今は瞳の蒼が空と馴染むくらいに澄んでいた。イヌピーくんと会うのも半年ぶりくらいだ。黒龍が解散してしまえばうちに来ることもなくなって、やはり自然と疎遠になっていた。

「何やってんの?」
「買ったものをぶちまけました」
「見ればわかるわ」

じゃあ聞くなよ、と言いたかったが直ぐに屈んで散らばった物を拾い集めてくれたので慌てて言葉を飲み込んだ。ココくんもだったけどイヌピーくんもかなり雰囲気が変わったな。でも大寿くんもそうだった。黒龍は東京卍會というチームに負けて解散したと聞いたけれど、負けを知ることで人は変わるのだろうか。敗北を知って強くなる、的な。

「どんくさ」
「鈍臭くはないの。許容量を超えて買い物しただけ」
「威張って言うことか?」

文句を言いつつもイヌピーくんは全部拾ってビニール袋に詰めてくれた。しかし片方の持ち手は切れているわけで、どちらにせよ抱えて帰るしか方法はなさそうだ。

「それ腕に乗っけてもらってもいい?」
「家はこの近く?」
「そうだけど」
「こっち?」
「うん。あ、ちょっと待ってよ」

イヌピーくんは荷物を軽々と持ち上げさっさと歩いて行ってしまう。そういえばマイペースなイヌピーくんにココくんも振り回されてたっけ。でも有難いことには変わりない。素直にお礼を伝え、追い付く形で隣に並んだ。

「イヌピーくんはこんなところで何してたの?」
「職場に携帯忘れて取りに行ってた」

どうやら近くの整備工場で働いているらしい。将来的にはバイク屋をやりたいらしく実務経験を積みながらお金を貯め資格取得の勉強もしてるんだって。同い年なのにもう社会に出ているなんて、素直にすごいと思う。

「そっちはすぐそこの大学に通ってんだろ」
「よく知ってるね」
「ココに聞いた」

黒龍解散後もまだ交友関係は続いているらしい。意外なようなそうでないような。二人とも淡白そうに見えて男の友情に熱いタイプなんだな。

「運んでありがとう。うち、ここだから」
「デケェ家。つーか引っ越したわけ?」
「ううん。大寿くんから借りてるんだ」
「マジか」

門の鍵を開け敷地内に入ってもらう。分かりやすくきょろきょろと辺りを見回すイヌピーくんは子供みたいだった。

「ガレージがあんなら好きなだけバイク弄れるな」
「そこ?家についての感想はないの?」
「デカいと思う」

そして感想自体も子供のそれだった。でもイヌピーくんらしくていいと思う。
家の中へと招き入れダイニングテーブルに荷物を置いてもらった。私がお茶の用意をしている間、イヌピーくんはリビングをウロウロしていた。そして窓を開けたと思ったらそのままつっかけを履いて庭の方へと行ってしまった。自由か。

「もう満足した?」
「おう。この家ほんとスゲェな」

お茶の準備が整ったところでイヌピーくんは戻って来た。庭から回ってあのガレージをもう一度見に行っていたらしい。鍵は掛かっているが小窓から中を見てきたとのこと。

「そんなに気に入ったの?」
「あぁ、オレも住みたいくらい」
「ほんと?!」
「え、あ、うん」
「じゃあ一緒に住もう!」
「は?オレとオマエで?」

喉まで出掛かった「うん」の返事を慌てて飲み込む。このままではココくんの二の舞である。

「ううん、ココくんもいるよ」
「え、マジ」

今は嘘でもこれを現実にしてしまえば嘘ではなくなる。そう理論立てて大嘘をついた。でもこれならココくんも納得するでしょ。私との二人暮らしではなくなるうえに友達のイヌピーくんがいると分かればハッピーライフは待ったなしだ。

「すぐには決めらんねぇけどちょっと考えてみるわ」

そう言ってイヌピーくんは帰っていった。でもその前にガレージの中を見せてあげたら尻尾振って喜んでいたのでいい返事が聞けそうである。





「オイ、面かせ」

なんと人生初のナンパに会ってしまった。でもその相手が眉間に皺を寄せこめかみに青筋立てて長いピアスを揺らしている怖そうな人だったので丁重にお断りした。

「ふざけんな」
「ココくん、そこそこイケメンだからってそんな誘い方じゃあ女の子は釣れないよ」
「釣れないんなら連れてくわ」

言うが早いか腕を掴まれ強制的に引きずられていく。この講義の後は一時間コマが空くから友達とカフェテラスに行ってみようって話してたのに。
そして人気のない廊下にまで連れて行かれたところでようやく手が離された。

「聞いてねぇんだけど」
「何が?」
「いつの間にオレとオマエとイヌピーの三人で暮らすことになってんだよ」
「知ってるじゃん」
「イヌピーに聞いたんだよ」
「じゃあ聞いてるよね」
「揚げ足とんな」
「いだっ」

ストン、と頭頂部に落とされた手刀が地味に痛い。将来禿げたらどうするんだと摩りながら頭を上げる。

「二人ならダメだけど三人なら問題ないでしょ」
「人数の問題でもねぇんだよ。勝手に決めんな」
「確かにそれは悪かったと思うけどイヌピーくんは前向きに考えてくれてるよ」

家にきたその夜にイヌピーくんからは連絡を貰っていた。親の許可は取ったからいつでも行ける、と。

「だからもうほぼ決定事項なの」
「ったく……」

ココくんは風船の空気が抜けるくらい長ーい息を吐き出して文字通り頭を抱えていた。なんかココくんって色々と難しく考えすぎな気がする。もっと気楽に生きてけばいいのに。

「とりあえず今度の土曜うちに来てよ。その時にちゃんと返事聞かせてね」

私が一方的に取り付けた約束に、ココくんは渋々頷いた。





玄関のチャイムが鳴って玄関へと急いで向かう。インターホンもあるけれどそんなの確認する方が野暮な話だった。

「いらっしゃい!」
「…どーも」
「バイク、そっちに停めたけど大丈夫だった?」
「うん。上がって」

イヌピーくんはココくんをバイクの後ろに乗せて来たらしい。だからてっきりココくんもこの家に住むことに了承してくれたものだと思っていた。でも開口一番、「オレは住まねぇからな」と言われてしまった。

「えー…やっぱりダメ?」
「ただの学生が管理人もいない一軒家に住むこと自体よくねぇだろ」
「大寿くんの許可は貰ってるよ?」
「つっても大寿だってオレらとタメだろ。オマエも実家から通えンならそっちの方がいいんじゃね」

ココくんの意見は大人の意見だった。つまりは正論。だから順序立てて説明されてしまえば私は何も言えなくなってしまった。

「空き家になった真一郎クンのバイク屋」

その時、今の今まで完全に空気だったイヌピーくんがポツリと言った。

「あの二階の汚ねぇソファで駄弁りながら朝迎えんのも楽しかったろ」

ココくんの方を盗み見れば何とも言えない微妙な表情をしていた。生憎イヌピーくんの言ってる事は分からない。でも二人にとってそれが大切な思い出ということだけは理解できた。

「そうゆうの、またできたらよくね?」

仲間も増えたし、と言って私に視線を投げかけたイヌピーくんに大きく頷く。

「っつてもよぉ…」 
「そっかぁやっぱりココくんは難しいか。じゃあパーティーは二人でしよっかイヌピーくん」
「うん?」
「は?」

未だに渋るココくんに、私は見切りをつけるように言い放った。こうなったら押してダメなら引いてみろ作戦である。先ほどのココくんの言葉は、確かに正論ではあるけれど自分を正当化させるための言い訳にしか聞こえなかった。

「二人が来るっていうから頑張って料理作ったのになーポテサラもハンバーグも唐揚げもサンドイッチもデザートのプリンまで作ったのになー」
「だからいい匂いすんのか」
「そう!」

すん、と鼻先をキッチンへと向けたイヌピーくんナイスジョブ。

「でもココくんは私達と一緒に住んでくれないみたいだから二人で食べよっか」
「ココ、本当にいいのか?」

ココくんが食べ物程度に釣られるとは思ってない。でもイヌピーくんのこの問いかけは絶対に効いているはずだ。
当初の目的としては一人暮らしさえ解消されればよかった。でもココくんともイヌピーくんとも再会して、私の中でこの家で三人で暮らすビジョンが見えたのだ。それこそソファで駄弁って他愛もない会話をする姿が。

「ったく、わーったよ!オレも住む」
「えっ本当?!」
「オマエら二人だけなのも不安だし」
「やったね、イヌピーくん」
「おう。これからよろしくな」

二人にリビングに入ってもらい料理をダイニングテーブルへと運んだ。そしたらココくんが「土産」といってロールケーキをくれた。この大きさ、絶対三人で食べるように買ってきたでしょ。つまりはもう答えが出ていたわけだ。

「じゃあ同棲おめでとうってことで乾杯しようか」
「それは色々と語弊があるからやめろ」
「じゃあ同居?」
「せめて英語にしろ」
「同じはサムで住むはライブだからー…サムライブ…?」
「イヌピーは無理しなくていいから……」
「ああ、そういうこと!」

個々の部屋はあるけれどキッチン、浴室、トイレなどは共同で使う。大きなテレビは同居者の憩いの場になって夏になったら庭でバーベキューをしてもいいかもしれない。住んでいる人同士の共有と交流を楽しむ、みんなでシェアして暮らす家。

「じゃあ改めて三人のシェアハウスの始まりを祝って」

乾杯!

この日から私達の共同生活が始まった。