妹はプリンセスとなって命を落とす

ナイトレイブンカレッジは高校と言うよりも大学だ。四年制の全寮制だし。カレッジって日本だと大学って意味じゃなかったっけ。そう呟けば「ここだと英国圏の色が強いのね」と色々と教えてくれた妹の言葉を私は半分も理解できなかったのだけど。

「ケイト先輩ちょうどよかった!マオを見てませんか?」

スマホ片手に廊下を歩いていたケイト・ダイヤモンドに声を掛ける。
いいなぁスマホ。私だって欲しいけど、身寄りなしの私達をタダでこの学校に通わせてくれているのだから学園長に我儘を言う事はできない。

「やっほーマコちゃん!えぇっと君の兄弟は残念ながら見てないかな」
「そうですか…あっトレイ先輩!」

こちらに歩いてきたトレイ・クローバーに向かって手を振る。
二年の先輩方に一年の校舎近くで合うのは珍しいなと思いながらも私は同じ質問をトレイ先輩に投げかけた。

「それなら西校舎のテラス席で見かけたぞ。リドルと一緒にいたな」

なるほど、どうりでクラスに居なかったわけだ。
マオはリドルと同じ一年A組で、B組の私と別のクラス。授業を終えてすぐに行けば会えたのかもしれないけれど、クルーウェル先生の補習授業に捕まっていた私はどうやら出遅れてしまったらしい。

「なになに?そんなに急ぎの用事なの?」
「急ぎと言うほどでもないのですが良い物を貰いまして。それを早くマオにも渡したいんです!」
「へぇ。相変わらず君ら双子は仲がいいな」

そうでしょ?もっと言ってよトレイ先輩!そう言えば子供をあやす様に何度も言ってくれた。ケイト先輩はというと「女兄弟は…」と自分のお姉さんたちを思い出したのか盛大な溜息をついていた。


無駄に長い廊下と階段を進み、テラス席へとたどり着く。
天気の良い放課後なだけあって、お茶を楽しむ者や談笑をしている生徒が多く見られた。その中で一際真っ赤な林檎のような髪色の彼を見つける。その隣には探していた妹がいて、嬉々として私は二人へ近づいた。

「昔は猫の足音、女の髭、岩の根、熊の腱、魚の息、鳥の唾液が必要と言われていたけれど今では大分手法が変わってきているんだ。何よりコスパが悪いからね」
「そうね。女の髭の代わりにハイエナのそれを、熊よりも音楽室のゴーストの足の方が安く済みそうだし人魚も魚の一種なのだから代用可能ね。あら?今すぐにでも作れそう」
「……君は何を作ろうとしているんだい?」
「だから“魔法の足枷グレイプニル”でしょう」
「二人とも何の話をしているの?」

何が面白いのかマオはくすくすと笑っていた。仏頂面が多いリドルも何故だか楽しそう。意味がよく分からないがマオが笑えているのなら私は理由など何だってよかったのだ。

「あら姉さん、もう補習の方は大丈夫なの?」
「な、何とか…二人は何をしていたの?」
「マオが錬金術の授業で分からないところがあるからと勉強を教えていたんだ。だけど、いつの間にか魔法史の話になって……」
「一獲千金を狙えないかと商品開発の案を出していたのよ」
「違うだろ!」

真っ赤な顔で怒るリドルを他所にマオは笑う。でもリドルも満更ではない様子ですぐにいつもの顔に戻って小さく笑っていた。

「まぁ、僕が教える必要がないくらいマオは優秀だったよ」
「リドルさんの教え方が上手いからよ」
「それは光栄だ。また困ったことがあれば聞くと言い。同じクラスだから気兼ねもないだろう。じゃあ僕は失礼するよ」
「ありがとう。また明日ね」

リドルを見送って彼が先ほどまで座っていた席に腰を下ろす。
教科書やノートを片付けているマオの目の前に二枚の紙を置いた。今日、貰ったばかりのそれをマオは不思議そうに手に取った。

「『モストロ・ラウンジ開店半年祝い割引チケット』これどうしたの?」
「同じクラスのアズールに貰ったの!それ一枚でドリンク一杯半額になるんだって」
「『ただし一枚に付きフードメニュー一品をご注文のこと』と書かれているわね。飲み物は一番単価が低いから良いところに目をつけたわよね、さすがアズールさん」

チケットの端に書かれていた注意書きに目を見張る。なんだ、結局アズールに得がするようになっていたのか。あの人がタダでチケットをくれるなんてちょっと変だなとは思ってたんだよなぁ。

「でもいいでしょ?偶には行ってみましょうよ!」
「う〜ん……モストロ・ラウンジにはあの双子がいるでしょう?」
「おや、呼びましたか?」

手元が陰り、マオと二人して顔を上げる。一九〇センチ以上の人なんて元の世界でも見たことがないのに、この世界には当たり前にそれくらいの人間がそこかしこに居るのだ。まぁそれよりも獣耳の生徒の方に驚いたのだけど。

「別に呼んでいませんよ。今日はジェイドさんお一人なんですね」
「えぇフロイドは気分が乗ったからと部活の方に行かれましたから」

私自身、この双子の片割れであるジェイドとは話をしたことがない。フロイドには偶に絡まれるけど。しかし同じクラスのマオ曰く、ヤバイ人達らしい。そんなことは周知の事実だがマオにとってはフロイドよりもジェイドの方が厄介だと言う。腹の奥底に何を考えているのか分からない、と珍しく愚痴っぽく話してくれたことを覚えている。

「では私は図書室に本を返してきますので。姉さんは先に寮に戻ってて」
「ふふふ随分と嫌われていますねぇ」

マオは机の上に最後まで置かれていた本を抱えて席を立ってしまった。
ふとジェイドを見上げると意味ありげに舌なめずりをしていたので確かにヤバイ奴だと実感した。しかし、これはせっかくの機会であると私は身を乗り出してジェイドに近づいた。

「あの!マオはクラスでどんな様子ですか?あの子にはここに来る前の記憶がなくて…上手くやれていますか?」

妹には元の世界の記憶がない。私だってここに来るまでの記憶は曖昧だがマオに至っては名前も年齢も私と双子の姉妹であることすら覚えていなかったのだ。それを不憫に思った心やさしい学園長がオンボロ寮という居場所と学校に通う許可をくれたから良かったものの、下手したら二人で行き倒れていた。
私としては無理に過去のことは思い出させたくない。でもそれで虐められていたりしてないか心配だったのだ。ただでさえ、女二人はこの学校では浮きすぎる。

「そうでしたか。僕から見たら上手くやれていると思いますよ。リドルさんやシルバーさんと話しているのを見かけますし、もちろん僕も彼女に挨拶くらいはしますよ」
「昔の事を話していたりはしませんか…?」
「さぁ?」

それならいい。さっきだってリドルと楽しそうに話していたじゃないか。私がこれ以上心配する必要はない。
ジェイドは制服の内ポケットから二枚の紙を差し出した。それは私がアズールから貰ったものと同じ形をしていたが色が違った。

「こちらはドリンク無料券になります。もちろんワンオーダー制ですがよかったら」
「…なにか裏があったりとかは?」
「マオさんと同じことを言いますね。同じく双子のよしみとして僕の優しさですよ」

どうも胡散臭いがまぁ同じ双子として今回は信じてみよう。するりと彼の手からチケットを頂いた。マオはあまりいい顔をしなさそうだが、帰ったらこのチケット片手にもう一押ししてみよう。最近のあの子はどうにも引きこもりがちだから。

「ありがとう」
「いえいえ、それではまた」

ジェイドを見送り、周囲を見回す。
耳や角を生やしたもの、背の高い人間も多くいて、少し先では箒に乗って空を飛んでいる者もいる。

もちろん、私達に魔法は使えない。
まるで御伽噺のような世界が目の前に広がっている。

記憶なんかなくたっていい。
だって私達はこの世界で新しくやり直すのだから。





渋るマオの背中を押して、私は土曜の午後にモストロ・ラウンジへと訪れた。
やはり皆、例のチケットを持っていて中々に込み合っていた。ニ十分ほど待たされてようやく私達の番となった。

「おまちどうさまっス」
「あ、ラギーだ。ここでバイトしていたの?」
「おっマコくんじゃないっスか」

同じクラスのラギー・ブッチ。彼はトレーの上に水の入ったグラスをいくつか乗せて私達を席へと案内する。

「今日は妹さんと一緒なんスね」
「そうよ。マオ、この人は同じクラスのラギー」
「こんにちは」

控えめに挨拶をしたマオの事を見て、すぐにラギーは私へと視線を移した。彼の大きな耳はピクピクと僅かに動いている。

「双子って言っても思ったより似てないっスね」
「そう?」

背格好はほぼ同じ、前髪の分け目は違うけど長さも色も揃えているから特に似ているはずなのに。でもどちらかと言えばマオの方が表情も乏しく落ち着いているから性格は真逆ねとよく言われる。先日もトレイ先輩にどっちが姉か分からないと笑われたばかりだ。

「まぁリーチ兄弟もー…って今は無駄話してる暇なかった。じゃあオーダー決まったら呼んでくださいね」

ラギーは私達を席へと案内しテーブルにグラスを二つ置いてすぐにカウンターの奥へと引っ込んだ。確かにこの人数を捌くのは今いるホールスタッフを数えただけでもかなり大変そうだ。

「姉さんはどれにする?」

半ば無理やりではあったがきてみれば大人しいもので、マオはメニュー表を開きながら楽しそうに眺めていた。

「マオはもう決めたの?」
「う〜ん。飲み物はダージリンにして、ケーキはショートケーキとフルーツロールどっちにしよう……」
「じゃあマオが頼まなかった方を私が頼むよ。それで半分こにしよ」
「えっいいの?」
「もちろん」

目をキラキラとさせて「ありがとう姉さん」というマオを見るだけで私の心は満たされる。
みんな見てよ!今日も私の妹がこんなに可愛い。
ドリンクとケーキを注文してお喋りをしながら運ばれてくるのを待った。しばらくして、私達のテーブルで一人のスタッフが立ち止まった。

「ようこそモストロ・ラウンジへ。大変お待たせいたしました」
「アズールじゃない!支配人も給仕をするのね」
「今は込み合ってますからね。ヘルプで入っているだけですよ」

猫被りの営業スマイルが素敵なことね、といつも嫌味たらしい彼に言ってやりたかったけどせっかくのケーキが不味くなりそうなので黙っておいた。
私の目の前にはオレンジジュースとショートケーキを、マオの目の前にはティーカップとフルーツロールが置かれる。

「ご注文の品になります。因みにダージリンはファーストフラッシュになりまして腕のあるスタッフが淹れたものになります」
「ジェイドさんかしら?」
「ご名答」

マオは一つため息を付いて鞄の中から紙袋を取り出した。やけにガサガサと音がすることからどうやら中はビニール袋の二重構造になっているらしかった。

「アズールさん、これをジェイドさんに渡してもらってもいいですか?」
「なにそれ?」
「私が育てているしめじよ。この存在がバレてからあの人に付きまとわれるようになったの」

マオがオンボロ寮の隅でキノコやらトマトやらを育てていることは知っていたがそれが狙われていたのか。まぁ常に節約をしながら生きる私達にとって食料を奪われるのは死活問題だからなぁ。

「おや、じゃあ貴方が直接渡してください。ジェイドは今休憩に入っていますから」

マオの顔は明らかに嫌そうであったが、繁忙時間に呼び止めるのは悪いと思ったのか席を外しスタッフルームの方へと歩いて行った。食べてから言っても良かったのに。思い立ったら行動するところは記憶を忘れても相変わらずなんだな。

「ところでマコさん、貴方お困りごとはありませんか?」
「はい?」
「テスト結果はおおよそ赤点、魔法薬学の授業では薬品を爆発させ、優秀なご姉妹を持つ貴方には悩みの一つや二つあるのではないかと」

確かに私よりマオの方が何倍も優秀だ。そんなことは私が一番分かってるし。でも私はマオに嫉妬するほどもう子供じゃないんだから。それとアズールのこういうところが憎たらしくて、嫌い。

「余計なお世話です!」
「これは失礼いたしました。でも、僕と契約さえして頂ければ貴方の望みは何だって叶えて差し上げますよ。お困りごとがあればぜひ」

完璧な営業スマイルを決めてアズールは店の奥へと戻っていった。
そして紅茶が冷め切る前にマオは戻ってきた。代わりに倍以上のキノコの入った袋を抱えて。引き換えに貰ったと言ったキノコを見て、しばらくはキノコ生活だなと私は悟った。

気を取り直してケーキを楽しむ。ショートケーキの苺はもちろんマオに上げた。
少し子供っぽく目を輝かせて頬張った妹はやっぱり可愛くて。
これこそ私が望んだ世界なのだと思った。





私達の関係に僅かに亀裂が入ったのは、とある満月が綺麗な夜の事だった。

マオは時折夜にオンボロ寮を出て散歩に行く。静かな夜は特にインスピレーションが沸くと言ってふらふらと出歩くのだ。本来なら着いて行きたいところだけどゴーストや暗いところがめっぽう苦手な私は早々に布団に包まって眠るのだ。

その日はいわゆるスーパームーンということで、少しだけ興味も持った私は窓のカーテンをこっそり開けて空を見上げた。

マオも散歩をしながらこの月を見ているのだろうか。そう思いをはせた時、視界の端に強い光が見え、私は身を隠すようにカーテンに巻き付いた。火の玉?怖いけども好奇心もそそられて、もう一度勇気を出して外を見る。
もう火の玉はない。その代わりにマオと、角の生えた男の人が一緒にいるのが見えた。外見があまりにも人間離れしているしディアソムニア寮の生徒?一年じゃないから先輩かな。
遠目からでもエメラルド色の瞳が本物の宝石の様に輝いて見えた。今宵の月の光も相まって、私はその名も知らぬ男性に一目ぼれをしたのだ。

「マオ!昨日の夜一緒にいた人は誰?」
「角の生えた人の事?よく知らないわ」

よく知らない?名前は?学年は?どの寮かも分からないの?
マオは知らない分からないの言葉を繰り返すばかり。分かったことと言えば彼はガーゴイル好きのガーゴイルオタクで夜散歩をしているということと、満月の日によく会うという情報だけだった。
なぜ今まで話さなかったの?と聞けば「姉さんには興味のないことだと思って」と言われてしまった。何よそれ、私はどんな些細な事でもマオに話しているじゃない!



それからはどうにも互いに口数が減った。といってもいつも私が話をする側だったからそれが減っただけなんだけど。

「アンタ、やる気あるわけ?」
「へ…?」

選択授業である魔法薬学の時間、私とペアであったヴィル・シェーンハイトは眉間に皺を寄せ不機嫌そうに見下ろしていた。それもそのはず。私はあの角の生えた彼がいないか教室中を見回していたのだから。

「今日の授業は二年が一年に手順を教えるのよ。それが互いの成績評価に繋がるの。この意味を分かっているのかしら?」
「も、もちろんです」
「じゃあ何故そんなによそ見をしているのよ?」
「妹が心配で。大丈夫かな、と…」

一応、嘘は言っていない。
マオは日直当番だからと今朝はろくに顔も合わせず寮を別々に出たのだ。それと、今マオとペアになっているのは留年を繰り返しているというレオナ・キングスカラーだ。今は普通に授業を受けているようだけど、今日の実験は温度や湿度調整も細かく決められているから先輩の助言がないと難しい。

「あの子、アンタの妹なの?」
「はい、双子の妹なんです」
「妹、ねぇ……」

と話していると私達の視線に気づいたのかレオナ先輩がこちらを向いた。
ライオンの彼に睨まれ一瞬背筋が凍ったが、どうやら彼の感心は私ではなくヴィル先輩にあったようでニヤニヤした顔つきで笑っていた。無駄に良い顔である。

「レオナったら本当に顔だけはいいんだから」
「あの〜…」
「なに?アンタ、もしかしてあの男の方が美しいと思っているの?」
「いえ、そんなことは!先輩、実験を始めましょう!私はシダの花をすり潰しますね」

その後、こっそりと盗み見たマオとレオナ先輩は意外にも上手くやれていたようでクルーウェル先生からお利口さんだと頭を撫でられていた。とんだセクハラだ。でも羨ましい。
片や私はヴィル先輩に怒られつつもなんとか補習を回避した。

その日の放課後、私は久しぶりにA組へと訪れた。今日の授業の話をキッカケに仲直りできたらいいなと思って。といっても喧嘩していると思っているのは私だけかもしれない。
教室を見回すもマオの姿は見当たらない。あ、日直だったっけ。それなら今頃職員室に日誌を出しに行っているに違いない。

「あの、すみません。マオはいますか?」

一応確認のために近くに居た銀色の髪の子にマオの居場所を訊ねる。

「日誌を出しに今は職員室に行っている。だが、荷物は置いて行ったから戻ってくると思うぞ」
「ありがとうございます」

予想通りの答えだ。でもそれよりも私は彼の来ていたベストの色に目を奪われた。寮ごとに違うその色は綺麗な緑色をしていた。間違いない、ディアソムニアの生徒だ。それならあの角の人のことを聞くチャンス。

「すみません!角の生えた男の人を知りませんか?身長は高くて瞳はエメラルドの色をしているんですけど…」
「…マレウス様のことか?」

そういって彼はスマホを弄り一枚の写真を見せた。
そうだ、この人だ!遠目で見た姿よりもとってもかっこいい。指通りの良さそうな黒髪に、エメラルド色の瞳、勇ましい角の生えたその人に私は増々惚れ込んだ。
その後も彼(シルバーというらしい)から先輩がどんな人か聞き出し(何故か半分寝ぼけながら答えていたが)マオが帰ってくるまで彼を捕まえていた。

その日は以前の様にマオとお喋りをしながらオンボロ寮へと帰った。
でもマレウス先輩の事は言わない。だってマオは興味がないんでしょう?なら私が話す必要なんてない。一度も話したことはないけれど、マオよりも私の方が先輩の事をよく知ってるんだから。
そんな優越感に浸りながら次の満月の日に思いをはせた。





満月の今日———

私はとっておきの夜を過ごすため朝から準備を進めていた。
寮での家事分担に関して、私達は当番制で行っている。順当にいけば今日の夕食当番は私だったけれど、何とか理由を付けてマオに代わってもらった。お風呂の掃除当番もマオだからこの分なら夜に散歩に行く時間はないだろう。その代わりに私が行く。別に悪い事をしているわけじゃない。ほんの少し下心があるだけ。

「ねぇ超ひまなんだけどー」
「うぐっ…ちょ、フロイド、くるしい……」

安定の補習組であるフロイドと共に課題を終えた後、見事に教室で捕まった。長い腕で後ろから首をホールドされるのは中々に死の危険を感じるのだが。
フロイドには悪いが私は忙しい。帰ったら一度シャワーを浴びたいし化粧だってしたい。

「私、用事があるんだけどっ」
「そーいえば、あの不味いやつ食べた?」
「不味いやつ?」
「キノコだよキノコ。ジェイドがあげてたでしょー?」

あぁ、しめじと引き換えに貰ったあれか。キノコソテーやらシチューやらスープで消費していたのだが二人でもあの量はさすがに多かった。ようやく今晩で消費しきれるといったところだ。

「美味しく頂いてるよ」
「へぇ。体調はどう?お腹とか痛くなぁい?」
「は?」

半月上の目に、ギザギザの歯を光らせて彼は笑った。

「別に……」
「あっそォ?じゃあ今晩あたりかなぁ。あの中に毒キノコ入ってたからさー」
「嘘でしょ!?」

身をよじって彼の腕から抜け出す。確かにあの中には色々な種類のキノコが入っていた。でもそれはキノコに詳しいジェイドがくれたもので、マオだって寮に帰ってから本とにらめっこして安全なものか調べていた。

「あははは!おもしれー顔!」
「なっ!?やっぱり嘘じゃない!」
「えー?でもさぁ人間だと双子は不吉の象徴なんでしょ。一方は殺されて〜とか言うじゃん」

はぁ?いつの時代の話をしているんだ。少なくとも私のいた世界の時代では、寧ろ双子の方が人気があったし、もてはやされていた。というか、君らも双子ならその理屈が通ってしまうのでは?

「はぁ?俺、人間じゃねーし。人魚だよ。アズールもジェイドも人魚だし」
「えぇ!?人魚ってうそ!?存在してたんだ…」
「うっわマジ萎える。フツー気付くでしょ。っていうかその反応はマオで見飽きたわ」
「マオは知ってたの?」
「うざっ俺帰るわー」

機嫌の悪いフロイドには近寄るべからず。
私達はそれ以上言葉を交えることはなかった。

外に出ると日はとっくに暮れていて、東の空からは満月が顔を出していた。
オンボロ寮ではゴーストたちと会話をしながら夕食の食器を並べていたマオが待っていた。
「おかえり」と言われて席へと着くとキノコたっぷりのグラタンが用意されていた。ホワイトソースに絡められ、チーズが乗ったそれは私の料理よりもはるかに美味しそうだったけれど、ふとフロイドの言葉を思い出す。マオのお皿はピンクで私のは水色。もし私の方に毒キノコが入っていたら…少し怖くなって私は体調不良を偽って夕食を食べなかった。

なんかマオばかり優遇されている気がする。
私は記憶がない妹の為にこんなにも気を使ったりしているのにあの子はマイペースに生きている。それなのに皆があの子に構う。なんで?

もやもやした気持ちは風呂場で流し捨て、髪をとかし化粧をして夜が更けるのを待った。
マオに見つからないようこっそり部屋を出る。寮を出る前にマオの様子を確認すると談話室で縫い物をしていたから当分はあそこから動かないだろう。

オンボロ寮の裏手、壊れかけのガーゴイル像があるところで彼が来るのを待つ。

「お前は誰だ?」

声が聞こえ、慌てて振り返る。
音も気配もなくゴースト嫌いの私は縮こまりそうになったけれど、彼の姿を見て眩暈で倒れそうになった。画面越しに見た姿よりも実物はかっこいい。そして威厳ともいうべき迫力があった。つい頭を下げてしまいたくなるような強者としての威厳。

「マオはどうした?」
「え…?」

満月と言えども外灯もない夜に、なぜ後ろ姿だけで分かったの?
どうしてマオなの?
貴方も妹がいいの?
なんで?

「マオは?」
「あ…えっと、妹は調子が悪いみたいで…。あのっ私は姉のマコです!妹からマレウス先輩の事を聞いてお話してみたいと思っていて……」
「話し?あいにく僕も暇じゃないんでな。すまない」

瞬きひとつの間に彼は姿を消してしまった。
暇じゃない?ならマオに声を掛けるのはおかしいじゃない。

この世界はどうにも生きづらい。





私とマオの何が違うの?

そんな疑問を解決するため私はマオを観察することにした。
同じクラスのリドル、シルバー、リーチ兄弟はもちろんのこと、別クラスの嫌味なアズールでさえマオには素直に笑っているように思える。授業で会えばケイト先輩やトレイ先輩とも会話をする。ラギーもこの前知り合ったばかりだというのに廊下で会えば挨拶をする仲だしいつの間にかレオナ先輩にも気に入られていた。昼時に私が声を掛けなければスカラビアの生徒に一緒に食べようと誘われていた。
なんでマオばっかり。

お困りごとがあればぜひ———

アズールに言われたその言葉が私の足を自然とモストロ・ラウンジまで動かした。
VIPルームまで案内され重厚な椅子に腰かけたアズールと対面する。彼は私が来ることが分かっていたように、それはそれは嬉しそうに問いかけたのだ。

「さぁ、貴方の望みを———」
「マオが、……“妹がいなくなる薬”をください」

見知らぬ土地に来て、元の世界での常識が通用しないこの世界で、私は十二分に頑張った。
そろそろ私が幸せになってもいいじゃない。

マオの居場所は元の世界で、私の居場所はここよ。





アズールから契約をして手に入れた薬。使用方法としては飲み物に混ぜるといいと教えてくれた。
対価はというとそれは後日でいいと言われた。後でどのような条件が下ろうとも私は目の前の目的を果たすのに必死で二つ返事で受け入れた。

でもいざ使おうとすると手が震え、中々踏ん切りがつかない。
とうとうサマーホリデーに突入し、明日には新学年を迎えるという日にマオが学園長に呼び出された。

「学園長、何の用だったの?」
「ドワーフ鉱山というところから魔法石を取って来てほしいんですって」
「マオひとりで?」
「うん」

学園長もマオばかり頼りにするのね。
それがついに引き金となり私はあの薬を使う時が来たのだと確信した。

「私も行くわ。マオ一人で行かせるのは心配だもの」
「でもあまり良いところではないそうよ」
「なら尚更着いて行くわ。可愛い妹を一人でなんてとっても不安だわ」

もっともらしいことを言って私はマオと一緒に寮を出た。
鏡の間では扉を開くために学園長が待っていて、私が着いて行く事に関して特に言及することなくあっさりと許可をくれた。

ドワーフ鉱山は確かにマオの言う通りで薄気味悪い場所だった。
鉱山までの道のりは昼間なのに暗く、木が鬱蒼と生い茂っていた。私は自分の鞄を握りしめ、マオに怖がっていることを悟られないように懸命に足を動かした。

蝋燭を灯して鉱山の中を進むと行き止まりの岩壁で魔法石を見つけることができた。それは透明な青色の中に黄や赤が滲んでいるような不思議な色合いをしていた。

「ねぇ、少し休憩しない?私お茶とお菓子を用意してきたの」

妹を思いやる姉を演じて私はマオを呼び止める。
鉱山入り口の小さな小屋へと足を踏み入れて、置いてあった椅子に座り一息つく。机の上の埃を払い、ペーパーを広げてクッキーを並べ水筒の中身をマオに差し出した。

「マオ、これを飲んで。リラックス効果のあるハーブティーよ」
「ありがとう」

マオはそう微笑んで私からコップを受け取る。
ハーブティーにはアズールから貰った薬が入れられている。一応匂いも嗅いでみたが特殊な香りはしなかったが念のために香りが強い茶葉を選んだ。

マオの唇がコップに触れた。
早く早く早くっ!!
マオがいなくなれば私が唯一無二の存在になれる。優秀な妹さえ居なければ、きっと私が皆から愛されるもの。

「姉さんはいいの?」
「え…?」

動作が止まり、真っすぐにマオは私を見つめる。
その目に一瞬怯みはしたが私は視線を逸らさなかった。

「だってこれは姉さんが用意してくれたものだもの。私が先に飲むのは悪いわ」
「そんなことないわ!私の事は気にしないで。姉が妹を思いやるのは当然のことだもの」
「そう。優しい姉さんがいて私は幸せ者ね」

ふふっと花の様に笑ったマオは本当に可愛らしくて。
私は早く消えてしまえと思った。

マオの唇が再びコップに触れる。徐々に傾けていき、喉が僅かに震えていく。コップが離れたマオの唇は中の水分により、妖艶に艶めいていた。
飲んだ?飲んだわよね?飲み切ったわ!

「うっ…なに、これ…くるしい………」

やった。やったのよ。私はやったわ!!
椅子から転げ落ち、虫の様に蠢くマオを見下ろす。部屋に響く苦しむ声が、ぞわぞわとマコに優越感を与えていく。
素直に私の事を立てておけば良かったのに。妹のくせに出しゃばるからいけないのよ。私が一番。元の世界でも、この世界でも私が一番なんだから!

「ねえさん……助け、…」
「誰が姉さんですか。ここであんたとは終わりよ」

それにしても何故マオは苦しんでいるのかしら。“いなくなる”ってマオがこの世界からいなくなるという意味ではないの?元の世界に帰るような……違う。もしかして死ぬって意味じゃ———
その瞬間、一瞬で血の気が引き私は慌ててマオに駆け寄った。

「マオ!?うそでしょ、死んじゃったの!?」

ぴくりとも動かなくない。
うそ、どうしよう。こんなことまでするつもりはなかったの。少しだけ、少しだけ自分にも興味を持ってもらえたらと。そんな欲の延長の願いだったのに。
……でも、ちょっと待って。マオの死こそが私の本望なのではないかしら。契約の時はさすがにアズールにその心の内まで明かすことはできなかった。だって彼に言ってそれを学校中に拡散されでもすれば私の居場所は確実になくなる。でも、“いなくなる=死”とアズールが捉えたのなら後からどうとでも言い訳ができる。

マオが死ねば私が理想とした世界になる!
———と思ったのに、



「ふっ…ふふふ…あはははははははははははっ!!!」

妹の死を確かめるために手を伸ばした瞬間、突如壊れた人形のような音と共にマオの身体がガタガタと動き出した。
突然の出来事と恐怖に、腰が抜けそうになる。が、それも下から伸びてきた手により制される。

「もう遊びは終わりでいいかしら、マコ?」
「マオ!?え、なに、どういうこと…?」

マオの片方の手はマコの腕を掴んでおり、そしてもう一方の手でマコの足首を掴み彼女の重心を崩した。そしてそのまま馬乗りになり「形勢逆転ね」とマオは嘲笑う。

「契約の時くらい正直に言えばよかったのに。そうすれば貴方にも勝算はあったのよ?」
「どいて!契約?なにそれ、適当な事言わないでよ!!」

どうして私が契約をしたことを知っているの。消えてもないし、死んでもない。
全くもってこの状況が理解できない。どういうことよ。
それに、なんでそんなに楽しそうなのよ!?

「中身は何の薬だったのかしら?私を苦しませる薬?呼吸を止める薬?単純に殺す薬かしら?まぁもうどうでもいいのだけれど」

もしかして…嘘でしょ。まさかマオは———

「馬鹿で可愛そうな妹を持つ“姉は私”。あんたマコは私の妹よ」
「記憶が…!?いつから?どうして!!」

息が止まる。いつから、どうして、という言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡る。
今まで私がこの世界に来てからずっとついてきていた嘘。それをマオは気付いていた。マオの目には私がどれほど滑稽に映っていたのだろう。

「最初からよ。あんたが健気に私の世話を焼いてくれるのが面白くてね。元の世界では手が付けられないほど馬鹿だった妹がお姉さんぶってるんだもの。可笑しくて可笑しくて、毎日笑いを堪えるのが大変だったわ」



マオが姉で、マコが妹————
それが事実だった。そして彼女達は双子ではない。

姉のマオは生まれつき体が小さかった。そしてマオの一年後に生まれたマコはすくすくと成長した。物心つく頃には二人は鏡合わせの様に瓜二つ。同じ服に同じ髪型、何をするにも二人は一緒。
ご近所ではちょっとした有名人。しっかり者の姉と愛らしい妹。

マコは自分を甘やかしてくれる姉が好きだった。
買ってもらったぬいぐるみも、やっぱりマオのものが良いと言えばそれは自分のものになった。私がピンク色の服を着たいと言えばマオは青色の服を選んでくれた。マオがショートケーキの苺を最後に食べるのを知っていたけれど、私が横から手を伸ばしてもそれを怒ることがなかった。

マオは私の物。
マオの所有物も私の物。
これからも、この先も。

私より一年早くマオは中学生になった。
久しぶりに離れ離れになった私達。マオは部活に入った。私は遊ぶ時間が少なくなるからやめてと言ったけれどマオはその言葉を聞いてくれなかった。
「私達もそろそろ自立しないとね」
ジリツってなに?これからもこの先も、マオはずっと私と一緒でしょ?だってマオは私の物なんだから。

マオは変わっていった。勉強もできた、運動も出来た、友達も多くできた。彼氏も出来た。
なんで?
そう聞けば母親が「マコがずっと一緒にいたからろくに勉強も他の遊びもできなかったのよ」と笑った。

はぁ?なにそれ。
でもいいわ。マオ程度の人間がそれくらいのものを手に入れれるんなら、私はもっと良い物を手に入れてみせる。

—————なんでなんでなんで!!??
勉強も運動も体格だってそう変わらないのに過ごしてきた環境も同じなのに、マオの様に上手くできない。彼氏はおろか友達も出来ない。なんで似たような外見なのにみんなマオを選ぶのよ。なんで私のことを誰も見ないのよ!?

それからマコは自分を選んでくれる人を見つけるため夜な夜な出歩くようになった。ふと帰って来たかと思えば親の財布から金を取り出しすぐに出ていく。自分のあられもない姿をマオの名前を使い個人情報と共にSNSに上げ拡散した。マオへの誹謗中傷はもちろんのこと、ストレス過度で母親は病み、父親は外に女を作った。

家族も友達も彼氏も社会的信頼も失ったマオはマコを殺すことを決意した。

マオは電話をかけてマコを呼び出す。電話に出てくれるどうかは不安であったが、繋がればこちらのもの。馬鹿な妹には金の話か、いいバイトの話でも振れば簡単に帰ってくる。

殺ると決めた場所は家の階段。
十六歳の私。例え刑事処罰を受けたとしても残りの人生を考えればそんな求刑安いくらいだ。
「マオーどこにいるのよ」
「二階よ。私の部屋に来て」
「チッ…なんで私が行かないといけないのよ」
マコの足音が聞こえる。トントントン、と規則正しく刻む。そういえばこの階段でお姫様ごっこをしたものね。マコがガラスの靴を落として私がそれを拾って貴方を探すの。王子の役も魔女の役も意地悪な義姉さん役も全て私が演じたわ。毒林檎を売る老婆も、人魚姫を人質に王座を奪おうとした海の魔女も、招待状を届けられなかったことに癇癪を起した女も全て私がやった。さぁ、次は何を演じてやろうかしら。
「こっちよ」
「いるんならあんたが降りて着なさ—」
「さようなら」
マコの肩を掴み階段下へと突き落とす。今の私はあれね、王位継承権を得るために実兄を崖から蹴落としたライオンよ。
叫ぶのもままならないまま、マコは身体を打ち付けながら階段を転げ落ちた。あらかじめ家具の配置を変えていただけあって階段下のラックに頭をぶつけ綺麗な赤い血が広がった。
手に残るのはマコの体温。マオは興奮と充実感で顔が火照っていた。心を満たすのは達成感。

殺した。殺してやった。ついに、憎き妹を!
愛らしい妹?そんなことを言ったのはどこのどいつよ。
小さいころからずっとずっとずっと我慢していた。本当はうさぎのぬいぐるみが良かった。私だってピンク色のワンピースを着たかった。ショートケーキの苺はとっておきの味なのよ!
でも私はふと思った。 “理想の姉”を演じることで皆が私を褒めてくれる。尊敬してくれる。
私は“真面目”で“優しい”姉を演じるために妹を利用した。馬鹿な妹をあやす度に皆が私の事を褒め“いい姉”だと言ってくれた。だからずっと甘やかした。妹のどんな我儘だって聞き入れた。

馬鹿な妹から自分が離れればどうなるかなど、マオには容易に想像できた。だからそのまま野放しにした。自分への誹謗中傷?家庭崩壊?そんなもの後から得られる同情や憐れみを得るための過程でしかない。
心の奥底でマオは自分が殺人鬼になってもいいと思っていた。包丁でめった刺しに…とも考えたが、「あくまで今までのストレスが重なって衝動的に殺してしまった」と言った方が字面がいい。結果、自分の過去も明るみになり世間からの同情が買える。皆に“悲惨”で“慈悲深い”人間だと言ってもらえる。憐憫の眼差しを向けられ「気の毒な女子高生」と言われるの。最高だわ。

さて、明け方にでも警察に連絡するか———
そこでマオの記憶は途絶えたのだ。



「転生かトリップかは知らないけど一緒にこの世界に来られたのは好都合。二度も貴方を殺せるんだから」
「待って!お願いだから待ってよ、お姉ちゃんっ!」
「あら、貴方に姉と呼ばれる日が来るなんて思いもよらなかったわ」

「でももう遅いわね」と付け加えて笑ったマオの表情は今までで一番楽しそうな笑顔であった。
マコは身体を捻るがマオを押しのくことができない。何故ならマコは恐怖ですっかり腰が抜け、手足を駄々っ子のようにバタバタと動かすことで精一杯であったからだ。

「ごめんなさいっ私がマオの優しさに甘えてたからっ…おねがい、許して…」
「そう興奮しないの。このハーブティーを飲んで落ち着いたらどうかしら?」
「いやっいやよ!」

マオは床に転がっていた水筒を手に取る。
それにはアズールから貰った薬が混ぜられている。
契約をして手に入れた『妹がいなくなる薬』が混ぜられているのだから。……がいなくなる薬が。

「うそ…私が妹だってバレてたの……?」
「さぁ。でもこれを飲んでも私は何ともなかった。彼等にバレていたかどうか、身をもって確認してみたら?」

マオは水筒の蓋を開け、マコの顔面に向かって注ぐ。

「あっつ!あづぃ…うっゲホッ」

飲み込まないよう口をふさぐがすでに遅い。それを飲まずとも液体が触れた部分が燃える様に熱くなり、自分の肌が爛れていくのが分かった。劇薬とはまさにこのこと。

「マオっ、お姉ちゃん助けて!全部、全部私が悪かったの!もうお姉ちゃんの物は欲しがらない!勉強も真面目にするし、我儘は言わない!今までのことも何度だって謝る!だから、だからおねがいよぉ…」

ここでひとつ、マコには記憶の抜け漏れがあった。
マコは階段から突き落とされたときの記憶がなかったのだ。
この世界に来てからマオとマコは良好な関係を築けていた。あくまで表面上だが。
まさかマオが自分にそんな事をするはずないのだと、そう信じて深層意識の中に記憶を埋めたのだ。

「あっそうだった。マコ、まだ死なないで」

マオの馬乗り状態から解放されたマコは、顔を覆いながらのたうち回る。
水は…確か外に井戸があったはず。流し落とせばまだ助かるかもしれない。瞼が肉でくっつき目が明かない。足はなんとか動く。ヒリヒリと痛む腕を伸ばして壁を伝い手探りで扉を探す。

「貴方がアズールさんと契約したように私にもちょっとした伝手があってね。まぁ学園長なんだけど」

はやく、逃げなきゃ…はやく、

「護身用の短刀がまさかこんなところで役に立つなんてね」

金属の触れ合う音が聞こえた。きっと剣を鞘から抜いた時の音だ。
コツコツと背後から足音が聞こえる。
何かにぶつかり転ぶ。クッキーが割れる音が聞こえた。それでも這うように逃げる。

「さぁ、そろそろ夢から覚める時間よ」

階段から突き落とされた時の記憶がないとはいえ、マコは過去の過ちを悔いていた。
この世界ではマオばかりに頼らないよう友達を作る努力をした。授業も真面目に受けたし、したこともない料理だってマオが喜んでくれるならと練習した。私が「姉」だと名乗ればマオは甘えてくれるかもしれない。そうしたら今度は自分がどんな我儘でも聞いてあげようと思っていたのだ。

床にはあの日マオが見たものと同じ赤い血が広がった。
警察は…ってこの世界にはそんなものいないわよね。
学園長には何て言おうかしら、と夕食の献立を決める様に考えを巡らせた。


生まれ変わったともいえるマコは、本来ならヒロインにもなれるはずだった。
真剣に恋をすればプリンセスにだってなれた。

でも、そうなれなかった理由はただ一つ。
ここは 悪役ヴィランズこそが主役の世界———

マコ プリンセスはお役ごめんなのよ」

ツイステッドワンダーランドなのだから。





う〜んっと、おやおや帰ってきたのはやはりお姉さんのマオさんでしたか!いやはや感心感心。これでようやくお話をあるべき姿に進めることができますねぇ。

やはり時間操作と時空変動の魔法を同時に使ったのが原因ですかね。他の先生方にそれを話したらブチ切れられまして…それはそれは怖くて怖くて私は泣きましたよね、えぇはい。

マコさんを鉱山に閉じ込めてアレにまで廃らせて登場人物の一人にできたのなら私も楽だったのですがマオさんがぶっすりと彼女を殺してしまいましたし代わりは作らないといけませんね…え?お前が剣を渡したんだろうって?だってか弱い少女を身一つであんな場所に行かせるのは可哀そうでしょう!彼女の使い魔となる狸との出会いはもう少し先なんですから。
本当はお小言の一つや二つ、マオさんにぶちまけたいところですが今回は大目に見ましょう、私やさしいので。

あとは生徒たちの記憶も修正して…っと。それにしても今年の寮長組は彼女たちの本質を見抜いていたようですね。実に優秀!きっと彼等も自分達が気付かぬうちにお話に必要な人材を見極めていたのでしょう。現に七名の寮長達は彼女らを「双子」ともマオさんのことを「妹」とも呼んでいませんでしたから。まぁその分記憶の書き換えに膨大な魔力を注ぎ込むことになるんですけどね。アーシェングロット君の契約事項も帳消しにっと。はぁ疲れる。南の島へバカンスに行きたい。

ではマオさんにも眠ってもらって棺桶に入れて…記憶の抹消ついでに名前も『ユウ』に変えましょうか。何かのきっかけで思い出されても色々と面倒くさいので。

さてと、明日こそが本当の入学式———

ここから貴方の真の物語が始まるのです。