女子生徒A

真っ白頭のわたあめくんは今日もやる気がないらしい。

「凪くん、次移動教室だよ」

クラスの大半は既にいなくなっている。廊下にいる友人達からも「早く行こー」と声を掛けられていた。でも私は首を横に振って、先に行っててと短く返す。そうしてもう一度、目の前のわたあめくんに声を掛けた。

「授業遅れますよー」

そして遠慮なしに彼の丸まっている背をゆする。すると「うーん……」と唸り声ともいえるようなものが聞こえてきた。そうなればあともうひと押し。背中をゆする手は止めずに自分の体を前かがみにさせた。

「なぎせーしろーくん、じゅぎょー始まっちゃうよ」

すると彼はまた一つ唸り声を上げてゆっくりと身を起こした。わたあめのような真っ白な髪を揺らし黒真珠のような瞳をこちらに向ける。しかしまだ寝ぼけているのか、手の甲でごしごしと目元を擦っていた。

「おはよう凪くん」
「おはよー……キミだれ?」
「同じクラスの女子生徒Aです」

このやり取りも最早何度目か。だからもう自分の名前を教えるのにも疲れ女子生徒Aで通している。そして彼も聞いてはみたが興味はないようで「Aさんね、Aさん。へぇー変わった名前」と数学の文章問題に出て来る代名詞を疑うことなく連呼した。もちろん彼の言葉には訂正をせずにそのまま本題を切り出す。

「次、移動教室だからもう行かないと遅れるよ」
「あーそっか。どこ行けばいいの?」
「第二音楽室」
「ってどこ?」

マジか。入学してもう二ヵ月は経っているというのにクラスメイトの名前は愚か教室の場所も覚えていないなんて。でも凪くんはいつも一人だし、部活にも委員会にも入っていないようだからある意味当然なのかも。

「東棟の三階だよ」
「よく分かんない」
「ここからだと二階の渡廊下から東棟に移って……」
「もうめんどくさいから俺のことも連れてっ——」
「ねぇ本当に遅れるってば!」

不意に後ろから腕を掴まれる。それは先ほど見送ったはずの友人の一人であり、彼女はずり落ちた眼鏡を直しながら私と彼を交互に見た。

「もうほっときなよ」
「でもクラスメイトだし」
「だからって構っていいことなんてないでしょ!それに話したら呪われるって噂!」
「私は寧ろパワースポットだって聞いたけど」
「どっちにしろ授業遅れたら内申に響く!早く行こ!」
「えぇ?」

そのまま引きずられるようにして教室の外へと連れ出される。片や彼はというと、目の前でそれなりに失礼なことを言われたにも関わらず気にする素振りない。それどころか再び腕を組みその中に頭を沈めた。どうやらお昼寝タイムを継続するらしい。そんなんだから『万年寝太郎』なんてあだ名付けられちゃうんだよ。

周りからの目なんて気にせず自由気ままに生きている人。
それが私の目から見た同じクラスの凪誠士郎である。





待ちに待ったお昼休みの時間。白宝高校は都内のみならず全国的にも偏差値の高い金持ち高校として有名である。現に財閥のご子息であったり資産家のご令嬢なんてのも在籍している。そんな彼らの肥えた舌を唸らせるが如く我が校の学食もそれはもう充実しているのだが私はいつもお弁当を持って来ていた。

「じゃあ私も購買でなんか買ってくる」
「昨日も合わせてもらったし悪いよ。今日はみんなと食堂行ってきて」
「でもこの前みたいに……」
「私なら大丈夫だよ。ほら、日替わりランチなくなっちゃうよ?」

眼鏡のレンズ越しに彼女の瞳が僅かに揺れたがこちらが笑顔で送りだせば渋々友人たちの後を追っていった。
さて、こちらもぼっち飯には慣れてきたところではあるがクラスで一人食べる勇気はさすがにない。だから私もお弁当箱一つ持ち出して教室を後にした。



「もしかして苗字さんも今から昼飯?」

中庭は人通りが少ないうえに木陰にベンチが並んでいるのでぼっち飯の穴場スポットだったりする。しかし定位置となりつつあるベンチに辿り着く前に声を掛けられた。

「あ…うん……貴方も?」

男子生徒の三人組、その内の一人と目が合う。彼とは選択授業が同じで隣の席だ。初めの授業で忘れたという教料書を見せてあげたところ、どうにも懐かれてしまったらしい。それからは廊下でも挨拶されたり授業終わりにもずっと話しかけられるので正直困っている。それを知っている友人にも心配されていた。

「そうそう!じゃあ一緒に食わね?」
「でも私お弁当だしそっちの友達にも悪いよ」
「俺も弁当だしコイツらのことは気にしなくていーって!」

一緒にお昼なんて絶対に嫌だ。唯一の頼みの網である彼の友人へと目を向ける。が、当然私の気持ちを察してくれるわけもなく「ひでー」「しゃーねーな、頑張れよ」と笑いながら去ってしまった。

「そこのベンチでいい?」

どうしよう、今から友達が来るって言う?でもそんな嘘はすぐにバレる。この場で走って逃げてもいいがそれだと次の授業で会う時に気まずくなる。どうすれば……——そう思考を巡らせていたとき視界の端に白いわたあめが映った。

「凪くん!」
「……へ?」

左腕にビニール袋を引っ提げ口にゼリー飲料を加えている彼は両手に握られたスマホから顔を上げた。お行儀が悪いだの歩きスマホ禁止だのツッコミどころはあるが助け舟だとばかりに彼の元へと駆けていく。

「購買でお昼買えた?遅いから心配してたんだ」
「え、だれ?」
「女子生徒Aです」
「あーAさん」
「誰ソイツ」

煙たく嫌な足音が私を追ってきた。もうこうなったら凪くんに縋りつくしかない。
凪くんの腕を掴み、口裏合わせてと小声でお願いする。そうすれば「なんで?」と曇りなき眼で見つめ返された。既に先行き不安でしかないが居ないよりはマシだ。
凪くんの腕を掴んだまま彼と向き合う形で反転する。

「同じクラスの凪くん。実は一緒にお昼食べる約束してて」
「えっしてないけど」
「三限目の終わりに約束したでしょ?」
「ん?んーっと……」

三限目は古典で四限目は日本史、この並びにより凪くんがスーパーお昼寝タイムを決めていたことは知っている。だからこれはまごうことなき記憶の改ざんである。最早話を合わせなくていいからそのまま空気だけ読んで突っ立っていてくれ。

「だからごめんね」
「わかった、じゃあまた声かけるわ」

よかった、意外とあっさり引き下がってくれた。
掴んでいた凪くんの腕を離せば彼の思考もそこで絶たれたのか再びスマホを起動させていた。切り替えが早いのか他人に興味がないのか……凪くんってやっぱり謎だ。

「凪くんありがとう、おかげで助かったよ」

しかし助けてもらったことは事実であるのでお礼を述べる。だがそんな私を一瞥すらせず凪くんはスマホを横向きに弄りながらのろのろ道を歩いていく。

「別に俺何にもしてないけど」

そうして辿り着いたベンチに腰を下ろす。その間、彼は一度もスマホの画面から目を離さなかった。
本当は自分がそのベンチでお弁当を食べるつもりだったけれど、こうなってしまえば譲るほかないだろう。それにこれはお詫びも兼ねてってことで。となると他に場所を探さないと。

「どこ行くの?」
「え?」

しかしそんな私を呼び止めたのは凪くんだった。こちらが唖然としていれば「これでデイリー終わり」と呟いて彼が顔を上げる。そしてこてん、と首を傾げてみせてはその大きな瞳を私に向けた。

「一緒に食べる約束してたんでしょ」
「あ、うん」

咄嗟に出た嘘だった。でもそれを疑うことなく信じてくれるなんて。だからこちらも罪悪感からか嘘≠本当≠ノするしかなくなって頷くしかなくなった。

「じゃあ失礼します」
「どーぞー」

というわけで一緒にお昼を食べることになったわけだが特に会話は弾まない。何故なら凪くんがまた別のスマホゲームを始めたからである。だからこちらも特に話題提供することなく膝の上にお弁当を広げた。

「すごっクマがいる」
「え?」

いただきますを言って一人もそもそ食べていればフッとわたあめが視界を遮る。先ほどまでは何事にも無関心な態度を取っていたはずなのに凪くんの視線はお弁当箱に釘付けであった。

「これどうやって作ってんの?」
「麵つゆで色付けてあとはチーズと海苔を切って貼った感じかな」
「自分で作ってるんだ」
「うん。あっでも普段はこういうのやってないからね!妹が今度遠足にお弁当持ってくっていうからその練習!」

子どもっぽいだなんて思われたくなかったから慌てて付け足す。でも凪くんの興味はやはりお弁当にしかなく私の話など右から左に聞き流していた。

「食べちゃえば一緒なのによくそんなの作るね」
「食べちゃえばって……栄養バランスとかもあるでしょ。それより凪くんのお昼は?」
「これ」

ビニール袋の中からメロンパンを取り出してみせる。え、それだけ?と思いながら袋の中に目を向ければあんぱんと先ほどのゼリー飲料のゴミが見えた。え、本当にそれだけ?

「パンとゼリー飲料だけ?」
「うん。だって食べるのめんどくさいし」

どうやら凪くんの中での優先順位はゲーム>睡眠>(越えられない壁)>食事のようだ。育ち盛りの男学高校生がそれだけでいいのだろうか。それに凪くんって普段は机に突っ伏していたり猫背で歩いてたりするから分かりづらいけど身長も高い。だからそれだけの食事で身体の成長と健康が維持できているとは思えなかった。

「凪くんは食べられないものとかある?」
「へふになひへほ (別にないけど)」

お弁当箱の蓋の上におかずを移動させる。ひと口ハンバーグと卵焼き、タコさんウインナーにちくわ胡瓜。お箸代わりにピックを添えて、もふもふとメロンパンを頬張る凪くんの前に差し出した

「もしよかったら食べて」
「なんで?」
「だってそれだけじゃバランス悪いよ?」
「まぁうん」

ごくん、とパンを飲み下し凪くんはおかずをじっと見つめている。ザ・お弁当の定番メニューであるので変な味付けにはなっていないはずだ。
しかし、ここである可能性が浮上し自分の中から血の気が引いた。

「あっもしかして人の手作りダメだった?!ごめん!」

一部にはバレンタインの手作りチョコは気持ちが悪いと思う人もいるらしい。その理論なら手作り弁当も同じ部類に入るのではないだろうか。逆の立場で考えてみても、彼女でもない女子生徒Aからの手作りとか怖すぎる。

「今のはナシで。今すぐ忘れてください……」
「あー」

慌てて弁当箱の蓋を引っ込めるがここで凪くんはよくわからない行動を起こした。何故かこちらに向けてぽっかりと口を開けているのだ。それこそ池でエサをもらう鯉みたいに丸くぽっかり開けている。ただ鯉と違うのは、ぱくぱく口を動かすわけでもなくその状態で微動だにしないことだった。

「何してるの?」
「食べさせて」
「はい?!」

目を丸くした私をよそに「だって食べるのめんどくさいし」と数分前と同じことを口にする。そしてまたぽっかりと口を開けた。だからこちらも引くに引けなくなり、震える手でピンに刺したハンバーグをぽっかり開いた口に放り込んだ。

「どう……?」
「フツー」

普通……まぁ特別な感想なんて求めてなかったからいいけどね。そして凪くんはまたスマホゲーム始めちゃったし。私も自分のお弁当食べよっと。そう思い手元のおかずへと箸を伸ばす。

「次は卵焼きがいー」

ちょうど自分が咀嚼しているおかずを言われ危うく咽るところだった。
隣を見ればスマホから顔を上げた凪くんが口を開けている。もう万年寝太郎から鯉太郎に改名した方がいいんじゃないかな。そしてこの鯉太郎は蓋の上のおかずを待ちわびているのだろう。もう自分で食べたらいいのに……と言っても「めんどくさい」で返されるんだろうなぁ。

「どうぞ」
「んっ」
「美味しい?」
「フツー」

ですよね。しかし普通と言いつつも彼は私のあげたおかずを全て平らげた。そして「ご馳走様でした」の言葉と共に袋に入っていたあんぱんを渡される。もしやお礼のつもりなのだろうか。だが、寧ろ私がお礼をするべき立場なのでこれは受け取れない。しかしそう伝えるも「荷物増えるとめんどいからあげる」と結果的に押し付けられた。すごい、こんなところでもブレないんだね。

「そういえば、」

昼休憩は残り十分。お腹も膨れ、優雅なお昼寝タイムへと洒落込もうとした凪くんを揺さぶり起こし教室へと連れていく。そんな彼は一つ、大きな欠伸をしてから私を見た。

「なに?」

猫背にしたって私よりも身長は高い。だから仰ぎ見るようにして次の言葉を待った。

「名前、なんていうの?」
「女子生徒Aだけど」

改まって声を掛けられたから無駄に身構えてしまった。でもなんてことのないお決まりの質問にお決まりの言葉で返したら凪くんの眉がピクリと動く。しかしすぐにいつものやや垂れ下がった感じに戻った。

「ンなワケないでしょ」

そして実に常識に沿った、彼らしくもない言葉が続けられた。

「俺は凪誠士郎。で、キミの名前は?」

そこでようやく自分の名前を尋ねられているのだと分かった。女子生徒Aという大多数に当てはまる固有名詞ではなく、私の、本当の名前を。

「苗字……名前です」
「苗字さんね、りょーかい」

この日、私は凪くんの中で女子生徒Aから『苗字名前』という存在になった。

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