『すごい人』

さすがは進学校ともいうべきか高校一年生の時点であっても課題の量は多かったりする。毎日何かしらのプリントやら問題集の課題が与えられそれが成績に反映される。しかし逆に言えばこの提出物さえちゃんとしていればよっぽどのことがない限り先生に目を付けられることはないし落第することもない。

「教卓の上に世界史のプリント提出して帰ってくださーい!」

放課後、先生に頼まれた提出物を回収するため教室にいるクラスメイトに向かって声を張り上げた。それに対し所々から「はーい」と緩い声が返ってくる。黒板にも『世界史のプリント要提出』と書き残した。この先生は提出物にうるさいおじいちゃん先生なので出さないと確実に目を付けられるのだ。

「全員分集まった?」
「今数えてる……うーん、一枚足りないっぽい」

同じ係の友人と共にプリントの枚数を数えるもクラス人数マイナス一枚分の数しかない。出席番号順に並べ直し未提出者を導き出してもいいのだがおおよそその人物には見当がついている。それは皆がぞろぞろと教室を出て行く中、未だに自身の机に突っ伏しているわたあめくんである。

「あーアイツはいいんじゃない?」
「でも声くらいは掛けないと可哀そうだよ」
「どうせやってないって。それにもう行かないと部活に遅れちゃう」

黒板の上にある緊掛け時計へと目を向ければHRを終えてからすでに二十分ほど経過していた。グラウンドからは運動部の声が聞こえ、澄んだ空には金管楽器の音色が響いている。

「じゃあ私がまとめて提出しとくよ」
「いいの?」
「うん、部活もやってないし大丈夫」
「ありがとう!じゃあお願いね」

教室から出ていく彼女を手を振って送り出す。そうすればこの場には私と彼だけになっていた。

「起きてくださーい」

肩を二回ほど叩けば唸り声が聞こえてくる。しかし今日は中々顔を上げてくれない。ならば荒療治だとばかりに、わたあめのような頭にみだれづきをお見舞いする。ドードリオもびっくりの高速連打を繰り返していれば左手で頭を掻きながら彼は顔を上げた。

「おはよう凪くん」
「おはよー苗字さん」

誰?ではなく名前を呼ばれて少し驚く。そっか、私はようやく凪くんに認知されたんだっけ。とはいえあのお弁当の日以来、特に話はしていない。

「課題プリント集めてるんだけど凪くんやってきた?」
「課題……」
「世界史のプリント」
「あぁ」

机の中に手を入れそこから教科書やノートを取り出していく。しかし肝心のプリントは出てこない。「あれー?」と身をかがめて机の中を覗き込んでいるが一向に出てくる気配がない。これはもしかして……と白い目を向けていたところで教科書から紙がはみ出していることに気付く。それを引っ張ってみれば二つ折りにされたプリントが出てきた。

「これじゃない?」
「あっほんとだ」

いつも以上に猫背になっていた凪くんに渡す。そして彼が折り畳まれたプリントを開けば予想通り課題プリントだった。しかしその回答欄は真っ白である。

「やってないからいいや」
「えっ?!」

それが分かると凪くんは早々に諦めた。そして机の上に積んだ教科書やノートを再び机の中に戻し、何も入っていなさそうな鞄だけを手に持ち帰ろうとする。いや、さすがにそれはよくないって。
凪くんが立ち上がる前に椅子の真横へ移動し進路を塞ぐ。すると眠そうな両目をこちらに向けた。

「まだなんかあるの?」
「待っててあげるから今から課題やろ?」
「えー……」
「世界史の先生厳しいからこのプリント出さなかったら次の課題三倍にされるよ」
「うへーそれは嫌だ」

脅しと言う名の事実を述べればやる気にはなったらしい。鞄は机のフックに掛け直し筆記用具とプリントを取り出した。そして名前を書くところから始めていく。プリントの問いは三十問以上あるから時間が掛かるだろうと判断し凪くんの前の席に座った。ここは友人の席であるので問題ない。そして半身を捻って様子を見ればすでに四問目の答えを書き始めていた。

「えっ解くの早すぎない?」
「そう?」
「だって教科書や資料集も見てないし……」

私が話している間にもスラスラと回答欄を埋めていく。それは決して適当に書いているわけでもないようだった。現に、自分が昨夜三十分かけてやってきたプリントと答えがあっている。

「この前のテストと同じ内容じゃん。この学校テスト多くて嫌だよねー」

会話を続けながらも凪くんの手は止まらない。授業中も大抵寝ているからてっきり勉強ができないものだと思っていた。でも実は陰で猛勉強をしているとか?高校に入って二度の一斉テストが行われたが彼が赤点を取って再テストになっている姿を見たことがない。

「あのさ、なんで凪くんはこの学校受けたの?」

少し気になったので探りを入れてみる。しかしその切り口は本題から大分離れてしまった。

「偏差値が高いから」
「じゃあ将来の夢とかあるの?」
「業種は何でもいいけど高収入が得られる会社に入りたい」
「は……?」
「いい会社に就職してーそこそこ稼いだら早期リタイアしてーゲームだけして生きたーい」

え、つまり若いうちに稼ぎまくって将来ニート生活を送りたいってこと?そのための資金稼ぎの会社に就職するためうちの学校に来たという……分かるような分からないような。

「はい、できた」

思考を無限の彼方へと飛ばしていたところで目の前にプリントが差し出される。結局、彼は教料書を一ページも開くことなく私の三分の一の時間で全問解いてみせた。

「あ、うん」
「あーねむい」

気力を使い果たした彼はそのまま机の上に上半身を寝そべらせる。オンオフのスイッチが激しいな。しかし、だからこそいつもの彼からは想像もできないような姿を目にし、思ったままの感想が零れ落ちた。

「なんかすごいね」
「すごい?それは苗字さんの方でしょ」

ほぼ独り言のような台詞。でも凪くんはそれをしっかり受け止めて、想像の斜め四十五度を超える返しをしてきた。
組んだ腕に顎を乗せ、大きな瞳が下から私の顔を覗き込む。瞼はやや落ちかけていたもののそこにはしっかり私の姿が映っていた。

「どういう意味?」
「真面目に係の仕事してるから」

うん、それは多分普通のことだ。しかしこれにはまだ続きがあるらしい。凪くんはだらけたままの姿勢で「あとはー」とその先を続けた。

「俺の名前覚えてるでしょ、先生の性格知ってるしそれと毎日お弁当作ってる。十分すごいと思う」

私の言った「すごい」の意味とは若干ずれているような……でも言われて悪い気はしない。

「ありがとう?」
「どーいたしまして……?」

話の切り上げ方が分からずに互いに宇宙を背負ったままお辞儀した。そしてプリントを回収し席を立てば凪くんは寝そべった状態のままスマホを弄っていた。どうやら本当にオンオフのスイッチが激しいらしい。そんな彼の姿を横目に教室を後にした。



「うちのクラスの課題プリントになります」
「おーご苦労さん」

無事にクラス全員分の課題を先生に提出し職員室を出る。これでようやく帰れるぞと廊下を歩くなか、そういえば家の醤油が切れかけていたことを思い出す。あとサランラップも予備がなかったはず。それからゴミ袋も欲しいから帰りにドラストに寄って帰ろうかな。

「あっ名前!ちょうどよかった!」

買い物メモを脳内で作成しながら靴を履き替えていれば隣の下駄箱の影から女子生徒が顔を出した。その子とは出身中学が一緒で中三のときに同じクラスだったからそれなりに話す仲だ。高校でクラスが別れた後は忘れ物の貸し借りで互いに助け合っている。

「久しぶりだね。どうしたの?」
「名前料理できたよね、お菓子も作れたりする?」
「お菓子?」

彼女の話を聞けば次の休みにクラスの子と集まって勉強会をするらしい。その時にそれぞれが手作りお菓子を持参することになっているのだとか。ただ、生憎お菓子に関してはホットケーキくらいしか家で作らない。

「ごめん、そこまで得意じゃないんだよね。市販のキットとかじゃダメなの?」
「ダメじゃないけどせっかくなら玲王さまに女子力アピールしたくって!」
「玲王さま……」

あぁ、御影玲王のことか。総資産七千億を超える御影コーポレーション≠フ御曹司。容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能、おまけに社交的で男女共に好かれている。一度、遠目で見たことがあるが纏うオーラがキラキラしてた。

「抜け駆け禁止ってことで女子の間で差し入れは手作りお菓子ってルール決めたんだよね。だから周りと差を付けたいの!」

どうやら催されるのは勉強会ではなく誰が御影玲王の彼女に相応しいか選手権らしい。モテる人もそのお相手に恋焦がれる人も大変なんだなぁと他人事のように思う。ただ頼られた手前、彼女の力になりたいという気持ちはある。それに期待を込めた眼差しでずっと見てくるし……

「分かった、私も少し調べてみるよ。でもあんまり期待しないでね」
「ほんと?ありがとう、めっちゃ助かる!」

その顏、確実に私任せだなぁ。でもお菓子だって作れるに越したことはない。それに我が家には頼もしい消費係がいるから練習はいくらでもできる。うん、大丈夫。多分何とかなる。

「めんどくさそー」
「わっ?!びっくりした!」

去り行く友人を見送っていれば背後に凪くんがいた。彼は独り言のようにそう言って下駄箱から取り出した黒いローファーをタイルの上に投げた。横向きに転がった一足はつま先で持ち上げ、向きを揃えてからその中へ足を収める。

「そんなに驚く?」
「だっているとは思わなくて……もしかして今の話聞いてた?」
「聞こえた」

そのまま歩き出した凪くんを、こちらもローファーに履き替えて追いかける。
確かにめんどくさいことは事実。でも頼られたら応えたいし自分にとっても役に立つことだと思っている。それだけはちゃんと言っておきたかった。だって「苗字さん本当はやりたくないみたいよ」なんてことを彼女の耳には入れたくないし。まぁ凪くんはそういうことを言いそうにはないけど。

「私にとっても苦じゃないよ。自発的にやろうって思っただけだからね」
「そう?まぁ興味ないからどうでもいー」

でしょうね。っていうかいま私一人で喋りすぎてた?もしかして凪くん怒ってたりする?そう思い、恐る恐る彼の様子を見てみるも大きな欠伸をしているだけだった。言葉通り『興味ないです』と言った顔。

「ってゆうか、」

ほっとしていれば唐突に凪くんが話し出す。基本的に自分からは会話をしないからまたも少し驚いてしまった。それを気取られぬよう、なに?と緩く返せば瞼が半分被さった大きな瞳が向けられた。

「いっつも人の顔色窺って合わせてるよね。疲れそ」

針で心臓を刺されたような気分だった。だって本当の事だったから。でも今まで誰にもそれを指摘されたことはなかった。しんどい顔も笑顔で誤魔化せてると思ってた。だからこそ凪くんに簡単に見透かされて、私は自分が思っている以上に動揺してしまった。

「えーそんなことないよ?あっ私帰りに寄るところあるから。じゃあまた明日ね!」
「えっあ……」

大変なことも辛いことも耐えられるのに、核心を突かれたらどうしてか少し泣きたくなる。でもその顏だけは見られたくなくて逃げるようにその場を後にした。

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