いってこい


渡されていた合鍵で入ることもできたけれど家主がいる状況ではそれもいかがなものかと思い結局インターホンを鳴らした。

「鍵渡したんだからフツーに入って来いよ」
「いくらなんでも突然入って来られたら怖いでしょ」
「怖かねーよ」
「泥棒だと勘違いでもされたら私が凛に殺されるじゃん」
「泥棒とお前の見分けぐらいつくわタコ」

しかしこちらの心遣いも分からぬ凛には散々な出迎えの言葉を浴びせられた。おかしいな、ここは治安がいいと聞いていたのにこの部屋だけは治安が悪いようだ。命が惜しくばこの家にだけは強盗に入らない方がいいと声を大にしてアナウンスしておこう。

「何時の便で帰るんだ?」

玄関口で多少のイザコザがあったものの無事に部屋の中へと招き入れられた。私はキャリーケースを部屋の隅に寄せ普段使いのバッグをソファに置いてから改めて航空券を確認する。そこには一年ぶりに帰る母国を示すローマ字が並んでいた。

「明日の夕方の便。でもここから直接空港に行くから昼過ぎには出ることになるかな」
「ならあと一日ってとこか」

時計を見れば時刻は十五時を過ぎている。本当はもっと早く凛のところに来るはずだったけれど寮の荷物を取りに来てくれる業者が遅れたためこんな時間になってしまった。正確に言えば一緒にいられる時間はあと丸一日もない。

「うん。来るの遅くなっちゃってごめんね」
「それはもういい。ただ、今からだとあんま遠出はできねぇな」
「どこか行きたいところでもあった?」

私が首を傾げれば凛は首筋に手を当てて目を逸らした。先日会ったときよりも髪は短くなっていたがそれでも相変わらず前髪は長いので表情は分かりづらい。でも顔色は良くなっていたので安心した。

「お前があんじゃねーのかよ」
「私?」
「こっち来てからあんま観光とかできてなかったろ。それと土産とか……」

凛の様子を窺いつつ続きを待っていれば思いがけない言葉が返ってきて驚いた。多分これ、一緒に出掛けたかったってことだよね。凛がそう思ってくれていたことが嬉しかった。でもデートってことなら今からでも十分楽しめる時間はある。

「お土産は空港で買うから大丈夫。でもせっかくならフランスの街を散策したいな」
「行きたいとことかあんのか?有名どころなら案内してやれるケド」
「ううん、この辺りを見て回りたい」

だって凛は色々と考えてこの物件を選んでくれたんでしょ?それなのにウィンターブレイク期間中もスーパーくらいしか行かなかった。他にもお店やカフェ、公園もあるみたいだったし私は凛の選んでくれたこの場所をもっと見てみたかった。

「別に面白いモンは特にねぇぞ」
「それを探しに行くんだよ。路地裏とかにさ隠れ家的なお店があるかもしれないよ?」
「出掛けるのは構わねぇがお前はそれでいいのかよ」
「凛が一緒なら十分だよ」

そう笑えば凛は面喰ったような顔をした。しかしすぐに背を向けて「準備してくる」と言ってリビングを後にする。その様子を見てなんだか自分も少し恥ずかしくなってしまった。でももう凛を不安にさせたくなかったからできるだけ自分の気持ちは言葉で伝えたかったのだ。

「あっ帽子忘れた」

それから数分後に戻ってきた凛の姿を見て帽子の存在を思い出す。そうだ、日本に送る荷物の中にまとめて入れちゃったんだ。

「俺のでよければ貸すぞ」
「じゃあ借りるね。凛はその恰好で大丈夫?」

顔を隠すものは黒のキャップくらいしかない凛に声を掛ける。服装もシンプルなシャツと足首まで隠れるパンツで、見る人が見れば後ろ姿で糸師凛だと分かるだろう。
私の質問に対し凛は眉間に三本筋を寄せる。きっと私が懸念していることにも察したのだろう。自虐気味に笑って吐き捨てるように言葉を続けた。

「堕ちた人間に誰も興味なんかねーよ」

未だに凛はレギュラーからは外されている。きっと今シーズンはよくてベンチ入りであろう。サッカーのことに関しては相談に乗ることも助言もできないけれど凛の味方でいたいという気持ちは今も変わっていない。だからこそ私は手を伸ばして凛の左手を握った。

「じゃあ手を繋いで歩いても大丈夫だね」

私は私にできることをしたい。



フランスの夏もそれなりに暑いが日本に比べて湿度が低いのが救いだ。日差しは強いものの頬を撫でる風は気持ちがいい。そして街路樹の足元に作られた花壇にはハーブや季節の花が咲き乱れていた。その様子は花の都と呼ぶに相応しい。

「あのお店なにかな?」
「パティスリーだな。今日は定休日みてぇだが……」
「見てみたかったなぁ凛は行ったことあるの?」
「おう。エクレアが美味かった」
「凛って意外と甘い物食べるよね」
「偶に無性に食べたくなんだろ」
「それは分かる」

なんてことのない会話をして、気になった店の前で足を止めて二人で覗く。喉が渇けばカフェで飲み物をテイクアウトしてまた歩いた。凛は体力が底辺の私のことを心配していたけれど、それでも立ち止まっている時間が惜しいような気がしてひたすら散策を続けた。

「もっと出掛けてればよかったな」
「ん?」

一時間ほど街を見て回り公園に入った。遊具があるような場所ではなく芝生と遊歩道がメインの公園だ。

「高校生の時とかさ、もっと二人で遊びたかったなーって思って。まぁ凛は一年の後半にはほとんど学校に来てなかったけどね」

サッカー選手の糸師凛ではなく一人の男子高校生の糸師凛となら今日みたいに人目を気にせず出掛けられたのかなって思う。でも凛は背も高いしイケメンだから目立つことには変わらないんだけどね。

「ブルーロックから戻った時に出掛けたろ」
「だからもっとだよ」
「帰りは一緒に帰ってた」
「帰っただけじゃん。しかも雨の日限定」
「昼飯も食ったし……」
「それはそうだけどちょっと違う」

私は今みたいな時間が好きだけど凛はそうじゃないのかな。結局、サッカーしている時間の方が大切なのかなぁ。それはそれで凛らしいけど。

「俺は、」
「うん?」

繋がれたままの手がぎゅっと握られ思わず顔を上げる。遊歩道に沿って植えられた木の葉が凛の頬に影を落としていた。歩く度に流れていく影を見つめていれば目だけでこちらを見た凛と視線が交わった。

「十分楽しかった」

そうだったのかと、今になって気付かされた。
凛にとって高校時代の私は暇つぶし的な存在くらいにしか認識されていないと思っていた。でも、そっか…そうだったんだ。そんなことすら気付かずに過ごしていたあの頃がひどく勿体なく感じる。でもだからこそこれからを楽しんでいけばいい。

「私も楽しかったよ。それに足りなかった思い出はこれから増やしていけばいいしね」
「それは…——っ、危ねぇ!」
「え?」

凛の鋭い声が飛んで来たと思ったら唐突に手を引かれた。そして立ち位置が逆転したかと思えば向こうからサッカーボールが飛んでくるのが見えた。このままだと凛に当たる——ことはなく、その場で軽くジャンプしたかと思えば胸で受け止め自身と共にボールを地面へと着地させた。

「び、びっくりしたぁ……」
「大丈夫か?」
「うん。ありがとう」
「Sorry!」

ようやく状況を理解しお礼を言えば一人の男の子がこちらに駆け寄ってきた。十歳にも満たないであろう彼は額に汗を垂らして私たちを交互に見る。きっとこの子がボールの持ち主なのだろう。

「C'est dangereux. Sois prudent(危ねーだろ。気をつけろ」
「a……」

凛が睨みつければその子は顔を青くして固まってしまった。ちょっと凛、目力強すぎ。それとたぶんこの子は……

「Do you like soccer?(サッカー好きなの?)」

その場で膝を折り英語で彼に聞いてみる。すると青白い顔から一転、パッと明るくなり「Yeah!」と大きく頷いた。やはりこの子はフランス語が分からないらしい。

「私も好きなんだ。好きなサッカー選手はいる?」
「イングランドのナギが好き!僕もナギみたいな選手になりたいんだ!」

英語が通じることに安心したのか彼は自分のことを色々と話してくれた。つい最近、イギリスからフランスに引っ越してきたこと。この公園で練習していること。それから「でもまだ友達がいないからゲームができないんだ」とまつ毛を伏せて教えてくれた。

「それならこのお兄さんとサッカーしてみない?」
「は?」
「えっ?!」
「実はね、このお兄さんサッカーすっごく上手いんだよ」
「おい、」
「いたっ」

隣にいる我が最推しの選手を薦めていたところで真上から手刀が落ちてきた。仕方なしに顔を上げて確認すればこれまた想像通りのしかめっ面の凛の顔が。少しは柔らかい表情ができるようになったかと思えばすぐこれだ。
私は一度、腰を上げて凛に向き合った。

「ずっと一人で練習するのも飽きちゃうでしょ?少しくらい付き合ってあげることできないかな」
「練習に飽きるもクソもねーんだよ」
「でもこの子、試合がしたいんだって」
「俺とこのチビとは体格もちが……あ?」
「Play soccer!」

日本語での会話中に少年の声が割って入る。彼はキラキラと期待に溢れた目をして凛の脚にしがみついていた。初対面の凛相手にこんな大胆な行動ができるなんて随分と肝が据わっていること。

「……Just a little bit(少しだけな)」
「Yes‼」

そして凛も凛でさすがにこのお願いを無下には出来なかったのか結果的に折れた。私は凛の荷物を預かって広場の端へと移動する。そうして現役プロサッカー選手と未来のサッカー少年との一on一が始まった。

「あっまた抜かれた!大人なんだから手加減してよ!」
「なにぬりぃコト言ってんだ。子ども相手でもお遊びでも負ける気ねぇから」
「僕だって負ける気ないし!」
「しょうがねぇから俺からボールを奪えたらお前の勝ちにしてやるよ」

それはもう中々に一方的な試合だった。しかし少年は口では弱音を吐きつつも凛の脚に喰らいついている。そして凛もわざとその場でボール回しをして広場を全力で駆けていくようなことはしなかった。

「くそーっ!」
「ボールじゃなくて相手の脚を見ろ」

そして以外にも偶にアドバイスをしていた。それを見ながら昔の凛と糸師冴はこんな感じだったのかぁと想像した。果たしてそれが凛にとっていい思い出なのかは分からないけれど。

「はぁはぁ…っ」
「こんぐらいでへばってんならまずは体力つけろ」
「えいっ」
「あ……」
「やった!取れ……わっ?!」

時間的にもそろそろ声を掛けた方がいいかと考えていれば、最後の最後に少年が凛からボールを掻っ攫った。しかし勢いを付け過ぎたのかそのまま芝の上に転がってしまう。凛はその場でしゃがみ私も急いで彼らの元へと駆けて行った。

「大丈夫?!」
「おい、しっかりしろ」
「ふっ……あはは!ボール奪ったから僕の勝ち!」

しかし私たちの心配を余所に彼は自信満々にそう言って笑っていた。転んだものの上が芝だったため怪我もない。しかし服と顔は土で汚れていた。それでも少年は嬉しそうに「僕の勝ちだ!」と笑っていた。

「手加減してやったんだから当たり前だろ」
「ちょっと凛、ちゃんと褒めてあげてよ!」
「……今の脚の使い方は悪くなかった」

思わず凛を肘で小突けば渋々と言った具合に少年のことを褒めてくれた。少年はよほど素直な性格なのか棘を隠しきれていない凛の言葉も純粋に受け入れている。凛はそんな少年の姿を横目で見ながらずっと被っていたキャップを外した。きっと運動をして暑くなったのであろう。

「リン……?」
「あ?」

そして帽子を取った姿を見て少年の目は見開かれた。その表情を見るに先ほどまでサッカーをしていた人物が何者か分かったのだろう。祖国の選手くらいしか知らないのではないかと思っていたが凛のことも知っているとは。

「すごい!本物?本物のリン・イトシ?!」
「本物意外いるワケねーだろ」
「すごいすごいすごい!」

興奮のあまり少年が凛の周りを駆ける姿は自分のしっぽを追いかけて木の周りを走る子犬のようだった。いや、子犬よりも俊敏な動きはねずみ花火と例えた方がよかったか。ともかく彼は今日一番のテンションで「Oh my god!!」と叫んでいた。

「うるせぇ落ち着け」
「えっとサインはペンがないから……あっ握手してほしいです!」
「フランスサポーターでもねぇのに図々しいな」
「今日からなる!それで好きな選手は誰か聞かれたらリンって答えるよ!」

現金だな、と日本語で愚痴をこぼしたものの凛は少年にせがまれるまま握手に応じた。その横顔はいつも通りではあるが瞳にはやさしい色が滲んでいる。こんな感じでファンと関わることは今までになかったのではないだろうか。そして少年にとってもまた今日のこの出来事は一生の思い出になるのだろう。

「ふふっ帰ったらダッドとマムに自慢しよ!」

余りに嬉しそうにする少年の姿に、ついに凛が顔を背けた。きっと反応の仕方に困っているのだろう。この一連の流れを録画していなかったことには心の底から悔やまれたがその分しかと目に焼き付けておいた。そんな心境の中で凛が目だけで「助けろ」と言ってきたがもちろん無視した。

「……あそこ」

いつまで経っても助け船を出さない私に痺れを切らしたのか凛が苦し紛れに隣の芝生を指差す。少年に釣られるようにして視線を移せばそこには数人の子どもたちの姿があった。彼らは一つのボールを奪い合っていたがよくよく観察すると時折こちらを気にするようなそぶりを見せた。

「さっきからお前のコト見てたぞ。いってこい」

凛の雑過ぎる厄介払いには頭が痛くなってくる。高校時代よりも対人コミュニケーションはマシになっているものの雑なのだ。

「でも言葉が……」
「んなのはプレーで何とでもなる」

スポーツという共通ルールのうえでは言語の壁もないのだろう。でも少なくともサッカーは団体競技なのだから意思疎通ができないと……そうか、凛の場合は個人種目だった。

「うん!」

しかし少年は先ほどの勝利で自信が付いたのか、はたまた凛の言葉を全肯定するほど心酔してしまったのかは定かではないが大きく頷いてボールを持って走り出した。しかし小さな体が急停止したかと思えば勢いよくこちらを振り返った。

「次の試合ではリン選手のコト一番に応援します!」

大きく手を振って駆けていく少年。気になってその場で彼の様子を窺っていれば言葉の壁などなかったかのようにすんなり輪に溶け込んでいた。そして五対五のゲームの中で線だけで描かれたゴールへと早速少年が点を決めている。きっともう大丈夫だろう。

「糸師凛のファンがこの世にまた一人増えちゃったね」
「どうせ明日には白いの≠フ名前出してんだろ」
「そんなことないと思うよ。それに今日のことはあの子にとって一生の思い出になったはず」

もし彼がプロの選手になった暁にはインタビューで今日の出来事を話すんだろうな。彼の人生の中ではほんの一瞬の時間だったとしてもこの体験はいつまでも色褪せることはないだろう。そしてすっかり黙り込んでしまった凛の瞳の色も、夕暮れ時の海で会ったときと何一つ変わっていない。

「そろそろ帰ろっか」
「おう」

自然と手は繋がれてそのまま一緒に家へと帰った。

家で少しゆっくりして、夕飯はどうしようかと聞けば凛が口ごもりながら私の料理を食べたいと言ってくれた。しかもすでに食材まで買って来てくれているという徹底ぶり。最早ありすぎて何を作ったらいいか分からない。相変わらず大したものは作れないが留学中に料理のレパートリーも増えたのでそれなりに完成させられるだろう。しかし考える時間が欲しかったので出来上がるまでに時間が掛かることだけは承知してもらった。

「なぁ、」
「なにー?」

食材を並べながら試行錯誤していたところで凛がキッチンに顔を出す。服は着替えたのかトレーニングウェアになっていてその手にはサッカーボールがあった。

「少し外出てきてもいいか?」

どうやら今日の出来事は少年にだけではなく凛にもいい刺激になったようだ。休養期間中は基礎トレーニングはやれどもボールには触れていないようだとリシャールさんからは聞いていた。だからもちろん私の答えは決まっている。

「うん。ご飯作って待ってるね」

そして同時に思う。
この人は結局、サッカーから逃れられない運命なのだと。





今までは寒いから引っ付いてくるのだと思っていたけれど、どうやら私の認識は間違っていたらしい。

「夏にこれはキツイて……」

ノブのようなツッコミを入れるも当の本人は無視である。目は瞑っているので寝てはいるのだろう。でも私も暑いくらいだから凛も暑いと思うんだけどな。
キャミソールと下着しか身につけていないがベッドの下に手を伸ばして服を拾うのも億劫である。なによりこの剛腕から抜け出すのも難しいだろう。そして極めつけに脚まで絡みついているものだからもうお手上げだった。

カーテンの隙間から差し込む日差しを見るに時刻は朝の七時くらいか。二度寝をしてもいいけれどすっかり目は覚めてしまったのでこうなってくると暇である。寝ている凛のご尊顔を眺めるのもいいが私だけ暑さで起こされ隣で一人すやすやと寝られるのも癪である。そこで私はひとつ面白いことをひらめき凛の額に唇を寄せた。

「……ん、」

すると一瞬だけ凛が身じろぐ。その様子に味を占めた私は瞼、鼻先、頬……といたずらに凛の顔にキスを落していった。
これは言わば私の小さな復讐である。だっていつも凛のペースでされちゃうから。昨日だってソファの上から始まりベッドに移動してからの夜はものすごく長かった。凛に求められるままするのは気持ちいいし愛されてるって実感できる。だけどそれでも人には体力の限界というのもあるわけで、最後の方はかなりばててた。だからこのくらいの仕返しはしてもいいと思う。それにしても——

「ふふっ」

凛、起きてるな。先ほどから微動だにしないけどこれは絶対に起きてる。じゃないとここまでされて気付かない方が寧ろ心配になってくる。それならそろそろ狸寝入りはやめてもらって起きてもらおうかな。

「好きだよ、凛——っ、んんッ?!」

最後まで取っておいた唇に触れた瞬間、カウンターとばかりに押し返された。背中が僅かにスプリングの上で跳ねるもすぐに上から押さえつけられる。シーツの上に投げ出された両手はそれぞれ縫い付けられ重なった唇は甘噛みされた。そして容赦なく舌が差し込まれぐちゃぐちゃに搔き乱された。

「ん゛ー……ぁ、…ッはぁはぁ」

ようやく解放された頃には息が上がっていた。そして私のことを見下ろすターコイズブルーと目が合った。その瞳は起きがけのぼんやりしたものではなく確かな色を持っている。

「もー急に驚かせないでよ」
「あ?先にやってきたのはお前の方だろ。寝込み襲いやがって」
「いつから気付いてたの?」
「……ついさっき」

目を逸らしたな。はい、ダウト。でも聞いたところで本当のことは言ってくれないだろう。そんな凛の様子が面白くて、可愛くて。思わず笑ってしまった。

「なに笑ってんだよ」
「何でもないよ」
「つーかさっきので俺が許したと思ってんのか?」
「え?」
「まだ終わってねーから」

近付いてくる顔に反射的に目を瞑れば額に温かなものが触れた。そして瞼、鼻先、頬にも順に触れていき首筋を強く吸われる。甘い声が漏れればそれに味を占めたのか逆側の首筋も吸われた。キャミソールの肩紐は外されキスは徐々に下へと降りていく——そしてついに限界がきた私は声を上げた。

「もういいからっ……」
「まだ終わってねぇ」
「凛、噛み癖あるからやだぁ」
「は?ねぇよ」

いやあるから。肩とか太腿の内側にめっちゃ歯形残ってるから。血は出なかったにしろその鬱血痕は生々しい。でも本人に自覚がないのも頷けた。何となくだけど多分飛んでる≠ニきに無意識で噛んでるっぽいから。

「あるから!私の肩見てよ」
「…………抉れるほど噛み付いてはないだろ」
「それはもうウォーカーだし喰種だよ」

声を上げればそれなりに私の気持ちを組んでくれ一度は離れてくれた。しかしキスの嵐は去ったが代わりにマーキングでもするかのように身体が摺り寄せられた。おまけに顔も寄せられ凛の吐息が耳にかかる。くすぐったい。

「ふっ……あはは、もー……あっ」

凛の背中に腕を回してじゃれ合っていれば不意に膝に硬い物が触れた。私はこの正体を知っている。昨日もお世話になったリトルジュニアだ。しかしまさか朝もこんなに元気だなんて。ということはつまり……

「これは所謂、朝だ……」
「それ以上は言うんじゃねぇ」

男性側の体の仕組みに特別詳しいわけではないがそういうのは辛いと聞いたことがある。そして凛は今あからさまに動揺している。だからこそ、こちらが勢いよく体を押し返せば簡単に体勢を崩し、そして凛の上に乗り上げることも容易かった。

「お前どう……、っ」
「いいよ」

布越しにふくらみに触れた。下品な女だって思われたかな。でも昨日あれだけしたと言うのに凛を求めている私がいた。

「……いいのかよ」
「なんでそんなこと聞くの?」

熱を帯びた瞳が向けられる。

「今あんまし余裕ねぇから」

だから優しくできないとでも言いたいのか。正直、全身は筋肉痛だし腰も重い。でもそんなことは関係ない。

「凛のことが好きだから、いいよ」

凛の手が太腿に触れる——あとはもう欲のままに求め合うだけだった。





「あれ?私の腕時計知らない?!」
「洗面所にあったぞ。あとこのポーチは?」
「あっそれも持って帰るやつだ!」

太陽が地上に燦燦と光を届けている中、家の中はとにかく慌ただしかった。それはあのまま熱に溺れ二人で二度寝を決めてからの起きたのが一時間前だったからである。

「タクシー呼んだ。道は混んでねぇからあと十五分くらいで着くだろ」
「ごめんね、ありがとう」

だからいま猛ダッシュで荷造りをしているわけである。昨日の今日なので大して物を広げたわけでもないのだけれど何故か物がキャリーケースに収まらない。しょうがないので凛のお言葉に甘えて何着か服を置いて行かせてもらうことにした。

「これで全部か?」
「うん、そのはず」

そして荷物を詰めたキャリーケースは凛が玄関まで運んでくれた。これを持って数時間後には母国へ向かう飛行機に乗るのだ。一年間のフランス生活も今日区切りを迎えることとなる。

「この後、クラブに顔出すから送ってやれねぇケド大丈夫か?」
「大丈夫だよ。今回はスマホもあるしね」

今では笑い話となったそれを敢えて言えば凛も小さく笑った。その姿にこちらも安心する。私が日本に帰って新しいことを始めるように、凛も今いる自分の環境を変えようとしている。再び最前線で戦えるよう前に進むのだ。

「何かあったら連絡して。会えなくても話はできるから」
「お前もな」
「私は何もなくても連絡するから覚悟してて」
「なんだよそれ」

やばい。今になって無性に名残惜しくなってきた。
フランスにいる一年間もそこまで凛と長く過ごしたわけではない。でも物理的に距離が遠くなるとでは気持ちもまた変わってくる。しかも次はいつ会えるかが分からない。その淋しさが不安となって押し寄せて離れがたくなってしまった。

「ねぇ凛、腕ひろげて」
「? おう」

そして最後の我儘を言って凛の胸に飛び込んだ。勢いよく抱き着いても体が傾くことはなく寧ろ支えてくれる。そして私よりも強い力で抱きしめ返してくれた。心臓の鼓動が心地よくて凛の匂いが安心する。どうしよう、泣きそうかも。

「お前はここで立ち止まってる人間じゃねーだろ」

二人きりの空間に凛の低い声が響いた。背中に回されていたはずの右手が後頭部に添えられる。そして髪をすくように何度か撫でられ、またぎゅっと抱きしめられた。

「日本に戻ってやりたいコトやってこい。でも、お前がどこで何しようが最後に帰ってくる場所は——ここだ」

目元に滲んだ涙が溢れそうになった。何も言えずに歯を食いしばっていれば「俺との思い出もこれから増やしてくんだろ」と追い打ちをかけてくる。でもここで泣き顔なんて晒したくない。凛がそう言ってくれたから今の私に不安はない。だからこそ今≠フ私を見て欲しい。

「うん!凛にふさわしい女になって帰ってくるから待っててね」

凛は返事の代わりにキスをくれた。もう大丈夫。頑張れる。

「じゃあね」
「おう」

キャリーケースを引いて扉を開ければ夏の風が頬を撫でた。日差しは強く暑さも感じるがその眩しさは自分の未来を照らしてくれているようで悪い気はしない。気候をも自分の旅立ちを祝福しているのではないかと、浮かれ調子の私は勘違いしてしまうほどだった。

「うん?」

しかし一番祝福してくれているのは風でも太陽でもなかった。
名前を呼ばれて振り返ればそこには一番の私の味方がいた。

「いってこい」

何であれ凛に敵うものはこの世に存在しない。

「いってきます!」

次に会うときは凛の隣で堂々と立っていられるように。
その決意と共にフランスを後にした。

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