stand by you


この日をどんなに待ちわびたか。フランスに移住し早数年、ようやく凛の試合を見に行くお許しが出た。今までも日本での試合には凛についていき観戦を許されていたのだが欧州のリーグ戦は散々一人は危ないだのなんだの言われ続け足を運べていなかったのだ。しかし今シーズンのチャンピオンズリーグ、P・X・Gのホーム戦でついに許可が降りた。

「あっあの子じゃないか?」
「ほんとだ!おーい、こっちこっち〜!」

但し保護者同伴である。

「すみません!お待たせしました!」

スタジアム内の通路にて、こちらに向かって手を振る二人の元へと駆けていく。凛と同じく青い監獄¥o身である潔くんと廻くん。今や凛と同じく世界的に有名なフットボーラーとしてそれぞれドイツとスペインのチームで活躍していた。

「いいよいいよ、つーかまだ待ち合わせ時間前だし」
「いや、付き合ってもらうのに申し訳なさ過ぎて……」
「なに言ってんの!寧ろこーんな良い席に招待してもらえるなんて役得でしかないでしょ♪」

そんな二人がなぜP・X・Gの本拠地に観客として来ているのかと言うと凛が彼らを招待したからである。私一人で観戦に行くことを断固として許さない凛がこの二人と一緒なら、と声を掛け試合のチケットを用意してくれた。

「蜂楽、お前はもう少し言い方を……」
「潔だって凛ちゃんに頼まれたとき超浮かれてたくせにー」
「なっ……そりゃそうだろ!凛の試合を生で見られる機会なんてそうないんだから!」

そして潔くんも廻くんも快く承諾してくれたらしい。二人ともシーズン中だと言うのに予定を組んで、しかも飛行機でフランスにまで来てくれたことには感謝と申し訳なさしかなかった。が、この様子を見るに彼らもまた楽しみにしていたようで感謝の言葉だけを口にすることにした。

「二人とも来てくれて本当にありがとう。今日の試合、凛はスタメン出場だから期待しててね」
「おう!この目でちゃんと視させてもらうぜ!」
「さぁさぁお手並み拝見と行きましょー♪」

スタジアムのマップを確認しつつスタッフの人の案内に沿って通路を進んでいく。スタジアム自体はすり鉢状のスタンド構造ではあるが私たちの席は一階席でもなければ二階席でもない。故にこの通路にも試合を応援するサポーターというよりはサッカー関係者と思われる人の姿がよく見られた。でなければ潔世一と蜂楽廻が現れた時点でこの場はパニックになっていただろう。現にすれ違った人たちは二人を二度見していた。

「ここみたい」
「結構上って来たよな。こんな高い位置から見んの、俺初めてかもしんない」
「俺も!じゃあさっそく入ってみようか、コン ペルミーソ〜!」

廻くんが両の扉に手を掛けて勢いよく押し開ける。その先には海のような深い青の景色と爽やかなグリーンフィールドが広がっていた。そして何より、試合開始を待ちわびるフットボールファンの熱気がガラス越しにも痛いくらいに伝わってきた。

「スゲー!ここからなら試合を俯瞰して見れんじゃね?!」
「潔にとってはもってこいの席だね!」

興奮気味の二人はガラスに顔をぶつけるほどの勢いで駆け寄っていきスタジアムを見回していた。片や私は目の前の光景に圧倒され一歩一歩ゆっくりと部屋の奥へと進んでいく。

「最近、超越視界(メタ・ビジョン)≠フ新しい使い方を模索しててさ、いつもは試合映像見ながら全体像を脳内で構築してんだけど全景映像じゃないから自分の組み立てたビジョンとの答え合わせができなくて——」

潔くんの止まらないサッカートークを耳にしながら、そっとガラスに手を触れる。そして改めて眼下に広がる光景を見て感動した。日本での試合ともまた違う、テレビ越しでは比べ物にならないほどの活気と熱に凛が言う「フィールドは戦場」という言葉が身に染みてわかる。

「どう?初めてP・X・Gのホームスタジアムを見た感想は?」

部屋に入ってから一言も発していなかった私に廻くんがインタビュアーさながらに声を掛ける。その後ろには潔くんもいて、我に返ったようにこちらに目を向けていた。

「すごく、感動した…!」

すっかり語彙力が低下してしまった私の感想はひどいものだった。でも二人は馬鹿にせずに同調してくれた。

「だよね!試合が始まったらもっとすごいよ〜!」
「三人で凛のコト応援しないとな!」
「おっ敵に塩を送るつもり?」
「今日はそれ関係ないだろー!」

三人……その言葉に違和感を覚え改めて部屋を見回す。十人以上は入れるであろう広さがあるここには観戦のためのモニターに、ソファや椅子も置かれている。また、それだけではなくテーブルの上にはちょっとしたケータリング食も並べられていた。広さに豪華さ、何より景色の良さも踏まえて三人で使うには些か贅沢すぎるような……

「あの、ここって他の人は来ないのかな?」

恐る恐る問えば二人は顔を見合わせて首を傾げた。「もしかして凛ちゃん、なんにも言ってないんじゃない?」という廻くんの言葉に潔くんが「あー……」と発しながら苦笑する。そして目が合った潔くんが頬をかきながら教えてくれた。

「ここって所謂ボックス席なんだよ。この部屋自体が席になってるから俺ら以外は来ないよ」
「えっこんなに広いのに?!」
「えーっと……こうゆう席って普通は企業が従業員のためにレンタルしたりするんだよ。ここまでじゃないケドVIP用のシート席ってのもあるからな。ただ、凛の場合はシートじゃなくて個室を選んだみたいだね」

席に関しては全部凛に任せきりで、しかもスタジアムの構造も大して分かっていなかったものだから部屋が用意されているなんて思いもしなかった。潔くんと廻くんがいるから凛が気を使ったのだろうか。

「へぇ……」
「まぁまぁそんな顔しないで!せっかくの凛ちゃんからのゴコーイに甘えようよ!ほら、これとか美味しそうだよ?」

凛のスケールの大きさに付いていけず宇宙を見ていれば廻くんに肩を叩かれる。その手にはお皿があり上にはサーモンを乗せた一口サイズのバケットやビスケットが乗っていた。

「ほんとだ!これもらってもいい?」
「どーぞ!まだあっちにたくさんあるよ!」

そうだよね、せっかく用意してくれたんだから楽しまないともったいない。
試合開始を待ち侘びながら私はビスケットを一枚手に取った。



——後半三十七分 両者二得点
ラストワンゴールを巡ってフィールドでは激しい戦いが行われていた。

「ボール保持率はフランスの方が高いケド、チャンスは作れてないみたいね」
「凛が明らかに警戒されてるからな。パスコース塞がれておまけにプレスも早い」

今シーズンからグループステージに代わり三十六チームが一つのリーグを形成するリーグフェーズが導入された。これにより全三十六チームの勝ち点等を見て決勝トーナメントの組み合わせが決まる。今日の試合はリーグフェーズの中のホーム戦で、この試合でP・X・Gが勝てばベスト十六以内が確定となり、決勝トーナメントでは所謂シード枠からのスタートが切れる。故に引き分けではなく勝利が期待されていた。

「凛ちゃんが二点決めてからDF二枚付けてきたもんね」
「シャルル不在であと五分もないな。でもアイツならゼッテェこんなとこで終わんねぇ」

ガラス越しでも聞こえてくるサポーターの『リン』コール。今日のゴールは全て凛が決めたものだった。だからこそのラストゴール、またハットトリックへの期待が込められたサポーターからの声援。それはもはや狂気であり脅迫であった。

「……来る」

隣に座っていた潔くんが呟けば、それが合図だったかのように一気に試合が動き出した。
おおよそハーフウェーラインあたりからのP・X・Gのスローイン——味方に向けられて放られたボールを凛が横から掻っ攫ったのだ。

「「「おおっ!」」」

凛の奇襲に思わず三人揃って椅子から立ち上がった。そしてガラス窓にへばりつくようにして戦況を見守る。

味方からのボール奪取に相手チームは混乱している。それは一部の味方にも言えることだが凛はそんなことなどお構いなしにパスを出す。それはポストプレーを強要するようなワンツーパスで凛は最終的に一人で敵陣に突っ込んでいく。そして妨害を受けながらも針の穴を通すような正確なシュートをフィールド上で描いてみせた。

『GOOOOL!!P・X・Gの追加得点、そしてリンのハットトリックだ!!!』

今日一番の歓声がスタジアムを揺らす。観客席の青のユニフォームが荒波のようでその感動を体現していた。凛はサポーターに向けて吠え、そしてチームメンバーに肩を叩かれのしかかられていた。

「〜ッすごい!!凛が決めた……!!」
「接戦の大舞台でのハットトリック!さっすが凛ちゃん!」
「ほんとスゲーな。戦況は読めてもあの体勢からの正確なシュートは凛の体幹がなきゃできねぇよ」

私と廻くんがハイタッチを決める中、潔くんは一人自己分析をしていた。さすがは凛に目を付けられてるだけあって生粋のフットボーラー、否サッカーオタクである。

『三対二にてフランス P・X・Gの勝利!またこの試合でP・X・Gのベスト十六以内が確定だ!』

そのままアディショナルタイムでの逆転もならず、P・X・Gの勝利にして幕を下ろす。この試合のMOMは間違いなく凛だ。そして勝利インタビューに凛が呼ばれた瞬間、再び会場が熱気に包まれた。

『ここからは選手インタビューに移ります。まずは本日ハットトリックを決めたリン選手!』

部屋に設置されたモニターで見た方が近いのに私は窓辺に近づきガラス越しに凛を見た。ここからではフィギュアのように小さく見えてしまうがその堂々とした姿には貫禄があった。

『今試合見事なハットトリックでした!ラストゴールを決めた瞬間はどんな気持ちでしたか?』
『絶対に決まると思って打ちました。自分が点を決めるビジョンしか見えなかったです』
『これでベスト十六以内が確定しましたがトーナメント戦への意気込みは?』
『自分の最高のパフォーマンスを持ってやるべきコトをやるだけです。ただ、そのためにはある人の存在が必要不可欠なんだと気付きました』

画面に映し出された凛が観客席を見上げた。カメラから視線を外したことでサポーターも騒つく。そしてリポーターからマイクを奪い取って自分の口元へと運んだ。

『俺の中に土足で踏み込んで来たかと思えば当たり前のように隣にいて。かと思えば勝手にごちゃごちゃ考えてどっか行く。でも、最後には俺のところに帰ってきた』

母国で告げられた言葉を理解できる人間はこの場に三人しかいない。でも誰に向けて言われているかなんて何も考えずともすぐに答えは出た。

『お前がいない世界はもう考えらんねぇ——…そこで待ってろ』

凛は私を見ていた。この距離からでもはっきりとそう言い切れる。双眼のターコイズブルーの眼力はそれほどまでに凄まじく熱を帯びていた。

「う、わ……」
「えっ大丈夫?!」

故に腰を抜かした。足が震えてそのまま床に尻もちをつく。そうすれば近くにいた潔くんがすぐに駆け付け心配してくれた。

「とりあえず椅子座る?」
「う、うん……」

潔くんに支えられ椅子へと移動する。もうなにがなんだか……頭を抱えた私に潔くんが水を持ってきてくれた。小さくお礼を言って冷たい水を流し込む。しかし未だに頭の整理はついていない。

「マジスゲーな凛の奴……」
「ほんと大胆だよね。でも昔はあんなんじゃなかったよね」
「そうそう!口数は少ないし何考えてるか分かんねーし」
「潔とは結構話してたじゃん」

潔くんと廻くんはモニターを横目で見ながら、うんうんと頷いていた。画面の向こうは未だに騒ついているものの次の選手のインタビューが進行されている。 

「俺の場合はほぼ憎まれ口みたいなモンだけどな。そんな凛が真っ直ぐに自分の気持ちを伝えるようになってるとは思わなかったよ」
「それだけ凛ちゃんにとって大切な人ってコトでしょ」

こちらを振り返った二人が笑顔を向ける。そして小走りでやってきた廻くんが、ポンっと私の肩を叩いた。

「よかったね!」

その一言で改めて実感する。でもまだ気持ちがついていけてなくてどんな表情をすればいいのか分からない。喜びたいのに泣きたいような不思議な感覚。

「凛ってさ、」

そんな曖昧な表情をしていた私の隣に潔くんが座った。そして彼は膝の上に両肘をつきこちらを見上げるような体勢で言葉を続けた。

「不器用で分かりづらいケドいい奴なんだ。青い監獄℃梠縺A俺が凛のコト知りたくて話しかけたらヨガや練習にも付き合ってくれたし、この前も俺が足やっちゃったとき一番に連絡くれたのが凛だった」

ニュースにはならなかったが潔くんが試合中の衝突で左足を怪我したことは凛から聞いていた。幸い利き足でもなく軽い捻挫程度ではあったが、リシャールさん経由でそれを知った時の凛は取り乱していたように思えた。

「そんで脇が甘いとかフィジカルが足りないとか色々言われたんだケド、結局アイツってよく見てんだよな。言い方は悪いケド心配してくれたコトは伝わってきたし」

その分、執着もひどいケドな!と付け加え潔くんは呆れたように笑う。しかしスッと表情を変え、その大きな青い瞳を私へと向けた。

「でも裏を返せばそれだけ一途ってコトだからきっと君のコトを大切にしてくれる。だから凛のコト信じてやってよ」

凛と一番付き合いがあるであろう潔くんからの言葉。これ以上、背中を押してくれる言葉がこの世にあるだろうか。

「うん!」
「って俺より君の方が知ってるか!」
「ひゅー♪良いコト言うね潔!」
「茶化すなって!」

硬くなった空気を廻くんが解してくれる。だから私もようやく深呼吸ができ、そして表情を緩めることができた。しかし潔くんは何かに気付いたのか廻くんをいなしながら「あっ」と声を上げた。

「俺らってもう出てった方がいいかな?」
「そだね、どうせ凛ちゃんに追い出されるだろうし」

凛のインタビューから十分ほどの時間が経過していた。他の選手のインタビューも終わってはいたがまだ外の熱気は冷めておらず観客席も賑わっている。しかし潔くんたちは自分たちの役目は終わったとばかりに部屋を出て行こうとした。

「え、ちょっ、行かないで!」
「うぉっ?!」

椅子から立ち上がりかけた潔くんの腕を掴んで引き戻す。
待って待って、確かに勇気はもらったがまだ心の準備ができてない。凛は今まで散々匂わせ行為をしてきたわけだがまさか今日とは思わないじゃん。一緒に食事に行き写真を撮られたあの日でさえ食事だけで終わったのだ。

「今一人にされたら不安でしかない!お願いだからここにいて!」
「いやいや俺ら絶対邪魔でしょ?!」
「邪魔じゃない!心の安定剤として必要不可欠だから!」
「とりあえず離してくんない?!凛にこんなとこ見られたら殺される!」
「私が殺されるかもしれない!」
「なんで?!」
「あっ凛ちゃん、試合お疲れ様」

扉の近くで成り行きを見守っていた廻くんの声に部屋が一瞬にして静まり返った。潔くんの腕にしがみついたまま扉の方へと目を向ければそこにはガラス越しに見ていた凛の姿が。首筋に垂れた汗を拭い、青のユニフォームには試合の熱気が纏わりついていた。

「おい、潔……」

凛は脇目も振らずこちらへと一直線に歩いてくる。その気迫に押され私たちは微動だにできなくなった。ヘビに睨まれたカエルとは正にこの状態のことか。そして双葉印のカエルが先に捕縛された。

「ぐぇっ?!……おい凛ッ苦しいって!」

後ろから襟元を掴まれ潔くんの体が浮く。比喩ではなく、本当に浮いた。クレーンゲームのぬいぐるみが如く、凛の豪腕により潔くんは私の腕の中から抜け出した。

「黙れ潔、もうテメーに用はねぇ。早く帰れ」
「凛ちゃんはせっかちさんだね」
「うっせぇオカッパ、早くコイツ連れて出てけ」
「へいへい、じゃあ潔帰ろっか」
「ゲホゲホッ…うへぇ……」

咳き込む潔くんを支えるようにして廻くんが部屋の扉を開けた。帰る前に一言くらい声を掛けたいがとてもじゃないがそんな雰囲気ではない。しかし部屋を出て行く直前、こちらに顔を向けた廻くんと目が合った。そしてウインク一つ残し手を振って出て行ってしまう。二人がいなくなれば耳に痛いくらいの静かさしか残らなかった。

「おい、」
「いだっ」
「なに余所見してんだよ」

静寂を切り裂くように頭の上に手刀を落される。それはあまりにいつも通りな様子で私も少しは冷静になれた。

「してないよ」
「してたじゃねーか」
「凛しか見てない、見えてない」

ムッとしながら言い切れば凛は目を僅かに見開いて、前髪を右手で握りつぶした。そしてそのまま指で梳かすようにして掻き上げて双眼を露わにする。その瞳には私が映っていた。

「ならさっきのも聞いてたよな?」

凛の言葉に無言で頷く。改めて確認されるとやっぱり恥ずかしい。目線は自然と凛から逸れていく。しかしそれに合わせるように凛は座っている私の真正面に回りその場で膝を折った。

「見てねぇじゃねーかタコ」

この期に及んでまだ言うか。いやこれに関しては私が悪いのだけど。でもまさか凛の方が私に合わせてくれるとは思わなかった。

「ごめん……」

顔を上げて目の前にいる凛を見た。片膝を立て私よりも低い位置にターコイズブルーがある。もう目は逸らさなかった。

「覚悟はできてんだろ」
「うん」

目の前に凛の左手が差し出された。その上にはベルベット生地の小さな箱が一つ。その中身は見なくたって何か分かる。それなのに蓋が開けられた瞬間に押し寄せた衝撃で目からは大粒の涙がこぼれた。

「お前は一生、俺の隣にいろ」

目の前に現れた三つ目のターコイズブルー。小さな箱の中央には凛と同じ瞳の石が埋め込まれたシルバーリングが鎮座していた。

「……、…ッ」

嬉しいのに、ありがとうって言いたいのに。涙も嗚咽も止まらない。だけど凛は急かすようなことをしなかった。何も言わずに只々私が泣き止むのを待ってくれた。それもちょっと恥ずかしいんだけどな。でも、だからこそ私は自分のペースで呼吸を整えることが出来た。そして一言。

「……っ、はい」

化粧も落ちて目も赤くて、きっとひどい顔をしているのだろうと思ったけれど凛の顔を見てはっきりと言う。そうすれば凛が指輪を摘まみ上げ私の左手を取った。そしてするすると薬指へとリングを通す。それはシンデレラのガラスの靴のようにぴったりと収まった。

「綺麗……」
「なくすなよ」
「もちろん」

仕上げとばかりにリングの上にキスが落とされる。
きっとこの魔法は日付が変わっても解けないのだろう。

ありがとう凛。一生大事にするね。





外は真っ白な雪が降り積もっており非常に幻想的な景色を魅せている。その神秘的な光景に思わず手を伸ばしたくなるがそれは同時に天使の右手を掴むのと同義だと思っている。つまり天に召されるということ。しかしそれは些か早すぎる。だからこそ私は天使のお迎えを拒否するべく肩に掛けたケープをさらにきつく体に巻き付けた。

「冷えるか?」

カメラマンとの打ち合わせを終えたのか凛がこちらへとやってくる。長く伸びた前髪をオールバックにした姿はいつも以上に顔立ちの良さを際立たせていた。

「隙間風が入って来てちょっとね」
「場所移動するか?」
「動くのも大変だしいいかな。その代わりちょっとこっち来て」

後ろを見やれば数メートルに及ぶロングトレーンが床を覆っていた。パリを染める雪の白よりも純白なレースが施されたそれは自身を覆うドレスにもあしらわれている。どうやらウェディングドレスというものは世界一美しくて世界一動きにくいものらしい。

「どうした?」
「凛を風よけ兼カイロにしたい」

同じく純白のタキシードに身を包んでいる凛にすり寄る。そうすればケープの上から肌を擦ってくれた。おかげで少しだけ寒さが和らいだような気がする。それにしても男の人って露出少なくていいよね。さすがに一月にノースリーブはきつい。

「もうすぐ準備ができるだと」
「うぅっ……そしたらケープ外さなきゃかぁ」
「前にも言ったが本番の撮影は古城だからな」

本番の撮影と言うのは凛が受けた仕事の話である。
ハットトリックを決めた試合で公開プロポーズとも取れる発言をし、そして関係各所へのご報告≠熏マませた凛の下にとあるジュエリーブランドからCMのオファーがあったのだ。しかも私も一緒に。そして凛と話し合った結果、私の顔は映さないという条件で受けることにした。

「う゛ーそのときは今日の倍カイロ張り付けて挑む」

撮影は雪を被った古城を背に行うらしい。厚手のケープマントを用意してくれるとの話ではあったが下はドレスと聞いているので防寒対策を怠れば死ぬと思っている。せめて雪が解けてからにしてほしかったのだが凛のオフシーズンとの兼ね合いと相手側の希望でこの時期の撮影となった。

「いま中の照明の確認をしているからね、あと少し待ってくれ!」

そう伝えながらカメラマンの男性は目の前の扉を僅かに開けて中へと滑り込んでいった。この扉の先が大聖堂だ。ネオゴシック様式の大聖堂は高い天上が美しく祭壇へと続く大理石のバージンロードは四十メートルもある。そしてその道を私は今から歩こうとしていた。まさかこんな日が来るなんてなぁ。それにしても……

「凛から言ってくれたのは意外だったな」
「ん?」
「式を挙げようって言ってくれたの」

籍は年末に日本に帰国した時に入れた。でも特段お祝い事はしなかった。時間がなかったのもそうだけど私としてはいい意味で今まで通りの日常を凛と過ごせるだけで充分だったから。でも凛はCMのオファーを受けてすぐに式を挙げないか?と私に聞いてきた。

「あ?お前は挙げたくなかったのかよ」
「そうじゃないよ。ただ、凛にもそういう願望があったんだなって思って嬉しかったの」

ここには親も親戚も友人もいない。いるのは私たちと式を行うために手配したスタッフだけだ。誓いの言葉も述べるけど生憎私たちは信仰深い人間でもない。今から行うのは披露宴もない挙式だけの、言ってしまえば自己満足の式だ。

「ちげーよ」

凛も案外可愛げがあるなぁと笑っていれば拗ねたようにそう言った。ちょっと揶揄いすぎたかな、とも思ったがそういうわけではないらしい。斜め下から凛の様子を窺っていれば少しまごつきながらぽつりと言った。

「癪に障ったから」
「何が?」
「俺が先に見れねぇの」
「何を?」
「お前のその格好だよ」

清純清楚、純潔無垢、未来に向けて純粋な心で進む姿を表現したと言われるウェディングドレス。それを見に纏った私を見てそんなことを言う。そうか、CM撮影の時も白のドレスを着て欲しいって言われてたっけ。

「へぇ〜!」
「んだよその顏」
「凛も私と同じだったんだなって思って」

凛のオーダーメイドスーツを私が一番に見たがったように、凛もまた私に対してそう思ってくれているのが嬉しかった。ふぅん、そっか。そうなんだ、へぇ〜。

「悪ぃかよ」
「違うの、嬉しいの。えっもういいの?ほらもっとよく見てよ!」

凛の視界に入ろうとするが、痛くないの?と問いたくなるくらい首を思いっきり明後日の方向に曲げられた。ここまで言っておいて照れ隠しは今さら過ぎるでしょ。

「ねぇねぇ」
「うっせぇ」
「私も凛の髪あげてるとこ見たいからこっち向いてよ」
「…………」
「こっち向いてよ、いけずー……んぐっ?!」
「お待たせしまし——おっと」

これでもかと凛に悪絡みをしていたら首の後ろを掴まれて引き寄せられた。そして口を口で塞ぐという、今日イチ恥ずかしいんじゃないかって行為をやってのけた。この人の情緒は一体どうなってるんだろ。ほら、しごできのカメラマンさんがめちゃくちゃシャッター切ってるよ。

「本番も撮り逃さないように気をつけるよ!」
「準備が整いましたので新郎の方はこちらへ」

色移りした凛の唇はわずかに紅に染まっていた。しかしそんなこともお構いなしにと「またな」と言って私の元から離れていく。どうやらおふざけの時間は終わりらしい。

「新婦の方はこちらに」

スタッフの人にドレスの裾を整えてもらい、メイクさんにはリップを直してもらう。そしてケープを預け最後にベールを被せてもらい前を見た。

「扉が開きましたら新郎の元へとお進みください」

閉ざされた扉の先は大聖堂。高い天井と幻想的なステンドグラスが特別な空間を作り出す。左右の長椅子には誰も座っていないけれど行き着く場所には凛がいる。

「はい」

鈍い音を立て左右の扉がゆっくりと開かれた。ベールに覆われたその光の先はよく見えない。でももう不安なんてなかった。

「待っててね、凛」

貴方の隣に並ぶため私は一歩踏み出した。

fin.

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