
お義兄さんと私 2
クローゼットの中から服を引っ張り出し全身鏡の前で体に当ててみてはこれでもないあれでもないを繰り返す。マジでどの服着ればいいんだ?!
確か今日の糸師冴の服装は黒のストレートパンツとワインレッドのジャケットを羽織っていたか。シンプルなデザインだがきっと高級なものだ。だが今日のコーディネートの主役は服ではなく小物の方であろう。胸ポケットに掛けられていたレイバンのクラブマスターに見間違いでなければウブロのビッグバンもつけていた。それに加えて国宝級の顔面も兼ね備えているのだ。一体なにを着れば彼の品位を下げずに済むのやら……
凛も確かに顔が整っているしなにを着ても様になるがいつもは服でこんなに迷わない。というのも特に何も言ってこないからだ。スカートを履こうがジーンズを履こうが、ノースリーブワンピースだろうがオールインワンのサロペットだろうが、可愛いはおろか似合う似合わないも変もダサいも言ってこない。
ある日、凛からの意見を聞きたくて、今日の恰好どうかな?と聞いてみたことがあった。しかし聞いてすぐに後悔した。だって彼女が言ってきたらウザいと思う問いかけワードに対してまともな答えが返ってくるとは思えなかったからだ。よくてため息、最悪シカトといったところだろう。だが返ってきた答えは私の想像の斜め上をいった。
「リップと瞼んとこのラメ?がいつもと違ぇ」
いや、間違え探しじゃないんだわ。そしてなぜ気づけた。凛ってそんなに化粧に興味とかあったんだ。というか違いが分かるほど普段顔見られてるってこと…?それじゃあ普段のメイクも手抜けなくなっちゃうじゃん。
私が微妙な顔をしていたら思い出したように「二日前にシャンプー変えた」と付け加えてきた。いよいよ知らない答えが返ってきて困惑する。そして正解である。
「合ってるんだけどそうじゃなくって…!服、服はどうかな?!」
「? ワンピースだろ?」
服の種類を答えるゲームでもないんだわ。
とまぁ凛はこんな感じだからその日の気分で自分の好きな服を着ているのだが今日はそういうわけにはいかない。だがいつまで悩んでいてもしょうがないので安定の清楚系の服を選ぶ。袖の部分がフリルになっている白のブラウスとブルーのロングスカート、これに五センチヒールのストラップ付パンプスを履けば様にはなるだろう。糸師冴も皮のカジュアルシューズだったから足元が悪い場所にはいかないはずだ。
「お待たせしました!」
——きっかり三十分後。着替えとメイクを済ませた私はリビングへと戻った。
アイシャドウを乗せ直しアイライナーとリップは引き直したので顔面もおそらく及第点。髪もアイロンを使って癖は直したし凛からもらったネックレスも付けた。急ごしらえのコーディネートではあるが割と出来いいかも。
「おう。時間ちょうどだな」
「すみません……」
「いや、問題ない。行くぞ」
冴さんに促され玄関へと向かう。そのときキッチンのところに食器の乗ったトレーが置かれていることに気が付いた。どうやら運んでくれたらしい。
前を歩くその背にそのことのお礼を言えば「ご馳走になったからな」とぶっきらぼうに返される。そしてちらりとこちらを見た。
「大分印象変わるな」
凛と同じターコイズブルーにどきりとする。姑に品定めをされているかのような視線に心臓に嫌な汗をかいた。
「服装、ダメでした……?」
「いや、悪かねぇ」
よ、よかった〜!正直、凛のご両親と対面するときよりも今の瞬間は緊張したし、なんならお義母さんよりも姑み≠ェあるからこれでため息一つで返されてたらメンタルやられてたかもしれない。
よかったです、と震える声で返せば玄関扉を開けながら冴さんが前を見ながら言葉を続けた。
「凛が好きそうな格好だな」
「そうなんですか?」
「ああ」
きっと凛の前でこの格好をしてもいつも通り何も言わないのだろう。そしてきっと本人も自分の好みを分かっていない。だからこそ冴さんの言葉は私の中では衝撃的で、嬉しかった。
「じゃあ今度、凛の前でもこの組み合わせで着てみます。冴さんにもいいって言ってもらえたって言って」
「俺の名前は出すな。ややこしくなっから」
久しぶりにデートに誘ってみようかな。そう思いながら首元の宝石に触れた。
◇
冴さんが手配したであろう車に乗って未だに知らされていない目的地へと移動する。まさか自分が運転手付きのロールスロイスに乗る日が来るとは思わずものすごく緊張した。窓はもちろんスモークガラスでいかにもVIP仕様の送迎だった。
「ここは……」
そして連れていかれたのはとある建物。そこはインテリア用品を取り扱うブランド店であり世界的にも有名なお店だ。でも本店へは確か人からの紹介がないと入れないはず。
「はぐれるなよ」
しかし糸師冴に対してその心配は杞憂であった。
扉の前にいた男性には笑顔で迎えられ、英語での歓迎を受けた。冴さん個人には多くのスポンサーがついていたはずだからそのあたりの伝手もあるのだろう。すごい、世界の冴様だ。
「家具を買いに来たんですか?」
「それでもいいが目当ては食器だ」
食器コーナーに案内してもらい冴さんの後に続くように私も並べられたものを見ていく。
すべての食器が温かみのあるミルキーホワイトで底の部分にはデザインとは違うわずかな凹凸がみられる。職人の手作りだからこそ感じられる味わいだ。差し色があるわけでもないのにこの食器が可愛いと感じるのは縁のデザインによる視覚効果であろう。
額縁を思わせるようなスクエア型のものや丸いつぶつぶがついた円形の平皿。光と影ですらデザインの一部に取り入れてしまう幾何学模様に縁どられた前衛的な食器もある。そしてインテリアに使えそうな立体的な食器まで様々だ。
「お前が選べ」
お値段が書かれていないのが怖いが連れてきてもらった記念に一つくらい買ってもいいかもしれない。そう思いながらも私は私で自分の買い物をしようとしていれば急にそんなことを言い出した。
「えっ私ですか?!」
「当たり前だろ。何のために連れてきたと思ってる」
糸師冴が使う食器を私が選べと…?
この服装ですら決めるのに散々頭を悩ませたというのにさらに難易度の高いお題を出してこないでほしい。それにこういうのって普段使う人が選んだ方がいいんじゃ……でもこの言い方だと私が決めるのはもう決定事項だよなぁ。
「えーっと、とりあえずどのくらいの大きさの物がいいですか?」
「一通り揃えた方がいいだろ」
「そうですか。それと数は……」
「二組ずつだ」
もしかして彼女さんでもできたのかな。それで同棲を始めるために食器を買い揃えに来たとか?そう考えると私に意見を求めるのもしっくりくる。そして頼ってくれたとあらばその期待にも応えたい。
「わかりました」
「俺は向こうにいるから選び終えたら声掛けろ」
「はい」
日本の店のように一枚一枚丁寧に展示されているわけでもないし購入時に奥から新品が出てくるものでもない。すべてが手作りであるそれは一つとして同じものはなく乱雑に重ねられた中からお気に入りを探さなければならない。見上げるほどの壁には大皿が掛けられており場合によってははしごを使わなければ届かない。
そんな店内を見まわしながら気になったものを片っ端から手に取っていった。
気付けば一時間以上も店内をうろついてしまった。気になったものはその都度店員さんに預け厳選に厳選を重ね大皿と小皿を数種、ボウルとスープ皿も含めていいものを選べた気がする。絵柄が描かれているわけでもないからどんな料理にも合うはずだ。
「お持たせしました」
「終わったか」
冴さんは店内の一角にある椅子に座って出された紅茶を優雅に飲んでいた。組んだ脚を下ろしながら耳からワイヤレスイヤホンを外しタブレットの電源を切る。そして店員さんにお願いし私が選んだものを冴さんの元まで持ってきてもらった。
「いいんじゃねぇか。ただ、カップがねぇな」
皿類は一瞥しただけですぐに合格点を頂けたがカップの存在は指摘された。無数にあるお皿の方に目が行きがちだがもちろんカップの取り扱いもある。でもそれは私が選ぶべきではないと思った。
「それは冴さんが選んでください」
「お前、めんどくさくなって俺に押し付けようとしてねぇか?」
「違いますって!ただ一番使用頻度が高いものは冴さんが選んだ方がいいと思いまして」
その方がきっと彼女さんも喜んでくれるはずだ。
冴さんは無言でじっと私を見つめていたがついに折れて重い腰を上げた。
以前の私であればビビり倒していたところだが生憎、凛ですっかり耐性が付いてしまったため怯むことはなかった。
そしてそわそわしながら遠目で冴さんの様子を窺っていれば店内を一周し、そして迷いなく揃いのカップを手に取った。
「これも追加だ。さっきのと合わせて会計を頼む」
「かしこまりました」
それはシンプルながらも持ち手が猫になっている可愛らしいものだった。えっ冴さんって意外と可愛いもの好きなのかな。凛もああ見えて甘いもの好きだったりするしこの兄弟はギャップ萌えがやばい。まぁこの場合は冴さんの彼女さんが可愛いもの好きなのかもしれないけど。
「おい、」
冴さんがお会計をしている間、私も自分の物を買おうかと思っていれば不意に呼ばれる。身体を食器にぶつけないように気を付けながらも急いでいけばペンを渡された。それと目の前には伝票が一枚。
「さすがに持っては帰れねぇから送るコトにした」
「はぁ」
「なにマヌケ面してんだ。ここに住所書け」
住所ってもしかして——その瞬間、私をここに連れてきた本当の意味を理解した。
「もしかして私たちへの食器を買ってくださってたんですか?!」
「言ってなかったか?」
「言ってなかったですよ?!」
動揺する私をよそに冴さんはいたって冷静に「早く書け」とその長い指を伸ばし伝票をトントンと叩いた。これ以上、お店の人の前でも見苦しい姿を見せるわけにいかない。私は震える手でそこに自分の家の住所を書いた。
「今日は本当にありがとうございました」
家まで送ってもらい、本日何度目かもわからないお礼の言葉を口にする。冴さんにはめんどくさそうに「もういい」とあしらわれたが言わずには言われなかった。だって凛が食器を割った話を私がしたから、冴さんが食器を贈ってくれたのだ。そういうつもりじゃなかったんだけどな。
「明後日には届くだろ。また凛に割られないように気を付けろよ」
「はい」
そして冴さんはこのままこの車に乗り空港まで行くつもりらしい。
私は閉められる扉を見つめながら、しかしまだ言いたいことがあったのでスモークガラスを二回ほど叩いた。すると窓が開けられ冴さんの顔が覗いた。
「なんだ?」
「冴さんの好きなものってなんですか?」
「は?」
料理が大の得意ってわけでもないけど大学生のころから自炊はしているので基本的な料理なら大体作れる。それに日本料理なんてものは自分で作らなければ口にするのも難しいからこっちに住み始めてから寧ろ腕が上がったとさえ思う。
「そういえば聞いたことなかったなって思って」
「……塩こぶ茶」
「えっと、料理で!料理だと何が好きですか?」
聞き方を間違えたと思い訂正する。冴さんは視線を宙に移しながら「フライドポテトは身体に悪いからな」とぼそりとつぶやいた後に再びこちらを見た。
「日本料理だな。こっちじゃ中々食えねぇし」
「それなら今度、凛がいるときに来てください。日本料理でおもてなしします!」
「お前が作るのか?」
「はい。といっても難しいものは作れませんが……でも肉じゃがとか和え物の味付けはお義母さんに教えてもらったので自信あります」
凛のご両親は時たま醤油や味噌なんかを送ってきてくれる。それがうちの実家と違うものだったから、お礼のメッセージを送るときにお義母さんからいくつかレシピを教えてもらったのだ。凛にも何度か食べてもらい味をみてもらったところ、つい最近ようやく味を再現することができた。
「母さんと連絡取ってんのか?」
「偶にですけど」
「そうか……わかった、お前の都合がいいときに連絡してこい。時間なら作ってやる」
「ありがとうございます!」
ロールスロイスが走り出す。それが見えなくなるまで私はその場を離れなかった。
◇
夕飯の支度をしていれば玄関扉の開く音がした。手が塞がっていたのでキッチンから、おかえりーと声を掛ける。そのうちに肉じゃがの鍋が噴きだしかけたので慌てて火を弱めた。
「ただいま」
「おかえり、夕飯すぐに用意できるけど先にシャワー浴びて来る?」
「いや。メシでいい」
「わかった」
食器棚に手を伸ばし皿の用意をする。そういえば今日買ってもらった食器たちが届くからこの辺りも整理しないとだな。凛が割った後に多少なりとも皿は買い足したので少々狭いかもしれない。でも上の方のスペースはまだ空いていたはずなのでそちらに普段使わないものを移動させれば収まりそうだ。
「出掛けたのか?」
揚げ出し豆腐を器によそっていれば冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した凛にそう尋ねられた。
出掛けた時の服では料理がしずらいと思い再びパーカーとスキニーパンツに着替え直したのだがやはり化粧と髪型で察したらしい。その眼は明らかに浮気を疑う色をしていたので誤魔化さずに素直に認めた。
「うん。買い足したいものがあったから少しだけ外出たよ」
ただこのタイミングで馬鹿正直に冴さんと出掛けたことを言うのは怖すぎたのでやめておいた。食器が届いたら改めて本当のことを言おう。
「そうか」
それ以上は突っ込まれなかったので黙々と夕食の準備をした。
今夜のメインは肉じゃがで揚げ出し豆腐や葉物のお浸しなども作り、白米と漬物も添えた。凛には追加でサラダも付けたが、このザ日本食といったラインナップに自分でも冴さんのことを意識してるなぁと思い恥ずかしくなる。
「猫……?」
そして飲み物はもちろん熱い緑茶。だがそのカップだけは日本らしさを感じさせない。
買った食器は郵送の手続きを取ったがこのカップだけは今日持って帰れるように別で包んでもらったのだ。
凛は物珍しそうにカップを触っていた。
「可愛いでしょ」
「どうしたんだ?」
「もらったの」
「誰から?」
凛と向かい合う形で自分もダイニングテーブルに着く。お湯を注ぎ入れてきた急須を持ち上げれば凛は持っていたカップをテーブルに置いてくれた。揃いのカップに濃さが均等になるよう交互に注いでいけば茶葉の香りが部屋に広がる。
「明後日教えてあげる」
「なんで今じゃねぇんだよ」
「ほらご飯覚めちゃうよ、いただきますしよ!」
強制的に会話を終わらせ箸を手に取る。凛も食欲が勝ったのか私に続いて箸を手に取った。
口いっぱいに頬張りながら食べる凛を見ながら「ご実家の味に似てる?」と聞いてみる。そしたらもぐもぐと口を動かしながら頷かれた。この分なら冴さんに自信を持って振舞うことができそうである。
「ねえ凛、」
「ン?」
「今度うちに人を呼んでもいい?おもてなししたい人がいるんだ」
口いっぱいに頬張ったものを飲み込み、カップを手に取った。猫の胴体に指がひっかけられ中身が飲まれていく。そしてカップをテーブルに置いてから私を見た。
「マネージャーか?」
「ううん、リシャールさんじゃなくて別の人」
「俺が知らない奴なら俺がいないときに呼べ」
「凛も知ってる人だから凛もいてほしいんだけど」
「おい、まさか潔とかオカッパのコト言ってんじゃねーだろうな」
「違うよ」
「じゃあ誰だよ」
自分のカップを手に取って改めて猫をみる。職人技術により生み出されたそれは実に可愛らしく思わず笑みが零れるほど。私は小さく笑ってそのカップを凛に見せた。
「これをプレゼントしてくれた人」
「だから誰だよ」
「明後日教えてあげる」
凛のことを説得するには随分と骨が折れることだろう。
でも近い未来に三人で食卓を囲む日が来るのだと、私はそう信じている。