猫になったら先輩の本音を聞いてしまった

*『宝くじが当たったので私と離婚してください!』の二人の高専時代の話です
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黒から金に変わってしまった目を細め、ジトリと目の前の男を見る。

「ようやく目ぇ覚ましたんか」

いつもより視線が低い。それにやたらと物音がはっきりと聞こえた。先ほどまで気にならなかった雨音が煩いくらいだ。

「部屋の前で死なれたらさすがに目覚め悪いからなぁ」

いつもは私のことを引っぱたく手が優しく頭まで伸ばされる。その手は大きくて頭など簡単に握りつぶしてしまいそうだ。

「気分はどうや?」
「ナァ」

その瞳に映る姿は猫。そして放った言葉は鳴き声となりその場に落ちた。

心当たりがあった私は静かに天井を見上げ、今日の記憶を辿った。



数時間前、私は全力で山林を駆け抜けていた。

大した術式も持たず、かといって天与呪縛的な身体能力の高さもないが足には自信がある。なんせ呪術高専に入学してからというもの死と隣り合わせの毎日を送っているので。

「早よ術式展開して祓えや!」
「いや無理ですって!私の術式は攻撃型じゃないって言ってるじゃないですか!」
「自分死ぬで」
「じゃあ先輩が何とかしてくださいよ!」
「その場で三回周って地面にひれ伏し俺の奴隷になること宣言するんなら考えてやらんでもない」
「このクソがぁ!!」

先輩は器用に枝から枝へと飛び移り愉快そうに私を見下ろしている。片や私は猛攻してくる呪霊の攻撃をかわしながら地面を駆けずり回っている。そもそも三級呪術師である私を二級呪霊の任務に連れてきた先輩が助けるというのは当たり前のことでは?だがしかし、性格の悪い先輩にそのような優しさなどなく文字通り高みの見物をしている。

「グアァァアアアァ!!!」

後ろからは脚が六本はあるジャガーのような見た目の呪霊が迫ってきている。どうやらこの山の近くにある閉園された動物園から発生した呪霊らしい。その呪霊は速さのみならず鋭い爪を持っているため不用意に近づけない。

「しゃあないなぁ、『直哉様助けてください』って言うたら助けたるわ」
「幼気な後輩を階級不相応な任務に連れて来てあろうことか見殺しにしようとしている金髪クソ野郎こと禪院直哉サマ助けてください!」
「自分、極刑な」
「なんで!?」

呪霊からの攻撃を紙一重で避ける。もう先輩は当てにしない。私は術式を発動し呪霊の目を暗ます。そして自分の分身を幻影で作り出し翻弄させた。幻の方に気を取られている呪霊の背後に回り呪具である斧を取り出す。大きな見た目よりも軽いので私でも扱いやすい。それを呪霊の背中に思いっきり振り下ろした。

「キシャアァァッ!!」
「―――っ!?」

呪霊を切り裂いた瞬間、背中から白い煙のようなものが噴出した。慌てて息を止めるも僅かに吸い込み喉がヒリヒリと痛くなった。毒か?いや、もう祓えたわけだし例えこの呪霊のものであったとしても解呪されるはず。

「おーおーちゃんと祓えたやん。これも俺の指導の賜物やな」
「いや、先輩からは指導も教えもされたことはないのですが」
「はぁ?せっかく実戦経験積めるよう俺の任務に同行させたんに他に言うことあらへんのか?」
「オフの今日は同期とタピオカ飲み行く約束してたのにそれを台無しにされた私に対して他に言うことないんですか?」
「せやったら向こうのドブ川にオタマジャクシおったで。それでええやろ」
「タピオカに謝れ!!」

ケタケタと笑う禪院先輩にはマジで殺意が沸く。  
すでに特別一級呪術師であるにも関わらず、先輩は任務が入れば大抵私を同行させる。それでも初めのうちは帳を下ろす程度だったのに最近では呪霊との戦闘にまで駆り出される。そして呪霊に追われて発狂する私を見ては笑うのだ。当の私は全く面白くない。

「雨も降りそうやし帰るか。早よ補助監督に連絡取り」
「ハイハイ」
「なんや自分、声変やない?」

確かに少し掠れ気味だ。さっきの呪霊のせいだろうか。しかし多少のひりつきは残るものの普通に声は出せている。特に問題もなさそうだ。

「いつも通りですよ」
「安心しい、俺が今から飲み物取ってきたるからな」
「待ってください。そちらはドブ川です」

補助監督の人が到着するまでの間、オタマジャクシ片手に追いかけてくる先輩と鬼ごっこをする羽目になった。暫くタピオカは飲めそうにない。
その後、迎えの車の中でも嫌みと屁理屈の応酬を繰り広げて高専へと帰った。

夕食を取り風呂に入り、SNSでも巡回するかと思ったところで私はあることを思い出してしまった。

あ、先輩に呪具返してなかった。

任務で使った斧は禪院先輩のものだ。先輩との任務の際は毎回あの斧を借りている。先輩はその呪具を使っていないようだし返すのは明日でもいい気がするが連日顔を合わせるのは嫌だ。それにめっちゃネチネチ言われそう。時間もそこまで遅くなかったので先輩の部屋へと向かうことにした。

呪具は私の術式でしまってあるので手ぶらで向かう。
そして先輩の部屋のドアをノックしようとしたところで事件が起きた。
急に息苦しくなり体に激痛が走ったのだ。遂には立つのもしんどくなり、床へと倒れこみそのまま意識を失った。



———で、次に目が覚めたら猫の姿になり禪院先輩の部屋にいたというわけだ。

この姿になったのはきっとあの呪霊の仕業だ。さすがに猫になったことには焦ったものの、こういう現象に関しては以前授業で習っていたので思いのほか冷静になれた。
祓除される際、呪霊が最期の抵抗に呪をその場に残していくことがある。しかしそれはとても弱いもので数時間か長くとも一日程度で解呪されるらしい。だから私もすぐに戻れるだろう。

「なんで寮内に猫がおるんや」

しかしあの禪院先輩が私を助けてくれるだなんて意外だった。実は猫好きとか?
頭を撫でてきた手が喉元にまで伸びてくる。あ、そこ気持ちいい。もっとやれ。

「なんかあいつと似とるな」

あ?なんか言った?

ハッ!という私は何をのんびりしているんだ?!
猫になってしまったのはこの際受け入れるとしていつまでもここにいる訳にはいかない。
なんせこの部屋は私がクソofクソ認定している禪院先輩の根城である。猫が私だとバレた暁には揶揄うどころかこのまま呪霊の元へポイされる可能性だってある。そんな非人道的なことも平気でやるのがこの男だ。

「どこ行くん?」

帰りますわ。いつ元の姿に戻るかも分からんしな。
というか先輩、猫相手にめっちゃ喋りますね。友達いないんかな?事実いなそうだが。

ん、ちょっと待てよ?

そこで私は気付いてしまった。
ここは先輩の部屋。そして今の私は純真無垢な猫。
何か面白いことが知れるのではないか?

入学早々に何故か禪院先輩に目を付けられた私は散々酷い目に遭わされてきた。嫌味を言われ、階級不相応の任務にも連れて行かれ、授業の実践練習では骨を折られることもあった。

しかし、ここで先輩の弱みでも握れれば今後確実にアドバンテージが取れる。そしてもっと上手くいけば先輩は私に一生頭が上がらなくなる。

四足歩行の歩みを止め改めて部屋を見回す。構造と間取りは私の部屋とほぼ同じだ。ベッド、机、本棚などの備え付けの家具におそらく自身で持ち込んだのであろうラックが二つ。壁にかかっている物は制服の上着とカレンダーに時計というシンプルな部屋だ。

でも私は知っている。年頃男子の部屋には絶対にあれが隠されているはずだ。
そう、巷ではお宝と呼ばれているエロ本だ。
この部屋にも絶対にあるはず。もしそれが熟女ものや触手プレイ系であれば一気にアドが取れる。探すっきゃない。

幸いにも先輩は私への興味をなくしたのかスマホを弄りだした。それをいいことに、まずは王道であるベッドの下を探す。ベッドと床の間には何もなく、マットレスの間も注意深く観察してみたがない。

次は本棚だ。一見参考書のように見せてかけて中身がエロ本と言う可能性もあるからな。高いところは難しそうなので下の段を漁ってみるが本当に参考書のようだ。
他にもクローゼットや机の中など探したいところではあるが先輩もいて猫の姿ともなれば難しいかもしれない。

「既読も付かへんな」

探索を早々に諦めた私は先輩へと視線を向けた。ゲームでもしているのかと思えば誰かに連絡を取っていたらしい。その相手が気になり近づいてみる。

「どないした?」
「ナァン」

友達いない歴記録更新中の先輩が誰と連絡取ってるのか気になりまして、と言ってみたもののただの鳴き声になってしまった。  

「後輩が連絡よこさへんのや」

お?私の言葉通じた感じ?
よく分からないが先輩はスマホの画面を私に見せてくれた。って、相手私じゃん…しかもそこには「呪具返せ」という内容が打たれていた。これは明日絶対ネチネチ言われるパターン。

「俺からの連絡は秒で返せや」

というか先輩、短気すぎては?今送った文章一分前だったじゃん。botでもそんな早く反応できないわ。うわっしかもまたメッセージ送り出した。スマホ確認したら通知がえげつないことになってそう。その前に充電が切れてるかもしれん。

「まぁ明日会う口実になるからええか」

だから今日中に返したかったんだよ。明日はどんな嫌味を言われるのやら。それともまた任務に連れて行かれるかもしれない。

諦めがついた先輩はスマホをベッドへ放り投げた。
私もお宝探しは諦めた事だしそろそろ帰ろうかな。男子寮と女子寮は並んで建てられている。外は雨が降っているようだが走って帰ればまぁ何とかなるだろう。

「あっそういうたらこれやってみたかったんや」

ドアの方へ向かおうと思い立ち上がったところで後ろから持ち上げられた。
びっくりして固まれば体勢を変えられ先輩と向き合う形になる。そしてその距離は徐々に詰められ先輩の顔が私の体に埋もれた。

「すぅぅぅ……」

ぎぃやぁああぁぁ!!!
はぁ!?こいつ何やってんの?マジでドン引きなんですけど!!しかも吐息が身体に当たりくすぐったいんだが!?

「すぅぅぅ……」

まさかの第二波!!!
勘弁してくれ!華のJKの身体になんたる——いや、私いま猫だったわ!!
あれ?じゃあこれはアレか?猫吸いか??猫吸いというやつなのか???

「すぅぅぅ……」

いや、だからと言って許されることじゃねぇから!!!

体は猫でも感覚は人間のときと同じなのだ。奴はいま私の両腕の間に顔を埋めている。この位置にある人間の女が有しているものは何かわかるな?

そうだ、男が大好きおっぱいだ!
猫のおっぱいは下腹部にあるが感覚は人間の時と同じ。
つまりこいつは私のおっぱいをくんかくんかしてるんだよぉおぉぉぉ!!!(泣)

「はぁ。なんか癒されたわ」

さいですか。
私のSAN値はゴッリゴリに削られたわ。

グッタリと水分を含んだぬいぐるみのように項垂れる。もうやだわぁ。早く元の姿に戻りたい。それかせめてこの部屋から出たい。最早こいつの弱味なんかどうでもいいわ。

「ん?なんや、しっかりしぃ。大丈夫か?」

赤子を抱き抱えるように肩に顎を乗せられ背中をぽんぽんと摩られる。先輩にこんな優しい一面があったんですね。でも今までの仕打ちとくんかくんか事件は一生忘れないからな。

チラリと視界の端に何かが光る。気になって少し首を動かすと先輩のピアスが見えた。一丁前に色気付きよって。
先程の腹いせにピアスごと耳たぶに噛み付いてやった。

「ひゃぁっ…!」

ひぇええぇぇ!!!
ご、ごめんなさい!!まさかそんな声が出るとは思いもよらなかった。というか私が一番聞きたくなかった。

もはや半泣き状態で先輩にしがみついているとまたも脇の下から持ち上げられた。そして先輩の目の前まで持っていかれる。そのまま宙ぶらりん状態で先輩と目が合った。

「エロいことすんなやアホ」

ド変態に言われたくないわボケ。

先輩の耳は真っ赤だ。ついでに頬も。
マジですまんかったわ。でも私だって先輩の耳に性感があるという情報は知りたくなかったんだよ。
足をバタつかせて下せアピールをする。そうすれば意外と簡単に私を解放してくれた。

マジで疲れたわ。窓を蹴破ってでもこの部屋から逃げ出したい。しかし相変わらず雨は降っているしここは三階なので諦めた。

脱出は諦めたが奴を視界に入れることすらしんどいのでどこか入れそうな隙間を探す。
ベッドと本棚の間に十数センチの隙間を見つけた。丸まることは出来なさそうだが暫くはここでじっとしていよう。

顔を突っ込み肩までは余裕で入った。しかし後脚の付け根で引っ掛かる。あ、これよくテレビの動物特集で見るやつだ。予習済みであったのに恥ずかしい。ジタバタともがいてみるが一向に動けない。しかも後退も出来なくなってしまった。

「何やっとんねん」

腰の辺りを引っ張られて隙間から抜け出した。と、同時にバサバサと何かが落ちる音がした。私が抜け出た拍子に本棚からファイルが落ちたらしい。

「ったく」
「ナァ…」

これに関しては申し訳なかった。謝罪の意味を込めひと鳴きする。
私は床へと下ろされ先輩はファイルから落ちた物を拾い上げる。その殆どはテストの答案用紙のように思えたが写真も何枚か混ざっていた。

「どないしたん?」

紙束を踏まないように写真のところまで近寄って覗き込んだ。これは以前行われた姉妹校交流会の時の写真だ。

今年の参加者は二年の私達と三年の先輩達の代だった。この写真は二日目の最後に撮った集合写真だ。といっても堅苦し様子はなく各々好きなポーズで写っている。
確か先生が撮って後日私達に配ってくれたのだ。私もこれは大切に保管しているが先輩がまだ持っているのは意外だった。こういうのすぐ捨てると思っていたのに。

「こんなとこにあったんか」

先輩は散らばった写真を優先的に拾い上げその場に胡座をかいて座った。私はそれがどうにも気になり先輩の太腿に前脚をついて覗き込む。
先程の集合写真、次に三年生だけの写真、二日目の個人戦での先輩の姿など。

「ナ"ッ」

ふぅんと見ていたら突如私の写真が出てきて変な声が出てしまった。先輩はその鳴き声に笑いながら私の体を抱き上げ胡座の真ん中に座らせた。
もう一度、自分の写真を見る。これは確か二日目の個人戦で私が奇跡的に勝てた時の一枚だ。  

私はぶっちゃけ弱い。術式は幻術系のもので目眩し程度にしかならないので戦うという点においては無力なのだ。しかし、そのときの相手が三半規管の弱い人だったらしく私の術式に酔って早々に根を上げた。そしてこの写真はまさか勝てるとは思っていなかった私が同期と一緒に喜んでいるときのものだ。

「懐かしいな」

そう言って一枚めくる。
女の先輩とピースをしている私、同期と馬鹿やって大笑いしている私、噴き出した炭酸飲料を顔面に被っている私———懐かしいと思いつつも何で先輩がこの写真を保管しているのか。こいつは私の事をオモチャとしか思っていない。そんな女の写真を取っておく意味とは。もしや今後の脅し材料の一つにでもしようとしているのか?

「こいつな弱っちくてアホでめちゃくちゃ生意気やねん。だから俺が躾してる最中や」

マジでクソ。
躾ってなんだ。もしやそっち系の趣味をお持ちで?その被害者が私だなんて死んでもお断りだ。

「でも、無茶苦茶かわええんよなぁ……」

…………は?



今なんて言った?!
首をギリギリと動かして先輩の顔を見る。その瞳は熱を帯びた目で私が写っている写真を見ていた。

え……まさか先輩、私の事が好きなのか?でも今まで散々私の事を虐めてきた。あれのどこに恋愛要素が……あっでも小学生男子あるあるの好きな子ほどいじめたくなるやつか?いや、でもさすがに骨折るほどいじめてくる奴とかサイコパスすぎる。

「こっち来ぃや」

驚きすぎて硬直していれば持ち上げられ、ぎゅうっと抱きしめられた。
ちょっと待て。色々と聞きたいことはあるが苦しい。こちとら猫の体やねん。このままでは全身複雑骨折は必須。マジで死ぬ。

「に"ゃぁ…ナ"、ナァッ」
「あっすまへん」

喉から声を絞り出しようやく解放してもらえた。先輩の胸にもたれながら肺に酸素を取り入れる。
すると再び体が持ち上げられ首元に何かが触れた。

「お前あいつと同じ匂いするなぁ」

ひぇええぇぇ!!!
おっぱいの次は首元かよ!相変わらずやらしいところを攻めてくる!くすぐったい!それに私の顔が先輩の髪に埋もれて不覚にも匂いを嗅いでしまっている。先輩の性格の悪さとは裏腹の爽やかな香りに思わずときめいた。

「ふなぁ、ァ……ッくしゅん!」

鼻がむずむずしてくしゃみが出てしまった。動物の鼻は実に敏感である。 
それをキッカケにようやく先輩は顔を上げた。しかし私を解放する気はないようで両手でがっちりとホールドされたままだった。

「お前、鳴き声変わっとるよな。ニャアやなくてナァって鳴きよる」

猫とか飼ったことないからそんなん知らんわ。

それよりもだ、先輩は私の事が好きなのか?

いや、冷静に考えてもありえない。そもそも御三家のご子息ともなれば既に許嫁やら婚約者がいてもおかしくはない。私みたいな一般家庭出身で教養も礼儀もなく、大した術式でもない人間など興味ないだろう……自分で言ってて虚しくなってきた。
兎も角、不釣合いな上に惚れられる要素がないということだ。

先輩に首元をごろごろ撫でられながら自己分析していると、その手が不意に止まった。

「もしかして俺の名前呼んどるん?ナァって」

は????

何言っちゃってんのこいつ。
名前?あ、先輩の下の名前って直哉だったな。

はぁああぁぁ!!??

つまり私の「ナァ」が直哉のナだと?!

マジで爆笑案件なんだが!!!
ここでは割愛しているがwが三千文字は並ぶほどの大爆笑である。
テレビで愛犬の声が「おはよう」と言っているように聞こえるとか猫が「ちょうだい」と言っているなどの動画を見るが、それを図々しくも自分の名前に当てはめるだなんて。
しかも「ナァ」とかもはや単語だろ。直哉という名前にかすりもしてないわ!

「直哉は難そうやからナァくんはどや?ほれもう一声や」

ナァくん!?そして何がもう一声だよ!!!
マジで大草原不可避。今ならダイマックスしてダイソウゲン打てそう。ゴリ○ンダーもびっくりのグラスフィールド展開してやるわ。

「ナァ、ア」
「おおっいけそうやん」

猫は表情筋が乏しくて助かった。人間の私だったら大口開けて泣きながら腹を抱えているところではあるが、今はポーカーフェイスを決められている。
猫の声帯的にやはり発音はできないがとりあえずナァナァ鳴いてみる。先輩の一喜一憂する顔がマジで面白い。無駄に気合が入ってしまう。

「なんや急にえらい鳴くようなったな…こいつ発情期か?」

それは寧ろお前の方だろが!!!

「い"っ……!!」

奴の股間にダイレクトキックをお見舞いしてやる。
こっちが気を使って鳴いてやれば何という言いぐさ。

というか奴のブツを蹴った足の裏の不快感がすごい。というか思ったよりも硬かったような…いや、考えたら傷つくのは私だ。

「猫ってほんま気まぐれやなぁ。だから嫌いや」

不快感を解消するため絨毯に肉球を擦り付ける。爪のせいで絨毯が毛羽立ってしまったがそんなの知ったこっちゃない。

「ふぁっ…もうこんな時間やん。寝るか」

あくびをした先輩は立ち上がり、写真やプリントをまとめて本棚へ片付けた。そして照明を落とし部屋を薄暗くした。
私ももう眠い。休日を潰されと任務に連れて行かれ猫の姿になるというイベントが一日に凝縮されたので。

「お前もこっち来ぃや」

しょうがないので座布団の上あたりで寝かせてもらうかと思っていれば体が宙に浮く。そしてベッドの上に下ろされた。

いや、先輩と同じ布団で寝るとか猫の姿でもお断りだ。不純異性交遊に片足突っ込むことになるからな。断固反対。

ベッドから降りようとするが意外と高い。いや、高さとしては数十センチだが猫視点から見ると結構高く感じる。まぁ猫なのでここから飛び降りても何の問題はなさそうなのだが、中身は私なので上手く着地できるか怪しい。
降りることは諦め、枕元のスペースで丸くなる。

「そこ寒くあらへんの?」

毛皮があるのでそれなりに我慢できますよ。

「こっち来たらええのに」

お断りします。

「せっかく俺が呼んでやってるんに」

頼んでないわボケ。

「いけずやな」

「ッくしゅん!」


悪態をついたバツなのかくしゃみが出てしまった。
そうしたら「ほら言ったやん」と言われ体が布団の中へと引き込まれる。いや、これは寒くて出たくしゃみではなく生理現象的な感じで出たくしゃみだから。多分…

「あったかいやろ?」

すぐに這い出てやるつもりが意外にも居心地がいい。先輩にひと撫でされ顎を腕に乗っけてもらう。人生初の腕枕がまさかこのような形でなされるなんて。しかも相手が禪院先輩だなんてマジでクソ。しかしまぁ寝心地は存外悪くない。

「おやすみ」
「ナァ」

無言で寝るのも気が引けたので私も「おやすみなさい」と言った。正確には鳴いたのだけれど。
やはり疲れていたらしく瞼を閉じればあっという間に意識は沈んでしまった。
明日になったら戻れてるかなぁ。





スマホのアラーム音よりも先に息苦しさを感じ目を覚ます。

今は何時なのだろうかといつもスマホが置いてある場所に手を伸ばすが見つからない。しょうがないので上半身を起こそうと体勢を変えたところで禪院先輩の寝顔が視界を覆った。

思わず叫びそうになった口元を手で覆い、息を整える。
私はいつ先輩とこういう関係になったのだ!?朝チュンか?まさか朝チュンやっちゃったかんじ??

かなり動揺してしまったが一度冷静になり、呪いのせいで猫にされたことを思い出す。
寝ている間に戻ったので驚いてしまった。兎も角、これで一安心。

因みに服もちゃんと着ていた。これに関しては本当に良かった。まさかのTo L○VEる的な展開が起きていたら泣くに泣けなかったわ。

元の体に戻ったとならば早急にこの部屋から脱出しなければ。
先輩の腕を体から退け、ゆっくりと布団から這い出る。この時間なら他の皆も起きていないだろうから誰にも会わずに男子寮から抜け出せるだろう。

「ヒッ…!?」

もう少しで抜け出せると思ったのに払いのけた腕が再び私の腰元に巻き付いた。寝相は良いほうだと思っていたのに、こんなところで無意識的に私の邪魔をしてくるだなんてさすが先輩。それとも私を抱き枕とでも思っているのか?やめろ、離せ。

力任せに腕を引きはがしたところ、反動でベッドから転げ落ちてしまった。
ドタンッという鈍い音とともに尻もち着く。しまったと思い先輩の方を見ると睫毛が震え、瞼が持ち上げられそうになっていた。

「ん………?」
「おはようございます!そしておやすみなさい!」

ガンッ———サイドテーブルに置いてあったランプで思いっきり殴った。
危ない危ない。うっかり姿を見られてしまうところだった。これでうっかり殺してしまったとしても大目に見てほしい。

さて、先輩も気を失ったことだろう。
こうなれば物音を立てないことよりも脱出が優先だ。
薄っすらと差し込む朝日を頼りに、物にぶつからないようドアまで辿り着く。
それでは先輩お邪魔しました!

「おはようさん。ええ朝やなぁ」
「うぐっ!?」

振り返るよりも先に頭を抑え込まれ、目の前のドアに勢いよく強打する。そしてあと数センチでドアノブに触れようとしていた手は両手もろとも後ろで拘束されてしまった。
私を抑え込んだのは言わずもがな禪院先輩である。何をうっかり生き延びてるんだ。あのまま永眠してくれてもよかったのに。

「先輩早起きですね。でもまだ時間があるので二度寝できますよ」
「いやぁ今日は実にええ目覚めができてなぁ。脳みそが冴え渡っとるわ」
「では私がこれから毎日モーニングスイングしましょうか?」
「ハハハッ!その前にお前の脳みそミンチにしたってええんやで!」

いだだだだだ!!
頭に添えられた手に力が籠められ本気で脳みそが潰されそうになる。これでは今日の朝食の味噌汁に別の“みそ”が使われることになってしまう。
というか先輩めっちゃ動き速いな。さすがですね!

「本当に頭が潰れるのでやめてください!!」
「やめてほしかったら何でここにおるのか正直に話し」

僅かに力が弱められ脳に血液が行きわたる。
正直に話すも何も先輩が運び込んだからである。私は何も悪くない。

「先輩に連れて来られたからですよ」
「悪いけどお前みたいな女抱く趣味ないで」
「こっちだって願い下げですよ!っじゃなくて猫をこの部屋に運び込んだでしょう?」
「猫?なんでそのこと知ってんねん」

首を勢いよく動かし、頭に乗せられた先輩の手を振り払った。
後ろを確認すると先輩は昨日までいた猫を探しているようだった。

「あれが私だったんです!昨日の任務で呪霊にやられて猫になってたんですよ!」
「んなラノベみたいなこと簡単に起きて堪るか!早う本当のこと言わんか!」

その台詞を私より先に言うんじゃねぇ!ラノベ云々は猫になってからずっと思ってたわ!
再び頭が押さえつけられることはなかったものの、拘束されている手の方に力が込められていく。ヤバイ、これはマジでまた骨折させられるかもしれない。こうなったら最後の切り札だ。

「ナァくん」
「は…………?」
「先輩、猫の鳴き声が直哉って呼んでるように聞こえてたんですよね?」
「お、まえそれ…何で知って………」
「これが答えですよ!何ならこれから毎日私が呼んであげましょうか?ナァくん♡」

最後の言葉尻はドロドロに甘くなるように言ってやった。
拘束されていた手が緩められ、私は先輩の体を押し返して距離を取る。そしてドアを背にして先輩と向き合った。その顔は赤くなったり青くなったりしており非常に愉快。

「憎たらしい先輩としか思っていませんでしたがあんな可愛い一面もあるだなんてびっくりしましたよ」
「ちょお待ち。ほんまに猫になってたん?」
「だからそう言ってるじゃないですか、ナァくん♡」

形勢逆転とはまさにこのこと。
後退していく先輩を私は満面の笑みを浮かべて追い込んでいく。

「あと、さっき私みたいな女は抱けないと言っていましたがあれ嘘ですよね?」
「は、はぁ?お前どんだけ自分に自信あんねん。この俺がお前なんかに——」
「じゃあどうして私の写真大切に保管してたんですかぁ???」
「う"っ!!」

ふははは!実にいい眺めである。
こんなにもビビる先輩なんて早々見られるものではない。こんなことなら録画でもしておけばよかった。

いや、ちょっと待て。
これでもし先輩に告白されでもすれば私の方がダメージを喰らう。まぁそれも百二十%はなさそうだが。でも、億が一の確率で言われでもすればどうしたらいいのだろう。受けるにしても断るにしてもその先は地獄である。まぁ、もちろんこんなクソ男願い下げだ。

「先輩……?」

どうしよう。先輩が動かなくなってしまった。
もしや先ほどのモーンニングスイングの効果が今となってきたのだろうか。それならそれでこの場からさっさとずらかるのみ。地獄の深淵を覗かなくて済むならそれに越したことはない。

「では失礼します」

今度こそドアノブに手をかけ外へと通じる扉を開けようとする。
しかし私が一歩踏み出すよりも先に肩を掴まれ———


「お前のことが好きで何が悪いねん!!!!」

ガンッ———
頭に強い衝撃。
めのまえが まっくらに なった!





自身の黒い瞳で辺りを確認するとどうやら保健室のようだった。

頭がズキズキと痛むが自分の状態を確認するために上半身を起こす。
腕を動かし、顔も触ってみるが頭の痛さ以外には何ともない様子である。
今は何時だ?私なにしてたっけ。

徐々に昨日の記憶が思い出される。そうだ、いつもの如く禪院先輩に拉致られて任務に行ったんだった。呪霊に追いかけられて無事に祓えたところまでは覚えている。しかしその後の記憶が朧げだ。学校に帰ったことすら覚えていない。

ベッドの上で云々唸っていると廊下から足音が聞こえた。先生だろうか。ドアを眺めながら先生を待っていると私がいま会いたくないと思っていた人物が顔を覗かせた。

「げっ」
「おい、先輩が心配して来たんになんやその顔は」

保健室の扉を開け乗り込んできたのは禪院先輩。予期せぬ訪問者に私は瞬時に布団を被った。最悪だ。記憶はないが少なくとも先輩に迷惑は掛けただろう。そのため嫌みの十や二十言われてもおかしくない。

「本日の営業は終了しました」
「今は真っ昼間やねん。そんな言い訳通用せぇへんわ」
「三十年後のご来店をお待ちしております」
「ふざけてへんで早う出て来ぃ!」

私は術式を展開させ布団の上に幻覚の布団を被せた。先輩は布団を何枚も捲っているようだがそれは幻なのでいつまで経っても本物には到達しない。まさかここで自分の術式が役に立つとは思わなかった。

「何の御用でしょうか?」

どうせ嫌みでも言いに来たんでしょう?そう思っていたのだが私の問いかけに対する先輩の反応はなかった。いつも饒舌で小言製造機である先輩が珍しい。逆に怖いくらいだ。

「……一応返事くらいは聞こう思て」
「何の返事ですか?」
「今さらしらばっくれる気か?」

全くもって意味不明である。
返事に関しても心当たりがないし、何に対して私が白を切るのかすら分からない。あっでもいつもしらばっくれる気満々の会話しかしてなかったわ。

「それ遠回しな嫌みですか?任務後にぶっ倒れた私を笑いたければ笑ってくださいよ」
「は?」

あれ?もしや自ら墓穴を掘った感じ?しかし記憶を思い出そうにも頭が痛くて何も浮かんでこない。

「先輩、本当に何しに来たんですか?」

術式を解いて布団から半分ほど顔を出す。そうしたら見たこともないような顔の先輩と目があった。そこにはいつもの薄笑いな表情はなく、驚いたような困ったような顔があった。と同時に頬が少し赤い気もする。もしや意外や意外、体調不良で保健室に来ただけか?

「体調が悪いのなら隣のベッド空いてますよ」
「そうやないねん」
「じゃあどないやねん」
「喧しい!」
「すみませーん」

こんな意味のない会話をこれ以上続ける気もなく先輩に背中を向ける。私は今まで寝ていたようだが何故だか疲れが取れていない。私ってこんな貧弱だったっけ。

目を瞑って入眠を試みるが、疲れているのに何故か眠れない。それは未だに先輩がその場に留まっているからである。本来ならおやすみ三秒ではあるがどうにも気になりすぎて仕方なく上体を起こして先輩の方を見た。

「だから何の用ですか?」
「ほんまに何も覚えてないんやな?」
「先輩に連れて行かれて二級呪霊を祓ったところまでは覚えています。でもその後の記憶は曖昧です。あとは頭を打ったみたいでめちゃくちゃ痛いですね」
「ふぅん」

そう言うと先輩はベッドの上に座った。
えっなんでそこ座るの?近くにはパイプ椅子もあるのに。それにがっつり掛布団も踏んでいるのでシーツを引き上げることすらできない。

「相変わらず自分は弱っちぃなぁ。しゃあない俺が稽古つけたるわ」
「全力でお断りします」
「照れんでもええ」
「冗談はその胡散臭い金髪だけにしてくれません?——ってなんですか!?」

先輩の手が不意に伸びてくる。反応が遅れいつものごとく殴られるかと思いきやその手は優しく私の頭を撫でた。

びっくりしてしばらくフリーズする。そして驚いたのはそれだけではなく意外にもその行為が心地いいと私は思ってしまったのだ。この感覚は今までにもあったような気がする。前にも誰かにされたことあったっけ。でもきっと先輩ではないんだろうな。なんか変な気持ちになるのでやめてほしい。

「俺がおらんと何もできひんやろ?しゃあなし、次は自分の任務に着いてったるわ」
「特別一級呪術師の先輩の手を煩わせるのも申し訳ないのでお断りします。あと頭から手を退けてくださいませんか?」
「素直になれへん女は嫌われるで」
「それでは素直に言わせてもらいますね。鬱陶しいから着いてくんな、不愉快だから手を退けろ」
「あ"?」

いだだだだだ!
素直に話せば頭をそのまま鷲掴みにされた。
マジで頭が潰れる。脳みそが破壊される。

「やっぱり躾なあかんなぁ」
「先輩のペットになったつもりはないんですけど!」
「一時はなってたんやで」
「妄想と現実の区別がつかないだと……?!」
「自分もういっぺん頭打ったら記憶戻るんちゃう?」
「ごめんなさい!!」

流石にこれ以上の頭強打は命の危険を感じたので謝っておいた。

先輩は私の頭から手を離す。そして立ち上がり掛布団を直して寝かせてくれた。かつてない先輩の人間味あふれた行為に夢でも見てるのかと思った。

「先輩も頭打ったんですか?」
「なんでやねん」
「だって優しいので」
「俺はいっつも優しいやろ」
「……………」
「そこで黙らんといて」
「ありがとうございます」
「……おん」

少しだけ恥ずかしくなったので頭まで布団を被った。視界が暗くなれば自然と眠気が訪れる。よく眠れそうだ。

「………ナァくん………………」
「は?」