「千切りーん、これ見て!この前のロケでイルカに乗ったやつ!」
「おっスゲー!イルカの上でジャンプしてる!」
「俺、地方ロケはやりたくないって言ったじゃん。この仕事パス〜」
「話しねぇならもう行くぞ、時間の無駄だ」

今をときめくアイドルグループ『ブルーロック』、しかしここにあるのは煌めきやトキメキではなく自由と奔放とマイペース。いつもは潔、國神、玲王の誰かしらが取りまとめてくれるのだが生憎その三人はここにいない。そのため無法地帯だった。

「水族館でライブやってイルカと一緒に登場したら盛り上がりそうじゃない?」
「ヤベーそれテンション上がるわ!なら俺はシャチ乗りたい!」
「あっ充電切れそう。ねぇバッテリーか充電ケーブル持ってる?」
「なんで俺がテメーに貸さなきゃなンねぇんだよ」

蜂楽と千切はスタバでの女子トークよろしくきゃいきゃいはしゃいでいるし、凪は凪で個人の仕事にケチをつけたかと思えばすでにスマホゲームで遊んでいる。そして仏頂面で黙り込んでいた凛も痺れを切らして席を立った。

「全員静かにしなさい!」

その場で大声を出せばピタリと動きを止めて四人の視線がこちらへと集中する。いけない、睡眠不足のせいかつい苛立って皆に当たってしまった。これは社会人として恥ずべきことである。
私は一度冷静になり、すみません……と謝ってから脳みそを仕事モードへと切り替えた。

「来月に新曲のリリースと歌番組の出演が控えていますが正直、練習時間はほとんどありません」

アイドルグループと言えども最近は個々の仕事が増えてきている。現に潔はちょい役ではあるが連続ドラマにも出演しており、國神は自身のトレーニング方法をまとめた本を先日出版したばかり。玲王は週一でニュース番組のコメンテーターを務めており、蜂楽は動物番組の出演依頼が多い。そして千切は美容や化粧品関連の広告を、凛はメンズ向け商品のイメージモデルとして露出が増えている。

「そのため新曲はユニゾンパートを増やしてダンスも対になる形で振付をしてもらいました。なので基本的に今日からの練習は二人一組で行ってもらいます」

仕事の幅が広がればBlue-Lockに興味を持つ人も増えるだろうし、何より彼らの成長につながる。しかし本業はアイドルだ。これは結成当初から彼らを応援してくれているファンのためにも間違えてはいけないことなのだ。

「俺ら七人グループじゃん。一人溢れるケドどうするの?」

ぼぅっとしてそうで鋭い質問を投げかけてきたのは凪である。私はそれにひとつ頷いて言葉を続けた。

「今回のメインボーカルは玲王だから彼は基本的にソロパートを担当してもらって残りのメンバーで組み合わせを決めました。今回は潔と國神、蜂楽と千切、凪と凛でいこうと思ってる」
「わーい!千切りんとだ!」
「蜂楽とかぁお前テンション上がり過ぎて歌詞飛ばすなよ」
「もしかして俺ら初?」
「チッ」

今回は一曲の中でパートを振り分けたがユニットで歌うこと自体はライブでやったこともありそこまでの抵抗はないらしい。まぁ舌打ちをした一人を除いてにはなるが。

「全員が揃うことはあまりないと思うけど先生の指示に従って各自練習してください。早速にはなるけど一時間後に先生が来るから蜂楽と千切はレッスン室で新曲の振りを教えてもらって。それから凪と凛は昼にかけてそれぞれ仕事が入ってるから現場まで送るね」

一通りの伝達事項を済ませ解散の指示を出す。凪と凛には少し事務所で仕事を片付けると伝え三十分後にエントランスまで来てほしいと話した。

「凪と凛を送り届けたら潔の連ドラの打ち合わせに行って國神のインタビューは確か十五時からで……あー玲王の映画出演についても社長と話し合わないとだった」
「おはよう。大丈夫?朝から大分疲れてそうだけど……」
「っ?! アンリ先輩!」

今日のスケジュールを呪詛のように唱えていれば後ろから声を掛けられる。振り返れば学生時代からお世話になっているアンリ先輩の姿があった。久しぶりに見た先輩は今日も白スーツが似合っていて可愛らしい。しかしファンデーションの下には薄っすらと隈があった。

「こっちの仕事全部任せきりにしててごめんね」
「いえいえ!私より先輩の方は大丈夫ですか?もう一カ月ほど社長の付き添いでどこか行かれてますよね?」
「あぁ……」

その瞬間、アンリ先輩の目からハイライトが消えた。
イカれたオーディション番組を企画しプロデューサー兼代表取締役社長を務めている男、絵心甚八。アンリ先輩は社長と同行すると言ってからこちらの事務所にほとんど顔を出さなくなっていた。

「あの人は本当に、本っっ当にやる事だけやったら後のことは全部私任せで!でもその発想とアイデアは素晴らしいの!だからこそ私も力になりたいんだけど結構な無茶振りで…——」

堰を切ったように話し出した先輩の背を擦る。学生時代からそうだったけど先輩は見た目によらず熱いタイプで任された仕事は責任をもってやり遂げるタイプ。そして理想を現実にするための行動力を持った人だ。そんなところを買われて社長秘書になったのだと思うのだけどそれが今や仇となってSAN値が大幅に削られているらしい。

「絵心さんももう少しこっち人員を考えて欲しい!あとカップ麺のゴミは溜めずに捨てて!」
「アンリ先輩は本当に頑張ってて偉いと思います!そうだ、久しぶりにランチ行きません?事務所の近くに新しいラーメン屋が出来たんですよね、かなりの激辛店らしいですよ!」
「激辛?!ぜひ行きた……あ、絵心さんから電話!はい、もしもし!」

先程の面影を微塵も残さずに先輩は元気よく電話に出る。どうやらまたしても呼び出しらしい。先輩は申し訳なさそうに眉を八の字にして声を出さずに「ごめん」と唇を動かした。そして、また今度と私が小声で言えばもげそうなほど首を縦に振って小走りで廊下を掛けていった。中々にタフである。私も見習わなければ。

「マネージャー!」

書類仕事を片付けるために事務所に入ろうとすればこちらにぴょんぴょこ跳ねてくる人影が一つ。蜂楽だった。

「どうしたの?」
「レッスン室空いてなかったから鍵取りに来た!」
「えっうそ?!ごめん!」

朝一に開けに行ったつもりではいたがどうやら勘違いだったらしい。ほぼ習慣化しているのになんで忘れちゃうかな。まだまだアンリ先輩には及ばず、一人悲しくなってくる。もっとしっかりしないと。

「送り出したのに来させてごめんね」
「いーっていーって!それよりマネージャー、こっち向いて」
「え?」

事務所に入り鍵を取りに行こうとすれば肩を掴まれた。そして、くるんと身体を後ろに向かされて何故か蜂楽とご対面。彼は私の両肩に手を置いて大きな瞳をこちらに向けた。

「では大きく息を吸ってー」
「息?」
「いいからいいから!それでめいっぱい吸い込んだらゆっくり吐き出して」

言われた通りに肺に空気を取り込んで、ゆっくりと外へと吐き出す。蜂楽に促されるままその動作を三回ほど繰り返す。そうすると頭の中がクリアになって沈んでいた気分も幾分かすっきりしたように思えた。

「少しは落ち着いた?」
「……うん」
「なんか余裕なさそうだったからさ。俺らのために頑張ってくれてるのは分かるケド、マネージャーが倒れたら俺たちも困っちゃうよ」

にひひ、と彼は人懐っこい笑みを浮かべる。そして私の肩から手を退けて壁からレッスン室の鍵を取っていく。それから部屋を出て行く前にもう一度私に向き直った。

「俺らの仕事はみんなを笑顔にすることだけどそれは一番身近にいるマネージャーも含まれてるんだよ」

蜂楽の顔は笑ったままだったけれどその声は真剣だった。明るいけれど落ち着いていて、普段の彼よりは少し低い声だった。

「だから俺に出来るコトなら手伝うし偶には仕事サボってもいいんだからね!息抜きも必要!遊びに行くなら俺も全然付き合うよ!」

一転、からりと笑った彼は身体全体で表現するかの如く無邪気に飛び跳ねた。彼がステージ上で見せるファンに向ける顔と同じだ。その姿にこちらも釣られて笑顔になっていく。

「ありがとう蜂楽。でもみんなのことを多くの人に知ってもらうためにも仕事はサボれないよ」
「マジメちゃんですかぁ?」
「マジメちゃんだよ。でも遊びに行くときは付き合ってもらおうかな」
「にゃはは!そうこなくっちゃ!いつでも俺のコト呼んでね」

そして蜂楽はウィンク一つ残して元気にレッスン室へと向かっていった。

さすがはファンサの神と呼ばれるだけはある。以前、それこそオーディション時代に一度握手会を開いたことがあった。その時に最も長蛇の列を作ったのが蜂楽だった。中でも周回しているファンが多く、後にアンケートを取ればその理由は「話しているだけで楽しい気分になれて元気を貰えるから」であった。

数時間にも及ぶ握手会の中、蜂楽はあのテンションをずっと保ってファンと向き合っているのだ。自分にとっては何時間分の一にも満たない時間でもファンにとったら一生の記憶に残る一分になるからだと彼は言った。

一人残された部屋で大きく深呼吸をする。再びやる気を取り戻した私は貴重な時間と共にパソコンを立ち上げた。