指定した時間ちょうどにエントランスに来たがそこには誰もいなかった。凪はともかく凛が遅れるのは珍しい。大抵は集合時間よりも早めに来てイヤホンを耳に突っ込みスマホで動画を見ているのがデフォなのに。

「よかった、まだいた!」

足音が聞こえてエントランスから外を見れば千切がいた。黒ずくめのその姿に犯沢さんかと思い身構えてしまったがどうやら変装して外へと出掛けていたらしい。キャップを外せば痛みのない赤髪が揺れ、マスクを外せば白い肌が露わになった。

「うん、まだ凪と凛が来なくてね。それより千切は時間大丈夫なの?」
「あの先生いつも十分くらい遅れて来るから平気。で、これはマネージャーに」
「ん?」

紙袋を渡されて中を見る。そこにはハンドクリームにリップバーム、フェイスマスクなんてものも入っていた。どれも保湿効果が高そうで今私に足りないものを補ってくれそうなラインナップである。

「俺が愛用してるとこの商品。化粧水とかは合う合わないあると思うケドそうゆうのなら迷惑にならないかと思ってさ」
「えっこれくれるの?なんで?」
「特に意味なんかねーよ。まぁ敢えて理由を付けるならマネージャーいつもありがとう的な?」

もしかして先ほど私が怒鳴ってしまったことを気にしてくれているのだろうか。マネジメントしているアイドルに気を使わせてしまうとは情けない。でも千切のその気持ちがなによりも嬉しかった。

「こちらこそありがとうだよ!これ貰ってもいい?」
「寧ろマネージャーのために買って来たんだから貰ってくれなきゃ困るんだけど」
「ならお言葉に甘えて。ありがとう、大切に使わせていただきます」
「おう」

自身の言葉通り早速ハンドクリームを手の甲に出してみる。その瞬間、優しくも爽やかな香りが広がった。この香り好きかも。

「いい匂いだね。香りだけで癒される」
「おっマジで?店員さんに一番リラックス効果の高い香り選んでもらったかいあったわ」
「そうだったんだ。ほんと癒されるよ」
「ちょっといい?」

手に塗り込んでフローラルな香りを堪能していれば不意に左手を取られた。そのまま手は自分の意志とは無関係に持ち上げられ自分の目の高さで止まる。そして視界にするりと赤髪が垂れたと思えば手の甲に千切の顔が近付けられた。少しでも動けばその高い鼻にぶつかりそうになり、また角度的にもキスをされているかのようで体はピシりと動かなくなった。

「おーマジで良いな。いつもは違う香りの買ってるケド次は俺もこれにしようかな」

パッと近づいていた顔と手が離されてようやく我に返る。……びっくりした。なんだ、ただ香りを確かめたかっただけか。千切はその中性的な見た目から同じ女性のような感覚で話してしまうことがあるけれどふとした時に男なのだと実感する。

「いいんじゃないかな!これ付けて寝れば睡眠の質も上がりそうだし!」

骨張った手に喉元のアダムの林檎、瞳は大きいがその色はどこか野生に満ちている。彼には「お嬢」と言う名の愛称があるが時折見せる雄≠感じさせるその姿をファンは「レッドパンサー」と呼ぶ。このギャップに落ちる女性は多い。

「……ぶはっははは!」
「えっなに?!」

目の前の千切豹馬に圧倒されていたら突如吹き出すようにして笑い出した。さすがはギャップ持ちの男と言うべきか一転して笑い出したその顔は可愛らしい。しかしその豪快な笑い方は確かに雄だった。

「いやー俺が癒やされたのは香りじゃなかったかも」
「どういうこと?」
「照れたマネージャーの顔に一番癒やされたわ」
「なっ……?!」

急に口説き文句をぶち込んでくるんじゃない、千切豹馬ァ!だから君は担変え先ナンバーワンの男と呼ばれ、一部では「他担狩りの豹馬」って呼ばれてるんだよ!本人にその気がないのは分かってる。でも無自覚ほど犯罪だぞ!

「マネージャーって仕事はできるケド案外幼いとこあるよな。そうゆうとこ可愛いと思う」
「大人を揶揄うんじゃない!」
「大人つっても数歳しか変わんないじゃん。それとも年下は眼中にないかんじ?」
「眼中にあるよ。じゃなきゃ肌荒れしてまで千切たちのために働いてないわ」
「なんか上手く交わされた気がする」
「それよりもう先生が来るんじゃない?蜂楽も待ってるだろうしレッスン室に戻りなさい」
「はーい」

千切は手に持っていたキャップを被り直して立ち去った。そして改めて袋の中を見て再び頬が緩んでいく。こんな素敵なプレゼントを貰ったのは久しぶりなので思いのほか喜んでいる自分がいた。