弟二人と海に行った話
*『糸師兄弟はほっとけない』と同じ世界線の話です。これ単体でも読めます。
青い空、白い雲、そして目の前に広がるはサファイアブルーの海。となれば私の隣にいるのはもちろん——
「場所この辺でいいかな兄ちゃん?」
「おう。パラソル立てたらレジャーシート敷くの手伝ってくれ。姉貴はこれ持ってて」
彼氏……ではなく弟二人だった。
「アッハイ」
私は渡された荷物を持ちながら冴と凛がシートを敷くのを棒立ちで見守った。それもこれも全ては私が先日彼氏にフラれたからである。
「くそっ夏を目前にしてなんで私のこと振るかな?!」
帰省した実家のリビングにてそう盛大に愚痴っていたのが昨日のこと。夏といえば海に祭りにフェスと様々なイベントが開催される。その計画を立てていた矢先、半年ほど付き合っていた彼氏に別れを告げられた。曰く、「お前のフットワークには付いて行けそうにない」と。
「姉ちゃん、場所確保できたから荷物ちょうだい」
「アッハイ」
そしてそれを知った心優しい()弟二人が私を海まで連れ出してくれたのだ。
「とりあえず座ったらどうだ?」
「アッハイ」
とはいえ海に来たかったのではなくあくまで彼氏と♀Cに来たかったので今の心境は微妙なところである。端的にいえば彼女(私)の水着姿を見てドキッとなる彼氏を拝みたかったのだ。
「浮き輪の貸し出しなんかもあるみたいだけど借りてくる?」
「ウェイクボードもやってるみたいだな。やりたいなら予約取ってくる」
しかしこうも二人に気を使わせてしまっているとなると楽しまないと失礼な気になってきた。それに一年ぶりの海だし水着だって今年買ったやつだし。
「いや、大丈夫。とりあえず泳いでくる」
羽織っていたパーカーを脱ぎ捨てビキニになる。無駄に気合を入れて露出の高いものを選んだのが今では憎い。見せつける相手もいなければ日焼け止めを塗る範囲も広くなるじゃないか。そして案の定、背中の方は自分で塗れない。
「悪いんだけどどっちか背中に日焼け止めを塗って……って凛は何やってんの?」
横を向けば砂浜に顔を埋めている凛の姿が。そんなに砂遊びしたかったんかな。そういや小さい頃に家族で来た時も一人黙々と砂のお城作ってたっけ。
「気にするな。コイツには刺激が強かったってだけだ」
「兄ちゃん!」
「お前はとりあえず顔洗って来い」
砂塗れになった凛がその場からいなくなる。となれば頼む相手は冴しかいないため私は日焼け止めを手渡した。
「背中塗ってほしい」
「ああ」
冴の方へと背を向ければクリームが肩甲骨の間に垂らされた。そしてそれを丁寧に広げていく。あーあこれも本当なら彼氏にやってもらうつもりだったのになぁ。
「筋トレでもしたか?」
「え?」
「前より背筋がある気がする」
おっさすがは現役スポーツ選手お目が高い。確かに私はこの夏のために筋トレに励んでいた。大切なのは体重よりも見栄えということで出すとこ出して絞るところは絞った。
「わかる?!背中とウエストに負荷かけてトレーニングしたんだよね!」
「尻は鍛えてねぇのかよ」
「お尻?あんまり見られなくない?」
「尻は一番に見るだろ」
「それは冴だけだよ」
一般男性が見るとこなんて精々顔と胸と腰でしょ。そう伝えれば尻を見れば相手の能力が分かるだの散々力説された。残念ながらアスリート視点の感想は求めていない。
「ありがと」
「俺も借りていいか?」
「いいよ。それにしても凛帰って来ないね」
一通り日焼け止め対策が済んだところで凛が歩いて行った方角を見やる。しかしあの長身の姿を見つけることは叶わなかった。
そして私は今さらながら先ほどのやり取りを思い出し胸につかえていた疑問を冴にぶつけてみた。
「あのさ、」
「ん?」
「凛って童貞なのかな」
私の恋愛事情に関しては弟二人に筒抜けなのだが、逆に彼らの浮いた話を聞いたことはなかった。モテエピソードは死ぬほどあるが彼女がいる気配を見せたことがないのだ。ただ何となく冴の方は経験積んでそうな気配はあるが凛は雰囲気的になさそう。
「だろうな」
「だよねー」
そしてそれは兄である冴も思うところがあるらしい。
友人もいなければ恋人もいない。この先、末の弟は大丈夫だろうか。そう案じながら二人揃ってため息をついた。
◇
冴も泳ぎに誘ってみたが先日の試合動画が見たいという理由で断られてしまった。しょうがないので一人海へと繰り出すことにした。
足先をサファイアブルーへとつけてみれば冷んやりとしていて気持ちがいい。そのままザブザブと腰の高さほどの水位まで進んでみる。
「姉ちゃん!」
「あっ凛」
この辺りで軽く泳いでみるか、と思ったところで凛が現れた。その手には浮き輪が握られている。どうやらレンタルしてきたらしい。
「危ないからこれ使え」
「いやいや私泳げるから。凛こそ使いなよ、昔みたいに引っ張ってあげる」
「いつの話してんだ。いいから乗れ」
「えっ乗るの?!」
一度浅瀬まで行き促されるまま浮き輪の真ん中にお尻を入れる。浮き輪につけられた紐を凛が引けばそのまま自動的に移動し始めた。うん、私は泳ぎたかったんだけどな。
「凛は疲れない?」
「別に」
「というか浮き輪引いてるだけじゃ楽しくなくない?」
「姉ちゃんが楽しいならそれでいい」
「えーかわいいー」
「っ、水かけんな!」
図体がデカくなるにつれ愛想はなくなり口数も減ったが今も変わらず可愛い弟の一人である。
「あっ可愛いから水も滴るいい男になってきた」
「やめろ!」
水面を撫でるようにしてパシャパシャと凛の顔に水をかけてやる。そうすれば長い髪がおでこに張り付いた。それが余程鬱陶しかったのか左手で前髪を掻き上げた。そこから覗く瞳はもう一人の弟とそっくりだ。
「その前髪もう少しどうにかしたら?サッカーやる時も邪魔じゃない?」
「不自由ねぇからいいんだよ!」
「あ……!」
凛が本気の抵抗をみせたことで浮き輪が大きく揺れた。となればそれに乗っていた私もバランスを崩すわけで。見事にひっくり返り海へと落っこちた。
「姉ちゃん!」
「ぷはっ……びっくりしたぁ」
「ごめん、大丈夫?」
「へーきへーき!それよりここ思ったより深いね?!」
泳げるといえどもいきなり足の付かない場所に投げ出されればビビる。凛は脚がついているようだが私の指先には掠りもしない水深だった。
「俺に捕まって」
それを察したのか凛の手が伸びてきて私の腰を引き寄せた。一先ずこのまま浅瀬へと連れて行ってくれるらしい。それならばこれ幸いとばかりに凛の背中に手を回し抱きつく体勢をとった。
「さすが凛、頼りになる〜!」
「…………」
「もしかしてまた身長伸びた?いいなぁ私ももう少し身長ほしかった」
「…………」
「その方が足も長く見えるしさ。二人ばっかり伸びてずるいなぁ」
「…………」
「ねぇ私の話聞いてる?」
バリエーションがないながらもいつもなら小まめに相槌を打ってくれるのにあまりに凛からの応答がない。一体どうしたのかと抱きついたまま様子を窺えばその顔は赤くなっていた。
「ちょっと凛、日焼け止めちゃんと塗った?顔焼けてるよ」
「……うっせぇ」
「赤くなったらヒリつく体質なんだから予防しないと!陸に戻ったら塗ってあげる」
「自分で塗るからいい」
「遠慮すんなって」
「してねぇ!もう足着いたんなら自分で歩け!」
「は?ちょっ……なんで不機嫌?!」
先ほどまでの紳士的な態度はどこへやら。腰に巻きついていた手は離されそのまま海へと投げ捨てられた。
そのことを後に冴に報告したら私の胸元を見ながら「まぁ……童貞だからな」と諭された。そうだった。なら配慮が足りなかった姉ちゃんが悪かったわ。
◇
凛に置いていかれ一人冴のいる場所へと戻ると私が立ち去ったときと同じ状態のままタブレットを見ていた。なんか遠目で見ると荷物番してるお父さんみたいだな。しかし父親と言うにはレイバンのサングラスと半袖の柄シャツを羽織った冴は若すぎるし異様なオーラさえ纏っていた。
「ただいまー」
「おう。なんだ、凛とは合流しなかったのか?」
「さっきまで一緒だったんだけどどっか行った」
「そうか。これ使うか?」
「ありがと」
冴に手渡されたタオルで軽く体を拭く。そしてペットボトルの水を飲み軽く一休み。海に浸かったため多少暑さは引いたもののやはり気温が高いので喉は乾く。気付けば持ってきた飲み物も残りわずかとなっていた。
「飲み物と、ついでにお昼ご飯も買ってこようかな。冴はなんか食べたい物ある?」
お腹も空いてきたし一緒に買ってこよう。
財布とスマホを手に立ち上がろうとすれば冴の手が私の腕を掴んだ。
「いや、俺が行く」
「いいよ。ずっと留守番させちゃったしお昼くらい奢らせてほしいし」
「ひとりじゃ危なっかしいんだよ」
「子どもじゃないんだから砂浜に焼きそばひっくり返したりしないって」
「姉貴がひっくり返したのはかき氷だろ」
「今それ言う?」
過去の失態を指摘され居た堪れない気持ちになる。だからこそお姉さんぶりたくなって冴の手を振り払って立ち上がった。
「もう大丈夫だから。店着いたらメッセージ飛ばすから食べたいものあったら言って」
「せめてパーカー羽織ってけ」
「暑いからいいや」
「あっおい……ったく」
冴をその場に残し一人海の家まで歩いて行くことにした。
海の家へと到着すれば多くの人で賑わっていた。ただし店内の席は埋まっているもののテイクアウトであればそこまで待たずに商品を受け取れそうである。
順に見ていけば定番の焼きそばやかき氷の他にもハンバーガーや肉巻きおにぎり、フローズンシャーベットやフルーツ飴なんかもあった。昔よりもおしゃれな物が増えたなぁなんて感心しながら店のメニュー表を写メって姉弟のチャット欄に投稿する。
するとすぐに既読が一つ付き冴から焼きそばとフライドポテトとのリクエストがあった。好きだけど普段は控えているポテトをご所望だなんて珍しい。それに対しては了解のスタンプを返しておく。
凛からの連絡はないが偏食家でもないため適当に買って行けばいいだろう。
「あちらの方で待ちください」
気になったものを片っ端から注文して店の端で待つ。それにしても思いのほか買いすぎてしまったな。一人で持って帰れるか不安である。冴か凛のどちらかに来てもらった方が良さそうだ。
「おねーさん一人?」
スマホを手にどちらかを召喚しようとしたところで声が掛けられる。顔を上げれば同じくらいの年齢の男が立っていた。
「まぁそんな感じですけど」
「そうなんだ。実は今友達と来てるんだけどみんな彼女と行動してて俺だけハブられててさー」
話を聞けばどうやら女二人男三人の五人グループで来たのだがそこには二組のカップルがいるらしい。それで彼女がいないのが彼なのだと。そのメンツでなぜ海に来ようとしたのか全く理解できないが正直この誘いは悪くないと思った。
「私も友達と来てるんですけど全員彼氏持ちなんで振られる話題についていけなくて正直気まずいんですよね」
そうだ、彼氏がいないならここで探せばいいんだよ!馬鹿正直に海で遊んでいる場合ではない。今彼氏を作ればこれからある夏のイベントは十分に楽しめる。
「そうなんだ!俺らって気ぃ合いそうじゃね?」
海でナンパしてくる男なんてロクな奴じゃないと言う人も中にはいるが出会いに対しては積極的に乗らないことには何も始まらない。マッチングアプリでちまちま相手を探すよりはよっぽど効率的だ。
「ですね。もしよければ少し話しま……っ?!」
このビッグウェーブを逃す手はない!と前のめりになっていたところで後ろから肩を引かれた。そして目の前には突如として現れたぬりかべが。いや、ぬりかべにしてはやたらと筋肉質だな……ってこれ凛じゃない?
「おい、テメーなに気安く話しかけてんだよ」
「えっちょっと凛?!」
「少し大人しくしてろ」
食って掛かろうとする末の弟を止めようとすれば再び肩を引かれて制された。それは案の定、上の弟である。冴は冴で私の後ろに立っているだけだがなんか圧が凄い。
「いや、普通に楽しく話してただけなんすケド……」
「あ?どう見ても嫌がってただろうが。さっさと失せろ」
「すんませんでした!」
そして私の出会いは一瞬にして荒波に飲まれて消え失せた。マジで秒で消えた。せめて連絡先くらい手に入れていたらまだ収穫はあったもののこの場に残ったのは実の弟二人である。
「姉ちゃん大丈夫?変なコトされたりしなかった?」
「変なことも何も普通に喋ってただけなんだけど。っていうか状況も分からないまま喧嘩腰に割って入ってくるのやめてよ」
「でもアイツ姉ちゃんのコト変な目で見てたし」
「それは凛の思い込みだって」
自分には全く非がありません、みたいな純粋な目で見てこないでほしい。いや確かに凛からしたら私を助けたつもりなのだろうけどこちらとしては有難迷惑だ。
「どうせナンパだろ。ああゆうのにロクな奴いねぇんだからやめとけ」
「は?マジかよ」
そして冴は冴で全てわかった上で凛を野放しにしといたらしい。もう私だっていい大人なんだから好きにさせてよ。というか私の方が年上だから。
「別にいいじゃん!私にも恋させてよ!」
「アレが恋かよ。笑えるな」
「こっちは大真面目だよ!」
冴と喧嘩をしていれば店の方で番号札を呼ぶ声が聞こえた。私の注文したものが出来上がったようだ。それに関しては私の手から札を取った凛が代わりに行ってくれた。
「そもそも凛にビビって逃げる奴なんざどっちにしろ付き合えねぇだろ」
「それはそうなんだけどさー……」
「少なくとも今日は大人しくしとけ。で、これ着ろ」
着ていたシャツを脱いだかと思えばそれが肩に掛けられた。冴が使っているお高めの香水の香りがする。一体なぜ……と思っている間に無理やり着せられた。半袖シャツと言えどもそのサイズはデカい。
「え、やだ」
「それなら暑くもねぇしいいだろ」
「そういう問題じゃなくって明らかに男物じゃん!これ着てたらナンパされなくなる!」
「だから大人しくしとけっつってんだろうが」
「食べ物もらってきた」
喚く私をよそに呆れた顔を見せる冴。
早く戻って食おうぜ、と先ほどの一件をすっかりなかったものにする凛。
この二人がいる限り今日どころか今後の出会いをすべて消されそうな勢いである。でもこの夏中に絶対に彼氏作ってやるんだから。
「ほら行くぞ」
「姉ちゃんも早く」
「……わかったよ」
でも今日のところは付き合ってくれた二人の意見を尊重しておくことにする。