その日、柳瀬歩(やなせあゆむ)は朝から落ち着かなかった。

 この学園は全寮制だったが、高校に進学してからの一年間は二人部屋をひとりで占領してきて、卒業まで余程の事が無い限り部屋替えは行われないため、歩はこのまま今年も一人で使用できるものだと思っていた。

 なのに週末になっていきなり生徒会長と寮監を兼任している泰泉寺麻里じんぜんじまりが、部屋にやって来るなり言った。

「柳瀬、明後日の午後にお前の部屋にひとり入るから、部屋を片付けておくようにな」

「えええええ」

 大声を上げたものの、生徒会長の言葉は絶対であって変更が無いことを知っている歩は、がっかりと肩を落としてその場で項垂れた。

 泰泉寺麻里は秀麗な顔にニヤリと笑みを浮かべて言った。

「歩、いつまでもここをお前たちが占領できると思ったら大間違いだ。冬伊には自分の部屋があるんだからな」

「はーい…」

 ゲージゼロになり激テンション下降中の歩は、返す言葉も見つからなかった。

「じゃあ頼んだぞ、名前は來海由杏くるみゆあん、とても優秀できっと学年5番以内に入れる程の頭脳の持ち主だ。仲良くやってくれ」

 生徒会長は再び笑顔を張り付けてその場を後にした。

「あの人絶対食えないや」

 歩は恨めしそうにその均整の取れた後姿を見送るのだった。




 11月も半ばになると、曇り空の日は凍てつくように寒い日が増えた。
 午後三時きっかり部屋に姿を現した季節外れの転校生は、北欧系の白い肌と栗色の髪の毛を、バングは長めで襟足は短かめに切り揃えた、優等生風だが毅然とした強さがどことなく漂う、稀に見ぬ美少年だった。

『うわっ、これヤバくね?』

 歩の第一印象はそれだった。
 何故なら、ここ男子校において美少年は引く手あまたで、中には親衛隊までいる奴もいた。

 学園の制服を着た転校生の姿は凛とした美しさが漂い、親衛隊が結成されている歩でさえ霞む程に、ただただ綺麗でこの先学園が荒れるのでは無いかと不安が過ったのだった…。

 彼はよろしくと言って微笑んだが、男の歩でさえぼーっと見惚れるほどで、自分の『番』はどう反応するのだろうと思うと少し不安になった。

「ここがバスルーム、隣がトイレで、簡単な調理は部屋でもできるよ」

「へぇ、凄いね」

「あ、この冷蔵庫は僕の私物だけど、これ以上冷蔵庫は必要ないだろうから一緒に使おう」

「ありがとう」

 由杏は歩の説明を聞きながら所謂この学園が、お金持ちのご子息ご用達の全寮制であることをひしと感じていた。
 廊下に続くドアはひとつだったものの、室内に入れば共有の広いリビングに備え付けのキッチン、それらを挟んで向かい合せに個室が設えられていた。

 勿論、時間制限はあったが食堂件カフェテリアと言った物も併設されていて、学生には至れり尽くせりの環境だ。
 一通り説明を聞くと由杏は荷ほどきを始めた。

 その梱包が外国からの物だと分かると、歩は由杏に尋ねた。

「君は外国育ち?」

「…いや、家族の仕事の都合で二年ほど向うに行ってただけだよ」

「そうなんだ。じゃあそれまではどこに住んでたの?」

 荷ほどきをしていた由杏の手が止まり、少し考えるようにして顔を上げた時、廊下に続くドアが開き篠原冬伊しのはらとういがフラッと入ってきた。

 サイドを刈り上げオレンジ色の後頭部を無造作に天向けて立ち上がらせた髪形に、幾つもの耳ピアス、瞳はグレー色したコンタクトを入れて一目では何人か分からない容姿だが、それを見ても彼がイケメンなのは際立っていた。

 そんな自分の『番』である彼を、そこに見つけて歩の顔が綻んだ。 

「冬伊」

「よ、茶入れてくんない?お前の上手いコーヒーが飲みたい」

 そう言って、ふと冬伊が歩の肩越しに人物を見つけて顔をずらして尋ねた。

「お?転校生着いたんだ」

「今来た所、紹介するよ。來海由杏…くん?」

 由杏を見た冬伊が何故だか瞳は見開いたまま、硬直してしまった。

 由杏もまた驚いたように冬伊を凝視している。

「え?知り合い?…」

 歩が不安になりそうなくらい時間をかけて冬伊が口を開いた。

「由杏…」

 冬伊は再会を喜ぶと言うより、なぜか困惑したような表情をしている。

 由杏はと言うと、直ぐに平静を取り戻し血の気が失せた顔に笑顔を張り付けた。

「久しぶり冬伊…」

「驚いたな…」

 漸く冬伊の顔にぎこちない笑顔が戻ってきた。

「なに?本当に知り合いだったの?」

「知り合いも何も…二年前までずっと一緒だったからな…幼なじみってやつ?」

「何だ、そうだったんだ」

 歩の顔に安堵の笑顔が浮かぶ。

 なぜならさっきの表情からして、過去に何かあった訳ありなのかと疑ってしまったからだ。

 でも何となく空気が変だ…。

「彼奴は…知ってんのか?…お前が…」

 冬伊は伺うように由杏の顔を見た。

「さぁ…どうだろう」

 素っ気ない由杏の言葉に冬伊の顔が曇る。

 だけど歩はそれ以上二人に質問するのは躊躇われ、沈黙する重苦しい空気を避けるかのようにしてキッチンに向かった。

 程なく冬伊はリビングのソファに落ち着き、由杏は荷解きを再開していたがコーヒーを入れたとからと誘うと、リビングにやって来て、冬伊と歩の前に腰かけた。

 室内を満たすコーヒーの香ばしい香りに、普段ならリラックスできただろうに何なんだ?この硬直した空気は?
 歩は何となく居心地が悪くて、誰も手をつけようとしないカップを勧めた。

「ありがとう」

 由杏は優しく微笑んだ。

 それはとても嫋やかで悔しいけど本当に綺麗だっので、思わず冬伊をチラ見したが彼はそんな歩の怪訝には気付かず、何かじっと考え込んでいるかのようにゆっくりとコーヒーを口にした。

「冬伊はちっとも変わらないね」

 由杏は微笑んで言った。

「バカ言え、身長は10センチも伸びたんだぞ」

 子供の頃から一緒に遊んだり助けられたりしながら育ち、そんな友人のひとりである成長した冬伊に会えることは本当に嬉しかった。

「うん。そうだけど、そのオレンジの髪の毛やピアス…昔のまんまだ」

「いや、しょっちゅう色は変わってるけど、たまたまだ今回オレンジ色なのは」

「緑は頂けないけどね」

 そう言って歩が笑うと、冬伊がその頭に拳骨を落とす振りをした。
 二人がとても仲良さそうなのでそれを見て由杏も微笑む。
 だが、お互いもっと沢山聞きたいことがあるのに、聞けないもどかしさを胸に秘めて他愛ない話でその場をやり過ごすのだった。


 だけど由杏はどうしても避けられない事に、夕刻になってなぜここに転校してしまったのだろうかと、後悔するほどに胸が苦しくなった。


 学生が一堂に会することができる圧巻のカフェテリアへは制服で行くか、若しくは部屋着と称されるスウェット生地のブルゾン若しくはパーカーを羽織ればOKだった。

 食事はブュッフェ形式で好きなものを取って食べる事ができる。

 だいたいが学年によって席の位置が決まっており、上級生程窓際の明るい場所を好んで座るんだと歩に説明受けたが、まだ由杏には誰が上級生なのか下級生なのかもわからなかった。

 夕食時は大勢の学生でごった返していて、男ばかりなのでむさ苦しいかと思いきや、結構お洒落な男の子が多く華やかに煌めいていた。

 だけど由杏がそんなカフェテリアの入り口に立った時、視線が一気に注がれた事に本人は全く気付いて無く、由杏はデザートにプリンを食べようかチーズケーキを食べようか、真剣に悩んでいた。

「な、アイツ変わったから…」

 耳元でいきなり声がして振り向くと、そこに冬伊がいた。
 意味が分からず冬伊を見上げた由杏だったが、その言葉の真意に気が付くまで時間は掛からなかった。

 二人の会話を聞く事も無く歩は先に進んでおり、冬伊は由杏を見ることも無く前を向いて食べ物を色々トレイに乗せている。

 その『アイツ』が誰を指しているのかも分かっていた。

 そして、久しぶりの対面が迫っている事も…。





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