「はあ…」
「どしたん?名前ちゃん」
「あ、ううん。なんでもないよ」
夏休みも明けて2学期が始まったある日の放課後。
夏休み中に起きた一連の事件から雄英は全寮制になって、今まで一緒にしていた下校ができなくなった代わりと言ってはなんだが、私はこうして水曜日はお茶子ちゃんのお部屋に遊びに来させてもらっている。
今日も今日とてああでもないこうでもないとくだらない話に花を咲かせていたら窓の外はもうすっかり暗くなってしまって、そろそろ自分のクラスの寮に戻らなきゃならない頃だ。まあ徒歩数分の距離だけど。
通学も楽になってラッキーだし私自身は入寮には乗り気だったけれど、なかなか子離れできていない両親を説得するのはすごく骨が折れた。
けれど最後は「学生の本分は勉学だからしっかり励むこと」といって許してもらって、理解のある両親には感謝している。
「ほんまになんでもないん?」
「うん、大丈夫」
「ならええけど。にしても、おなかすいたなあ」
しかし私が入寮に乗り気であった1番の理由はそこではない。
何より本当はあの”視線”から逃げられる絶好の機会だと思っていたからだ。
これから夏も終わればどんどん日が短くなるし、実家から時間をかけて通学して毎日暗い道を帰ることを思えば学校の敷地内に建てられた寮は家より安心できる最適な生活環境だと思った。
しかし、入寮して早数週間が経過しても一向にあの視線から逃れられた気がしない。
当初はあまり意識しておらず帰宅時に1人になった時にしか感じていなかったのだけれど、近頃校内でも気配を感じたり、今日だって寮の自室からお茶子ちゃんのお部屋に向かっている時もなんとなく不快な視線を背筋に感じた。
しかしやっぱり振り返ってもそこには誰もいないのだけれど。
実家から通学していた時は自宅の最寄り駅から家の玄関をくぐるまでの数分間逃げ切ればすっかりそのことは頭から抜け落ちていたけれど、ここ最近は四六時中それが頭の中を占領してどうにも気が気でないし、寮に帰れば1人でいる時間も多くてなんだか寝不足が続いている。
けれどもしかしたら自意識過剰かもしれないこんなことをまわりの誰かに相談するなんてできなくて、それは親友であるお茶子ちゃんに対してもそうだ。
何より人の好い彼女の事だからこんなことを言ったらすごく心配させてしまうに決まっているし、口をつきかけた話題は笑ってごまかして、そろそろ自室へ戻るべく重たい腰を持ち上げる。
「ね。私もおなかすいちゃったから、そろそろ戻ろうかな」
「ほんまは夕飯も一緒にできたらええのになぁ」
「ふふ、ほんとにね」
「でもしゃーないね、名前ちゃんまたね」
「うん、またねお茶子ちゃん」
明日のお昼は一緒に食べようねと言って丁寧にエレベーターまで見送ってくれた彼女に扉が閉まるまで手を振って、夕飯前のまだ静かな談話室を抜けて1-Aハイツアライアンスの外へ出る。
学校の敷地内といえどもあたりはすっかり真っ暗で道行く人影はない。
きっと夕飯前のこの時間は各々自室で思い思いの時間を過ごしているのだろう。
C組の寮は1軒挟んですぐという目と鼻の先の距離だし、少し早歩きで向かおうとしたその時だった。
「あれ…?」
前に進もうと上げようとした右足が動かない。
まるで強く押さえつけられているように、足首のあたりがぐっと何かに握られているような…
「…っえ、な、なに?!」
なんとか前に進もうと重たくなった足を自分の手で無理矢理に動かそうとすると込められていた力がぱっと解けて右足を前に踏み込む。
そのまま一気に走りだそうとしたら、今度は背後から羽交い絞めにされたように体の自由を奪われた。
「やだ、なにこれっ…」
等間隔にたてられた街灯と各寮からもれる明かりだけが浮かび上がる暗い道で1人身動きがとれずに立ちすくんでいると、先ほどまで足首にかけられていたような圧が首にかけられる。
「や、やめ…」
くるしい
いたい
こわい
たすけて
今すぐに大きな声を出して助けを求めたいのに、人通りのない道で首を絞められて段々と意識が朦朧としてくる。
「ぅっ、」
抵抗していた体の力もだんだんと抜けていって、もうだめかもしれない、そう思って瞼が閉じかけた時だった。
「おい、何してんだ」
朦朧とする意識の中、聞き覚えのある心地のいい低い声がして背筋にひんやりと冷気を感じた。
その瞬間首にかけられてた圧がふと解けて、脱力した体が膝から地面に崩れ落ちる。
「っは、…けほっ」
「大丈夫か」
背後からかけられた声に振り返ると私の真後ろには人1人くらいの大きさの氷結ができていて、そこから地を這う氷をたどっていくと轟君が立っていた。
「あの、これ…」
「1人で何してんのかと思ったが様子がおかしかったからピンときた。うちのクラスメイトにも1人いるがあながち透過かなんかの個性だろ」
「じゃあ…」
「ああ、見えねえだけでここに誰かいる。口割るつもりもなさそうだけどな」
近づいてきた轟君がこつんと氷を叩く。
じゃあ、やっぱりあの視線は勘違いではなかったということだ。
「…ふぇ、」
今までの恐怖と、安心と、いろんな感情が一気にあふれ出て勝手に涙がこぼれ落ちる。
「…泣くな、もう大丈夫だから」
地面に膝をつく私に屈んで目線を合わせてくれた轟君がそっと頭をなでてくれる。
さっきまで氷を生成していたとは思えないくらいその右手は温かくて優しくて、余計に涙が溢れ出た。
「すぐ先生呼ぶから」
「…うん」
そういって轟君はポケットから取り出したスマートフォンで先生を呼んでくれて、すぐに向かうと言ってくれた先生たちの到着を2人で待った。
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