そろそろいいだろうか。
そう思われる頃にリビングから脱衣所に向かえばすでにシャワーの音は鳴りやんでいる。


「名前、入るよ」


名前が体を流し終えていることを確認したら脱いだ服達をランドリーバスケットに投げ入れて、一応マナーとして一言告げてからドアノブを捻る。
さあ浴室へ踏み入ろうとしたら、湯気と一緒に熱された空気が脱衣所に流れ出てきて思わず目を細めた。


「…それじゃ疲れるでしょ」
「いいの」


湯気もすっかり脱衣所へ逃げ出して視界が慣れると、広めの浴槽の隅っこで膝を抱えて小さく座る名前の姿。


「いまさらだなー」
「…ホークス」


お互いの身体なんてもう飽きるほど見てきているはずなのに。
見ないでくれとでも言いたげに口元まで湯船に浸かってふつふつと水面に泡を浮かべて見せる姿はまるで幼い子供のようで、その姿に思わず笑ってしまう。


「じゃ、お邪魔します」
「わ、」


そんな彼女にお構いなしにシャワーで軽く体を流して、名前が浸かる浴槽に足を踏み入れると嵩が増したお湯がざぷんと溢れ出る。
そのまま腰を下ろして胸元まで湯につかれば、肌寒いこの時期にちょうどいい少し熱めの温度が心地いい。


「あー…」
「ふふ、」
「ん、なに?」
「ううん、なんかおじさんみたいだなって」
「失礼な。まだぴちぴちの22ちゃいなんですけど、」


俺の声に反応してクスリと笑った名前の小さな笑い声が浴室によく響く。
さきほどまでむっつりと結ばれていた口元が緩く弧を描いたことにほっと安堵した。


「名前、こっち」
「…」
「名前」
「ん、」


浴槽の端で俺と向かい合うように座る名前を呼ぶと、少しためらった様子で視線を外すのを見逃さない。
彼女は何か勘違いしているのだろうか。そういうつもりではない、ともう一度できる限り優しい声で名前を呼べば、そのままこちらを向いた状態で近寄ってくる。


「…見ない?」
「…ああ。見ないよ、大丈夫」


どうやら勘違いをしていたのは名前ではなく俺の方らしい。
背中を気にする名前の傷跡はもう何度も目にしたことがあるし、無論それを見て彼女の女性としての価値を低く見積もるような浅い愛情ではないつもりなのだが、年頃の女性には強いコンプレックスになるであろう痛々しい傷跡と曲がった背骨を恋人に見られたくないと思うのは至極当然のことだろう。


「おいで」


目を瞑ってできるだけ優しい声でまた呼びかければ、足の間にするりと入り込んできた名前を腕の中に閉じ込める。


「お邪魔します」
「いらっしゃいませー」


背後から抱きしめてちょうどいい高さにある名前の肩にあごを預けると、すでに洗われた濡れた髪から香る嗅ぎなれたシャンプーの匂いに鼻先をくすぐられた。


「ホークス、くすぐったいよ」
「こうしてると落ち着く」
「…ん、」


その匂いをいっぱいに感じたくて鼻先をすんと啜ればくすぐったいと名前が身体を揺らすけれど、決して嫌がっているわけではないらしい返事を確認してそのまま続ける。


「はぁー…」
「のぼせちゃった?」
「うん、名前に」
「…もう、またそうやってからかう」
「いや、ほんとに」


肺いっぱいに名前の匂いを取り込んで、小さな身体を少しキツく抱きしめる。
今日1日彼女の為に過ごすつもりでいたけれど、結局今日という日を目一杯楽しんだのは自分の方だ。


「名前、今日はありがとう」
「それは私の台詞だよ」
「名前欠乏症が少し治った」


名前の腰に回した腕を小さくて温かい彼女の手にきゅっと掴まれると、1日歩いて重たくなった足ともうずっと蓄積されていた全身の疲労がぬるくなった湯に溶け出していく。


「あの白いニットのワンピース、」
「うん」
「次はあれ着てデートしてね」
「うん」


昨日から何度もそう強請る俺に呆れたように、でも優しく笑う名前の返事が浴室に響いた。





*前次#

back