夜だけが優しいから


何の問題もなく買い出しを終えた神門と円堂は、二人並んで購入した商品を袋につめていく。
思いのほか多くなってしまったそれを手分けして持ち帰ろうとした時、神門の後ろからスッと手が伸びる。

「それ、持ちます」
「え? でも……」

突然の申し出に、驚いた表情で少女を見下ろす。
彼女と円堂が何を話していたかは知らないが、今まで大人しく二人の後をついてきていた彼女が自ら声をかけてきたことに神門は警戒を隠せず、瞳を彷徨わせる。
けれど、いつまでもこうしているわけにはいかないと神門は、月詠の顔に再び視線を向ける。
相も変わらず真意は分からないが、結局のところ神門が一番不安に思っていた彼女が円堂に対して何かをする、ということはなかった。

暫く月詠を見つめたあと、神門はその申し出に他意がないことを信じて、小さく頷いた。

「​──​─わかったわ。じゃあ、お願いね」

優しく笑いかけながら月詠に譲るようにしてレジ袋の持ち手から手を離すと、月詠は何も言わずに受け取る。それにホッとしながら、三人は店内の外に出た。

まだ陽は高い位置にあり、さほど時間は経っていない。来た道を戻るように三人は円堂を先頭にして帰路を辿る。

「すいません、私の仕事なのに」
「気にすんなって! 歩くのも良い運動になるしな」

トイレットペーパーの入った袋を抱え、一歩前を歩く円堂の背中へ申し訳なさそうに眉尻を下げた神門が声をかける。
彼女の言う通り、本来買い出しはマネージャーの役割であり、円堂が自ら進んで手伝いを申し出たとはいえ、手を煩わせてしまうことをずっと気にしていたようだ。
しかし、円堂は何ともないように気にもとめない様子で笑いかける。その表情に申し訳なさを抱えた神門は、少しの安心を覚えながら「はい」と柔らかな笑みを返し、隣の少女に視線を移す。

「月詠さんも手伝ってくれてありがとう」
「いえ。私は誘われただけなので」
「そうそう! 来てくれてありがとな、月詠!」

円堂が彼女を誘った時はどうなるかと思っていた神門だが、無事目的を終えた今となっては、先程までの懸念(けねん)も杞憂(きゆう)だったと思える。
二人からのお礼を受けた月詠は、なぜお礼を言われているのか分からないと言った様子で「…いえ」と短く返した。

和やかな雰囲気が広がっていたその時。
街路を歩いていた三人の前に、三つの影が道を塞ぐように立ち並んだ。

「お〜、お姉ちゃん。カラオケ行かねえか?」
「デュエットとかしちゃおうぜ?」

突如現れた男達。気崩した学ランと典型的な不良のような容貌をした三人は、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、奥に立つ神門へ目を向ける。
前に出ていた円堂が警戒を孕んだ瞳を向けながらすぐに神門を庇おうとした時、月詠がスッと円堂と男達の間に割り入った。

「今 忙しいので、後にしてもらってもいいですか?」
「月詠……!」

にこりと笑った月詠は、怖がる様子も見せずに冷静な面持ちでそう告げる。
背後からは、危ないから戻って来いという気持ちを込めて彼女の名前を呼ぶ円堂の声が聞こえる。
けれど、彼女はそれに気付かない。

「そんなつれないこと言うなよ〜」
「そもそも俺たちは後ろのお姉ちゃんに聞いてるんだよ。お前は下がってろ」

まるで「お前には用はない」と言わんばかりの物言いで、男は月詠の肩へ馴れ馴れしくぽんと手を置くと、彼女を押しのけるようにして奥に立つ神門へと再び視線を向ける。
すかさず円堂が片手を神門の前に出し庇う仕草をとったその瞬間。

「……はぁ」

呆れを隠そうともしない深いため息が一つ零れた。
男の動きがぴたりと止まる。肩に手を置いたまま彼女を見やれば、同じく男に目を向けた彼女の冷え切った眼差しがそこにはあった。

「分かりませんかね。邪魔だって言ってるんですけど」

口元には笑みが浮かんではいるものの、感情を一切感じさせない声音。底冷えするような鋭い眼光が男を射抜く。
気圧された男は思わず息を飲むと、一歩たじろぎながら反射的に肩から手を離した。
それでもなお、彼女の目からは逃れられず、男は歯噛みしながら即座に彼女を睨み返した。

「な、なんだその目は? 俺達をバカにしてんのか?」

虚勢を張るように声を荒らげる男を月詠は鼻で笑うでもなく、ただ冷ややかな眼差しを向け続ける。

「そりゃあ馬鹿にしますよね。白昼堂々とこんなくだらないコトをしてるんですから」
「ッ……! 大人しく聞いてやっていれば!」

見下すような視線と容赦のない言葉に、男の頭へ一気に血が上る。
怒りに任せたまま、男はガッと月詠の胸倉を掴み上げれば、後ろで様子を見守っていた神門の口から小さな悲鳴が漏れる。

けれど月詠は眉一つ動かさない。口元に笑みを含んだまま男を見上げる彼女の瞳には、怯えも焦りも微塵もなかった。
このままでは暴力沙汰になりかねない。不穏な雰囲気を察知した円堂は、咄嗟に月詠の胸倉を掴む男の腕をがしりと掴んだ。

「手を離せ!」

​───刹那。
まるで円堂がそうするのを待っていたかのように、男は弾かれたような勢いで月詠から手を離した。
そのまま先程掴まれた左腕を抱え込み、苦痛に顔を歪めると、数歩後ろに下がりながら大袈裟にうずくまった。

「どうしたんだよ! 何された!」
「腕を折られたんじゃないか!?」

残る二人も待ってましたと言わんばかりに男の両サイドへ駆け寄ると、必要以上に大きな声で騒ぎ立てる。
あまりに芝居じみた男達の様子に、円堂はもちろん、神門も何が起きたのか理解できず呆然と三人を見つめた。

「​───こっちです!」

そこへ、どこからか声がして、紫のパーカーを着た男が姿を現す。後ろには巡回中だったのだろう一人の警察官を連れていた。

「君達、何をしている?」

淡々と投げかけられた問いに、先に口を開いたのは男たちだった。

「お巡りさん、この人が暴力を……」
「ええっ!?」

右隣に立った男が、腕を抑える仲間を支えながら円堂に目を向ければ、事実とはかけ離れたでっちあげに、円堂は驚愕する。

「この人、よく見たら少年サッカー日本代表の人じゃないか?」

男の言葉に警官は円堂の顔を見て、すぐに状況を把握したかのように「そうか」と呟き表情を引き締める。

「君、ちょっと署まで来なさい」
「え? 俺は何も……」
「違います! 円堂さんは何もしていません!」

神門が慌てて否定するが、警官は聞く耳を持たず。「事情は署で聞く」と冷たい一言が返される。

「そんな……!」

あまりにも早すぎる判断に納得できるはずもなく、神門はなおも食い下がろうと一歩踏み出した。
そんな神門を制止するように、その肩へそっと大きな手が置かれる。

「俺は大丈夫だ」

静かな声だった。
円堂は神門を安心させるように穏やかに微笑むと、小さく頷いてみる。そしてゆっくりと視線を月詠へ移すと、その瞳には揺るぎない信頼を宿したまま静かに言った。

「月詠、あとは頼んだぞ」

伝えられた言葉に、月詠は静かに目を見開いた。
手に持っていたトイレットペーパーの袋を月詠に預けた円堂は、警官に促されるまま歩き出す。連れられるように遠ざかっていく円堂の背中を見送ることしかできず、神門は唇を強く噛み締めた。

「円堂さん……」

悔しさと歯痒さだけが胸の奥で渦を巻き、悲痛に染まる彼女の横顔を月詠は何も言わず、ただ見つめていた。


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「えぇっ! キャプテンが警察に捕まった!?」

食堂中に稲森の驚愕した声が響き渡る。
先程まで各々休息を取っていた選手たちは、慌ただしく戻ってきた神門の姿にただならぬものを感じ、一斉に立ち上がった。食堂の空気が一瞬にして張り詰め、彼女を取り囲むように人垣ができる。
その中心に立った神門の口から告げられたのは、円堂が警察に連行されたという、耳を疑うような事実だった。

動揺する声が次々と飛び交う中、神門は乱れた呼吸を整えるように一度深く息を吸うと、誤解を正すように「違う!」と大きく首を横へ振った。

「円堂さんは何もしていない。月詠さんを守ろうとしたら、不良達が勝手に突き飛ばされたような演技をしたの!」

身振り手振りを交えながら、神門は買い出しの途中で起きた出来事を包み隠さず語っていく。
男達が突然絡んできたこと。円堂が月詠を守ろうとして男達の腕を掴んだ、その瞬間を狙ったかのように男達が芝居を始めたこと。そして、何もしていない円堂が暴行犯に仕立て上げられ、警察署へ連行されてしまったこと。

話が終わる頃には、食堂は重苦しい沈黙に包まれていた。
誰もが言葉を失い、神門の話を頭の中で反芻するように俯く。信じ難い出来事に怒りとも困惑ともつかない感情だけがその場を支配し始めると、それを最初に破ったのは灰崎だった。

「また誰かさんの差し金じゃあねえのかよ。なあ、月詠」

鋭い刃のような視線が向けられた先には、カウンター越しに厨房の風秋へ買い物袋を手渡している月詠の姿があった。
まるで自分とは何の関係もない言わんばかりに穏やかな笑みを浮かた彼女は、呼ばれた名前に反応するように一度だけ視線を向ける。

だが、まるで無関心なその瞳はすぐに風秋へ向き直ると「それではこれで」と笑みを浮かべたまま短く告げ、静かに踵を返す。

「おい、無視してんじゃねえよ」

苛立ちを露わにした灰崎が彼女へ歩み寄る。
これ以上見逃してたまるか。そんな勢いのまま腕を伸ばし、小さな肩を掴もうとした、その瞬間だった。

「待って、灰崎くん」

食堂に凛とした声が響き、灰崎の手がぴたりと止まった。

「私は……月詠さんじゃ無いと思うの」

灰崎の行動を制したのは、神門だった。
周囲の視線が神門に集まる中、食堂を出ようとしていた月詠の足もまた止まる。振り返りはしない。けれど、その耳は確かに神門の声を捉えていた。

一方、月詠から視線を外した灰崎は、眉間に深い皺を刻み、不機嫌そうに神門睨みつけた。

「はぁ? お前、本気で言ってんのかよ。ここまできて、こんなことする奴なんてコイツしかいねぇだろーがよ!」

怒りを顕に唸る獣の如く、険しい口調で声を荒らげる灰崎に神門は臆することなく、真っ直ぐ彼を見返す。

「今までの事が彼女かどうかは分からない。でも、今回だけは違うと思う」

言い切ると、彼女は買い出しでの出来事を思い返すように静かに続けた。

「月詠さんは確かに私達と一緒に買い出しに行っていたわ。でもその間、月詠さんはずっと私達と一緒だったし、何もしなかった」

──そう。本当に、何もしなかった。
円堂を陥れようと思えば、その機会はいくらでもあったはず。けれど彼女は神門にも、ましてや円堂に対しても何一つ仕掛けようとはしなかった。
それどころか、自ら荷物を持つと申し出て、最後まで買い出しを手伝ってくれた。

円堂が警察へ連れて行かれてしまったあとも荷物を放り出すことなく、宿舎へ戻るまでの道のりを神門と共に歩いてくれた。

「私が不良達に絡まれそうになった時だって、真っ先に助けてくれたのは月詠さんだった。もし月詠さんが仕組んだのなら、私を守ろうとなんてしないはずよ」

実際に隣で見ていたからこそ気付いた小さな違和感は、彼女の的をえていたのか。月詠の指先がぴくりと反応を見せる。

「そうよね、月詠さん」

まっすぐな眼差しが小さな背中へと向けられる。
疑うよりも、信じようとする強さ。一切の疑念を宿さないその瞳は、不思議なほど円堂の眼差しによく似ていた。
食堂に静寂が落ちる。誰もが月詠の返答を待つように、息を潜めていた。

沈黙の最中、月詠はゆっくりと振り返る。
口元にはいつもと変わらぬ柔らかな笑み。けれど、その笑みとは対照的に、琥珀色の瞳だけが凍てついたような冷たさを湛えていた。

「私がわざと挑発して、ああなるように誘導した。そうは考えないんですね」

声はどこまでも穏やかだった。怒りも、焦りも、皮肉さえも感じられない。
ただ一つの可能性を、当たり前のように提示しただけのそれは、冷たい刃となって一人ひとりの胸へ静かに突き刺さる。

「それは───」

何かを返そうとした神門の言葉の先を待たずに、月詠は薄く目を細めた。

「私が手を出さなくても、あんた達を潰す方法はいくらでもあります。もう少し疑いを覚えた方がいいのでは?」

柔らかく弧を描いた唇とは裏腹に、琥珀色の瞳には相も変わらず一切の温度がない。
陽の光を閉じ込めた宝石のような色をしているはずなのに、瞳の奥に広がるのは光をも通さない暗闇だけ。
見ているだけで、自分も身を堕としそうになるそれを前に、神門は胸元に置いた手をきゅっと握る。

彼女の目には迷いも恐れも浮かんではいなかった。
澄み渡る青空のようなその眼差しは、どれだけ冷たい眼差しを、言葉を浴びせられても曇ることはなく、ただ懸命に彼女だけを映していた。

「……それでも」

小さく息を吸い込む。覚悟を決めたように神門は丁寧に一つ一つの言葉を紡ぐ。

「それでも、私は貴方のことがそんなに悪い子だなんて思えない」

根拠などない。証拠もない。
あるのは、自分の目で見たものだけ。自分が感じたものだけ。けれど、気持ちを伝えるのにはそれだけで十分だった。
一拍置いて、彼女は柔らかく微笑む。

「私も円堂さんが言ってたように、貴方を信じるわ」

彼女の言葉には、打算も駆け引きもない。

​───だからこそ、月詠には理解ができなかった。
ふっ、と。静まり返った食堂に、乾いた笑い声がひとつだけ零れる。

「……そうですか」

自嘲とも、呆れともつかない、ひどく儚い笑みを浮かべたまま月詠は小さく肩を竦める。

「勝手にしてください。どのみち私には全て、関係の無いことですから」

最後まで笑みだけは崩さないまま、月詠は再び踵を返す。
遠のいていく背中を今度は誰も呼び止めることはなく、彼女は食堂を後にした。