致死量のトラスト
電気も付けず、隙間から漏れる光すらも許さないと隙間なく閉められたカーテン。
朝を迎えたというのに暗い部屋の中で、月詠の静かな声が落とされる。
「──それでは、失礼いたします」
いつもより低い声音で、電話の向こうに投げかけられた声。向こうからの言葉はなく、ツーという機械音が耳に聞こえて、小さな息を零した月詠はとごろりとベッドの上に寝そべった。
椅子にかけられたユニフォームをぼんやりと眺めていれば、コンコンと部屋の扉が叩かれた。
「月詠ちゃん、起きてる?」
扉の向こうから聞こえてくる声に、月詠は気怠げに身を起こした。
何かにひかれるようにして、重い足取りで扉の前に立った月詠は、ドアノブに手をかける。
扉を開くとその先には、木野が一人で立っていて、心配そうな表情を浮かべていたが、彼女の顔を見るとどこか安心した様子で微笑んだ。
「いつもなら食堂に来る時間なのに、姿が全然見えないから。もしかしてまだ寝てるんじゃないかって心配になっちゃった」
「…ご心配おかけしてすみません」
早とちりしちゃったかな、と朗らかに笑う木野を見て僅かに視線を彷徨わせたあと、月詠は申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
その表情には覇気がなく、心做しか顔色も悪いように見える。すぐに気付いた木野が唇を開き空気を取り込んだ瞬間、先の言葉をまるで分かっていたかのように月詠が答える。
「今日は少し体調が優れなくて。練習を休ませてもらってもいいですか?」
木野の顔を覗き見るように上目遣いで尋ねれば、木野は少し驚いた表情を見せるが、すぐに小さく頷いた。
「うん。じゃあ、私から監督にそう伝えておくね。朝食は───」
「すみません、食欲もないので大丈夫です。それでは」
言葉を遮って簡潔に答えると、木野の返事も聞かぬまま、扉はぱたんと閉じられてしまった。
逃げるように姿を消した月詠に再び心配そうな表情を浮かべた木野だったが、慌ててふるりと顔を横に振ると明るい声音で言った。
「お腹がすいたらいつでも声をかけてね」
扉越しに伝えた言葉が伝わっているのかは分からない。けれど伝わっていることを信じて、木野は後ろ髪を引かれながらもその場を後にした。
部屋に戻った月詠は、扉に背を預けながら力なく座り込む。
「………」
いつだって、鉛のように重い身体。けれど、休むことは許されない。
自らに言い聞かせるようにして、何度も頭の中に反芻させながら、月詠は暗闇に身を隠すように息を潜めた。
:
チーム内から浮いていることを自覚していながらも、目的のために練習へ参加していた一星。その反面で、先日の試合から二日経った今日も月詠は練習に顔を出さなかった。
相も変わらず彼女の姿は見えないまま、練習を終えた選手達が各々の休憩時間を過ごす中。
買い出しへ向かおうとしていた神門を見かけた円堂は、そのまま彼女の買い出しに同行することを決めた。
肩を並べて宿舎外へと向かうその道すがら。ふと、神門は足を止めた。
「月詠さん……」
「おぉ、月詠!」
反対側から歩いてくる少女の名前を口にすれば、琥珀の瞳が神門に向けられる。深い藍の瞳は少しの戸惑いを含み、かける言葉も見つからないまま神門は硬直してしまった。
しかし隣に立ち並んだ円堂は、久し振りのようにも感じる彼女の姿を見つけると嬉しそうに顔を綻ばせて急いで駆け寄る。
「………」
「ちょ! 待て待て待て!」
分かりやすく顔を顰めた月詠が軽く会釈をし、まるで気づかなかったとでも言うかのようすぐに顔を逸らせば、傍らまで来ていた円堂は慌てて彼女の肩を掴んだ。
さすがに逃げられないか、観念した様子で振り返った月詠がにこりと笑う。
「…何の用ですか。手短にお願いします」
顔は笑ってるけど目は笑ってない。その言葉を体現したかのような彼女の表情に気付いているのかいないのか、円堂は構わず続けた。
「俺達 今から買い出しに行くんだ。月詠も一緒に来ないか?」
思いもよらない誘いに、月詠は目を丸くする。
聞き間違いではないだろうかと聞き返したくなる気持ちを抑えながら、月詠は薄ら笑いを浮かべた。
「それ、本気で言ってるんですか?」
「ああ! 俺、お前と話したいことがあるのにさ、すぐどっかに行っちまうだろ?」
白い歯を剥き出して、なんの躊躇いもなく笑う円堂に月詠は思い返して納得する。
確かにここ二日間は、誰ともまともに会話を交わしてなかった。必要最低限の挨拶のみで、とても会話と呼べるようなものではない。その原因は、元々彼女がチームの中で浮いているからというのもあるが、何よりも彼女自身が人と話すことを避けていたことだろう。
「最近色々あったし、いにくいのも分かるけどさ……俺はお前のこと、信じてるからな」
揺らぎのない瞳から感じる無条件の信頼。それは、彼女にとって致死量の
指先が冷たくなっていくのを感じながら、逃れられないことを理解した月詠は小さく溜息を零した。
「分かりました。買い出し、付き添います」
「本当か!? じゃあ早速 行こうぜ!」
頷いた彼女に、ぱっと明るく笑った円堂を含む三人はそうして買い出しへ向かった。
宿舎を出て街へ降りる。
徒歩で向かった三人はスーパーマーケットに辿り着くと、円堂は買い物かごを手にとり、神門はメモ用紙にびっしりと書き連ねられた項目に目を向ける。
昼過ぎだったためか、さほど人は多くなく、神門を先頭に彼女の後ろを円堂と月詠は並んでついて行く。
広い店内を歩いて数分もかからないうちに、日用品がずらりと並んだ商品棚へ辿り着くと、神門はメモと商品へ交互に目を配りながら目当ての物を探す。
「…それで、話したいことってなんですか」
「えっ?」
その傍らで、月詠は円堂に問いかけた。
円堂の口から思わず素っ頓狂な声が漏れると、彼は首を捻りながら「話したいこと…?」と眉を寄せて小さく唸り始める。
「私と話したいことがあるって言いましたよね。それともここじゃ話せないことですか」
唸りを聞いて、チラリと彼女の瞳が円堂を捉えるも、気にする様子はなく。
すぐに商品棚へと視線を戻した月詠に対して、ぱちくりと目を瞬かせた円堂は「ああ、そうそう!」とようやく思い出したかのように声を上げた。
「体調は大丈夫か?」
「……体調?」
「ああ。ここ最近の練習、ずっと体調不良で休んでただろ?」
体調というワードに一泊遅れて反応を見せた月詠は怪訝に彼を見上げるも、それに気付いていないのか、円堂は心配そうな表情で小さく頷いた。
彼の意図が読めない事に月詠は眉根を寄せながらも、そういえば体調不良を理由に休んでいたのだったかと思い返し口を開いた。
「買い出しに誘っておいて今更 聞くことじゃないように思いますが」
「うっ……確かにそうだよなー」
呆れたような声色に、円堂はぎくりと反応する。
丸い目を泳がせながら、人差し指で汗の浮かんだ頬をかく。その姿に月詠は小さな溜息を零すと、冷めた声で続けた。
「体調も何も問題はありません」
「本当か! じゃあ、明日の練習には出られるんだな?」
パッ、と円堂の表情が一瞬で様変わりする。
先程まで泳がせていた目をキラキラと輝かせ、期待のこもったその瞳で彼女にずいと顔を寄せる。
ころころと変わる彼の全てに、月詠の顔には自嘲気味な笑みが浮かんだ。
「まるで出てほしいみたいに言いますね」
「ああ、出てほしいからな!」
普通なら、明らかな敵意を向けてくる相手に練習に出てほしいだなんて思わない。けれど、彼女のそんな考えを打ち消すように、円堂は明るく即答した。
彼の返答に月詠が思わず視線を上げれば、こちらを見ていたその目と視線が交じり合い、円堂は何も言わずに眩いくらいの笑顔を向けた。
瞬時に喉の奥をきゅっと締め付けられるような息苦しさが月詠を襲い、彼女はすぐに視線を逸らす。
「……私は敵ですよ」
指先から、唇から、体温が抜け落ちていき、表情が消える。
小さくもハッキリと伝えられた拒絶に円堂は一瞬目を丸くするも、すぐに愚直な瞳で彼女を見据えて言った。
「月詠は仲間だ」
真っ向から敵だという彼女の言葉を否定するように伝えれば、月詠は冷たい瞳に彼の姿を映す。だが、円堂はそれでも躊躇わない。
「日本代表に選ばれて、同じチームとして世界に挑んだ時から、お前は俺達の仲間でイナズマジャパンの一員だ。もしこれからどんな事があっても、それは絶対に変わらない」
昨晩、一星に自らの考えを告げたように、彼女にも同じ言葉を投げかける。
冗談で言っているわけではないということは、彼の目を見ればすぐにわかってしまって、月詠はきゅっと下唇を噛む。
「貴方は私のことを何も知らないから、そんなことが言えるんです」
身体の奥から湧き上がるような衝動を抑えて、吐き捨てた言葉に円堂は小さく頷く。
「確かに俺は月詠のことを全部は知らない。でも───知ってることだってあるぞ」
「知ってること…?」
訝しげな面持ちで月詠は眉間に皺を寄せる。
彼の言葉は何一つ理解ができない。そう言いたそうな彼女の顔に気付いているのかいないのか、円堂は静かな声音で続けた。
「月詠さ、あんまりサッカー好きじゃないだろ?」
途端、月詠の動きがピタリと止まる。静かに、大きく見開かれていく目は、彼女の動揺を表していた。
どうして、なんで、短い問い掛けが頭の中を反芻する。明らかな戸惑いを見せる彼女の疑問を汲み取ったのか、円堂は眉尻を下げて何故か寂しげな笑みを浮かべた。
「勘違いなのかもしれないけどさ、試合の時も練習の時も、ボールに触る月詠はなんていうか……すげー辛そうに見えるんだ」
「………」
いつだってサッカーと共にあった。サッカーを楽しむ仲間達と共にボールを追いかけてきた。心からサッカーを愛し、楽しんできた。
そんな円堂だからこそ、彼女の極小さな
ここでそんなわけがない、と嘘をつくことは簡単なこと。しかし、彼の目を見てそれはきっと意味を成さないだろうという事に、月詠は気付いていた。
だからこそ、何も言い返せずにただ黙る。
「なのに月詠は、逃げようとしなかっただろ?練習だっていつも真剣に取り組んでたし、韓国戦でだってゴールを守ってくれた。真面目にサッカーと向き合おうとしてるように俺には見えた」
「………」
「相当な努力がないとあんな凄い必殺技もプレーもできない。だから、俺は月詠のことを、簡単に悪いやつなんて思えないんだ」
辛いことからは逃げようと思えば、いつだって逃げられる。けれど、彼女はそうしない。
円堂はそんな月詠を、月詠のサッカーを信じていた。
真剣にサッカーをやるやつに悪いやつはいない、そう本気で思っているかのように笑う円堂と彼女の間に沈黙が落ちる。
一瞬、見開かれた琥珀が惑うように僅かに揺れて、それを隠すように月詠は静かに目を伏せれば、胸の奥に冷たいものが広がっていく。
この人は、まるで分かっていない。
反論の言葉さえも諦めるように全てを呑み込んで、彼女は掠れた吐息混じりに返した。
「……そう、ですか」
彼女の表情は読めない。けれど、自分の気持ちが伝わっていることを信じて円堂は続ける。
「だからさ、もし何かあるなら何でも話してくれよな。いつでも相談に乗るからさ」
低く、優しい声音で最後にそれだけを伝えると、円堂は商品棚を見ていた神門の元へと駆け寄って行った。
円堂と立ち並んだ神門が心配そうな表情を浮かべながらチラリと月詠に目を向け、再び円堂へと戻す。何やら会話を交わす二人の背中を眺めながら、月詠は小さく呟いた。
「サッカーバカ……」
かつて誰かから聞いた、彼を示す言葉。
何となく、彼を見て突然浮かんだその言葉に意味はなく。自らでさえも意図してはいなかったそれは、誰にも拾われることはなく店内の喧騒に溶けていった。