練習が終わるとすぐに、颯音は姿を消した。
「やっぱいないな」
「そうですね」
最近は俺たちと一緒に行動していることが多かったから。
こういう風に何も言わずに消えるのは久々だった。
「まぁ、最初はこうだったし。別に驚きはしないけど」
「たまには1人になりてぇんだろ?たぶん」
白河さんとカルロスさんはあまり心配していないようだった。
ただ1人、鳴さんだけ俯いて黙っていた。
「まぁ、夜にふらふらっと帰ってくんだろ」
「そうですね」
バット振ってくる、と歩き出す2人に視線を向けることさえせずに鳴さんはそこに立ち尽くしていた。
「鳴さん?」
「なに?」
「大丈夫ですか?」
へーき、と鳴さんは笑う。
「颯音の代わりにマッサージしてよ」
「あ、はい」
何事もなかったかのように、鳴さんは歩き出す。
「樹さー」
「はい、なんですか?」
「颯音どう思う?」
どう、とは。
俺の考がえてることがわかったのか鳴さんは「あいつ去年と比べてみて、どう?」といい直した。
「んー、去年よりはチームの一員として動いてくれているかなって思います。他の先輩とも関係を持つようになったし、俺の同期も最近やっと普通に声かけられるよになったって言ってましたし」
「ふーん。俺はさ、変わってないと思うんだよね」
「え?」
前を歩く彼の表情は見えない。
「もちろん、前よりは雰囲気柔らかくなったし 俺とも上手くやれてると思うし。チームの中にも溶け込んでいるとは思うよ」
「それなら何が…?」
「何って言われると困る。けど、なんだろうな。精神的な距離感?が 変わらない」
歩み寄れば、彼も受け入れる。
だが、彼から歩み寄ることはない。
彼の心は、今も前もずっと遠いところで鍵をかけている。
鳴さんはそう言って 勘違いかもしれないけどなと 笑った。
「樹。あいつのこと、ちゃんと見てて」
「え?」
「監視しろってわけじゃないよ?けど、お前が一番近くにいるじゃん?同い年だし、仲良しだし。何か変わったことがあったら教えて」
鳴さんはこちらを振り返り俺をじっと見つめた。
「返事は?」
「あ、はい。わかりました」
「うん、よろしい」
鳴さん…怒ってるな。
普段見ることのない静かな怒り。
それは、颯音の怒る姿によく似ていた。
▽
「ただいま」
「あら、おかえり」
玄関を開けた母はふわりと微笑んで、俺を抱きしめた。
「久しぶりね」
「全然顔出さなくてごめん。母さん」
「いいのよ。試合で元気そうなのわかってたから」
少しゆっくりしていけるの?と問いかける母に遅くならないうちに帰らなきゃいけないんだ、と返す。
残念ねと眉を下げたが、それ以上何か言ってくることはなかった。
「父さんは?」
「仕事よ。最近忙しいみたいで、全然帰ってこないの」
「相変わらずだね」
まぁ私も自由に仕事できてるからいいんだけどと母は笑った。
「あ、それ。向こうから届いてたやつね」
リビングの机の上に置かれた段ボール。
それを開封していれば、目の前に置かれたミルクティー。
向こうにいたときもいつも飲んでいたやつだった。
「Leoくんとか元気にしてるの?」
「元気にしてるよ、みんな」
「そう。それなら、よかった」
母は全てを知っている。
知っていて、俺を自由にさせてくれている。
その優しさに俺はいつも、救われていた。
段ボールの中身はほとんどがJoker'sのメンバーからの誕生日プレゼントだった。
「今のチームはどう?楽しい?」
「うん。楽しいよ。個性的な先輩ばかりだし。野球ってものを、改めて見つめ直せてる気がする」
「そう」
名前を見なくても、誰が何を贈ってくれたかわかるくらいプレゼントの個性が強かった。
プレゼントの奥底。
一通の手紙。
「……Cyrilのお母さんから?」
「そうみたい」
「そう…」
その手紙をポケットにしまって段ボールを閉じる。
「プレゼントはまた今度時間があるときにみにくるね」
「じゃあ、部屋に置いておくわね」
「ありがとう」
母の淹れたミルクティーを飲んで、大きく息を吐き出す。
「ありがとう」
「頑張ってね、颯音」
「うん」
また、父さんがいるときに顔出すよと言って立ち上がる。
「颯音」
「なに?」
「誕生日おめでとう」
母が微笑んだ。
あの頃 見ることのできなかった 母の笑顔。
母が笑わなくなったのも、俺のせいだったし。
俺は何度、母を泣かせただろうか。
思えば地獄へ落ちた俺の道連れになったのは、両親だった。
「ありがとう。また来るよ」
帰り道。
公園で開いた手紙。
もう見慣れてしまったCyrilの母親の字。
内容は毎年ほとんど変わらない。
Cyril。
彼は、彼の名前は、俺のあの日記の一番最初に出てくる名前だ。
「俺さ、ずっとわからなかった。Cyrilが、どうして泣いていたのか」
誰かに聞かせるわけじゃない。
ただの、独り言。
「けど、鳴さんに言われて少し思ったんだ。助けて欲しかったのかなって。Cyrilも辛かったのかな?って。助けて欲しくて、追い詰められていたのかなって。それしか、方法がなかったのかなって」
手紙をしまって、目を閉じる。
「ごめんなさい。本当に。Cyrilだけじゃない。今まで壊してしまったたくさんの人に。本当に、ごめんなさい」
それが、当たり前だった。
それが、許されていた。
それしか、道がなかった。
野球を続けていくには、誰かを犠牲にしていかないといけなかった。
それが、野球だと 本気で思っていたんだ。
「ごめんなさい」
手のひらを合わせて握りしめる。
額にそれを押し付けて、もう一度 ごめんなさいと呟いた。
許されるなんて、思ってない。
許されたいなんて、思ってない。
背負っていく。これからもずっと。
十字架を背負いながら、俺は野球を続ける。
それが一番の罪滅ぼしで、懺悔で、罰なんだ。
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