もう、戻れない
4限の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
閉じていた目を開いて、寝返りを打つ。
「昼だぞ」
横から聞こえた声にもう一度閉じようとした目をその声の主に向けた。
「…相楽」
「先生つけろ、先生」
呆れた顔をする彼に間違えました、と呟いて目を閉じる。
ベッドが軋んで、真ん中辺りが沈んだ。
「今日は一段と眠そうだな」
大きな手が髪を撫でて。
もう嗅ぎ慣れた彼の煙草の匂いがして目を擦る。
「…飯、食わねぇのか?」
「なんも持ってきてないし…」
「いつものことだろ。購買で買ってきた。金は払えよ」
わかってます、と体を起こせばベッドに腰かけていた彼が眉を寄せた。
「本当に眠そうだな。顔色も良くない。大丈夫か?」
「…平気、だと思う」
先生がいつも座ってる椅子の向かい側に座って彼の買ってきたおにぎりの封を開ける。
「例の孤児院でなんかあったか?」
「…まぁ、それもある。俺に出来ることって限られてるから」
おにぎりを持っていない方の手をヒラヒラと揺らせば彼はため息をついた。
「お前の気持ち、わからねぇことはねぇけどさ。よくそこまで徹底してんな」
「汚したく、ないからね」
「…そうか」
おにぎりを頬張って、お茶に手を伸ばそうとしたときだった。
鳴り響いた警報。
窓の外に視線を向ければいくつもの門が現れていた。
「…不吹」
静かに俺の名前を呼んだ彼に俺は残りのおにぎりを口に押し込んで頷く。
学校で彼に名前を呼ばれたのは凄く不思議な感じがする。
「ごめん、行ってくる」
「…ボーダー、まだやってんだな」
「目的を、与えられたんだ」
お茶を飲んで立ち上がる。
少し眠気の残る目を擦って、彼の方を見た。
「行ってくる」
視線を逸らし保健室を出ようとした俺の腕を彼が掴む。
「…その目的は意志を生んだのか?」
「どう、だろう」
「そうか」
大きな手が俺の頭を撫でて、真剣な眼差しが俺に向けられた。
「生きて帰ってこい。必ずだ」
「…うん」
「昼飯の金は帰ってきてから貰う」
彼は口元を緩めて、もう一度俺の名前を呼んだ。
「なに?」
「もう誰かを看取るのは御免だからな」
「…ん、わかってる」
足早に廊下を抜け、屋上に向かう。
屋上のドアを開ければ生温い嫌な風が頬を撫でて、沢山の門とトリオン兵の姿が見えた。
ポケットの中のトリガーを握りしめて、小さく息を吐く。
「トリガー、起動」
自分の物だが自分の物じゃない体。
耳に通信機を耳に差し込んだ。
「忍田さん」
『榎本。今学校か?』
「はい」
生徒達が校舎から出てくるのを見下ろしながら忍田さんの次の言葉を待つ。
『本部に急行しろ』
「了解。トリオン兵は?」
『倒して欲しいことには倒して欲しいが、本部に来ることを優先してくれ』
了解です、と言葉を返してこの間と同じようにスコーピオンを両足に纏わせて、屋上のフェンスを蹴った。
空に浮かぶトリオン兵を蹴りで真っ二つに斬りながら、その残骸を踏み台に本部に向かう。
見下ろす街は4年前を彷彿とさせた。
「…生きて帰ってこい、か」
相楽の言葉を呟き俺は首裏に触れる。
「……約束、守れるかな」
▽
開け放った窓から風が吹き込む。
白衣がはためき、煙草の煙が揺れた。
見上げた空にはネイバーを倒しながら何処かへ向かう不吹の姿があった。
「…お前を看取るのは御免だからな…」
小さく呟いた声。
彼にはきっと届いていないだろう。
ガラッと勢いよく開いたドアに振り返れば朝方怪我で保健室に来た生徒が立っていた。
「榎本は?」
「もう行ったぞ」
「は?」
少し跳ねた髪の毛先が窓から吹き込む風に揺れた。
「行ったってどこに…」
「…方角的には本部だろうな」
「本部?召集の命令出てないハズなんだけどな…」
首を傾げる彼に俺は煙草を灰皿に押し付けて、不吹の向かった先に視線を向けた。
「…お前、行かなくていいのか?戦いに」
「俺がボーダーだって知ってたんすか?」
「本部の召集命令がどうとか言ってりゃ誰でもわかんだろ」
アイツは平気だからさっさとお前のやることをやれ、と言えば彼は頷いた。
「先生、避難しといてくださいね」
「あぁ、わかってる」
パタパタと廊下を走っていく彼を見送って、白衣のポケットに両手を突っ込んだ。
白衣を翻し、廊下に出れば生徒が足早に避難していた。
「西尾先生も急いで避難を!!」
他の先生の声に頷き、もう一度開け放った窓に視線を向けた。
「汚すなよ、お前の手…」
今以上にお前が何かを失うのは見たくない。
あの頃のお前には戻ってくれるな。
▽
思いの外多いトリオン兵を蹴りで倒しながら本部の向かう途中。
本部にデカいトリオン兵が突っ込んで行くのが見えた。
『榎本!!あとどれくらいで到着する!?』
「もう直ぐです」
1体は撃墜したが、もう1体が本部に突っ込む。
そして、その後ろ3体のトリオン兵が本部に近付いていた。
『一番奥にいるのを倒せるか?』
「それが、命令なら」
なら命令だ、と彼の声が聞こえてぐっと足に力を込めた。
1体を本部の砲台が撃墜し、俺は足早に奥の1体へと飛んでいく。
『間に合うか!?』
「問題ありません」
手前の1体の上を飛び越えた時、誰かとすれ違う。
交わった視線を逸らして、足に力を込めた。
あの口の中にある目ん玉を壊せればいい。
スコーピオンを纏った足を振り上げ、巨大なトリオン兵の顔に叩き込む。
割れた歯の向こうに見えた3つの目ん玉に蹴りを入れれば、それは黒い煙を吐き出してゆっくりと落ちていく。
「終了しました」
『司令室に来てくれ』
「了解」
後ろから感じた視線に振り返れば、空中ですれ違った彼がこちらを見てニヤリと笑った。
その目に何か、嫌な感じがして。
彼の視線から逃れるように俺は本部に入った。
「榎本です」
指令室に入ってそう声をかければ忍田さんがこちらを見た。
「イルガー討伐、ご苦労。だが、顔に突っ込んで行くのはどうなんだ?」
「弱点があるなら、そこを叩くのが一番楽です。隠されていようが、拓いて晒してしまえばいい」
「…まぁ、戦い方にはとやかくは言わないが」
見てくれ、と彼は地図を指差した。
「現在西、北西、東、南、南西の5方向の市街地に向かってトリオン兵の集団が移動している」
孤児院がある場所も危ない、か?
避難…出来ていればいいけど。
「北東に新たなトリオン兵出現です」
「そうか…榎本。お前は北東のトリオン兵を全て排除した後、他の地域のフォローに入ってもらう」
「…早々に片付けろ、と言うことですか。了解です」
ちょっと待ってください、と1人の人が声を上げた。
「彼はまだB級隊員ですよね!?」
「ええ、そうです。ですが、彼は空閑遊真と互角に戦っています。それに…彼の実力は私が保証します」
「…行ってきます」
背を向け、出ていこうとする俺を彼が呼び止める。
「悪いが、出し惜しみはしていられない。使ってくれ」
「…わかってるんですか?」
それは、貴方のクビに関わることですよね。
俺は心の中でそう呟きながら、彼を見つめた。
言葉にせずとも彼はわかっているようで、真剣な目を俺に向けた。
「何よりも優先すべきは市民の安全だ」
「…わかりました。それが、貴方の命令なら」
俺は小さく息を吐き出して、首裏を撫でる。
「ないと思いますけど暴走したら…止めてください」
「…わかっている」
「……俺を殺してでも」
指令室に嫌な空気が広がって。
「…わかっている」
彼の言葉を聞いて、俺は部屋を出た。
「ごめん、相楽…もう、戻れない」
外に出れば、冷たい風が頬を撫でた。
指令室の上、鉄塔に乗り、北東へ視線を向ける。
うじゃうじゃといるトリオン兵が人のいない街を壊していく景色に4年前を思い出した。
トリガーをオフにしてまだ1度しか使っていない本部で貰ったトリガーを手放す。
風に揺らされながら重力に従いカツンとトリガーが地面に落ちて、小さく跳ねた。
1つだけ開けていたシャツの襟首をもう1つ開く。
右手で首裏に手を当てて、掌に触れた硬く冷たいものに眉を寄せた。
「…、起動…」
再びトリオン体に換装され、体の中で何かが蠢き刺さる感覚に唇を噛んだ。
内側から侵食されるような感覚に眉を寄せ、詰めた息を吐き出す。
「最高に、最悪な気分だ…」
吐き出した言葉は風に飲み込まれて消える。
手を数回握る動作を繰り返し、体に異常が無いことを確認する。
「じゃあ…行くか、」
鉄塔を蹴り、俺はトリオン兵の大群へと飛び込んだ。
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