それでも、無様に溺れてみたかった
体調を崩して数日が経った。
心の中のモヤつきが消化できず、結局訪ねたバー。
からんからんと俺の心とは裏腹に軽い音が鳴り、まだ営業前だよと渋い声が聞こえた。
「て、学生さん?」
中にいたおじさん…は、失礼かもしれないが 3.40代くらいの男の人は俺を見て少し驚いた表情を見せた。
「学生さんが来るような店じゃないよ」
「…すいません。律、さん いますか」
「律?… 律のなんだ、学生さん」
お礼を、と言ってコンビニで買ったお菓子とか飲み物が入った袋をバーカウンターに置く。
「…ちょっと前、体調崩したとこ…この店の前で助けられて…その、お礼に」
「あぁ、なるほど。アイツならやりそうだな」
「これ…お礼になりそうなもの浮かばなくて…とりあえず、色々買ったんですけど」
アイツならなんでも受け取るよ、と彼は袋の中も見ずに言った。
「好きなものも、嫌いなものもアイツにはねぇからな」
「…そうなんすね」
「昔はきっと、あっただろうけどな」
あと少ししたら来る時間だから 待ってるといいと言って彼は 座ってなとカウンターの前の椅子を指差す。
その言葉に甘えてその椅子に腰かければ パックから注がれたオレンジジュースが目の前に置かれた。
「あの?」
「飲んで待ってな」
「けど、お金…」
流石にそんなんでとらねぇよ、と彼は言う。
朗らかな人だ。
こういう人なら 信頼できるのに。
なんであの人はダメなんだろう。
「律さんはいつからここで?」
「初めて来たのはあの侵攻の後だな。うちで雇ってるわけじゃねぇよ。ただ、時々手伝ってもらってる。うちで雇いたいって話はしてるけどな、悉く断られたよ」
「そうなんですね…」
あれは定住できないんだ、と知ったように彼は言う。
「どうして、ですか?」
「蜃気楼だからさ」
「は?」
あれは過去の蜃気楼なんだ、と彼は真剣な表情で話す。
冗談で言っているわけじゃないらしい。
「目の前に見えるが、掴めない。触れられない。近づくことすら、できない。本体は過去にあって、俺たちが見てるのは幻」
「幻…」
「そう思って付き合っていくといいよ。あれにハマれば、抜け出せない」
言いたいことはわかるような気がした。
「おはようございます」
からんと音が鳴って開いたドア。
現れた彼は俺を見て 何も言わず視線を逸らした。
「無視してやんなよ。お前さんに会いにきたんだよ」
「会いに来るような仲じゃないですよ」
「…借りを、作りたくないだけだ!!」
突き出した袋。
それを見て彼は数回瞬きをした。
「………律儀だね」
「…アンタに借りがあるって思うとゾッとする」
「大事だよ、その感情。ありがとう、それならこれは受け取る」
彼は俺の指に触れないように袋を受け取った。
そして中を覗いて、こんなに買わなくてよかったのにと呟く。
「…アンタの好きなもん知らねぇし」
「好きな物なんてないよ。嫌いなものもないけど」
なんか、槍バカから聞いてたのと全然雰囲気違うんだよな。
なんなんだ?猫被ってんのか?
俺の前で?逆?
「なに?」
「猫被ってんの?」
「……普段はね。君には、いらないから」
何故、とは思った。
けど別にこの人とどうこうなりたいわけでもない。
「俺に対して、純粋に危機感持ってるでしょ?得体が知れないもんだって、怖がってる」
「…だったら?」
「そう思ってる相手を攻略してまで、泊めてもらうなんて手間でしょ?最初から受け入れてくれる人は他にいるんだから」
だから君のために何かをする気は無いし、それは君の為にもなるでしょ?と首を傾げた。
「なるほどな、」
「大丈夫だよ。取って食ったりしないから」
彼はそう言って笑った。
その笑顔は何となく、本物な気がした。
「…なんで、そんなことしてんだよ。あんた」
「そんなことって?」
「色んな人の家転々として…その、色々やったりとか…」
彼はじっと俺を見つめたかと思えば、何も言わずにドアを開けた。
「帰りな、少年」
「…は?」
「君はここにいるべきじゃない」
彼はそう言って微笑んだ。
それは槍バカに見せていた笑顔と一緒だ。
「興味を持っちゃダメだよ、少年」
そう言われて初めて気付いた。
頭の中が彼で埋め尽くされていることに。
あぁ、これか。
これの事を言っているのか。
「帰りな」
「…俺が、アンタを知りたいって言ったら…どうすんだよ」
「後悔するよ」
彼の言葉にどこか落胆した。
欲しかった答えではなかったのかもしれない。
けどそれが彼の優しさなんだろう。
「………世話になった」
「元気になって良かった」
それから数ヶ月。
彼に会うことはなかった。
時折ボーダー内で彼の事を耳にすることはあったけど、それだけだった。
自分の中にあった彼への興味も薄れていた。
はずだった。
遠征から帰ってくると 時々地に足がつかないそんな感覚に陥る。
船酔いに似た浮遊感。
それは体感的なものでもあり、精神的なものでもあった。
酒に酔ったらこんな感じかな、なんて思ったりもしていたけど決して気分が良いものではない。
あぁ俺は酒は飲めなさそうだなってその感覚に陥る度に思っていた。
「家のベッドで寝たいなんて言わずに、仮眠室使えばよかったわ…」
丑三つ時を過ぎた街は厭に静かで、月夜に照らされた足元はふわふわとしている。
家路についたはずの足は何故だがあのバーの前に俺を運んだ。
夜も更けているのに、店に灯りがついていた。
いや、バーだから当然か。
女の笑い声が聞こえる店はどこか、俺の世界とは切り離されているような気がした。
あの男に会いたいのだろうか。
ここにいれば会えるのだろうか。
そんなことを考えながら、灯りに照らされた自分の足先を見つめていた。
馬鹿だな。
あの人は定住はしないと知っているではないか。
ここにいるはずがない。
恐ろしいんだろ、何故会いたいなんて思ってる?
興味を失ったんだろ、何故頭の中から消えない?
あぁ、嫌だ。
俺の思い通りにならないこの思考が嫌だ。
帰ろう、早く。
きっとこの酔いのような感覚がいけないんだ。
からん、と聞き覚えのある軽い音がした。
帰っちゃうのーと甘ったるい女の声もした。
「またね、お姉さん。お疲れ様でした」
そして、聞き覚えのある声がした。
ドアが閉じる。
足元を照らした光は消え、影が重なる。
目の前にいるはずの男は何も言わなかった。
顔を上げれば、真っ直ぐ彼の目は俺を映していた。
「どうしているの、少年」
「出水公平」
「……出水くん、今何時かわかってる?」
何時だっけか。
こっちに帰ってきたのが日付跨ぐぐらいだっけ?
それなら報告して…そんで…
「……ねぇ、もしかして体調悪い?」
彼の手が額に触れた。
あぁ、心地いい冷たさだ。
俺に触れた目の前の男は目を丸くした。
ふわふわと足元が、視界が揺れる。
「ちょ、」
彼の腕に抱きとめられた。
それが現実なのか夢なのか、わからなかった。
▽
目が覚めた。
また知らない天井が見える。
ただ違うことと言えば、ベッドの傍らのソファに律が眠っていることだ。
「……夢じゃなかった」
遠征明けのあの酔いの中に見た夢だと思っていたのに。
額に熱さまシートが貼られているとこを見れば、あれは酔いなんかでは無く熱で朦朧としていただけなんだろう。
どうしよう。
また、助けられてしまった。
いや助けられに行ったようなものだ。
あんなに勝手に突っぱねておきながら。
「、ん…」
頭を抱えていた俺に目を覚ました彼は「頭の痛いのか」なんて尋ねてソファから立ち上がる。
伸ばされた手が自分に触れそうになって思わず身を引けば 彼はあぁやっぱりかと言わんばかりの表情を見せて手を下ろした。
「ぁ、ちがっ」
「…レトルトのお粥買ってきた。温めるけど食えそうか?チェックアウトまで時間もあるし食べたら薬飲んで寝ときな」
背を向けた彼に思わず手を伸ばしてた。
掴んだ服の裾に引っ張られて彼は足を止め、振り返る。
「何?」
「っ、」
彼をそうしたのは俺だった。
仕方ない。
けど、俺にも向けてくれたっていいだろ。
「ごめん、なさい」
「は?」
目の前が歪む。
あぁ、全部熱のせいだ。
そういうことにさせてくれ。
「俺も、アンタに触れてみたい」
ダメだと分かっている。
やめた方がいいって分かっている。
恐ろしい。彼が、彼に溺れてしまいそうなことが。
無様に彼を求めてしまいそうな事が。
本能的なもんだった。
彼はダメだって。
知ってしまえば、多分俺は 抜け出せなくなるって直感的に感じていたから。
恐ろしいと思った、離れようと思った。
けどそうすればそうする度にこの人が、頭をチラついた。
「アンタに、触れられたい」
「…熱で冷静な判断出来てないでしょ、出水くん」
早く薬を飲んで寝た方がいい、と俺の手を解こうとする彼の手を掴み引っ張った。
俺を押し潰さないように咄嗟にベッドに手を着いた彼の顔が至近距離にある。
両手を伸ばして彼の頭を引き寄せて無理矢理キスをした。
見開かれた目に欲に溺れた俺が映っている。
無様だ。かっこわりぃ。それでも。
「なんでもする」
「は、」
「だから、お願い。俺を見て」
あぁ、だから嫌だったんだ。
こんな風に溺れる俺を、俺は見たくなかったのに。
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