燻る紫煙の向こうの幻




太刀川さんの家へ泊まる日々は思いの外突然、終わりを告げた。
遠征が入っていたことを忘れていたと、肩を落とす彼を思い出しながらキャリーバックを片手に道路を歩く。
遠征から帰ってくるまで泊まってていいと彼は言ったけど、家主のいない家に泊まるのは流石に俺でも気が引けるしそれでは意味がない。
遠征前に今までの俺の意味も込めて、豪華なご飯を作った。
嬉しそうにしてくれたけど、どこかしゅんとしてる姿にやはり子供っぽいなと思った。

「帰ってきたらまた会いたい、か」

彼はそう言って、携帯番号を聞いてきた。
持っていないと嘘をついたけど。

「まぁ、いつもより長く留まっちゃったな…」

二週間弱、か。
そろそろ出て行かなければと思っていたし、丁度よかった。

「次の宿を見つけないとなー」

今日の仕事は昼からだし、それまでに見つかれば嬉しいのだけれど。

遠くで警報が聞こえる。
この三門市にだけ聞こえる音だ。
4年前から聞こえるようになったその音は、俺にとってあまり好ましいものではない。

「あーやだやだ」

この音を聞くと思い出す人がいる。
思い出したくない人だ。

警報の音の方に駆けつける人影に背を向けて、キャリーを転がす。
この街には似合わない音だと思った。





トリオン兵を倒して、本部に戻ろうとしたとき聞こえてきた音。
この街には似つかわしくない、でも聞きたいと願っていた音。

「悪ぃ、先戻っててくれ」
「煙草も大概にしてくださいね」

仲間も言葉に苦笑して、その音を追いかける。
段々大きくなる音に追い付いた時、ミルクティーのような色の髪がふわりと風に揺れた。

「律!!」

ぴたりと音が止み、ゆっくりとこちらを振り返った彼は俺を見て綺麗な笑顔を見せた。

「諏訪さんだ。久しぶりだね」
「ホントだよ」

彼に駆け寄ればキャリーを置いて、クスクスと笑った。

「最近見かけなったから心配したぜ?」
「二週間くらい泊めて貰ってた。その前には隣街にいたからね」
「そっか。まぁ、元気そうでよかった」

今お仕事中?と首を傾げた彼に頷けばじゃあ、邪魔しちゃダメだねとキャリーに手をかけた。

「ちょっと待て!!」
「なに?」
「え、あ…いや…」

言いたいことがある?と彼は微笑んで。
普段俺から言うことのない誘いの言葉は頭のなかを駆け巡る。
だが、それを口に出すことが出来なくて頭をガシガシと掻く。
そんな俺をじっと見つめる目から視線を逸らせば彼はまたクスクスと笑った。

「ごめん、冗談。今日、泊めてくれる?」
「…さっきのわざとかよ」
「諏訪さんの困ってる顔、俺好きだよ」

大人をからかうな、と言えば彼は子供扱いしないでよと言った。
別にそんなつもりはなかったし、まずこいつの年齢知らないし。

「…律」
「ん?」
「泊まってけ」

お礼はいつもの?と尋ねた彼に頷けばじゃあ、交渉成立だねと笑った。

「夜、家に行くから」
「おう」
「お仕事頑張ってね」

律はそう言って微笑んで俺の隊服の首もとを引き寄せた。

「ちょっ!?んっ」

珍しく煙草を咥えていなかった唇を塞がれる。
餓鬼がするような触れるだけのキスをして彼は服から手を離した。

「またあとでね、洸太郎」

ガラガラとキャリーの音が遠くなっていき、俺は頭を抱えてしゃがみこむ。

「マジでなんなのアイツ…」

優しい顔してる癖に、こういうことする時だけ妙に色っぽい顔をする。

「…さっさと仕事終わらせて帰ろ…」





「律」
「あ、おかえり」

玄関の前に立っていた彼は微笑んで、お疲れ様と呟く。

「待ったか?」
「んーそうでもないかな」
「そうか」

鍵を開けて入るように促せばお邪魔しますと言って、部屋に入る。

「お酒ある?おつまみ買ってきたけど」
「ないわけないだろ」
「確かに」

テーブルに並べられたスーパーで売ってるおつまみ。
冷蔵庫に冷やしてあったお酒を彼に渡せばそれを笑顔で受け取った。

「つーか、お前。飲める歳?」
「飲み屋で会った相手にそれ言う?」
「確かにそうなんだけどさ。お前、高校生にもみえるし」

彼と会う度に思っていたことを言えば彼はクスクスと笑った。

「別に、取り上げても構わないよ?」
「そ、れは…」
「ん?」

まだ開けていないビールを差し出す彼。
口元は綺麗な弧を描いている。

「…そんなに楽しいか、俺を困らせて」
「楽しいってわけじゃないよ。ただ、可愛いから」
「おっさん相手に何言ってんだよ」

で、どうする?とビールの缶を揺らす彼に飲めよと言えばじゃあお言葉に甘えてとプルタブを開けた。

「ダメって言うと思った」
「別に、今更だしな。それに、」
「それに?」

酒が入っていなくてできないとか言われたくない。
こんなおっさん相手に普通はできないだろうし…

「諏訪さん?なんか、変なこと考えてない?」
「いや…別に」
「ホントに?」

顔を近付けてじっと俺を見つめる彼に息を詰まらせた。
そして、咥えていた煙草を彼に奪い取られる。

「あ、おいっ」

少し短くなっていた煙草を咥えて、彼は紫煙を吐き出した。
無駄に絵になるその動作に目を逸らせなくなる。

「久々に諏訪さんの味」
「…その言い方語弊があんだろ」
「そう?」

俺の口に煙草を戻してビールを煽る。

「煙草の後のビールっていいよね」
「おっさんかよ」
「うるさーい」

本当に、お前いくつだよと思わずにはいられない。
高校生みたいな容姿ではあるけれど大人にも見えるし。
醸し出す雰囲気や溢れ出る色気は高校生のものではない。
初めて出会った場所も飲み屋だった。
その日の光景は鮮明に覚えている。


彼は俺の行き付けの少し洒落た店に綺麗な女を連れてやってきた。

「マスター、俺いつものね。彼女には甘めのを」

いつもの、と言っているところを見ると常連なのかもしれない。
女の言葉に丁寧に返事をしながらひどく優しい笑顔を向けていた。
そこ笑顔は多分、誰であっても見惚れるようなものだった。
律が2杯目を頼んだとき彼女の携帯が鳴り、一言二言言葉を交わし電話を切った。

「時間かな?」
「そうみたい。もっと一緒にいたかったんだけど」
「またいつでも声かけて」

2人の会話にどこか違和感を感じた。
恋人同士ってわけじゃなさそうだな…

「じゃあ、これ。代金ね」
「うん、確かに」
「あ、あとお酒代は…」

封筒を手渡した彼女が財布を出そうとするのを彼は止めて、首を横に振った。

「いいよ。今日1日楽しかったから、そのお礼にね」
「あら、ありがとう。またお願いね」
「うん、いつでも」

そっと彼女の手の甲にキスをして彼は微笑む。
そんなキザな動作さえ、似合ってしまっていた。

女が出ていくと彼は肩の力を抜いて、グラスを傾けた。
少し暗いバーの中。
紫煙に霞む視界の向こう、俯く彼から視線が逸らせなかった。

少しの間見惚れていれば、彼が顔を上げた。
そして、交わった視線に彼は綺麗に微笑んだのだった。
カタンと音をさせて立ち上げった彼はカウンターにいた俺の隣に腰かける。

「お兄さん、一人?」
「見ての通りだよ」
「俺も一人になっちゃってさ。良ければ一緒にどう?」

彼の誘いを断る理由はなかった。
というか、断る言葉よりさきに頷いていた。

律と名乗った彼は妙に安心感があった。
人に話したことないような悩みやら愚痴やらつい、話してしまって。
その言葉一つ一つを彼は聞いてくれていた。
酒もいつも以上に進んで、日付が変わる頃にはだいぶ酔っていた。

気づけば俺は家で寝ていて、キッチンに彼がいた。

「おはよう。頭、痛くない?」
「…少し」
「ご飯作ったけど食べれそう?」

彼の言葉に頷けばしじみのお味噌汁と典型的な日本の朝食がテーブルに並んだ。

「えっと…律、だよな?悪い、俺昨日…」
「ここまではちゃんと歩いてたから大丈夫だよ。家はどこ?って聞いたらちゃんと答えたし」
「あーなら、いいけど」

なんか、お礼しねぇとだなと呟きながら味噌汁を飲めば彼はひどく綺麗に笑った。

「じゃあさ、泊めてくれない?」
「泊めるってここに?」
「うん。俺、宿無しなんだよね」

あのときはびっくりしたよなーと思いながらビールを飲んでいる彼を眺める。
宿無しとか、想定外すぎた。
結局、あれ以来何度か泊まるようになったし。

「諏訪さーん?そんなに見つめないでよ」
「なっ!?別に見てねーよ」
「嘘はダメだよ、嘘は」

彼は微笑んで俺との距離を縮めてくる。
反射的に後退ればすぐにベッドに背中があたる。
テレビの音が妙に遠くに聞こえた。

「逃げなくてもいいのに」

咥えていた煙草を奪って、灰皿に押し付ける。
彼はお酒をテーブルに置いて、俺の頬を撫でて笑った。

「ちょ、待て待て待て!!風呂入って、んんっ!?」

俺の制止の言葉なんて無視して唇を塞がれる。
薄く開いた唇の隙間を割って、熱い彼の舌が俺の舌に触れた。
触れた熱に体が震える。

「ん、」

絡まる舌から逃れようと顔を後ろにずらすがベッドがあることを忘れていた。
後ろに倒した頭はベッドに沈み、逃げ場のなくなった俺の口の中を彼は好き勝手掻き乱していく。
舌先を強く吸われて、甘噛みされて。
歯列をなぞり、上顎を撫でられれば鼻から抜けるような吐息が漏れた。

「っ、ん…はぁ…」
「可愛い」

唇が離れて、酸素を求めて大きく息を吸う。
目の前の彼は目を細め、妖艶な笑みを浮かべていた。
ずくん、と腰がウズく。

「律、」

両腕を彼に伸ばして、首に回す。
ぐい、と彼を引き寄せて触れるだけのキスをした。

「はやく、」

可愛いげのないおねだりに彼は俺を軽々と抱き抱えてベッドに下ろした。

「明日、仕事は?」
「あるけど、へーき」

トリオン体になってしまえばなんの問題もない。

「律、早くしろ」
「わかってるよ、洸太郎」

再び塞がれた唇。
両腕を彼の背に回して、体の力を抜いた。

これから俺を襲う快楽を思い出して、体がぶるっと震えた。
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