寂しさを抱いて待ち惚け
その日、珍しく宿が決まらなかった。
最近は調子良く決まってたから凄く久々な感じだった。
「太刀川さんの後に諏訪さんのとこ泊まって…女の子のとこと…」
指折り数えても最近は上手く行きすぎていた。
「まぁ、こんな日もあるよね」
いつものネカフェに行くか、と駅の方へ歩を進める。
暗くなった夜道にキャリーの緒とだけが響く。
こんなに静かな夜も久しぶりだ。
警報ひとつ鳴らない。
いや、まぁ鳴らない方が俺としては嬉しいのだけれど。
「ん?」
駅までの途中にある公園。
普段は誰もいないそこに人影があった。
足を止めて、少し首を傾げる。
「…女の人」
…まぁ、声をかける価値はあるだろう。
駅に向かっていた足を公園に向ける。
砂利の上を転がるキャリーの音はどこか不恰好だ。
「お姉さん、こんな時間にどうしたの?」
「、え?」
顔を上げた彼女の顔に涙の跡はない。
フラれて落ち込んでるわけじゃなさそうだ。
「危ないと思うよ」
「それはわかっているんだけどね」
苦笑する彼女に首を傾げる。
視線を彼女の顔から下に動かせば理由はすぐにわかった。
「ヒール、壊れちゃった?」
「あ、うん」
「誰かに迎えに来てもらうの?」
呼ぶ相手がいなくて、と彼女は溜め息をついた。
「みんな忙しい人だから」
「そっか。ここから、家近い?」
「遠くはないけど…」
遠くはないけど、近くもない…のかな。
俺は彼女の前にしゃがみ、キャリーバック開ける。
内ポケットから瞬間接着剤を取り出して、靴脱いでと伝える。
首を傾げながら靴を脱いだ彼女の壊れた靴を接着剤で直していればありがとうと頭上から落ちてきた声。
「いいよ、別に。お姉さんに何かあったら困るしね。はい、これで少しは持つはず」
彼女の前に靴を置いて微笑めば彼女はやっと笑顔を見せた。
「ありがとう。何かお礼を…」
「あー、お姉さん彼氏いる?」
えっ、と固まった彼女に好きな人でもいいよと言えば僅かに頬を染めて好きな人が、と答えた。
「じゃあ、ダメだね」
「え?」
「好きな人がいる人に泊めて、なんて言えないし」
キャリーを閉じて、立ち上がる。
「泊まるとこ、ないの?」
「今日はね。まぁ、良くあることだから」
「けど、」
申し訳なさそうな彼女に視線を空に向ける。
「あ、そうだ。じゃあさ、お姉さんの名前は?」
「沢村響子、です」
「響子さんか。綺麗な名前だね」
驚いて、頬を染めた彼女に俺も微笑む。
「綺麗なお姉さんと知り合えて名前まで教えて貰えたから俺は満足だよ」
「え、えぇ!?」
「じゃあ、またね」
気を付けて帰ってね、と手を振りながら公園を出ていけば後ろから呼び止められる。
「貴方の名前は?」
「俺?俺は律」
気が向いたら覚えておいて、と笑って駅への道に戻った。
「結局今日はダメか…」
まぁ仕方ない。
それにしても女の人のヒールってなんであんなに壊れやすいんだろう。
何度もそういう状況に出会したから接着剤を持ち運ぶようになったけどよく使ってる気がする。
「あ?おい、律じゃねぇか」
「ん?あれ、どうしたの?林藤さん」
「陽太郎を本部に迎えに行くとこだよ」
陽太郎君か…
カピバラ、まだ飼ってるのかな…?
「なんだ、珍しいじゃねぇかこんな時間に一人なんて」
「宿が見つからなくてね。ネカフェ行くとこ」
「なんだ、丁度いいじゃねぇか。行くぞ」
え?と固まる俺を他所に彼は俺のキャリーを掴んで歩いていく。
「ちょ、林藤さん!?」
「仕事忙しくてよ、今日明日の陽太郎の相手頼むわ」
「泊めてくれんの?」
等価交換だろ?と笑った彼に俺も笑う。
「じゃあ、交渉成立」
「おう」
「キャリー、返してよ」
ん、と手を出せば彼は持ち手をこちらに寄越した。
「まだそんなこと続けてたのか?最近見ねぇからどっか決めたのかと思ってたぜ?」
「どこか決めるなんてあり得ないよ、多分」
「ちゃんと飯食ってんのか?」
そこはバッチリ、と答えればならまだ許すと彼は言う。
いつまで経っても彼は父親みたいだ。
「陽太郎もお前に会いたがっててよ」
「まだ覚えてくれてたんだね」
「忘れねぇだろ。あんなに懐いてんだから」
忘れられないのって嬉しいね、と言えば彼は俺を見て乱暴に頭を撫でた。
「…覚えてる方からすりゃ、寂しいもんだぞ。会いに来ねぇのは」
「そっか、そうだね。待ってるのは…辛い」
「だろ?だからさ、たまには顔出してくれや」
そうする、と答えれば彼は満足そうに笑った。
あの警報を鳴らすボーダー基地の本部。
入るか?という彼の誘いを断り外で待っていれば懐かしい声が聞こえてきた。
「律ーっ!!」
「久しぶり、陽太郎」
相変わらずカピバラに乗って、こちらに手を振る彼に手を振り返す。
「しんぱいしたぞ!!」
「ごめんね。仕事で隣街に行ってたんだ」
彼の前にしゃがんで頭をポンポンと撫でれば可愛らしい笑顔を見せた。
「林藤さんは?」
「同僚に捕まってるよ」
「ん?」
陽太郎の後ろに立っている人が陽太郎の代わりにそう答えた。
「陽太郎を律さん?のとこに送ってくれって言われたんだけど…律さん?」
「そうだぞ。律だ!!」
「おーおー、そうかそうか」
米屋陽介です、と言った彼に律ですと答えて微笑む。
「わざわざありがとう」
「いや、別に。今日の世話係だったからさ」
擦り寄ってくるカピバラを撫でていれば背中に陽太郎がよじ登り始める。
「肩車?」
「かたぐるま!!」
彼を乗せて立ち上がれば高い高いと楽しそうに笑う。
「陽介よりもたかいぞ」
「おいこら」
「米屋さんも大きいと思うけど」
俺の言葉に彼は目を丸くする。
「米屋さんって…何?律さん俺より年上だろ?」
「え?うーん、どうだろう?」
「いくつ?」
内緒、といつものように答えれば彼は「は?」と固まった。
「律はひみつしゅぎなんだ」
「お、そんな難しい言葉どこで覚えたんだ?」
「律のはなししたらおしえてくれた」
林藤さんかな…?
まぁ、間違ってないからいいけど。
「秘密主義って…」
「律は名前以外なんも教えてくれねぇんだよ」
「林藤さん。同僚さんはいいの?」
もう話は終わったと言って、俺の肩の上にいる陽太郎の頭を撫でた。
「名前以外ってマジ?」
「おう。律のことなんて名前と家がないってことしかわからん」
「俺もそれくらいしか教えてないよ」
驚いてる彼にクスクスと笑う。
「こんなのでも良ければ仲良くしてやって」
「全然おもしれーからいいけど。米屋さんはやめようぜ?ぞわっとする」
「じゃあ、米屋君?」
さっきよりはマシだと彼は笑った。
「じゃあ、米屋君で。俺のことは呼び捨てでいいよ」
「よろしくな、律」
「ん、よろしく」
どっかで会ったら泊めてやれよ、と林藤さんが言う。
「それ相応のお返ししてくれっから」
「きょうはとまるのか?」
「泊まるよ。今日と明日は陽太郎と遊べる」
俺の言葉にはやくかえるぞ、と陽太郎は嬉しそうに俺の髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「ん、帰ろっか。じゃあ、米屋君もまた今度」
「あぁ」
「どっかで会ったら泊めてね。お礼は何でもするから」
何でもって?と首を傾げた彼に家事とか勉強教えるとか、代わりに宿題やるとか…何でもやるよと答える。
「それから」
「それから?」
米屋君の耳に口を寄せ小さな声で囁く。
「やらしいこと、とかね」
「っ!?」
「米屋君顔真っ赤」
俺はクスクスと笑ってまたね、と手を振った。
「反則だろ、それ」
彼は小さな声でそう呟いていた。
▽
吐息混じりに吹き込まれた彼の低音の声。
背筋がぞわっと震えた。
「律、か…」
また会えるだろうか。
「…連絡先聞いときゃよかった」
あぁけど、秘密主義なんだっけ?
だったら教えてはくれないだろう。
「こりゃ、運任せだな」
遠のいていくキャリーのタイヤの音が妙に耳に残った。
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