01
尊敬する人はいますか?

広報用のプロフィールを書いていたとき、その質問で一番初めに浮かんだ人の名前を書こうとしてペンを止めた。

そして、その人の名前ではなく三浦カズ、クリスティアーノ・ロナウドと書いてペンを放り投げた。

自分が野球を始めて間もない時のこと。
自分の守備位置さえも決めていない初心者の時だ。
俺は彼に出会った。
いや、出会ったというよりは彼を見た。

自分の頭の上を越えていくボールを追いかけて、外野にあるフェンスを蹴り上げて、身を乗り出しギリギリまで伸ばしたグローブで落下する白球を捕った。
彼は勢いそのままにフェンスの向こうに落っこちて、帽子がふわりと脱げて地面に落ちる。
帽子に隠されていた白い髪が太陽の下に晒されて、光を反射してキラキラと輝いて敵も味方も彼に視線を向けていた。
グローブの中、納まったボールを高く腕を上げて見せた彼に歓声が上がった。

それは今まで見たどのプロ野球でのファインプレーよりもカッコよく見えた。
怪我を恐れぬプレー、そしてアウト1つに対する執着心。
それをやってのけたのは、それを持っていたのは俺とそう歳の変わらぬ少年であった。

尊敬している、というよりは俺はその人に憧れた。
あんな選手になりたいと、そう思って俺は投手のような目立つポジションを希望せずに外野手をやることを決めた。

だが、俺がレギュラーで出させて貰えるようになった頃に対戦した彼は遊撃手を務めていた。
群を抜いた守備範囲だったし、その頃名を上げてきた成宮鳴という今俺達のエースを務める彼を上手く操っていた。
目立ち始めた頃の鳴はまだ、安定した投球はできなかったし、何よりも感情に左右されまくっていた。
まぁ、今も多少その気が残ってる。
それを嗜めたり、落ち着かせたり、励ますのは捕手ではなく遊撃手を務めていた彼だった。
彼がその役に選ばれた理由はすぐに分かった。

鳴と彼の髪は同じ色だった。
瞳の色も一緒。
笑った顔も、よく似ていた。
一目見れば誰でも分かる。
2人は兄弟だ。
だから、あの人は鳴にすぐに声をかけられる遊撃手に転向したんだと納得させた。
けど、やはりどこか納得できなくて。
いつかまた、あんなプレーを外野手になって見せてくれる日が来ると思っていた。

けど、その日は訪れなかった。

鳴に誘われて稲実に来て。
いると思っていた彼の姿はなかった。
鳴に兄貴はこの学校じゃないのか、と一度聞いたことがある凄い顔をしてあんな奴知らない!!と叫ぶように言った。
稲実よりも実績のある学校に行ったのかとも思ったが、待てど暮らせど彼の名前を雑誌やテレビで目にする日は訪れなかった。

「野球、やめたんだろうな…」

理由はわからない。
鳴に聞いたって不機嫌にさせるだけで知ることはできない。
だから、俺は諦めた。

「名前くらいは聞いとくべきだったな」

1つ年上の彼は正しく、俺にとって一番近くにいるヒーローだった。
声をかける勇気もなくて、ただ遠くから眺めるばかりだったことが今になって悔やまれる。
人見知りとかするタイプじゃねぇのに、あの人だけは特別勇気がなかった。





学校から少し離れたスポーツショップに古くなったハンドボールのシューズを買うために来ていた。
いつも一緒に来る友人は今日は夕飯の買い物をしていないからと断られた。

「あー…新しいモデル増えてるな…」

いくつか手に取りながらどれにするか選んでいれば静かだった店内がどっと騒がしくなった。
入口の方に視線を向ければ団体の学生らしき姿があり、近所の高校か中学の生徒だろうと視線を手にしていたシューズに戻る。

今使っているのも気に入っているが、新しいモデルも捨てがたいかと1人頭を悩ませていれば学生の団体はハンドボールのコーナー近くの野球の用品のコーナーの前で足を止めた。

「野球部か…」

数年前は俺もあそこにいたんだな、とそれはどこか遠い昔のことのように思えた。

散々悩んで新しいモデルのシューズを片手にレジに向かおうとすれば、野球部の集団の中に見知った顔を見つけた。

そうか…ここ、稲実が近いのか…

バレたらめんどくさくなることは確実で、野球部のいない通路からレジへ向かう。
誰にも見つかることなくお店から出て、駅の方へ歩いて行こうとした俺の腕を誰かが掴んだ。

まさか、と思って振り返れば俺の手を掴んでいたのは想像した相手ではなかった。

「えっと…どちら様?」
「何で、野球辞めたんですか?」

名前も知らない彼の質問はオブラートのオの字も知らないくらいに直球だった。

「…何のこと」
「鳴のお兄さんですよね」
「違うけど」

彼の手を払い、溜息をつく。

髪を黒く染めたところで顔は変わっていない。
気付く人がいるのは予想していたことだし、今までも何度かあったけど皆口をそろえて成宮鳴の兄ですよね、と聞くのはやめて欲しい。

「鳴と同じチームで、遊撃手やってましたよね。シニアのとき」
「…君さ、疑問符ばかりぶつけてくるのもいいけど。まず俺の質問に答えてくれね?」
「え?あっすいません。つい…」

彼は視線を一度逸らしてから、小さく息を吐いた。

「稲実の2年で、神谷カルロス俊樹って言います」
「青道3年の成宮なまえ。鳴の兄貴じゃなくて従兄」
「青道…?従兄…?」

結局ここでも疑問符か…
お店の中、騒がしさは少しだけこちらに近づいた気がした。

「聞きたいこと、結構あんの?」
「え、あ…はい。結構、ありますけど」
「まぁ、そりゃそうか」

俺を知ってる奴からすりゃ、俺のしたことに対しては疑問符が連なるだろう。
別に隠してるわけでもないし話してもいいが、ここで話すにはこちらに不都合が多すぎるな。

「神谷。俺さ、鳴に見つかったらヤバいんだよね」
「え?」
「絶賛喧嘩中。しかも今年で3年目突入」

目を瞬かせる彼に俺は苦笑を零す。

「つーわけで、鳴も一緒に来てるだろ?ここで話してて見つかったらいろいろヤベェから今度日を改めて貰っていいか?」
「それはいいんスけど…逆に、いいんですか?わざわざ」
「鳴に見つかるよりはよっぽど楽だよ。携帯今ある?」

あります、と素直に携帯を出した彼とラインを交換する。

「聞きたいこと、ラインで済ませられるならそれでもいいし。直接でもどっちでもいい。好きにしてくれ」
「あ、はい」
「じゃ、そういうわけで」

携帯をしまって、俺は足早に駅へ向かった。





ラインに増えた成宮なまえの名前。
こんな所で会えるとは思っていなかった。
けど、昔とは随分と雰囲気が変わっていた。
話したことはなかったが見ている限り優しい雰囲気の人だったけど、少しキツくなっていた気がする。
髪も黒く染めてしまっていて、鳴と似せないようにしているような気がした。
それでも彼が俺の憧れた人だと気付けたのは、それだけ鮮明にあの日のことを憶えていたからだろう。

「何してんの?」

俺の横に来て首を傾げた白河にいや、と言葉を返す。

「ちょっと、ずっと会いたかった人に会えたんだけど」
「その割には嬉しそうじゃないね」
「嬉しいことには嬉しいんだけど。こう…なんか煮え切らない感じ?」

鳴と喧嘩してるって言ってた。
しかも3年目って…
鳴があの人の名前出すだけで怒ったのは喧嘩してたからか。
けど、俺が聞いたときって喧嘩して1年経ってるよな…?

「…世話かけたし、話し聞いてやろうか」

思いもよらぬ白河からの言葉に俺は目を瞬かせてから笑った。

「いいって、それ気にしなくて。真緒のこと押し付けたのは俺だろ」
「押し付けたって…」
「白河がいたからアイツは眠れるようになったし。俺じゃどうにもしてやれなかったから」

世話をかけたのはこっちだ、と言えば彼は眉を寄せて視線を逸らした。

「それでも、真緒が今までちゃんと過ごせてこれたのはお前のお陰だろ」
「…んなことねぇんじゃね?」
「お前は、自分を損な役回りにするのが好きだな」

そんなことねぇだろ、と答えて携帯をポケットに押し込んだ。

「まぁ…本当に自分じゃどうにもできなくなったら相談する」
「自分じゃどうにもできなくなっても、お前なら隠すだろうな」
「そこまで俺は強くねぇって」

俺の言葉にならいいけどな、と彼は俺を一瞥してから言った。

「自滅するなよ」
「気を付ける」

2人で話していれば中にいたメンバーが出てくる。

「2人で何話してんの?」

駆け寄ってきた鳴に俺は笑った。

「真緒の顔色が最近良いなって話し」
「カルロまるでお母さんだね」
「嬉しくねェよ」

彼は今も鳴とよく似た笑顔で笑うのだろうか。
眉を寄せ、不機嫌そうな彼に思ったことはそんなことだった。

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