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夕方過ぎ、ご飯はいらない。家には帰らないとメールを送った。
わかったとだけ返事があって、携帯を鞄に押し込んだ。

誰もいなくなったフロア。
仮眠用のソファに横になって腕で目を隠す。

頭の中、彼の事ばかりだ。
分かってる、彼が怒った理由。

危機感がないって言葉の意味も本当はわかってる。
男を何の躊躇いもなく家に上げたこと。
簡単に触れさせること。
彼が心配してくれてることも、私に危機感がなさすぎることもわかってる。

「けど…馬鹿って言われる筋合いなんて、ない」

そんな馬鹿を好きになった小湊が馬鹿なんだよ。
私の中でぐるぐる回って、人を目茶苦茶にしていく小湊が馬鹿なんだ。

「何で、気付かないふりをさせてくれなかったの」

気付かないふり、させてくれればよかったんだ。
そしたら、私の中はぐちゃぐちゃになんてならなかった。
仕事に集中できないなんて、そんなことにはならなかった。

高校の時逃げずに話を聞けばよかった?
もし、聞いてたら今がぐちゃぐちゃになることなんてなかった?
もしもの話になんて、意味ないか。

「水…」

体を起こしてテーブルのペットボトルに手を伸ばす。

「お前、帰らないの?」

伸ばした手はペットボトルに届かずに止まった。

「…別にいいでしょ」
「いいけど。心配してんじゃね?同居人」
「知らない」

怒ってんのかよ、と言った彼にかもねと返してまたソファに横になる。

「…終止符なんて、打たなくたって終わるんじゃない?」
「は?」
「このまま…すれ違えば終わるじゃん」

それでいいのかよ。
彼はそう言って向かい側のソファに腰かける。

「お前さ、気付いてんだろ。自分の気持ち」
「…なんのこと」
「好きなんだろ?本当は」

だから、そんなに悩んでる。

「お前が人のことで悩む時点でおかしいんだよ。いままで告白されても気にもしなかっただろ。どんな言葉にも、お前は左右されなかった」

恋愛のごたごたでやめたお前の親友。
あいつがいなくなっても、お前は何も変わらず仕事してた。
彼の言葉に仕事を辞めた親友の顔が浮かぶ。

「偽りきれないなんて、初めてだろ」
「…うるさい」
「まだ終電、間に合うんじゃねェの?」

帰れよ、と彼は私の頭を撫でた。

「今のお前じゃ、仕事にはなんねぇ。いるだけ、足を引っ張るだけだ」
「…もっと、言い方あるでしょ」
「いいから、さっさと行け」

ソファに置いていたコートと鞄を私に投げた彼は優しい顔をして笑った。

「幸せになれよ、なまえ」
「…なに、それ」
「俺もさ、また前に進めそうだから」

彼はそう言っていつもみたいに微笑んで、なまえともう一度名前を呼ぶ。

「早く、幸せになって来いよ」
「ありがとう、」

微笑んだ彼に背を向けて私は走り出した。





帰らない、とメールがあった。
やっぱり怒らせてしまった。
今まで、彼女の嫌がることをしないように境界線を気にしていたのに。
それを越えてしまったから。

俺がここにいるとこれからも帰って来れないのかもしれない。
もしそうなら、俺はここを出ていかないといけないだろう。
元々彼女の家で、俺の家も少し前に直っている。
本当は、もう帰れるんだ。
それでも、帰りたくないと駄々をこねる自分がいる。
何もできずに、何も伝えられずに会えなくなるのはもう嫌だった。

携帯と財布をポケットに突っ込んで、家を出る。

どうせ会えなくなるなら、伝えてからじゃないと気が済まない。
そのために俺はここまで来たんだ。

駅まで走って、今日行ったばかりの彼女の会社へ行く電車を待つ。
向かいの電車が発車して、こっちのホームの電車が来るとアナウンスが鳴った。

「え…」

向かいのホームに彼女の後姿。
見間違えじゃない。
ずっと見つめてきた背中だ。

「なまえっ!!」

初めて呼んだ彼女の名前。
足を止めた彼女はこちらを振り返って目を見開く。

どうして。
帰って来ないと言った彼女が、帰ってきた。

そこで待ってて!!
叫んだ声は聞こえたかわからないけど、俺は階段を駆け上る。
終電前の人の少ないホーム、彼女の腕を掴む。

「なまえ。ごめん。昼間、言い過ぎた」
「…うん」
「けど、」

お前のこと好きだから

何年も伝えてこなかった言葉。
横を通り抜けた電車の音に飲み込まれてしまったかもしれない。
それでも、多分お前には届いてる。
そんな気がした。

「初めて出会った時から、ずっと。お前のことが好きだった」

静かになったホーム。
今度はちゃんと響いたその声。

「知ってたよ」

お前はそう言って下手くそな作り笑いをした。

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