01
物心ついた頃から俺には父親しかいなかった。
母親は俺を産んですぐに病気で亡くなったそうだ。
片親で育つことに不自由さは感じていたが、特に困ったことはなかった。
俺は俺のやりたいことをやらせてもらって、ここの高校に入ることも寮に入ることも父親は二つ返事で了承した。
彼はいつだって自分の選んだ道なら逃げるなよ、と俺の背を押してくれる人だった。

そんな父は母が亡くなってから、俺を育てるために朝から晩まで工場に付きっきりでいつか体を壊すのではないかと幼心に心配になることがあった。
だが、そんな真っ直ぐな父の背中を見て育ってきたから、父の言葉はいつだってすんなりと受け入れられた。
自分の選んだ道で逃げずに前に進み続ける父の言葉だったからこそ、俺はその言葉をそのまま受け入れることができた。

そんな、俺の父親から1本の電話がかかってきたのは数日前のことだった。
電話の内容は驚くべきことに、再婚の報告であった。
一番に出てきた言葉は嘘偽りのないおめでとうの5文字だった。
俺の言葉に父は珍しく少し照れ臭そうに礼を言った。

一緒に住むことはないだろうけど1度会って欲しいと言った父に俺は了承の言葉を伝えた。
わざわざ俺の休みの日に合わせて、設けられた会食。
場所は学校から数駅行ったところにある少し高い店だった。

「…まだ、来てないか」

待ち合わせの15分前。
店の前に佇み、小さく息を吐く。

変な緊張を感じながら立っていれば、俺と同じ制服に身を包んだ人が少し間を開けて俺の隣に並んだ。
腕時計を確認したその人は壁に背を預け俯いた。
赤茶色の髪の隙間から覗いた耳にはシルバーのピアスが輝いていた。

それから少しして仲睦ましく肩を寄せ、歩いて来た父親と綺麗な女の人。

「父さん」

俺が父に声をかけたのとほぼ同じタイミング。
俺の隣にいた彼が母さん、と父の隣の女性に声をかけたのだった。
吃驚して、隣を見れば彼も目を丸くして俺を見ていた。

「「え…?」」

あら、一緒にいたの?と父の隣の女性が微笑みながら俺の隣にいる彼に言った。

「一緒にいたわけじゃねぇんだけど…」

彼は歯切れ悪くそう言ってこちらに視線を戻した。

「…どういう状況?これ」
「あー…俺にもちょっと…」

子供2人の困惑を他所に、父と彼の母親はお店の中に入っていった。
御予約、という札の掛けられた奥にある個室の戸を店員が開き、俺達は中へ入る。
自然な流れで2人が隣に座ったから、俺と同じく困惑を抱く彼が隣に座った。

父の顔を真正面から見たのは凄く久々だった。
俺の記憶の中の父より老けたが、目尻は少し下げられ幸せが滲み出ていた。

前菜が運ばれてきて、それに箸を伸ばす。
父は少し堅苦しい結婚報告をして、自己紹介をした。
父の隣の女性は柔らかい声でよろしくねと言って微笑みを浮かべた。

「この子は、息子の…」
「みょうじなまえです。…母を、よろしくお願いします」

俺の父に彼はそう言って小さく頭を下げた。

「一也、お前も…」
「あー、えっと。御幸一也です。こちらこそ、父をよろしくお願いします」

俺達の言葉に2人は少し照れ臭そうだった。
頬を微かに赤く染めた彼女をなまえさんは安心したように見つめていた。

「2人は同じ学校なのかしら?」

みょうじさんの言葉に俺達は顔を見合わせる。
確かに同じ制服を着ているが、会ったことはないだろう。

「俺、3年だけど。そっちは?」
「あ、2年です」
「じゃあ会ったことなくても仕方ないな。よろしく」

彼はそう言って少しだけ口元を緩めた。

「よろしくお願いします。えっと…」
「なまえでいいよ」
「なまえさん。俺は一也でいいです」

先輩、ということは彼は戸籍上俺の兄になるのか。

「1つ、確かめたいんだが」

父の声に視線をそちらに向ける。

「この結婚に2人は反対しないのか?」
「…反対する必要はないと俺は思ってます」

なまえさんの言葉に自分も、と同意を示した。

「今まで自分を犠牲にして俺を育ててくれた母が、自分の幸せを掴もうとしているならそれを祝福するのが今まで育てて貰った子としての恩返しだと思ってます」

多少抜けた所もあるし、料理もあまり得意ではないですけどどうか幸せにしてやってください。となまえさんは言った。

「俺も、同じ考えです」

自分の考えてることを伝えるのはあまり得意じゃないから言葉を探しながら、口を開く。

「仕事一筋で1度決めたら無理も無茶も何の迷いもなくするような父なので。支えて貰えたら、嬉しいです」
「…精一杯の努力をするわ」

彼女はそう言って安心したように微笑んだ。

それからご飯を食べながら、話をして。
みょうじさんは父の今の家に移り住むことになっていると教えてくれた。
なまえさんは、と視線を彼に向ければ学校の近くで一人暮らししてると言っていた。

「そう言えば、名字はどうするんですか?」

お開きが近付いてきたとき、なまえさんはそう問いかけた。

「籍は入れるから実質的には変わることになるわ。けど、今更変えると困るだろうし学校ではそのままよ」
「わかった」

…籍を入れるってことは本当になまえさんが兄になるのか。
まぁ、一緒に住むわけじゃないからそんなに困ることはないけど。





会食がお開きとなり、母と新たな父は2人肩を並べ家に帰っていった。
残された俺は大きく息を吐き出した。
隣にいた一也も同じように息を吐き出す。

「なんか、妙に疲れたよな」
「はい。…けど、幸せそうで安心しました」

彼はそう言って笑った。

「俺達も帰るか?寮なんだっけ?」
「あ、はい」
「じゃ、学校までは一緒だな」

きっちりと絞めていたネクタイを緩め、歩き出せば彼は遠慮がちに斜め後ろを歩く。

「隣、来ていいぞ。斜め後ろってちょっと慣れない」
「え、あ…はい」

少し歩調を緩めれば彼は隣に並んだ。

「母さんが再婚するって連絡してきたのもさ、すげぇ急だったんだけど。相手に息子いるとか、聞いてなかった」

そう言って苦笑を溢せば彼は俺もです、と答えた。

「正直、まだ頭追い付いてないです」
「俺も。兄とか弟か…そういう響きが慣れない」
「しかも、1歳差ですよね」

それな、と俺が答えれば彼は困ったように笑った。
改めて彼を見れば随分と整った顔をしてるのがわかる。

「こんなイケメンな弟が急に出来るとなー…」
「なまえさんもすげぇイケメンですよ」
「自分がイケメンなのは否定しねぇのな」

そう言って彼を見れば、よく言われますからと彼は自慢げに目を細めた。

「生意気な後輩みたいなものだと思えばいいのかね、この場合」
「可愛い後輩じゃないんすか?」
「自分で可愛いって言うなよ」

まぁ、何となく上手くいくような気がした。
俺自身一也みたいなノリは嫌いじゃない。

「まぁ、新しい先輩が出来たみたいなノリでよろしく」
「こちらこそ。可愛い後輩が一人増えた感じで」
「おう」

可愛くはないけどな、と付け足せば彼は楽しげに笑った。

電車に乗って、学校の最寄り駅で降りる。
見慣れた街並みを通り抜けていけば、すぐに学校が見えてきた。

「寮ってどこにあんだっけ?」
「野球グラウンドの横っすよ」
「野球グラウンド…ってどこにあんの?」

来たことないんですか?と聞かれ素直にそれに頷く。

「野球とかさっぱりわかんねぇし。そこまで、送る」
「いやいや、俺男ですよ?送られるようなあれじゃないし」
「あれ、可愛いんじゃなかったか?」

そう言って首を傾げれば、うっと言葉を詰まらせた。

「さっき可愛くねぇって言ったのに」
「まぁ、そこが問題なわけじゃねぇけどね。1度見ておきたいだけ」

わかりました、と一也は少し前を歩き始めた。
ものの数分でたどり着いた広いグラウンド。
こんなとこあったのか、と見渡していればここですと一也が足を止めた。

「来ることはないだろうけど、覚えた。じゃあ、俺はこれで」
「あ、あのなまえさん!!」
「うん?」

帰ろうとした俺を呼び止めた一也は綺麗な顔で笑顔を作る。

「送ってくれてありがとうございます。これから、よろしくお願いします」
「ん、こちらこそ。よろしく」

ひらひらと手を振り、彼に背を向けて今来た道を戻る。
学校を出て、駅の方へ歩きながら大きく息を吐き出した。

「家族、か…」

父親、弟…
慣れない響きを何度も繰り返し呟き、俺の声はゆっくりと夜に飲み込まれていった。
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