知る由もない

あの事件が終息し、学校が間もなく始まる。

毒を飲ませてしまったご婦人はもう回復したらしい。
まぁ治療にあたったのが俺なのだから当然だ。
彼女は病室で満足そうに笑っていた。
トロントさんは2人の死を受けて、立て直しの為奮闘しているらしい。
俺が抜けた穴をすぐさまご婦人が優秀な人材で埋めたそうだ。

少しだけ残っていた宿題を終えて、ベッドに沈む。
ジャミルはあとどれくらいで帰って来るだろうか。
結局、あの日以来会えてもいないのだ。

「ただいま…」
「ジャミル!」
「!…もう帰ってたんだな、トラジャ」

少し疲れた顔をする彼は鞄を置くとそのまま俺のベッドに上がった。
俺の上に倒れ込んだ彼は疲れた、と呟き目を閉じる。

「お疲れ様」
「あぁ、」

普段とは違うシャンプーの香りがする。
髪を撫でながら、ぽつりぽつりと吐き出される愚痴に相槌を打つ。
殆どがお坊ちゃんへの不満だが、時折家族への不満も吐き出される。

「トラジャは、どうだった…」
「トロントのとこでの仕事の後は結構気ままに。単発を何件か捌いて、後は……お上の事務作業の手伝いとか?」
「そうか、」

怪我はないか、と体を起こした彼は俺を見下ろす。
ホリデー前に随分と治ったと思ったあかぎれが悪化した指が頬を撫でる。
ハンドクリームなんて塗る暇がなかったのだろう、と傷んだその手に心が痛む。

「大きな怪我はないよ」
「そうか、」

ほっと彼は息を吐いた。

「心配してくれてありがとう」

ふる、と首を振って微笑む。

「あの姿は仕事用か?」
「一応。基本使い捨てだけどね」
「変身魔法得意なのか?」

体を変えるのは苦手、と言えば彼は目を瞬かせた。

「基本、髪と目の色くらいしか変えてないよ。あとは声」
「…確かに、身長とか輪郭は同じだったな」
「感覚のズレは大きな致命傷になるしな。けど、あれだけで別人だろ?」

全然気づかなかった、と彼は笑った。

「あんな感じなんだな」
「基本的にね。意外と似合ってたろ?」
「……そうだな、」

けど、と彼は俺の両頬に手を添えた。
俺の瞳を覗き込み、この色が好きだと呟いた。

「これ?」
「あぁ。この色が、俺はお前らしくて好きだよ」
「そっか」

どちらともなく重なった唇。
満足そうに彼は目を細める。

「ずいぶん甘えただな」
「……嫌か?」
「そんなはずないだろ。会いたかったし触れたかった」

黒髪を撫でて彼を抱き締める。
何も言わず、抱きしめられてるジャミルから気付けば寝息が聞こえてきた。

「…ジャミル?」

俺の服を握り締めて眠るその姿は、なんというか愛おしい。
やはり相当疲れていたのだろう。

「おやすみ、ジャミル」

俺の愛おしい人。




「おはよーっス、トラジャくん」

学校が始まった。
いつものようにニコニコしてるラギーにおはよう、と返す。

「ホリデーはどうだったっスか?」
「まぁ、普通に有意義に過ごしてたよ。あ、お土産」
「え、なんスか!?」

ちょうだい、と両手を出した彼の手のひらに置いた紙袋。
中を覗いた彼は尻尾を千切れそうなほど振る。

「ドーナツ!!!」
「近くに最近できたらしくて。美味いって聞いたから」
「いいんスかぁ、こんなに…!」

袋に詰められたドーナツを一つ一つ取り出しては、蕩けた目を向ける。
こんなに喜ぶならもっと買ってくればよかったなと少し後悔する。
ちなみに、ジャミルには髪の毛用のオイルを贈った。

「ラギーの好物って聞いてたし。喜んでくれて良かった」
「めちゃくちゃ嬉しいっスよ!!けど、俺…なんもお返しできないっス」
「いいよ、別に。俺と一緒にいてくれてるお礼ってことで」

一緒にいてもらっているのは俺もなのに、と彼は困ったように笑った。

「ラギーは何してたの?ホリデー中」
「スラムのチビ共にご飯作ったり、魔法教えたり。まぁやんちゃで」
「そうか」

同じスラムと言えど、種族が異なれば雰囲気も変わる。
彼ら獣人の多くいるスラムは群れを成して行動することが多い。
彼もその一員で、大人に助けられてきたから今度は自分が下を助けている。
対して、俺のいたスラムは1人で 本当に1人で生きねばならない。
誰かと共になんて、夢のまた夢なのだ。

「いい場所だね」
「え?」

スラムをいい場所とは言ってはいけないか。
いや、それでも…。

「優しさがある街だ」
「…そっスね!今度、トラジャくんも遊びに来てよ!きっとみんな、喜ぶっスよ」
「お土産はドーナツでいい?」

それは俺のっス、と彼は笑った。

「あぁ、よかったいらっしゃって」

ざわついた教室。
3人で歩いてきたのはもう、驚きもしない3人の姿。

「良いホリデーを過ごせましたか?トラジャさん」
「お陰様で。お前らは帰らなかったんだっけ?」
「えぇ、」

お久しぶりです、と微笑んだジェイドと久しぶり〜と緩く手を振ったフロイド。
彼らに久しぶり、と返して 機嫌の良さそうなアズールを見上げる。

「で?わざわざ朝からどした?」
「ホリデー前にお話してた件で」

ホリデー前に、と少し首を傾げる。
そういやなんか始めるって言ってたっけ?

「ご招待させていただけますか?」

渡された小さなカード。
そこに書かれたモストロ・ラウンジという文字。

ラウンジってことは飲食店?
カードから視線を彼らに戻せば 自慢げに笑みを浮かべている。

「予想外。なんでまた飲食店?」
「意外ですか?」
「まぁ、」

まぁけど。
裏稼業の人達の中にも、表で飲食店をやってる人はいるし。
その飲食店を入口にしてる人もいる。

「提供する食事を、ぜひ召し上がり頂きたいんですが。本日ご都合はいかがですか?」
「ラギーもいいか?」

そう尋ねれば「是非、」と彼は微笑んだ。

「いいんスか!?行くっス!!」
「じゃあ、今日の放課後2人で行くよ」

彼らは顔を見合わせ笑った。
裏があるのか、と疑いもするが さすがに彼らも懲りているはず。

「ありがとうございます。お待ちしてます」
「また放課後にね〜」
「失礼します」





「すっげぇ…」
「思った以上のクオリティ…」

オクタヴィネル寮内にあるラウンジを見ながらつい、足が止まる。

「いらっしゃいませ、どうぞ店内へ」

扉を開いたのは寮服に身を包むジェイドとフロイド。
どことなく、叔父貴のやってる店と既視感があるなと思いながら扉を潜る。

「いらっしゃいませ」

ハットを取って、丁寧に腰を折ったアズールは顔を上げて よそ行きな笑みを浮かべる。
大きな水槽が見える席に案内されて、お店の説明と共にメニューを渡される。

「気づいた点があればなんでも仰ってください。今回は試食用に量を減らして全てのメニューをご用意しておりますので」
「俺そんな食えないけど」
「俺が食うからいいっスよ!タダ飯〜」

味の感想は任せて、というラギーの言葉に ありがとうと返す。
味覚に関しては馬鹿になってる俺より彼の方がよっぽどいい感想をくれるだろう。
だからこそ、ラギーを呼んだのだけど。
運ばれてくる料理を食べながら、メニューの文字を追う。

「いかがですか?」
「うん、見た目も良いし 思ってた以上。けど、学生向けにやるには少し価格帯がなぁ…」

高すぎるというわけでもないが、手軽ってわけでもないだろう。
これでも限界まで下げてるんですがね、と彼らは話す。

「相談料込みだしねぇ」
「相談料?」
「えぇ。お客様が望むのなら直々に僕がその願いを叶えて差し上げます」

あぁ、なるほど。
唐揚げを頬張りながら、そりゃ裏はあるよなと納得する。

「けど、全員が相談するわけじゃないだろ?純粋に食事をしに来る人もいる。だから、こう…相談料込のメニューとそれ以外に分けた方がいい。映画とかでよくあるだろ。このメニューを頼むとVIPルームに案内される…みたいな」
「…なるほど」
「そういう区別はあった方がいい。お前らも相談を受ける側として。誰が相談者になるか判断できた方が楽だろ」

確かにそうですね、と彼らは話ながらメモを取る。

「あと、飲み物ほとんど既製品だろ?」
「え、えぇ…」
「既製品は高いから、割った方がいいよ。種類も増やせるし」

メモ貸して、と今メニューにある飲み物のレシピを書いていく。
それを覗き込む彼らが「ほぉ、」となんとも言えない声を出した。

「ま、こんなもんか。仕入れはここ連絡してみて。今、綺麗な将来性のある取引先探してるから」
「…トロント…商会?」
「そ。」

聞いたことがない、と彼らは話す。
まぁ大きなとこでも無いし 名前も変えたばかりだ。

「俺から連絡は入れておくから。明日以降、連絡してみてくれ。」
「わかりました…」


翌日。
予想以上に安い値段で取引が決まったとアズールは俺に報告しに来た。
トロントさんも学生の出店なんて、話題性があると喜んでいたしそうだろう。

「せいぜい、俺の顔に泥を塗らないでくれよ」
「えぇ、お約束しましょう!」

数ヶ月後、モストロラウンジが予想以上に盛況なことはこの時の俺が知る由もない。
ラギーとの友情が壊れるのも、ジャミルの心が決壊してしまうのも。
異質な存在が俺の平穏を壊すのも、 この時の俺が知る由もなかったのだ。

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