12
「アヴィド」
「はっ、はい!」
8年ぶりに明確に自分に向けられて発せられた声に背筋がのびた。いや、さっき地下であった時に久々にXANXUSさんの声は聞いたけれど、その時とは比べ物にならない緊張感があった。椅子にずっしりと腰掛けているから彼の視線はやや上を向く形になっていて、決して見下されている訳ではないのにそれと同じぐらいの重圧を感じてしまう。視線を上げなきゃと思うものの、緊張感からかどうしても顔は高いカーペットの方と仲良しになってしまっていた。視界の端の方でスクアーロが白目をむいて伸びているのに気づいてやっぱり視線を上げた。椅子に座っていようが立っていようが有無を言わさず物理的に見下ろされていた8年前とは違って、私も随分と身長が伸びていたことに気づく。他人と比べることで自分がどうであるかを知ってしまう。自分があの日から変わってしまったことを8年間変わらずなXANXUSさんの前に出すということが、私には耐えられなかった。
「てめぇ呼んだら一回で来れねえのかカス!」
「やっぱり呼んでたんですか……」
「とりあえず座れば、アヴィド。ご飯食べるんでしょ」
救いの手であるはずのマーモンに座ることを促され、どうしようと後ろの方で傍観していたベルを見やると、彼は仕方ねーとでも言いたげに私の手を引いた。XANXUSさんの席の隣に連れてこられたかと思えば、反対側の手に持っていたお皿を奪って机の上に音もなく置いた。ここで食べろと?!
ベルは親指をたてて、酒瓶を食らって伸びている他の人たちを連れて部屋から出て行った。なんで二人きりにした?! 食卓に二人、一人は腹ペコ、目の前のお肉。何も起きない訳がなく……状況的にいえば食事が始まりそうなものだけれど、緊張に達したお腹はギュルギュルと音を立てることすら空気を読んで自重していた。ぺこぺこのお腹も、こうなってしまうと意味をなさない。絶対に味を感じられないだろうという確信が持ててしまうのがなんとも自分の小心者具合を知らしめるようで泣きたくなった。
「……食わねえのか」ボソリと、隣にいないと聞こえないような音量でXANXUSさんがこぼした。
「食べます、けど」緊張でそんなにお腹に入りそうもないし、XANXUSさんのお皿が空なのに一人で黙々と肉を食べれるほど心臓に毛が生えてはいなかった。「あの、よかったらXANXUSさんも食べてください」小さい子が苦手な人参でも移すみたくそっと彼の方へと皿を寄せると、はっと笑い飛ばされてしまう。ただ、なんとなくそれが機嫌をそこねたとかそういうことではないことは、懐かしげに細められた目元によって肯定されたように思えた。
XANXUSさんは使っていたナイフで私のお肉を切り取り、一気に口に頬張った。赤身のお肉は彼の口に合わないだろうから、すぐにでもぺっと吐き出すかと思っていたがそんなことはなかった。ただその一口以降食べることはなかった。彼は私が持ってきていたカトラリー入れからナイフとフォークを新しく取り出したXANXUSさんは、それを私の方にやった。いい加減食べろ、ということなのだろうか。まるで子供に食べ方を教えてくれるような、真似しろとでもいうかのような仕草だと感じつつ、いそいそとナイフを動かし始めた。
「上手くなったな」
視線は私の手元に注がれていた。手のひらに収まった銀食器が、彼の赤を反射している。覗いてはいけないものを見てしまったような気すらした。……8年前といえば、同い年のベルに比べてテーブルマナーどころかナイフとフォークの扱いすら下手だった。いつしか、それも当たり前に使えるようになって、私は私も知らない間に”XANXUSさんの知っている私”からかけ離れていく。時の歩みを止めることは生きている人間には止めることができない。私たちは川に流される葉の小舟のように無力に押し流されるしかない。
口に含んだ肉の味が、あまりよくわからない。わかったのは、触れたフォークの縁が少しだけ震えていることぐらい。
「あの……」
「なんだ」
ただ黙ることもできず、場を持たせようとした声に、返答が返ってきた。勝手にびっくりしてしまったけど、そりゃそううだ。会話とはそういうものだ。XANXUSさんは、返事を待っていた。何か、なにか言わなきゃ。そうやって焦ってしまえば口が滑るのは早かった。
「こわかった。ずっと怖かったんです。ボスが帰ってきた時、8年経って変わってしまった姿を見てどう思われちゃうんだろうって、私なんか忘れてしまってたらどうしようって。そんなことぐるぐるずっと考えてたら、会いにいけなくて。ごめん……なさい……」
XANXUSさんがあの氷に閉ざされている間、それでも変わらずに世界は回っていて私たちもみんな、それこそマーモン以外は大きく変わってしまったという自覚がある。私もベルもおおよそ子供とは呼べない年頃になってきたし、レヴィは暗殺部隊に所属しつつも大学を出たし、ルッスの彼氏の数は多くなったし、スクアーロは髪があんなにも長く伸びてしまった。どれを取っても見た目や環境だけの話だけ、XANXUSさんについていこうと思った心根までは誰も変わっていない。それでも、そうであると伝えるだけのすべを私たちは持っていない。信じてもらえるだけに値するのか、そんな価値があるのか。そう一度考えだすとぐるぐるぐるぐると思考は止まることを知らず、私は結局答えのようなものを出せずにいたのだった。
いう気は無かった。ただ、口から飛び出てしまった言葉を聞かなかったことにしてくれるほど、この人は優しくない。
「カスごときが変わろうと、俺の歩みを止めないならどうでも良い。おまえはそんなクソみてえな謝罪をいうために8年間生きてきたのか?」
ちげえだろ。否定の言葉が青年の口から紡がれる。私はそれを、8年間待ち続けていたのかもしれない。
「ボスが……XANXUSさんが帰ってきてくれて嬉しい」
本当に言いたかったのはただそれだけだった。
誰もいない部屋の中で、ふんと鼻を鳴らす音が大きく響いた。ぱたぱたとシャツに小さなシミを作る音をかっ消すみたい。静寂が部屋を支配する。夕暮れも過ぎてとっぷり暗くなった部屋を蝋燭の炎がゆらゆら照らしていた。
「あ、ボスがアヴィド泣かせた」
「ちょっとボス、その機械高いんだから濡らさないでよ」
いつの間に戻ってきていたのだろう、ベルとマーモンが扉から顔を亀のように出して(素顔は全く見えないが)、こちらを伺っていた。るせえよ、と紡ぎ出された声は怖かったけど、頭に置かれた大きな手の温度を知っていた私はもう少しだけその温度を享受することにした。