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「なんで私はお肉を焼いているんだろう……」
「アヴィドちゃん、頑張るのよ! ヴァリアーの存続はあなたの腕に掛かっているわ!」
「嫌ですよ重すぎますよ!!」
 キッチンは戦場であると評したの誰だったか。私は戦闘経験はほとんどない事務員なのでこういうことはちょっと遠慮したいんですけどと泣き言を漏らすと「あなたが逃げたらもう終わりよぉ!」とルッスにも泣かれそうになった。むきむきの情けない声は響きがよろしくないので私は泣く泣くキッチンに立つ。
 可愛げのない紺地のエプロンに身を包み、手にする大きな肉片は王冠のよう。そんな恭しく手にした最高級のお肉はXANXUSさんが食べるものだから少したりとも失敗は許されない。強迫観念が背中を押してくる。ストレスにはそんなに強くないのでやめてほしいな。よく熱せられたフライパンにゆっくりそれを横たえる。第一関門突破である。おいた際に跳ねた油がまぶたの上に跳んだ。
 本日、氷の柱の中から復活してきたXANXUSさんはそうとは思えないほど食欲に満ちていた。食べ物を……中でも肉をじゃんじゃん持ってこいと、いつものワガママを発動しているらしい。8年越しのワガママだ、私たちとしても叶えてあげたい。お肉は無いものと思っていたが、帰りの車の中でいつの間にかスクアーロがレヴィに連絡を入れていたのだと知ったのはつい先程、キッチンの前で捕まった時だ。急遽近くの街まで肉を仕入れに行った雷撃隊はやはり雷のようだったという。やっぱり上司の質が部下にも受け継がれるところは大きいらしい。
 なんで私がとっ捕まっているのかといえば理由は簡単だった。自慢では無いけど私はお肉の焼き加減に関してだけそこらの人間よりも秀でていた。
 普段、男性の料理人が好んで扱う大きな鉄製フライパンはとても重くて、非力な腕で扱うのはとても大変だった。煙で目は染みるし、シェフという職業はこれを毎日やっているのだから大変だ。私はイタリア人らしくパスタがあれば大体幸せなので美食家のシェフにとっては作りがいがないだろうな。アンティパストから始まりプリーモ、セコンドと色々と出してくれるけれど、私としてはアンティパストとドルチェだけでお腹が膨れてしまう。
「もうこれはあとで特別給出してもらわないと割りに合わないな……」
「まあまあ、あとでボスに好きなだけ貰いなさいな」
「そんな怖いことできませーん。ぜったいに無理ー!」
 怖いもの知らずなのかこの人は、と思っているとキッチンの扉が大きく開かれる。この配慮のない開け方はあの人しかいない。
「おいアヴィド! ボスがお待ちだ!」
「はいはいこちらです、持ってってください!」
 完璧な焼き具合の分厚いステーキにルッスが赤ワインで作ったソースをかけた。油の跳ねる上品な音がして、軽くソースと絡めた肉をお皿に盛り付けるとレヴィは両手でそれを持って足早に出て行ってしまった。せっかく焼いたお肉がもうすぐXANXUSさんの胃袋にたどり着いてしまう。それにしても沢山焼いたから、今日のところはもうそろそろお腹も満たされるはずだ。
 一旦XANXUSさんに捧げるお肉をストップして、自分用にお肉を焼くことにした。あまりにも今日は目まぐるしい1日だったのでまだ昼食にすらにありつけていない。お腹がキュルルと寂しげに泣いている。よしよしとお腹を擦ってあげたいが手は塞がっていた。下味をつけたモモ肉を牛脂を塗ったフライパンに乗せる。XANXUSさんが食べるフィレンツェ風ステーキよりも幾分かランクは低いお肉だが私にはこれぐらいで十分だった。むしろ美味しいと言われるサシの入ったお肉は上品すぎてよく分からない。食べれば美味しいことは理解した上の発言である。根っこが貧乏性なんだろうねとマーモンの声が脳内に聞こえる。
「アヴィドちゃんのそれ、便利よねえ」
「……あんまり見ないでね」
 赤ワインのソースをくるくると繊細にかき回しながらルッスが覗き込んでいた。遮るものが何もない状況で、顔を晒すというのは拷問に近い。どうしても素顔を晒すことは私にはハードルが高いことだった。戦闘経験豊富なルッスはこれぐらいの傷など見慣れているのかもしれないが、目の周りに大きく広がるこの傷を誰かに見られることが苦手だった。
「あらもう照れちゃって、可愛いんだから」
「傷だらけなんて気持ち悪いでしょう」
「そんなことないわよ」
 私はこの目を嫌っているが……赤外線が見えるというのは微妙に便利だ。本当に微妙だったけど。こうしてお肉を焼くときなんかには肉に均等に熱が入っているかどうかを確認するのには便利な機能だった。普段これぐらいしか使いどころがないっていうのもどうなんだろうとは思うが使用者は私だから私の好きに使わせてもらう。設計者はもっと別のことに使いたかっただろう。
「会いに行かなくていいの?」
 どきり。もしかしてルッスのサングラスはなんでも見透かせる不思議なサングラスなのかもしれない。もしくは、私がわかりやすいかのどちらかだ。左目なんかより何倍も不思議なサングラス越しの視線が私のことをなんでも分かっているとでも言いたげにフレームがキラリと光る。
「……、煙臭いし。XANXUSさん嫌かなって」
「でもレヴィも言ってたじゃない「ボスがお待ちだ」って」
「あれお肉のことじゃないの?!」
「絶対あなたのことも含まれてたわよ。今頃誰かが殴られてる頃かもしれないわね」
「ひえ……」
 そんなことを話していたせいか、皆が食事を取っている部屋の方向から何かを破壊する音と怒号が聞こえた。この鋭い破裂音は……ワイン瓶……。恐らく怒りはレヴィではなく、側にいたスクアーロに向けられたのだろう。スクアーロの無事よりも何よりも、XANXUSさんのいる部屋のカーペットの値段を思い出して頭がクラっとした。
「荒れてるわねえ。元気なのはいいことだけど。可哀……、修繕費がかさむ前に早く会ってきてあげなさいな」
「そう言われると弱いの分かってるでしょ……会いに行きたいのはまあ、否定はしないんですけど」
 フライパンの上でお肉が焼けている。私好みのミディアムレアに達したそれは表面の色がすっかり変わってしまっていた。

 お肉が焼けると同時にルッスは厨房から軽々と私を追い出した。今まであんなにコキ使っていたのにと憤慨する暇もなく、私はどうやって自室に戻るかどうか考えることになる。いつも食事を取っている部屋には今XANXUSさんたちがいることは分かっていたが、わざわざそこで下っ端がご飯を食べるためだけに立ち寄るのは勇気がいる。ただ自室に戻るにはどうしてもあの部屋の前を通らなければいけない。パーティー中だぞ空気読めよと武器を向けられてしまう可能が無いと言えないのがこの職場の怖いところだ。どうしよう詰んでいる。
「アヴィドいるじゃん」
 悪魔の声がした。
 こちらが認識するよりも先に私の身体を部屋の中に引きずり込んだ悪魔……ベルはずんずんと長い足を進めていく。その方向に誰がいるかなんて馬鹿な私でも流石に察しがついた。ちょっと待ってよ、まだ。

「おいカス」
「ざんざす、さん」
 赤い瞳が、こちらを見ていた。