04
いくらガタガタな生活をしていると言ってもシャワーは毎日浴びている。なんせ今は夏場だし入らないわけにはいかない。シャワー、入ってしまえばそれなりに気持ちが良いけど、その前後がいつもめんどくさいんだよね。服を脱いだら一瞬で髪を乾かし終わった後になっていたりしないかなと考えたことは誰しもあるんじゃないだろうか。私ももれずその内の一人だった。
特に仕事で疲れた体が温くなれば自然と眠くなってしまうもので、大して思入れもない髪を乾かさずに寝てしまおうと決心するのは容易い。女の子にとって髪は命なのよと全く説得力のないことをカラフル頭なルッスが脳内に現れたけどやんわりと無視をする。この書類出したらもう寝よう。目的地に辿りつくとドアノッカーを鳴らした。入れと短く声がする。
「失礼します。今日中にと言われていた書類お持ちしました」
部屋の主は大きなベッドの側のソファに深く腰掛けていた。いつもなら向かいの執務机でまだ書類を捌いているはず。ペンより剣を持つことが好きな彼のことだ、自分のどうにかできる範囲でサボっているんだろう。それも必要なことだ。
「確かに。……雨でも降ってんのかお前の部屋」
「いやいや今日も快晴ですよ。ただドライヤーめんどくさくて」
未だにしっとりと濡れ頬に張り付く髪の毛を指先で退かす。スクアーロなら分かってくれるはずだ。あの長い髪をいつもうざったそうに扱っているのはヴァリアー隊員なら誰でも知っている。同時に、とても大切にしていることも。サラサラとしたその髪の手入れはめちゃくちゃ大変そうだけどいつ見ても綺麗な色をしている。
「髪は乾かしてからこい。風邪ひいちまうぞぉ゛」
「もう今日はいいんです、このまま寝るんで」
「……こっちこぉ゛い、乾かしてやる」
「え、結構ですよ。もう子供じゃないんですから」
「ガキだろ」
上司に、それも幹部にそんなことさせられる訳ない。ずりずりと後退し始めたものの、簡単に捕まった腕を引かれて彼のベッドに連れてこられる。気づけば一瞬で背を向けた状態でスクアーロの足の間に座らされた。ついで目にも留まらぬ早業で私のゴーグルを奪い去ってしまった。これでは不用意に動けない。ゴーグルをとった私は視力がめちゃくちゃ悪いのだ。どうせ何もかもがぼやけて見えないのだから目を瞑る。
あ、これは保護者スイッチ押しちゃったか。
「じっとしてろ」
仕方なく大人しくドしてライヤーの用意をする彼を待った。ガチャガチャと忙しなく気配が動くなか、手持ち無沙汰なのでぼんやりと思考を飛ばしてみる。髪の毛を誰かに乾かしてもらうなんていつ振りだっけ。最後にそんなことがあったのは私が10歳の頃ぐらいだろう。二次性徴を迎えた辺りで自分のことは自分でやれとマーモンに厳しく言われたのだった。
「触んぞ」
「はぁい」
特別長くもなく、短すぎる訳でもない至って普通の髪の毛に彼の左手が入ってくる。義手ではない温かな手に髪を持ち上げられ、生まれた隙間に熱風が通り過ぎていく。久々に撫ぜられた頭は無意識に彼の手のひらに擦り寄るように動いた。
「スクアーロの手、あったかくて好きだな」
がたがたと揺さぶられるので舌を噛みそうになった。
「人殺しの手がか?」
「必死に生きてきた人の手だよ」
濡れた髪を乾かしていく手さばきはとても優しいとは言えるものではなかったが、これぐらいの早さでなければ彼のあの長い髪の毛を素早く乾かすのは難しいらしい。それでもキューティクルが禿げることもなくサラサラの銀糸をなびかせているのだから、ヴァリアークオリティというのは随分便利なものらしい。
数分も経たないうちに髪はふわりと膨らんで乾いたことを知らせた。「う゛ぉ゛おい、ここで寝るなよ」乾いてもずっと髪を触ってくるので大人しくじっとしていたら眠くなってきて、一瞬居眠りをしたら笑われた。
「前はこうしてXANXUSさんに髪触られてたっけ」
「お前ら距離近かったからなあ。仲が良いってよりはペットみてえな扱いだったが」
「お膝とかよく乗せてくれてたし、今やったらボコボコだろうなあ。小さい頃とはいえ不敬だったね」
「本人が許可してたんだからいいだろ」
ボスは、XANXUSさんは小さいものに対しては優しかった。それはベルや物理的にちっちゃいマーモンなどにも及んでいた。不器用に頭を撫でるボスの手のひらの温度が私は好きだったはずなのに、今その温度を覚えているかと言われればそんなことはない。人は忘れる生き物だから仕方ないと自分を納得させるのは簡単だけど、薄情な気がして。
「XANXUSさんに会いたいなあ」
いつ頃からか、スクアーロの前では言ってはいけないような気がして封じていた言葉がこぼれ出た。
温かな手が一瞬だけ震えて、止まった。びっくりした顔をしているのかな、今は目を瞑っているのでその顔を見ることはできないために想像の中の彼に話しかける。
一度飛び出た言葉は戻ることは無い。抑えていた寂しさが堰を切ったように溢れ出てきて、私はスクアーロの胸に更に背中を倒して密着した。ここまでしたらもうヤケである。
あの日、ボンゴレ本部に乗り込んで行った彼らが帰って来た時にXANXUSさんの姿はどこにもなかった。全員が怪我を負っていたけれど、怪我よりも心が深く傷ついていた。生気の感じられない彼らは迎えに出た私に「XANXUSは遠くへ行った。当分帰らない」とだけ伝えてだんまりを決め込んでしまったから、あの場で起こったことがのちに”ゆりかご”と呼ばれる事件になったこともあの時城にいなかったオッタビオさんから聞いたぐらいだった。一切の情報を与えられなかったのは、余計なことを事情聴取で喋らないように、そしてアヴィドはこの件と無関係であり処罰を下さないための配慮であったことは後になって気付いたことだ。あまりにもあっさりと解放された私やメイドたちと違って幹部たちは数日にも渡って尋問をされていた。
7年経った。未だ、彼らは私に何も伝えてこない。
待つことも、知らないと目を瞑ることもできないほど耐えられない訳では無いが、それがイコール辛く無いかと言われればそんなことはない。あると知っていて無いと言われ続けることは自分の存在を軽く見られているようで悲しくなる。
「ねえ、スクアーロ。私もう守られるばかりの子供じゃないんだよ。あの日、何があったの? ……あの人は、どこにいるの?」
XANXUSさんは、死んでいない。頬に掛かる銀糸は、XANXUSさんを10代目にするという決意によって伸ばされているものだから。彼が死んでいたらその約束が果たされることは無く、髪を伸ばす理由もない。
ただ生きているといっても身動きも取れないような場所に幽閉されていることは確かだろう。10代目としての絶対的なプライドを持っていたXANXUSさんが一度失敗したからとしてただ黙って監視下で過ごしていることはあり得ない。破壊力の高い憤怒の炎を持っている彼を封じ込める手段なんて、炎の元である生命エネルギーをできる限り0に近づけておくことしか考えられなかった。
何も見えない瞳を開いて、スクアーロの顔を見上げた。目尻からツゥと流れ落ちた涙が冷たい。
「……アヴィドてめえ、」
「絶対に後悔したりなんてしないから」
揺れる感情が体温によって見えた。彼は今、迷っている。隠すことが優しさだと思って今日まで黙ってきた事実を私に伝えるかどうかをこの沈黙の中で必死に考えているのだろう。その優しさを利用しようとしていた。
「教えてくれないと隊長の部隊だけ来月の支給5割カットしますからね」
「嫌な脅迫覚えやがって」
「教え込んだのがマーモンなので……」
「髪なんか乾かしてやんなきゃよかった」その声が思ったよりも優しくて、面食らって動けなくなってしまう。最悪ふざけるなって怒られるかと思ってたんだけど。
「俺らだって話せるもんならとっくの昔に話してたぜぇ゛。でもな、話しちまったらお前もいよいよこっち側の人間だ」髪を引っ張る手に彼の大きな手が添えられる。「お前にここでいつもと変わらねえ顔でXANXUSを迎えて欲しかった。だから何も言わず……いや、言わなくても勝手に理解してくれる。そう思っちまった俺たちのエゴと怠慢だなぁ゛……、それに」
言葉を失った彼を不思議に思っていると、ボーン、ボォンと壁掛け時計が時を示した。真夜中0時を示した時計の音。
「お前ももう16だ、そろそろ話してやってもいいだろ」
スクアーロはそう前置きをして、あの日あったことを少しずつ語り出す。まだ何かを隠しているような気はしたけれど、静かに彼の語る物語に耳を傾けることしかできなかった。