
復讐者達はしじまを歩く
あの日、あの時、あの場所で、確かに見たあの火花。それは痛烈なまでに、私の心臓に生涯消えぬ跡を焼き付けた。
泣き出しちゃいたくなるほどに痛くて痛くて仕方ないのに。あの跡を刻みつけられてから、とっくに焼け爛れた今に至るまでの間……ただの一瞬だってこの痛みを愛しく想わなかったことなどない。
それを目にするまで、経験したことないはずなのに笑っちゃうくらいはっきりと分かった。分かってしまったんだ。
あの火傷こそ……まさしく私の__。
*
ガタン、ゴトン。そんなお馴染みな音と共に揺れながら、電車は走る。その乗客のうちの一人である柴は好物のししゃもを片手に、ある二人の席まで歩を進めた。
柴が「チヒロくん」と呼びかけると、顔に傷のある短髪の青年はその声に反応し、彼の方へと顔を向ける。
「柴さん」
「おはよ」
柴の声に応えたのは六平チヒロ。そして、その横に座りチヒロの肩に頭を預けてくぅくぅと寝息を立てているのは四十万静姫だ。男物の服に身を包み、腕をグッと組み足を閉じずに寝るその姿はどこか男性の勇ましさを感じるが、彼女は立派な女性である。
二人とも、柴とは昔馴染みの間柄である。柴は「ここ座んで」と彼らの向かいの席へと腰をかけた。
柴の手に持つししゃもを見ては「焼き魚食べ歩く人初めて見たな」と……どうでもいいことを考えながらチヒロは少々怪訝そうに口を開く。
「……駅で落ち合うはずでしょ」
「ええやん別に〜。天気ええな!しかし!」
「……んん。それ、私の……」
「柴さん、シズ寝てるんで……」
「おん。なんや、邪魔してすまへんね」
「それはまあ、別に……」
静姫はむにゃむにゃと言葉にならない寝言を口にしているところを見るに、柴の大声に覚醒したわけではないようだ。もう少し寝かせておきたいところだ……何か夢を見ているようだし。
チヒロの経験則で分かるが、柴の謝罪は「静姫の睡眠」ではなく「二人きり」のことについて言っている。
二人きりを邪魔されたというよりは、そのことについて言及される方がチヒロは居心地悪いのだが。まあ、それは今更別に、昔からの付き合いだし……。
詫びのつもりなのか「食べる?」とししゃもを差し出されたが、普通に要らなかったので断っておいた。明らかに一本しかないのに、丸ごとくれるつもりだったのだろうか。
「チヒロくん、一個聞いてええ?」
もぐもぐしゃもしゃもとししゃもを齧る柴は神妙な顔でチヒロにそう問いかける。彼の表情から、決してく下らない話題ではないのだろう、と察しつつチヒロは「はい」と答えた。
「……その傷、きれいに治そおもたら、治せるやろ」
……彼の顔の傷は決して小さなものではない。額から頬にかけての大きな傷だ。不幸中の幸いと言うべきか、目に損傷はみられないが、それでも彼の失ったものは重く、大きすぎる。
「めっちゃ目立ってるけど……ええんか、そのままで」
チヒロは柴の言葉に、少し目を伏せながらも間を置いて口を開いた。
「……朝、顔を洗って鏡を見るとこの傷が目に入る。すると『あの日』を思い出すんですよ」
チヒロは今朝、思い出したばかりの『あの日』の惨状を脳裏に浮かべ、目を閉じる。
爆風、激痛、自身から流れる夥しい程の血、むせ返る程の煙炎、手の甲に炎を刻んだ何者か、崩れゆく我が家、割れた金魚鉢……瞼を閉じて腕の中で徐々に冷たくなっていく血塗れのあの人。そして……。
__『やだ、やだ……ぅ、や……あ、あぁ……!わぁああああんっ……!』
これからだった。これからずっと、ずっとずっとチヒロの苦味と引き換えに幸せに笑っていられるはずの、少女の泣き叫ぶ声が木霊した。どんなに苦くても、彼女がそれを望む限り、いくらでも貪っていられるのに。
チヒロはゆっくりと目を開き、自分の肩で寝息を立てる静姫の顔を見る。『あの日』から三年……随分と成長したものだ。
彼女も、自分もお互いに。静姫その白い頬をすりっと撫で、チヒロは続けた。
「おかげで毎朝……新鮮な憎しみを持って一日を始められる」
「……あれからずっと、その生活か」
柴はチヒロの身を案じ「壊れてまうで」と言う。
壊れる、壊れるか……とチヒロはその言葉を頭の中でよく吟味する。きっと手遅れなのだろうな、と思った。『あの日』に、復讐という名の誓いを立てた瞬間から。
「なら止めますか」
「……」
柴はなにも言わなかった。彼は『あの日』の現場に駆けつけた者の一人だ。チヒロの心情もよく理解している。故に、何も言えない。
……と、いうのはチヒロも分かっているのだが。そんな風に口を尖らせていじけたような顔をするのは如何なものか。出来たらもう少し神妙な顔を続けてほしい。
相変わらず、微妙に締まらない人だな……とチヒロが思っていると、そんな彼の横で先程まで寝ていた静姫がもぞもぞと身を捩り、ぼそぼそと何かを話し始めた。
「……て、くだ……い」
「……シズ?」
「止めて、ください……」
「っ」
そのソプラノ声は悲痛に震えていた。もしや、先程までの会話を聞いていたのだろうか。
あまり、耳障りの良くない話をしていた自覚のあるチヒロは少々ばつが悪い。起き抜けにこんな話を聞く彼女の気分も良いとは言えないだろう。
心配までかけてしまって、悪いことをした……と、チヒロは考えていたのだが。
「柴さん……」
「……俺がどないした、シズちゃん」
「カレーに、ししゃもはあいませんって……止めてください」
「ん?」
「カレーには普通、カツとか唐揚げであって……」
「……さては寝ぼけてるね?シズ」
「寝ぼけてないって、だってししゃもはあわないよ、ふりかけもやめて……」
「こりゃ確実に寝ぼけてんなぁ」
どうやらカレーを食べる夢を見ていただけのようだった……悪夢よりの。本当に微妙に締まらないな、この師弟は、とチヒロが思ってしまうのも仕方ないことだろう。
まだ半分覚醒しきっていない彼女は「スプーン、スプーン」と言いながら自分の膝や座席をペチペチ叩き始めた。どうやらスプーンを探しているらしい。「ない……」とのことだが残念ながらあるわけがない。
数秒後、漸く様子がおかしいことに気付いた静姫は擦りながらその目をゆっくり開く。
「……あっすみません、寝ぼけてました」
「せやね。カレー美味かったか、シズちゃん」
「いえ、なんか突然現れた柴さんが「天気ええな!」って叫びながら私のお皿ぶんどってバクバク食べちゃったんで残念ながらご相伴に与れず……」
「あらら、そりゃ悪いことした。食べる?ししゃも」
「……今はなんかししゃも食べたくないのでいらないです。食いかけだし……」
静姫はふぁあと大きく欠伸し、「んんんっ」と唸りながら背筋を伸ばす。
「……」
「……スゥ」
そして、またすぐにチヒロの肩に頭を乗せて寝に入った。完全に起きるムーブであっただろうに。
「寝るんかい」
「寝へません……これは『人』という文字は人と人が支え合って出ひているということを体現しへいるのれあって……」
「……」
「……」
「なあ寝てるやろ」
「あっ寝てました」
一行はこれから社会的にあまりよろしいとは言えぬ輩にご挨拶に行く予定なのだが、静姫は呑気なもので出来得る限り睡眠を謳歌したい様子だ。
「なんや?夜更かしでもしたん?」
「いや、昨日は早めに布団に潜り込んでたんですけど」
「寝る前に天井のシミ数えてたら……窓から太陽の光が差し込んできて……」
「早い話、寝付けなかったみたいで」
「なるほどなぁ……」
別に列車内では寝ていても問題はないが、これからの行き先を考えると、そろそろシャキッとしていただきたいところ。
柴はムムムと唸っては、静姫への目覚めの呪文を熟考する。
「あんなぁ、シズちゃん。支え合う言うてるけど、それじゃもたれ掛かるやで?チヒロくんにばかり支えてもろてるようじゃアカン。自分、一つ上のおねいさんやろ?」
「おはようございます」
「おはよう、シズ(おねい……)」
これでイケるか?と顎に拳を当てながら柴が「おねいさん」のワードを使えば、静姫は分かりやすく反応し、今度こそ覚醒しながら姿勢を正す。
彼女は昔から、チヒロより年上であることをつつかれるたび、こうして扱いやすくなる。ちなみに静姫はお姉さん振りたいというよりは、年下のチヒロがしっかりしすぎるあまり、なんとなく後ろめたく、そういうちょっとしたプライドのもと、こうなったのだ。
「前から思ってるけどさ、一つ違いなんてそんなに変わらなくないか?」
「もっと年齢重ねたらそうかもしれないけど、十代の一つ違いは大きいよチヒロくん。しかも十歳の時から一緒にいるわけでしょ。尚更大きいんだよチヒロくん」
「そういうものか」
「そなの」
静姫は今から九年前……彼女が十歳、チヒロが九歳の頃からずっと六平家で過ごしていた。血の繋がった家族というわけではない。
父が二つ返事で快諾したことではあるが、当時のチヒロは親戚でもない女の子を引き取ることになることに正直、良い思いはしていなかった。チヒロの父は日常生活の大体が大雑把で世話のかかる人だ。どうせ、面倒を見るのが二人になるのだろう。家族である父ならまだしも、赤の他人の分までと思うと気が重くなってしまうというもの。
しかし、静姫は自分が居候という立場というものをよく弁えており、そしてよく働いていた。最初こそ基本的な家事は全く出来なかったが、チヒロが懇切丁寧に教えてやれば、あとは全て進んで家事を手伝ってくれる。
特に洗濯や服の修繕などが得意なようで、破れた衣類は彼女に任せておけば、ぴっちり直してくれていた。六平家は刀鍛冶を生業としており、鍛刀後は煤に汚れてしまうのだが、二人が工房に入るのを見て、彼女が予め風呂を沸かしてくれていたのも助かったものだ。
ただ、強いていうのなら静姫は料理の腕はてんで駄目だった。
静姫が包丁を持とうならば、まな板が彼女の手の傷で血の海になってしまう。火を扱おうとしようものならどこかに焼き跡ができる。
台所での洗い物など『洗浄』は出来るのに調理となると途端にその場が『戦場』へと早変わりだ。読み方は同じなのにえらい違いである。
……だというのに、何故か料理をしたがる。そのうち、指を切り落としてしまうのではというくらい包丁の扱いが下手だったので「四十万静姫は包丁を持ってはならぬ」という条約が六平家で結ばれた。当の本人は大変不服そうではあったが。
そんなある種、和やかな光景を思い出したチヒロの表情は少し柔らかくなり、ふっと息を漏らすかのように笑った。しかし、静姫にはそれが「年下なのに自分よりしっかりしているチヒロ」の余裕の笑みと捉えたようだ。
「な、なんだよ。そりゃチヒロくんよりは頼りないさ」
「そんなことは思ってない」
「でも、チヒロくんは家事全般できるし。結構その辺で甘えてたとこも多かったし……」
チヒロは自身の父親よりも遥かに家事の面で助けてくれていた静姫を知っているため、彼女が頼りないだとか、しっかりしていないだとか、そんなことはないと本当に思っている。
ただ、あまり自信がないようで静姫は自分の指と指をいじましく突き合わせていた。
気にしすぎだと思うのだが……まあ、かなり気を許しあっている仲ではあるし、とりあえず。
「むしろ、甘えられる方が俺は嬉しい。シズは昔から俺に甘えただったし、今更離れられるのも嫌だ」
……間、が生じた。
静姫は先ほどまでのばつの悪そうな顔を引っ込めては、スーンとしたチヒロの横顔を目を細めて咎めるように睨む。
彼女は知っている。チヒロがこういった物言いをする時は大抵確信犯である、と。
「……あのさ、チヒロくん。きみはもうちょっと人の気持ちとか考えてものを言った方がいいと思う」
「遠慮しなくていいって言ったのそっちだろ」
「違うよそうじゃない。私は別にいいよ?ただ、見てみなよ。向かい席のチベスナみたいな面した人を。顔に「何を聞かされてるんだ俺は」って書いてあるよ。人の師範になんて顔させるの」
「……うちの弟子はちゃんと叱れて、立派におねいさんやなぁ」
「良かったな、シズ。おねいさんだって」
「謝るとかしな?」
静姫は悪びれないチヒロの頭をわしっと掴み、頭を下げさせる。「柴さん、すみませんでした」と抵抗することなく素直に謝るチヒロを見ながら、柴は「ええよ」なんて答えつつも、なんだかんだで仲良うしてんやなぁ……と、再びししゃもを齧るのであった。
*
「この街を牛耳ってるのが『爻龍組』や」
一行は目的の駅を降り、とある街を散策していた。
柴が言うには、その爻龍組がチヒロ達の探している『奴ら』に繋がりがあるかは確証がないのだとか。
しかし『あの日』から三年の月日が経ち、ようやく掴んだ手がかり。「飛びつく他ないやろ」という柴に二人は賛同する。
……何せ、国家は彼らに協力してはくれないのだから。そういった情報は顔も手も広い柴に頼るしかない。
「……なんか物騒ですね」
「まあ、ヤクザの街やし」
街並みは一見普通であるが、良い空気でもないことを肌で感じ取っている。殺気立っているわけではないが街行く人々の行動に、どこか『誰か』から目をつけられぬように、といったピリついた緊張感が見て取れる……その『誰か』の存在など、一つしかないが。
それを横目に見ながら、柴は「で、どう動く?」とチヒロに希望を聞く。
相手はヤクザ。見知らぬ輩にホイホイと情報を渡すような存在ではないだろう。変に喧嘩腰に向かいでもしたら確実に揉めるし面倒なことになる。チヒロとしてはあまりことを荒立てず、少しでも情報が欲しいところ。
「少し様子を見て、そのヤクザが話ができそうなら取引を持ちかけましょう」
「話ねぇ……」
「どうかしま、し……!何、あれ……っ」
「っ!!」
チヒロの答えを聞きながらも、柴は少し向こうでざわざわと騒めく人々を見つめては顔を顰める。二人も同時に彼の視線の先の光景を目にした……瞬間、息を呑む。
……そこには、四人の青年の死体が吊るされていた。どうやら刀で切り刻まれたらしいその身体は真っ赤に染まり、ポタポタと血の雨を降らせている。
「あれ、追放運動の人達だよな……」
「爻龍組に歯向かったりするからだ」
「おい!俺たち市民のために戦ってくれたんだぞ!?」
「だが、こうなることも目に見えてたろ……」
「従うしかないんだ……この街で生きるには……」
人々の動揺、怯え、怒り、憎しみ、悲しみ、涙、諦観の声。
それだけで分かる。彼らが、誰に、何をされたのかが、明白に。
「追放運動……見せしめ、か。『俺らに逆らったらこうなるぞ』ってことや」
誰かのために、命を賭して戦った者を何でもないように殺し、あまつさえそれを無駄な事だと愚弄する下衆の集団。
目の前で咽び泣く女性の姿が見える。恋人か、家族か……なんにせよ、大切な者の死に深く絶望し、希望を閉ざす者の涙だ。この場には、彼女以外にも同様の悲しみに溺れる者達で溢れ返っている。
チヒロも静姫も、身体が自然に戦慄く程に込み上がる怒りへ、違和を覚えることはなかった。
「静姫」
「……はい、師範」
「もう寝ぼけてはないな?」
「ばちっと目ぇ冴えました……お陰で寝かしといた方がいい話し合う価値もないボケ共がはっきり分かります」
「頼むで、弟子。チヒロくん、爻龍組が……天井貫く程のカスの場合はどないしよか」
「……」
その問いにチヒロは答えない……最早、言葉などいらない程に決まりきった答えがそこにあったから。
チヒロは言葉の代わりに、チャキッと音を立て腰に携えた刀を握る。
「……爻龍組のアジトは」
「把握してるよ」
「案内してください」
「任せえ」
柴の案内する方向へ、二人は悠然と歩き始める。うちなる殺意を精錬させるように。
……不思議と三人の歩みは、音を失ったように静かなものだった。