
恋慕は寄越さないくせに
クソックソッ!畜生がッ!一体全体どうなっていやがる!?
俺達は爻龍組に敵対する無謀なくそガキどもを立場を分からせてやっていたんだ!バックの化物組織にたんまりと上納金を支払う為に、この街に住む奴らから金を多めに集めてはいるが、それが何だ?爻龍組の縄張りを広める為の尊い犠牲ってやつだ!
先に見せしめに吊るした奴らを見た市民はもう爻龍組に逆らおうなんて馬鹿な考えは起こさねえだろう。後は一人だけ生かしておいたガキから残りの仲間の情報を聞き出しまとめて根絶やしにするだけだ。
これで口のうるせえ『毘灼』の奴らだって爻龍組のやり方に文句を言うこともなくなれば、順当に評価を上げてくれる。爻龍組はもっとデカい組織になるはずだった。
それが、どうしてこんな状況になっていやがる!?突然現れた黒ずくめの男がいきなり爻龍組に乗り込んで来ては、一瞬にしてフロアにいる部下全員を斬り殺しやがった!
見張りは何をしてるんだ、と外を確認した時には奴の仲間らしい男が死体の上に座って「ボス!コイツら仕事サボってます!」とか何とかほざいてはふざけやがって!
この場にいる奴らじゃ駄目なら奥にいる若衆どもを呼び寄せても誰も来やしねえ。こんな時に何やってんだボケども!と後ろを振り返れば、男かも女かも分かんねえような血塗れのヒョロいガキが階段から降りてきては「ボスぅ〜。建物内の奴ら全員寝かせときました。後はテメェだけっぽいです」だと!?このガキに至っては一体いつの間に侵入しやがった!?最初に黒ずくめの男が入ってくる寸前まで、侵入者情報は無かったはずだ!突然、何もないところから音もなく現れたとしか考えられねぇ!
しかも、よりによって「『毘灼』について、お前が知る限りを話せ」だァ!?どこまでもふざけやがって!もし、俺が本当に話したとして、あいつらに情報を漏らしたことがばれでもしたら確実に粛清されるに決まっている。それも惨たらしくだ!
しかし、ここで話さなければ、この男は俺の首に突き付けている刀を迷いなく振りかざすだろう。それに、先ほどまでの地獄を引き起こせる刀……それに刀身から滲み出るように現れた宙に浮かぶデカい金魚。間違いなくこの男の持つ刀は妖刀だ。十八年前の戦争を終わらせたという幻の……。
なぜこいつが妖刀を持っているかは分からないが、何か相当なバックがついていてもおかしくはない。そうでなければ『毘灼』に盾突こうなんざ考えるはずがない。そうだ、そうにちがいない。
なら、こいつらと『毘灼』がやりあうことになれば爻龍組は後回しになるはずだ。それにあいつらはついさっき上納金を回収していきやがった。しばらくこっちに顔を出すこともないだろう。しかも部下は全員死に、しかも死体はぐちゃぐちゃで酷い有様だ。誰が誰かもわかりゃしねえ。これならすぐに逃げちまえば俺も死んだと思われるだろう。情報を話した後で余った金を持ってとんずらこけば俺は、俺だけは大丈夫なはずだ。
「わかったよ、くそっ……あの人達は」……不意に身体に違和感を覚えた。なんだ、なんだかえらく、腹が熱い?いや、ちがう、痛い、いた、痛い!俺の!俺の身体の内側から何かがずぐりずぐりと抉るように!あ、あああああっ!いてえ!いてぇ!あああ、やめひぇくれ俺の身体ぐぁ内側から破えて!いぇ、やめろやめえおお!ぐぎゅいああああああああッ!
あ。
*
「結局、毘灼についての情報は得られなかったね」
「……ああ」
「今日は寝付けないほど緊張してたけど現実はそう甘くないかぁ」
「……そうかもな」
チヒロ達が襲撃した爻龍組は確かに彼らの目的である毘灼と関わりのある組織だった。多少なりとも、その情報を握っていた様子も見受けられたというのに……爻龍組の組長が毘灼について話し始めたかと思えば、次の瞬間には凄惨な死に方を晒し、物言わぬ肉塊と化した。なんと組長の身体の内側を樹木がメキメキと突き破り、弾けるようにしてチヒロ達を襲ったのだ。
チヒロがいち早く異変に気付き、妖刀で対処していなかったら死んでいてもおかしくなかった。その場にいた静姫も、妖術を用いて何とか非難出来たのはチヒロの「逃げろ!」という声のおかげだろう。柴ならまだしも、彼女はまだ未熟な点がある。
組長に仕掛けられていた妖術の威力を見ても間違いなく、毘灼に与する手練れの妖術師が仕掛けたものだ。口を割る者と割らせる者を一掃出来るように。
話を聞けそうな者は全員死んでしまい、随分と騒ぎを起こしてしまった。これ以上、崩壊した爻龍組に残っていても、何も得ることはないだろう。この街は都会から離れた地方ということもあって滞在しても、情報の面で大した旨味はなさそうだ。柴は情報収集の為に東京に戻ると言い、二人もそれに合わせて拠点に戻ることにした。
「でもさ、三年間殆ど尻尾を掴めなかったのに毘灼に関りのある組織に近づけたこと自体は大きいよね」
「その掴んだ尻尾は蜥蜴のものだがな。すぐに切られてポイだ」
「大事なのは切られる前の尻尾に触れられたってことだよ。ほんの少しだとしてもボロが出たって事実」
「……」
「大丈夫。毘灼は国も追ってる組織だし、私達には多方面にツテのある柴さんだってついてる。きっとすぐにまた新しい尻尾を掴めるよ。すぐ切れないやつ」
「……そうだな」
二人の拠点はひどく簡素なものだ。今は誰も使っていないビルの一室、何が入っているかもわからぬ段ボールが幾つか乱雑に並べられ、ベッドが一床置かれているだけ。二人はその部屋の窓際に腰を据えて、東京の静かに光るネオンに照らされている。
ずっと追いかけ続けて三年経ち、やっと掴めると思っていた毘灼の手がかり。それは、敵が相当の腕を持つ妖術師の集まり、という分かりきったことだけ。チヒロはいつも通りを装ってはいるものの、やはり気落ちしているようだ。向かい合うようにして座っているこの場所が少し惜しいな、と静姫は思う。隣に座って寄り添えたのならもう少し、チヒロの感じている虚しさも埋めてやれるのに。
体育座りしている自身の膝に頬を預けながら、静姫はチヒロの少し伏せられた顔を覗く。どこも見ていないようで、確かに遠くの何かを見ている彼の表情。きっとチヒロの意識は『あの日』へとトリップしていることだろう。
静姫だって『あの日』のことは昨日のことのように思い出せる……チヒロの父親の六平国重の命と彼の作り上げた六本の妖刀が奪い去られた『あの日』を。
当時の彼女は六平国重の作った刀を正しく振れる人間となりたくて、時折柴の元へ泊まり込みで鍛錬をしていた。自分が着実に力をつけていく事実を六平親子に報告することがとても嬉しかった。その時も「国重さんは褒めてくれるかな」だとか「チヒロくんには負けないからねと言ったら彼はなんて返してくれるかな」だとか、そんなことを考えながら励んでいたいたのに。
少しの大気の揺れと一瞬にして強張る柴の表情で良くない事が起こっているのだと理解させられた。静姫には「待っていろ!」と柴は大声で言い聞かせたが、彼女はそれを無視して刀を持ち出し、柴の後を追いかけた。もし、本当にあの場に毘灼が残っていた場合、自分はただの足手纏いになっていただろうと、静姫は今になって思う。
それでも、六平家に向かわない選択肢はなかっただろう……四十万静姫にとって、あの家は彼女の人生の始まりと言える場所だったのだから。
「……」
静姫自身はその瞬間を見ていたわけではない。彼女があの場所に辿り着いた時、既に全て終わってしまっていたから。
血に濡れ力なく横たわる国重……顔から大量の血を流し、呆然とした表情でチヒロはそんな父親の身体を抱えていた。いつもだったら幾分か暑苦しい人だったのに、その温度を少しも残していない。
静姫はそれを見て、足元からすべてがガラガラと崩れ去るような喪失感を覚え、へたりとその場に座り込んだ。それでも這うように二人の元へ駆け寄り、情けない声色で「国重さん」と何度も声をかけたが、いつまで待っても返事が返ってくることはなかった。
ああ、まただ。消えた。居なくなってしまった。それを痛感した静姫はその場に蹲り、大地に吠えるように絶叫した。ぎゃんぎゃんと、まるで獣のように泣き喚いて……。
静姫と違って全て見ていたチヒロはもっと辛かったはずなのに。彼女は自分の絶望だけ抱え込んで彼のことを一切見ることが出来なかった。
……それが、酷く情けないと、静姫は今でもそのことを後悔している。
「……ねえ、」
「なあ、シズ」
静姫がチヒロに声をかけるのを遮るように、チヒロもまた静姫に声をかけた。静姫は自分が何を話そうとしたのか、よく分からないまま話しかけてしまっていたので、そのまま話を続けることなく「……なぁに?」と返した。彼は東京の夜景を眺めていたが、その話題はきっとネオンの光のことではないだろう。
「シズは、無理に俺と一緒に来ることはないんじゃないか」
「……っ」
チヒロの言葉に静姫は息を呑んだ。依然として彼は彼女の目を見ようとしない。
「今回のことで改めて毘灼が危険な奴らだと分かった。今後どんな危険が襲ってくるかも分からない」
「……」
静姫は黙ったまま、チヒロの話を聞き続ける。
「お前の言う通り、国だって毘灼のことを追っている。それならお前だって俺と一緒に来ないでもいいだろう。お前は薊さん繋がりで『神奈備』にも勧誘されていたし、今から『神奈備』に配属したとしても良い待遇を受けることが出来るんじゃないか?強い組織に入るとなれば危険なこともあるかもしれないが、今よりはよっぽど良いと俺は思う。それに『喫茶ハルハル』で待ってても良いだろう。ヒナオさんだってお前を邪険にすることは絶対ない。むしろ用心棒として歓迎されるはずだ。だから……」
「チヒロくん」
「……」
静姫はスッと手を伸ばしてチヒロの傷を撫でながら、彼の名前を呼んだ。話している間、チヒロは一度も彼女の方を見ることはなかったが、その手の感触に誘導されるように静姫に顔を向ける。その彼女の表情は酷く痛切なものだった。
「確かに、こんな風に旅を続けるよりどこかに所属するのも一つの手だろうね。私はチヒロくんと違って妖刀を持っていないから『神奈備』からこそこそ隠れる必要もないし、薊さんにお願いして堂々と『神奈備』の一員になってもいいと思う。それかヒナオちゃんと一緒に喫茶店で待って妖術師の情報を集めて柴さんに連絡するのもいいかな」
静姫は分かっている。チヒロが出来るだけ彼女を戦いから遠ざけたいことなんて。その選択は静姫にとって身を裂くほどに辛いことなんて。ならば、こんな危険な旅をチヒロと共に続けなくても、もっと遠い場所で彼の力になる。それで十分じゃないか、と。
「それでも、私はチヒロくんと一緒に居たいよ」
「……シズ、」
「分かってるよ。分かってるんだよ、チヒロくん」
静姫は分かっている。チヒロの心の内を全て。
「チヒロくんは私を目の前で失うのが怖いんだよね」
「っ」
その言葉を聞いて、今度はチヒロの表情が痛切に歪んだ。
チヒロは恐れている。『あの日』に、父親を目の前で失ったように。己の目の前で大事な人が壊される瞬間を。また、同じように静姫を失ってしまうようなことがあったら、自分はどうなるか分からない。
「私も一緒だよ」
そんなチヒロの心情を分かっていながら、静姫はチヒロと共にいる。同じだ、同じだからだ。
「また、私のいないところで大事な人が……チヒロくんがいなくなって。その無力感で死んじゃいたくなるような思いすることが怖くて怖くて仕方ない」
チヒロと同じように、静姫だって『あの日』の再来を恐れている。
「それにね、今になって仲間外れも嫌だ。今日も言ってくれたじゃん。『今更離れられるのも嫌だ』って」
「だけど」
「今日の組長さんにかけられた妖術で余計にその思いが強くなったのはチヒロくんだけじゃなくて私も一緒だよ。全部一緒なの。でも……」
静姫は傷だけではなくチヒロの頬を両手でやさしく包み込み、徐々にその顔を近づける。チヒロはそれにごくり、と生唾を呑み込みされるがままになっていた。彼女の行為を拒否せずに受け入れるのなら、何が起こるのか。それに僅かに期待する自分の胸の内を自覚しながら。
「私はチヒロくんの言う通り『甘えた』な女の子だからさ」
そして、寸前で止まる。チヒロの鼻先に静姫の鼻が触れそうになる、その寸前で。
「だから、私はチヒロくんが嫌だって言っても……甘えに甘え倒して離れてやんない」
ああ、そうか。とチヒロは理解した。少しは期待していたんだけどな、とでも言うように彼は肩を落とす。今日はここまでで、おあずけする気なのだ、と……静姫からは。
チヒロは静姫の肩を掴み、押しのける……なんてことはせずに、そのまま背中に這わせ、片方の手では彼女の頭を掴んで引き寄せる。
そして、躊躇することなく静姫の唇と己のそれを合わせた。彼女はそれに抵抗せず、チヒロに身体を預ける。
分かっていたことでもあるが、自分を受け入れる静姫をいいことに、チヒロはそのまま彼女の唇を貪った。俺は悪くない。言ったんだ、彼女が言ったのだ。遠慮などいらない、と。
チヒロは暫く思う存分、好きなだけ静姫の舌の味を堪能すれば、その唇を離しむはっと息を吐く。彼女はその間、ずっとずっと彼を拒否することは一切なかった。
「……色仕掛けか」
「うん。掛かってくれて嬉しいな」
「卑怯な女だ」
そんな彼女がチヒロには愛しくて愛しくて堪らなくて、同時に憎らしくて仕方ない。結局、敵わない。惚れた弱みなのだから……とは思いつつ、悔しさのあまり彼は静姫を睨んでしまう。
「俺じゃない男のことが好きなくせに」
ずっとずっと前からそうだった。
チヒロは静姫のことが好きで愛していて、静姫もチヒロのことは愛している。
だというのに、静姫の恋心はチヒロの物ではない。
それを両者共に理解しながらも、こうして何度も何度も唇を合わせてきた。馬鹿みたいにふしだらで不毛で虚しいのに、チヒロにとってこの行為はやめられないだけの恐ろしい中毒性を孕んでいる……正常な酸素より、彼女から吐き出される息で肺を満たしてしまいたいと願うほどに。
……静姫がチヒロをこんな風にしたというのに、それでも彼女はチヒロに恋慕の感情を向けてくれない。
「ははっそうだね」
「ヘラヘラするな」
「うん、ごめんね。ごめん……許してほしい」
「……お前のことなんて、ずっと前から許してる」
「うん、うん……ありがとう」
静姫はそのまま、チヒロの胸に顔を埋める。それから一つずつ、一つずつ。落ちた花びらを拾うように、彼と出会った時のことを愛しさと共に思い返していた。