百代の過客

1


 その銀色を覚えている。
 銀という色を知ってはいたが、その銀色を見たとき、成る程、これが本物か、と働かなくなった片隅で思った。

 疲れ切った頭でその色をぼんやり眺めていれば、溜息と共に銀を宿した男に二の腕を掴まれて引き上げられた。

 そのままある一室に案内され、ここがお前の部屋だ、と簡潔に言われた。

 その時思ったのだ。
 成る程、ここが次の私の居場所か、と。





 記憶の中にいる彼女は、草薙さん、と呼ぶと青色の髪を揺らして振り向いてくれる。そのまま彼女はいつもそっけない返事を返す。前を見た凛々しいその顔は、女性ながらにしっかりしていて憧れのような何かを持って自分は見つめていた。
 いつだったか、草薙さん、と言ったときに彼女は私の方を一度だけ見た。
 それは、偽名なんだ。
 ふと零されたそれは自分ではなく、どこか遠くに向けて言っていた、ような気がした。

「ブロンクス。こんなとこで寝るなって言っただろうが」

 くん、と引き戻されたような感覚に、眼を開けた。元々睡眠が浅かったのか目覚めるには支障がなく、すぐに思考が現実を認識する。
 ブロンクス。そう呼ばれた女は不機嫌な表情で覗き込む、碧玉のような瞳を持った男から顔を背けるように寝返りを打った。
 なんでいるの。邪魔。
 そう言わんばかりに不機嫌そうに彼女はソファーに顔を埋めるのに、男は小さく息をついてブロンクスが転がっているソファーに腰掛けた。

「おい」

 肩を掴んだその細く長い指は、その見た目に反してがっしりとしていて抵抗出来るほど彼女は強くない。
 寝返ったばかりの彼女はそのまま先程と同じ姿勢に戻され、不機嫌そうに唇を尖らせる。

「眠い。怠い。眠い。お腹空いた」
「だから飯買って来ただろうが」

 そういう男の足元にはスーパーの袋が置いてあり、中から冷凍食品が転がっていた。
 それを一瞥しつつ、起き上がってだらしなくソファーの背に体を預ける。

「またか。飽きたよ。いつまで缶詰にさせる気? 仕事多いし、もみ消しが多すぎる」
「……それがてめぇの仕事だろうが」
 
 ふわ、とあくびをすると女性は辺りを見回した。
 仮眠室ではなく彼女専用の仕事場の接待ソファーの上。仮眠室まで行ったつもりが眠気が凄かったらしい。ここで寝てしまったのか。
 黒い髪は実際何日も閉じこもっていたからか潤いを失っている。茶色のような紫のような不思議な虹彩の瞳は、まだ少し寝ぼけているのか瞬きを繰り返しながら辺りを見回した。寝癖で少し飛び跳ねた、背中の半ばあたりまである髪を掻き上げる。
 年はざっと二十一、二十二歳程度だろう。
 彼女は起きつつ腕に引っ掛けた髪ゴムを使って手櫛で髪を纏めると、立ち上がる。それに男もかすかに体を起こして、ソファーに寄りかかった。

「コーヒー飲む?」
「いらねぇ」
「作る」
「話を聞け」

 コーヒーメーカーで慣れた様子でコーヒーを作る。二つ作って一つを片手で渡すと、彼はなんだかんだ拒むことなく受け取った。彼が啜るのを尻目にそのまま一口飲んで顔をしかめる。

「あま、」

 自分の正面で彼は物凄く嫌そうに一度コーヒーを見て、小さく溜息を付いた。
 じ、とコーヒーメーカーに仕込まれたそれを見ると、いつものコーヒーではない。
 前使った人間が、わざわざ変えてくれたらしい。恐らく彼女の前に使っていた男だろう。
 こういう変な気配りの出来る男だった。

 時計を見やると、シンプルなデザインの時計が6:30過ぎを示している。
 いつもと同じ時間だった。
 それでもいつもはいる男の姿が見えない。今日は朝から仕事らしい。

「スコッチか」
「多分ね」

 このような気遣いが出来る人物は限られる。
 だが自分が寝てから彼に会っていない。恐らく来たが自分が寝ていたからか、コーヒーだけ飲んで帰ったらしい。それが早朝来たのか、それとも仮眠を取り始めた深夜に来たのかブロンクスは判断できなかった。
 人の気配に起きない自分に呆れるか、気配のしないスコッチに驚くか。

「もう少し用心しろ」
「自分でもそう思う」

 机に置かれた紙の束は新しい仕事だろう。男の横に腰を下ろしつつ、紙の束を引っ張って膝の上に置く。それを指先で捲って、小さく息をついた。
 灰皿に転がった煙草。彼は机で先端を叩き葉を寄せると横でマッチを擦る音が響き、特有の臭いが鼻についた。
 ゴロワーズ・カポラル。
 両切りで珍しく、苦い香りのそれは、吸い方を間違えれば草が口に入る。
 よくそんな一癖ある煙草を吸うものだ、と思ったが吸う男も一癖ある男だ。
 臭い、と顔に皺を寄せれば「我慢しろ」とすげなく返ってくる。

「で、何の用──ジン」

 ジン、と呼ばれた男は黙っていれば大層美しい顔に、悪人のような笑みを浮かべた。




「──そう言って、スコッチの倍ぐらい仕事置いてった。どう思う、二人とも」

 そう不満をぶちぶち言いながら指を止めずひたすらキーボードを叩き続ける女、ブロンクスにスコッチとバーボンはどっちも苦笑を浮かべた。
 ブルーライトを遮断することを宣伝文句に謳う眼鏡をかけたまま厚い紙をめくり、そしてUSBのデータを見て眉をしかめる彼女。
 そうしているとただの会社員のようにも見えるが、実際彼女がやっているのは色々な違法作業だ。

 組織がどれだけ問題を起こそうとも、防犯カメラに映らず、そして目撃証言がなければ捜査はしにくくなる。
 SNSなどのソーシャルメディアに乗っかった組織関係を全て削除、もみ消し、デマを流し、防犯カメラの映像を変えていく。
 彼女がいなければ組織の存在はもっと露見し、活動にも支障を起こす可能性があっただろう。それが知る人ぞ知る陰に潜みながら、裏で暗躍する組織にまでなったのは彼女の実力が大きい。

 組織のデータベースを新しく一から構築し直したうえに、組織全体の資金管理から、マネーロンダリングまでも行う。ジンが推薦して幹部にまで引き上げたシェリーとブロンクスは、それぞれ裏方の中でも異質だった。
シェリーが研究開発の中で代表例として語られるならば、ブロンクスの場合は存在自体が組織の歯車の一つになっている。彼女が構築したデータベースには基本的に誰も入ることが出来ず、許可が降りているのはトップであるあの方、ラム、ジン、ベルモット、そしてブロンクスだ。
 一週間で変更されるパスワードを一括管理しているのはブロンクスで、彼女がパスワードを教えなければ入ることさえ出来ない鉄壁の情報管理システムは数多くの黒の組織を狙う国際機関が挑戦したが打ち破ることは出来ない。
 一つ二つ時代の先を行くものだと言われているが、バーボンもスコッチもその詳細を知らない。

「見てよバーボンこの厚さ。スコッチのやつと組み合わせたら広辞苑もびっくりな厚さだよ。どう思う?」
「……さぁ、どうなんでしょう」
「どうなんでしょうじゃないよ。スコッチとバーボンだって出来る限り自力で仕事減らしてきてもらってるのに、あの男全部丸投げだよ。ふざけんな。いつか刺す」

 そう物騒なことを言っているが彼女がジンを刺せる機会はないだろう。
 それは彼女もわかっている筈だ。
 それでも不満を言わなきゃやっていけないのだろう。そう言いながら、部屋の片隅に置かれた防犯カメラにしかめっ面を見せつける彼女。
 実際ジンが逃亡防止にカメラを設置し、逐一確認しているのはバーボンもスコッチも知っている。

 いー!と歯茎を見せながら威嚇をしてみせた彼女はふん、と彼女は鼻を鳴らすと書類の片隅にチェックをつけていく。終わった仕事とまだ未完了を分ける為だ。何でもかんでも捨てる訳にはいかない重要書類だってある。
 もし出来ることなら貰った瞬間にシュレッダーにかけている。もう少し反抗的だった思春期の時に何回かやったことがあるが、それはもうジンに怒鳴られ殴られた。
 今覚えば割と危ない橋を渡っていたのではないか。仕事っぷりが認められていなかったら銃殺まではいかなくとも撃たれてはいただろう。あの男は使えない人間には容赦ない。
 まだ中高生ぐらいの少女を遠慮なく殴るあの男もどうかと思うが、あいつに道徳心や倫理観を求めた所で無駄なのは赤子でも知ってる。
 
 キーボードの音が反響する部屋は、三人もいるのに誰も喋らない。
 だがそれは居心地の悪いものではなかった。

 バーボンとスコッチ。
 相性がいい二人はよく連れだって行動している。仲がいいらしく、二人で仕事をすると大抵うまくいっている。失敗したってカバーできない範囲じゃないし、うまく対応できるのだろう。
 ただスコッチはともかくバーボンはジンと相性が悪いらしい。

 バーボンの名前を出した瞬間に急降下する機嫌は厄介としか言いようがなく、基本的にブロンクスはその名前をジンの前で告げることはしない。
 ただライも同じく嫌われてはいるものの、バーボンに向ける感情とライに向ける感情は似て非なるものなのだろうと思っていた。
 そりのあわない三人の緩衝材として活躍しているスコッチは、いつも苦労が絶えないだろう。周りがよく見える人間は苦労する。

「そう言えばジンが、シェリーに会いに行くと言っていましたよ」

 バーボンの言葉に、キーボードが打つ手が止まった。
 シェリー。そう称される幹部を、自分は幼少期から知っていた。幼少期どころではない。
 羊水を分かち合い、同時に生まれた、自分の半分。

 そして、自分なんかとは違う、正真正銘の天才。

「ブロンクス?」
「んー、そっか。それで?」

 手を止めたことにバーボンの声がかかるが、すぐさま手を動かし動作を再開する。

「あの男も忙しないですね、と」
「ああ、仕事がいっぱいな方が良いよ。こっちに来ないし。暇さえあればこっちくるんだもの」
「まぁな。俺らも寛いでるしな」
「もう少し遠慮して」

 そういいながらブロンクスは最後まで一通り見終わった書類を放り投げて、二の腕を額の上において椅子の上で仰臥する。
 直後に眼鏡をつけていたことを思い出したのか、そのまま眼鏡を外して丁寧に書類の上に置いた。

「恋人の一人ぐらい作って落ち着いてもらいたいけどね」
「ジンの恋人は……いなさそうだな。仕事第一な男だ。女性の方は寄ってくるだろうが、中身が自分より仕事優先の男は嫌なんじゃないか」
「仕事がお互い優先の恋人ならいいんじゃない。ジンの恋人は一般人が良いと思うな」
「あんな恐ろしい男に近寄る一般人います?」
「いないわー。というかジンは特定の女は作らないよ」

 ブロンクスは鼻で笑う。
 実際あの男が、個人的に特定の女を持っていた時期があるのは知っているが、女なんぞに入れ込んだことは一度も見たことはない。
それに彼はそこまで気安く人に懐を許さない。

「で? ジンはジンだが、ブロンクスもブロンクスだろう」
「ジンと同じようにあなたも浮ついた話聞きませんしね」
「二人も聞かないよー」

 三人で、ふふふ、と顔を見合わせて笑い合う。
 特にバーボン。この手の話になるとイキイキしだす人間はいるが、彼もその類だったらしい。いつになくにやにやにこにこしている。
 何もない女から無理矢理掘り出そうとするな、と掌をひらひらさせて話を断ろうとするが、無理矢理押し通してくる。

「ブロンクスぐらいの年になると恋人の一人や二人欲しくなるんじゃないのか」
「流石に二人は要らないかな。見聞も悪いし」
「じゃあ好きな人とか」
「いないね。まぁ、こんな組織に入ってるから。良い人は見つけられないよ」

 それに納得したらしい。スコッチは組織のクソ臭い煙草を吸う銀髪の愛煙家が置いていった灰皿を引き寄せると煙草を出し始めた。
 こう考えると自分の仕事場が随分プライベートな場所に変えられ始めている気がする。自分の仕事場を勝手にくつろぎ空間に変えるのは止めてほしいのだが。
 そう考えていればバーボンは慣れた手つきでコーヒーを淹れ始める。
 私の部屋なんだけど、と悪態をつけば彼らは薄く微笑で応えた。言い訳ぐらいしてほしい。

「まぁ、恋人云々はやっぱり冗談だな。こんな組織に入って特定の人間なんぞ作ったりしたら人質にしかならないからなぁ」
「そうだねぇ」
「悪い組織だと思ってるんですか、あなたは」
「んー、まぁ悪いとは思ってるよー」

 ふ、と部屋に沈黙が落ちた。それにパソコンから顔を上げる。
 見れば、スコッチは顔をしかめていた。横のバーボンも何とも言えない表情をしている。

「え、なに」

 何か避けなければならない話題を踏み抜いたわけではないだろう。そこまで張り詰めた空気でもない。
 ただ子供に言えないことを聞かれた大人のような顔をしている。
 つまりは、困っている。

「本当に、そう思ってるんですか」

 そう問われて、手を止めた。瞳を上げれば、二人が動きを止めてこちらを見ている。
 ブロンクスは、にっこりと笑った。大層晴れ晴れとした笑顔だった。

「──まぁ、ほどほどには」

 倫理観など、持っていてはやっていけない。
 それでも思い出すのは、青い髪の、赤いジャケットの、強い人。

「それは、」
「正確に言えば、わからない、が正しいかな。何に対して悪いのかなんて、わからないもの。一般的に言えば悪いこと。でも組織にとっては私がやっていることは良いこと」

 バーボンが口を閉ざす。手元のノートパソコンを閉じた。
 ひとまずおしまい。これ以上やっていたらミスが増えるかもしれない、ジンに言って帰らせてもらおう。
 置いてあるコーヒーを取ればもう冷めてしまっている。冷たいそれに口をつければ、相変わらず甘い。

「君たちは、神様を信じてる?」

 そう問われれば彼らはそれこそ困惑した様子を見せた。
 だが返事を待たず、言葉を続ける。

「私は信じてる。だけど宗教の神様じゃない。概念的な何かだよ」

 ゴースト。そう呼ばれる存在がいるのだから、神だっていてもおかしくはない。
 何より私は、この世界に生まれてしまった。非科学的なそれを、神様の仕業と称さないでどうする。
だけれど、自分の神――恩人は人である。ゴーストや非科学的な何かではなく、神に近しい恩人。
 肉で出来た器ではなく、機械で構成された電脳のひと。
 何より、私にとって神のような絶対的な存在は、彼女だけだ。

「私の恩人がいてね。その人は、事件を解決するためなら何でもする人だった。非合法な手段だって難なく行う酷い人」

 それに二人は黙って聞いてる。返答など、求めていない。
 独白が、狭い部屋に響き渡る。

「その人はもういないけど、私にこの技術を教えてくれた人でもある」

 お前は非力だ。だから少し教えてやる。
 そう言って肉の器の自分でもわかりやすく教えてくれた。護身術だってちょっとかじらせてくれた。
 よれよれのスーツの部下さんがいて、いつもこき使われてて。
 片目のスナイパーさんは、百発百中だ、と笑っていた。
 もっといっぱい仲間が、部下がいた。その周りに囲まれた先生は、嫌そうな顔をしながらも拒んではいなかった。
 赤いよく喋る機械は元気だろうか。乗らせてもらったことがある。凄く速くて、面白くて、よくバレてあの人に一緒になって怒られた。

 思い出を、昇華させ過ぎているのだろうか。
 だけど色褪せぬそれは、いつまでも輝いている。

 明るい、世界だった。そう思わせてくれているだけかもしれない。
 不規則で来る彼女たちは多分物騒なことをしていたのだと思う。子供に悟らせぬように、そうしていてくれたのかもしれない。

「私に生き方を教えてくれた人。教えるつもりはなくても、勝手に私が見よう見まねして生き方を習った人。凄く、凄く、素敵な人」

 そう、いつまでも彼女の後姿を追いかけている。
 追い付けぬまま、違う世界に来てしまった。大分文明の遅れた世界。
 教えてもらった技術は、初歩中の初歩なのに。
 ここでは凄腕、と称される程遅れている世界。
 初歩の初歩を真似したそれで彼女は幹部まで成り上がった。データベースもその応用で、向こうの世界では視線一つで開錠されてしまう程の脆弱なものだったのに。
 困惑した。恐怖した。会えない。いない。わからない。
 肉の器ばかり。高層ビルは小さすぎる。おかしな世界。常識が通用しない。

 犯罪ばかりがやけに多くて、そこだけが共通していた。犯罪の種類は全く違ったけれど。
 電脳の海に溺れた犯罪と、血の流れる生身の犯罪は、どうしたって別物だ。
 ここに入ったのは偶然だけど、いい機会だと思った。どうしても、彼女の姿を見つけたかったから。
 裏で暗躍する彼女は、表に滅多に出てこない。
 だけど調べれば調べるほど、彼女の存在がいないという裏付けが増えていく。
 いつしか諦め、辞めて、この世界に適応している自分がいた。

「その人が今の私を見たら、どう思うか。いつも考えている。でもね、毎回、その人は私に何も言わずに背中を向けるの。だから、わからない。その人が辞めろと言えばすぐ辞める。だけどその人は何も言わないから。これが、悪いことだとは思ってない」

 顔を上げられなかった。うなじが熱い。
 らくなく恥ずかしがっている自分がいて、言い淀む。

「その人は、今はもう?」
「さぁ。どうなんだろう。私が先に消えたから。でも、正義側の人だよ。正義側で、やると決めたら躊躇しない。躊躇しなさ過ぎて、手段を選ばない人。そう言う意味では、正義にはなり切れない。でも悪にも成り切れない正義で、悪の敵を討つ人」

 そう言いきって、あ、と思った。

「そう考えると私、裏切ってるのかな。ねぇ、どう思う?」

 そう言って顔を上げると、微苦笑を浮かべた二人がいた。
 それに笑顔を張り付ける。
 うまく笑えているか、わからないけど。

「さぁな。俺にはわからん」
「僕もわかんないですね」

 そう言われて、そっか、と零した。
 答えなど求めていないことを、彼らは気付いたのだろうか。
 まぁ、いいか。
 そう考えて、ブロンクスらしい笑顔を浮かべた。
 うん、笑えている感じがする。これを張り付けていこう。

「はい、これで終了。二人とも、ありがとうね」




「なぁ、あの話」
「ああ。俺も思った。嘘を言っているようには思えない」

 そうバーボンとしての皮を剥がして、ゼロとして話す相棒。
 バーボンとしての役柄は見慣れないためか、常に違和感が付きまとう。だがそれも慣れてしまい、ゼロとしてもバーボンとしてもスコッチは受け入れられるようなっていた。
 だがそれでもこの器用な幼馴染が、いつかバーボンの役柄に引きずられてゼロの――つまりは降谷の人格を壊してしまうかもしれないということをスコッチは危惧してはいた。
 だがこの幼馴染なら上手くやるだろう。横にいる彼も、恐らく同じことを考えている。

「一瞬ジンのことかと思ったが」
「ああ、違ったな。彼は間違っても正義側の人間ではない」
「恐らく公安関係者じゃないか?」

 公安は、日本の安全と言う名目の元、手段を選ばない。
 自分たちが良い例だ。
 手段を選ばず組織に入り、そして取り入るために人を殺している。
 ゼロも、自分も。
 そう考えれば、自分はあまりにも深みに入り過ぎている。
 もしこの組織が壊滅して、自分たちが公安に戻れたら。その時自分は正義の味方だといえるのだろうか。
 背筋が冷たいものが這っていく。不吉な予感を掻き消すように、小さく首を振った。

「……彼女にあれだけの技術を教えたとなると、大分絞られてきそうなんだが」
「連絡はしてみる。ただ、」
「ああ。めぼしい情報は出ないだろうな。公安は味方に対しても、守秘義務が出る」

 そう面倒くさげに顔をしかめ、ゼロはきつく締めたネクタイを無理矢理緩める。
 車内で話す二人の間に遠慮はなく、言わずとも互いの思考を読むことなど単純に出来た。

「何より、シェリーだ」
「あー。本当なのかね、シェリーとブロンクスが双子っていうのは」

 組織でまことしやかに囁かれる噂。
 天才科学者であり組織の薬や実験を一手に担うシェリーは、組織のハッカーにして情報管理をこちらも一手に担うブロンクスと双子である、と。
 容姿も似ているらしい。髪の色が違うだけで、彼女たちは瓜二つだそうだ。
 天才の双子。姉もいるらしいが、彼女は組織に滅多に関わってこない。もっぱら囮か人質だろう。

 ジンが管理する二人のネームドは、ネームドの中でもある意味特別だ。
 人殺しや組織に任された仕事をこなしたわけでもなく、ただある一点にそれぞれ特化したからこそ与えられている。
 シェリーは開発、ブロンクスは情報管理。
 互いに類を見ない有数の頭脳と技術を持って、人を殺すわけでもなくネームドの仲間入りをしている。

「事実だそうだ」

 ゼロは肩を竦めた。どこか不満げに彼は自分の整った指先に目を落とす。
 きちんと整えられた指先同士を合わせて、爪を弾くと、ぱち、と乾いた音が鳴った。

「双子、か」

 がしゃがしゃと乱雑な手つきで髪を乱してゼロは鼻を鳴らす。

「じゃあ互いが人質ってことなのか?」
「それはまだよくわからないが、とりあえず調べてみる」
「ああ。だが気をつけろよゼロ。シェリーとブロンクスの監視役は、」

 バーボンが頷いた。

「ジン、か」

 銀髪の実働部隊のリーダー。彼を敵に回すという事は、組織を敵に回すという事とほぼ同義だ。


2021.4.10