百代の過客

3


「──」

 名前を呼ばれた。
 随分と久しぶりに聞く名前で、一瞬自分のことだとはわからなかった。
 遅れて振り返った先、自分でも名前を呼んでしまったことを困惑しているかのような片割れがいた。

「……シェリー」

 そう呼ばれた少女は、そう呼ばれたことを受け入れるように一度瞳を伏せる。
 似通った瞳の色、少しばかり自分とは違う色の薄い髪、たまたま報告義務のある日が被ったのだろうか。被らせるつもりだったのだろうか。
 随分と悪趣味だ。誰かが見ているに違いない。
 互いの行動を見られているに違いない。わかっている。
 恐らく、自分の半身もそれをわかっているけれど呼んでしまったのだろう。

「……なに」

 掠れた声だった。喉を使うことを忘れた人間が発するような、罅割れたそれ。

 ためらう様に、その唇が何度か何かを紡ごうと動いた。自分と同じ目の色。自分と違う髪の色。それをじっと視界に収めていたが、何も出ないためにブロンクスは彼女の横を通り過ぎる。

「待、」
「何?」

 振り返る。名前は呼ばなかった。その顔が歪み、こちらを射抜くように見る。それを見つめ返せば、そのまま彼女の方が怒った顔になって、彼女は──志保は白衣を翻して立ち去っていく。
 ふ、と知らず知らず息を吐いて邪魔くさい髪を掻き上げた。

「……」

 もう何年も口をきいていない双子の片割れ。両親が死んでからその素質を組織に買われ、すぐに組織入りした自分と違い、アメリカに留学、その後組織入りした彼女は瞬く間に頭角を現し、研究員でありながらネームドまで上り詰めた。
 自分とは違う紛れもない天才。

 それなりに仲は良かった、と思う。でもそれも本当に遠い過去の記憶で、随分と朧げだ。
 志保と姉の制止を振り切るようにして組織に入り、彼女たちの安全を守っていくつもりだった。だがそれも不可能な話で、志保も組織入りを果たしている。
 お互いの状況は一切わからず、今のように本当に偶然出会わなければ話す機会もない。仕事場所も違うからだ。

 だが意思の疎通は既に図ることが出来ない。どうにかしてでも守りたかった人は、既に守ることが出来ない。

 遠くなってゆく後姿を見て、たまらなくなって思わず一歩踏み出した。
 丁度自分の後ろから聞きなれた声が、自分を呼ぶ。スコッチとバーボン。
 やめた方が良いとはわかっている。多分二人はそんなことをしないけれど、どこかで私たちの動向は見られている。それでも吊り下げられた蜘蛛の糸のように、残虐な飴と鞭の飴に縋りつきたくだってなるものなのだ。
 それでもゆっくりと腕が伸びる。酔ったような足先で、一歩、二歩、ふらりと進んで。
 止めようとする意志に反するように、足は駆け出した。

「……志保っ」

 振り返った先で、同じ瞳が見開く。
 自分たちの後ろでまばらの足音が立ち止まった音がする。
 そのまま白衣を纏った、当分会えない半身に自分の体をぶつけるように抱き着いた。

「志保、志保……志保」
「……変に我慢するの、止めなさいよ」

 聞きなれた悪態。同じぐらいの身長で、薄く骨の浮いた華奢な肩。
 嗅ぎ慣れた彼女の匂いに安堵する。互いの肩に、首筋に額を擦りつけ合って抱き締め合う。

「ごめんね、志保」
「私も浅はかだったわ。こんな場所で」
「いいよ。もう。多分見られてるし」
「そうね」

 互いに笑いあって、背中に手を回す。
 安心する。ここが自分の居場所だと思う。
 双子である自分たちはいつもこうしていたのに。互いを支えに、家族を守ろうと思っていたのに。
 きつく抱き締め合う。そうする度に守ろうと思える。
 自分が守ろうとするものが、自分を守ってくれているものをその度に理解する。

 何秒か、何分かわからなかった。それでも互いにそっと離れてゆく。

「元気でね」
「ええ。あなたも」

 笑いあい、そして最後に残った指先の絡みを解く。
 するりとあっけないほど簡単に解けてしまったそれに、顔をしかめて見下ろす。
 指先の間にこびりついたように志保の指の熱があった。

「じゃあ」
「ええ」

 互いに同時に踵を返す。
 視線の先にバーボンとスコッチがいる。恐らく、シェリーの先にはジンがいるだろう。
 それでも振り返らず二人に笑いかけながら、まるで早く離れたいというように徐々に小走りになって近寄ってゆく。

「バーボン、スコッチ!」

 困ったようにこちらを見ていた二人が、顔を見合わせ笑みを作る。
 それに安堵を覚えた。

「いいんですか」
「いいよ。大丈夫」

 何か言いたげにスコッチがこちらを見たが、首を振る。
 それだけで悟ったように、彼は小さく頷いて他愛ない話に切り替えてくれる。
 甘えてしまっているな、と思う。
 彼らの子の優しさに。

 だけれどその優しさに身を委ねて、関係ない話を弾ませる。
 双子の片割れとの名残を、振り払うように。





 くん、と髪をおもむろに掴まれ、髪引く感覚に微睡みの縁から引き上げられる。
 自分が転がっていたソファーが沈み込む動きに、誰かが座ったのがわかった。
 白い塗り潰された輪郭が徐々に形作られてゆく。やがて朧気だった視界がはっきりしてくると、銀の長髪を流した男が濃緑色の瞳をこちらに向けていた。
 眠りから引き上げた力に背くことなく寝ぼけ眼でそちらを見ながら、瞬きする。
 それに重たい溜息が降ってきた。

「いつもここで寝るな。仮眠室があるだろうが」
「ごめん」

 髪がゆっくり持ち上げられ、そのままはらりと顔に降りかかってきた。結んだ状態で眠ってしまっていたらしい。それを解いてくれたのだろう。
 横に寝っ転がっていたのを、仰向けに直す。ぼや、としたまま何度も天井とジンを見ながら瞬きすれば徐々に視界も思考も正常な状態に近づいていく。
 顔を巡らせ時計を見ると、時刻は深夜二時を回ったところだった。

「監視カメラを確認したらお前がここで寝てたから迎えに来てやったんだ」
「ああ、そういう……」

 時間を見て、どうしているんだろうかとジンを見ただけで人の意図を読み取ったらしい。観察眼が相変わらずずば抜けている。
 律儀に迎えに来てくれた男に感謝しつつも、ジンの顔を見たままぼんやりと瞬きを繰り返す。ジンも手持無沙汰なのか暫く結んだ癖のついたブロンクスの黒髪を弄っていたが、飽きたのか手を離し、ゆらりと視線を部屋に彷徨わせる。

「にしても、ネズミくせぇ部屋だ」
「ジンの嗅覚はどうなってるわけ……?」

 そう吐き捨てられたブロンクスは、困ったように眉を竦める。
 この男の言うネズミとやらは、実際のネズミではない。こそこそ這い回るネズミ、組織に害なす存在。ジンはそれを目の敵にし、その疑いが出た瞬間に殺しに行くほどだ。

 だがそのジンのネズミを見つけ出す能力というべきものか言っていいのかはわからないが、天性の勘とも言えるそれは精度が高い。ブロンクスでさえ、その獣じみた『嗅覚』ともいえるそれの恐ろしさを知っている。
 ジンが疑わしい、調べておけ、と告げた人間が、ほぼほぼNOCや他組織の構成員であることがざらだからだ。というか、調べておけ、とブロンクスに告げた時点でジンは確信してるし、ほぼほぼと言ったものの、今のところ全員NOCである。
 ウィスキーの名を冠する三人も例外ではなく調べておけと言われたが、実際調べて全員NOCなことが判明したとき、ブロンクスは改めて恐ろしい男だな……と思った。実際調べた結果はどうなんだと度々詰め寄られているが、ブロンクスは返答を「違った」と返している。
 あのときの答えにジンは不服そうだったし、今でも隙を見れば殺してやろうと思っているぐらいには気に入ら無さそうだし、今でも調べろと言ってくるし、まったく納得して無さそうだった。ただ肝心の証拠が何もない状態なので手を出せていないのだろう。
 第一NOCであるがNOCの証拠もない人間を、ジンは殺すことは出来ない。限りなくクロに近いのなら殺せるが、今のところジンで言うところの『ネズミ臭い』状態が続いているだけなのだろう。
 最近は自分の直感ではクロであるのにのうのうと組織に貢献して幹部にまで上り詰めたあの三人に腹が立っているのか、愚痴は専ら彼らだし煙草を吸う量は増えるしブロンクスの仕事部屋の滞在時間は伸びるので、ブロンクスからしてみたら本当にいい迷惑である。

「煙の臭いが凄いってこと? ライも同じようなこと言ってたけど」
「あいつと一緒にするな」

 唾棄すべき事柄のように吐き捨てたジンに、ブロンクスは苦笑する。ぐ、と顔をしかめた程によほど嫌悪感を感じているらしい。

「お前をあいつと近づけたのは失敗だったな」
「姉さんと交際してる時点で、十分近づいていたけれどね」

 ジンがそもそもブロンクスとライ……というかウィスキーのネームド三人の接見許可を下ろしたのは、懸念からだった。ブロンクスはその立場上特殊な位置取りにある。組織の情報をジンやラムと同程度は持っている上に、セキュリティシステムを構築している手腕もある。
 潜入捜査官だった場合はどうにかしてでも近づきたい相手だろう。

 ジンは基本的に他者を信用しない。しかし、あのウィスキーを冠したネームドたちは信用しない以前の問題であった。
 つまり、ジンの勘がこいつらは『ネズミ』だと告げた。その野生の勘とも呼べる直感的なものから来る懸念は、ジンの経験上的中していることが多い。

 だからこそ彼らとブロンクスを引き合わせた。ブロンクスは組織を裏切る真似をしない。その行為の代償が自分の何よりも大切な家族を失うことと等しいからだ。組織以外との繋がりがないこともジンは知っている。ウィスキーの三人が本当にNOCであったのならば、これ以上ないほどの好条件を持っているのがブロンクスだ。

 組織の情報、そして家族を人質に取られたが故の組織に対して従順な姿勢、それはNOCからしてみたら付け入る隙になり、味方に引き抜くことも考えるだろう。
 だがその考えが浅慮そのものだ。ブロンクスは組織にたてつく怖さを理解している。不確定な味方よりも確実性を選ぶ。自分が従順であれば家族に組織は害をなさないことを理解している。
 だからこそ彼女はNOCに家族を助けてと言うことがあったとしても、自分はそれについていこうとしないだろう。シェリーや宮野明美は見逃される可能性があっても、ブロンクスに関しては見逃されることが無いからだ。シェリーもネームドであるし、裏切ったら確実に処罰の対象になるがブロンクスが残ってどうにかすることで見逃される可能性は浮上する。

 ブロンクスは組織にとって存在が余りにも大きすぎる。後継というか、恐らくブロンクスがいなくなった後に、彼女のシステムを維持できる人権は組織には揃ってはいるが、発展は見込めない。一線を画す技量と、その頭脳。
 それをネットワーク分野で両方兼ね備えているのは今のところブロンクスだけだ。彼女はシステムをアップデートできるが、彼女以外の存在はそのシステムを理解し継続させてゆくのが精いっぱいだ。それから先は見込めない。

 自分の希少価値、自分の存在価値。そして自分が裏切れば、付きまとう代償。
 それをわかっているからこそ、ブロンクスは組織からいなくなることはない。

「ああ。そういえば思い出した。そこのタブレット取って」

 机の上の灰皿の横に置かれたそれをジンが取る。ジンから手首の最小限の動きで渡されたそれを両手で受け取って、ブロンクスはうんしょと寝っ転がったままそれを操作する。

「はい、これ」

 ひょい、とそのまま何気ない動作のように差し出されたその情報にジンが目を通し、次の瞬間には、その目が見開かれた。指先がついついといつもより僅かに速い速度で画面をスクロールする。そうしている間にもその相貌にこれ以上ないほどの残虐さが浮かび上がる。
 そのタブレットに表示されていたのは、数百ページにも及ぶジンが制作を依頼したNOCの証拠を集めたリストだった。

「いつ作った」
「空き時間に作っておいた。終わったのは寝る前」

 つい、つい、と目を、指を走らせながらタブレットを操作していくジンを見ながら、もう一度目を閉じる。だが間髪入れずに「寝るな」と言われ、この男は目が側頭部にでもついているのだろうかと嫌々ながら視界を開く。

「何人かリストに足りねぇのがいるが」
「証拠不十分。もう少し泳がせて」

 ふと沈黙が落ちる。それっきりだろうと思い直し、まだ覚醒しきっていない脳内にもやがかかったように広がる。
 また体と意識が沈み込んでゆく刹那、見計らったように鋭い声が落ちた。


「シェリーと何を話した」


 思わず体の動きが硬直する。このまま寝たふりをしたいが、そんなことをしても自分の首を絞めるだけだ。
 渋々目を開くと、魔性のように底光りする瞳がこちらを見下ろしていた。

 こういう瞳を向けられるたびに、ジンを見たことを後悔する。視線なんて合わさなければよかったとさえ思う。目の前の人間がどれだけ恐ろしいかなんて改めて理解したくない。

 酸素が突然薄く感じる。喉が干上がる。
 煌々と光る瞳が、こちらの一挙手一投足を拘束する。
 長い髪が一房落ちてきて、それが視界にちらついた。

「な、にも。何も話してない」
「シェリーもそう言っていたが」

 とん、とん、と指先がソファーの側面を叩いた。
 断続的な音が部屋に木霊する。だが、それが一定の回数を迎えたとき、とん、と一際強く音がなる。
 攻撃的な空気が寝起きで余りにも無防備だったブロンクスの肌に突き刺さる。

「本当に何も話してないと?」

 じっとりとした重たい沈黙が部屋を埋め尽くす。ブロンクスの仕事部屋であるはずなのに、まるでそこはジンの領土だ。
 抵抗せずに嬲られるだけである。
 こちらの表情を真っ直ぐ見下ろしてくるそれに、ブロンクスは緊張を隠せない。
 腹芸なんて出来ない。だが、組織が懸念するようなことは確かに何もない。

「本当に、何も話してない」

 じっと見下ろすそれに怯えと緊張を込めて、ゆっくりとそれでもはっきりと告げた。
 ジンは黙っていただけだったが、一度瞬きすると興味を無くしたようにタブレットに目を戻す。それに隠れてゆっくり呼吸を再開する。

 怖かった。ジンは時折こういうことをする。
 タブレットに目を落とすその横顔を盗み見る。
初めて会ったときと変わらぬ、いつ見ても鋭利な視線。だがそれに表情を変えることない。
 感情が揺れ動かないというよりも、感情を外に出さないように努めている節がある。腹の探り合いが多いのだろう。
 そういうのに自分は向かない。

「データ送っておけ」
「ん」

 ブロンクスが作ったそれはこれから死にゆくもののリストだ。死にゆく人間たちが名前を連ね、そしてなぜ死ぬのかという理由が書かれている。
 結局引き金を引くのはジンや他の幹部かもしれないが、その理由を作ったのは自分だ。
 こうするたびに自分の胸が重くなる。

 何かがどっしりと溜まってゆく。
 だけれどシェリーも同じはずだ。あの子が作り上げた薬が、人を殺している。
 家族を守るためだと理由をつけて、組織が悪いのだと組織を罵りながらそれでもその犯罪に加担している。
 悪をもって巨悪を制す。
 だけれど巨悪を制すことも出来ずに、ただ悪に加担しているというのはどんな理由をつけても悪であろう。
 同じように自分の薬で人が殺され、リストに名前を書き連ねるたびにあの子は何を思うのだろうか。
 罪悪感に苦しむのだろうか。
 それとも、もう、私と同じように感じないのだろうか。




 後日。
 ジンによる大規模なNOCの粛清が行われ、十数人の構成員が死亡した。





「NOCの、粛清……!?」

 目を剥き、事後報告でさらりと告げたネームドの中でも別格の男をバーボンは見る。
 横にいる幼馴染は声すら出ていない。
 声はそこまで大きくなかったが、同じように幾人かのネームドが戸惑いの声を漏らす。
 思わず呻きかける。どれだけの人数が死んだのかと問いただせば、恐ろしい数を言われた。
 名前を上げられた中には、話したことがある者が幾人か混ざっている。こちらが公安だとバラしたことはないが、彼らが他の国の機関に所属した人間だと自分たちは知っていた。

 突如として始まったその虐殺に、声も出ない。自分もその可能性があったと思うと、ぞっとする。幹部にすら知らされてすらいない。そしてNOCを警戒している素振りすら。

 行われた後に幹部に通達されたNOCの粛清。

 何の為のネームドだ。こうならないために成りあがったというのに。情報と、保険。
 それすらも容易く棄却してみせて、一人で粛清したという男を忌々しく見つめる。
 事後承諾にも程があると叫んだ幾人かの幹部の前に投げられた紙の束。それが配られ中身へ目を通せば、幹部は全員口を閉ざさざるを負えなかった。

 そのリストと一切の反論を許さない異常な程の厚みのある証拠の資料。
 幹部全員に配られたそれに、バーボンを含めた抗議の声を上げた幹部全員は押し黙ることしか出来なかった。

「これは随分役に立った。『話し合い』をするにあたってもこいつがあるだけで全部裏が取れる」

 紫煙をくゆらせ、酷く楽し気に資料をめくるジン。
 NOCが自分たちである以上、バーボンとスコッチは目立てない。ここで何かアクションを起こせば、確実に余波が来るのが目に見えていたからだ。実際下手に動けばジンはこちらを処理するだろう。それが出来るほどの地位を彼は持っていた。
 ただ自分たちの名が資料になかったのが幸いだ。

 資料の最後。資料を作成した名前。
 ブロンクス。
 そう印字された幹部は、自分たちにとって身近な人間だった。

「確定した奴だけだ。疑いのあるのがまだ何人かいるが、まぁ、追々だ」

 その資料を眼に通せば否が応でも理解する。これがブロンクスだと。

 完璧だった。優秀さを知っていたが、その凄さに口を閉ざすことしか出来なかった。組織の中で最も信のある生粋の猟犬と、そのバックアップについた天才。
 
 対象を映した監視カメラの写真、そこに映っている密談じみた何か。NOCだと思しき男と対面する人物の背景の洗い出し、NOCの本名から経歴、密談者の所属組織から経歴まで。NOCが関わった物品の売買取引の証明書のコピー、その会社の情報。
 家族構成、人物のプロファイリング、関係者のバックボーンに至るまで細々と。

 電子の海から引き上げられるだけ引き上げた情報を無理矢理落とし込んだかのような、情報の密度だった。

 バーボンはその資料を見て空恐ろしいものを感じた。
 分厚い資料には一分たりとも隙が無かった。そしてそこに情もなかった。
 この人はNOCである。何故なら、と続くように客観的事実を大量に並べ一人一人いっそ丁寧な程に詳細に書かれている。指先で摘まんだ虫を潰すかのような、確実に息の根を止めることだけを考えられた資料だった。

 誰にも文句を言わせない。お前たちは死ぬだけ。

 そう彼女の強い意志が詰め込まれたようにしか見えない資料。
ネット上にあふれたあらゆる証拠を使って反論など許さないと言わんばかりの情報の緻密さをもって、NOC一人一人の動きを封じていた。

 どれだけ言い訳を並べようと、どれだけ頭を働かそうと、その言い訳を絶対に潰すことが出来る。
 過剰なまでの情報の密度。執拗なまでの状況証拠。
 この十数名が、組織に仇をなしているのを見るだけで理解させる資料の数々。

 そして何より、自分たちの前で笑う彼女が、人殺しに加担しているという証拠でもある。
 自ら手にかける訳でもない。人を物理的に傷つけた訳でもない。
 それでも、彼女の情報が、人を殺している。

 そんなこと、ずっと前から知っていた筈なのに。
 この組織にいる以上、ただの潔癖は許されない。それがネームドであれば尚更。
 それなのに。

 その事実は、バーボンに、スコッチに確かに打撃を与えたのだった。

2021.04.10