百代の過客

7


 衝撃に体が折れて、遅れて凄まじい痛みが体の中を駆け上がった。

「──っ」

 脇腹の下が熱い。立ってられずに崩れ落ちた。熱い。痛い。
 顔をしかめて、咄嗟に撃たれた場所を触れば、どろりと手が濡れた。

 赤い。

 押さえようにも痛すぎて押さえられない。ほぼ触れているだけのような状態で手を腹部に当てながら、ジンを見上げた。
 跪いて、見上げる。

 奇しくも、懺悔する罪人のような姿だった。

 それに目を細めて、ジンが銃が音も立てずにもう一度持ち上がる。
 照準は、額に向いている。
 それをぼんやりと見つめて、ブロンクスは息を零した。

「……じん、」
「言い訳か? それとも命乞いか?」

 こちらの姿を一瞥するジンは鼻を鳴らす。言葉は、静謐だった。
 嘲笑うような響きもなく、ただ目の前の人間を殺すことだけを考えている。
 硝煙を上げるサイレンサーのついたベレッタM1934を片手に佇んでいた。

 黒いコートを纏った銀色の男が、お手本のように美しい姿勢で銃を構える。

「……ごめん、」

 脇腹を押さえながらも、呻くように謝罪した。
 布を染め上げる赤は徐々に面積を増している。痛みに慣れていない体が、どんどん重くなる。ジンのつま先に乞うように、額が地面についた。

 ブロンクスの謝罪に、彼は顔をしかめただけだった。
 ただ冷徹な表情のまま、ブロンクスを見下ろす。
 しゃがみこんで、慣れぬ痛みと出血量に顔を歪めたまま、もう一度顔を上げてぼんやりとジンを見上げる女の額に銃口を向ける。

 その時、バンッ、と激しい音を立ててブロンクスの部屋のドアが開いた。

 ぼんやりとした視界のままジンの向こう側を見れば、愕然と目を見開いたスコッチとバーボンがいた。

「お前たちは立ち入り禁止なはずだが」
「ジン、あなた、何を……」
「何? みりゃあ分かるだろう。裏切り者と通じたやつの処理だ」

 長い足が浮き上がり、振りぬかれた。十分手加減していたのだろうが、ブロンクスの腹につま先が食い込む。かふ、と軽い空気を吐く音と共にその痩せた体躯が吹き飛ばされ地面に転がった。血を散らしながら、白い床に転がる。力なく片手を広げたまま、きつく目を閉じ続けているブロンクスの顔色は真っ青だ。
 苦悶に歪む彼女に向けて、ジンがもう一度銃を向ける。躊躇いなくその人差し指が、動こうとしたのを、咄嗟にスコッチが声を上げた。

「ッ、ジン!」

 溜め息を零しながら鬱陶し気に振り返りながら、銃口をバーボンとスコッチに向けた。

「僕らを撃つつもりですか?」
「用件次第だな。それで? お前らは何の用だ」
「……NOCではなかったスコッチの端末を確認したところ、一時的にネームドの権限が止められているようでした。その管理者であるブロンクスに、凍結を解除してもらおうと思ったんですが……」

 うっすらとどことなく笑みを浮かべながら、それでも頭の中を必死に巡らせているであろうとバーボンがブロンクスを見やる。
 大きく肩で息を吸いながら脇腹に手を当てているブロンクスが、バーボンを見上げた。
 首を巡らせた虚ろな瞳と、紺碧の瞳が交錯する。

 そうしている間に、血の尾を床に伸ばしたブロンクスの体に向けてジンは一歩歩みを進めていた。
 床を踏む重い靴音。べっとりと血を伸ばす靴跡がジンの歩みの軌跡を彩る。

「……どうやらお邪魔だったようですね」
「全くだ。裏切り者は、どこまでいっても使えない」

 が、と踵で無遠慮にブロンクスの肩を蹴る。ごろり、と抵抗もできず転がったブロンクスの微妙に焦点のあっていない瞳とジンが見つめ合う。痛みになれていない彼女は、ただ唇を噛んで痛みに耐えている。だが彼女は声一つ上げなかった。顔を痛みに歪めながらも、ジンを見据えている。

 これが処罰か。
 ジンは彼女に気に掛ける素振りをしていた。ただの執着か、それ以外は自分たちにはわからない。それでもライやスコッチ、自分ですら気づくほどのもの。
 だからこそ高を括っていた。彼女を傷つけるようなことをしないと思っていた。
 それは甘い考えで、ジンはどこまで突き詰めてもジンだ。

 いくらお気に入りであろうと、組織に害なす存在ならばそれ相応の対処をする。
 この男がここまで恐怖される理由、その片鱗を見た気がした。

 半ば呆然と見ながら、自分の口が動いていく。

「裏切り者って。スコッチはNOCではありませんでした」
「はッ、どうだか。結果的には裏切り者ではなかったとしても、疑いがあった時にこいつは逃走の手助けをした。組織として見過ごせねぇ真似だろうが」

 手の平で押さえている患部を、手の上からジンは踏みつける。
 悶え、呻いたブロンクスに、全員動けない。恐らく今動けば、ジンのベレッタM1934から鉛玉が飛ばされるのは目に見えているからだ。
 だがその鉛玉の行く末が、自分たちかそれとも倒れ伏したブロンクスかは、バーボンたちにはわからない。

 それでもブロンクスは顔をジンから背けなかった。ただ真っ直ぐにジンを見つめている。
 ジンもそれを見下ろして、鼻を鳴らした。

 つま先で掌の上から、軽く力を込めればブロンクスの体が小さく跳ねる。押し殺した呻きと共に五指の隙間から見る見る血が滴って、地面へと散っていく。はく、と大きく息を吸うようにブロンクスの口が動いてそれを嘲笑うかのようにつま先を動かした。
 ぐりぐりと傷口を押し広げる動きに、今度こそブロンクスが首を逸らす。空いた口が酸素を取り込むように、唇が戦慄いたのが見えた。

「ッジン!」

 流石に見ていられないと思ったのか、バーボンが声を上げる。その顔は切羽詰まっている。事実スコッチも一歩踏み出す。だが即座に跳ね上がるように銃口がこちらを向いて、全員が動きを止めざるを得なかった。

「失せろ。第一お前たちをここに呼んでない」

 そう言っている間にも、ブロンクスの体を踏みつけ続けている。
 ジンが手の上からつま先を動かすごとに、押し殺した悲鳴と、小さく体が跳ねる。

 銀の髪が落ち、その隙間から見える唇は弧を描いている。苦痛に歪むブロンクスを取りこぼすことなく見ようとしているかのようだった。

「良い子だ。お前はそのまま利口でいろ」

 そのまま一際強くつま先が押し込まれた。痙攣したように震え、悲鳴を殺しながら息を零したブロンクスを見やりながら、ジンはバーボンに応える。

「お前らの要件は俺がやっておく」
「……僕らが用があるのは彼女です」
「さっきから聞いてりゃあ誰にモノを言ってんだ。こいつの管理は俺に任されている」

 ブロンクスの腹につま先を押し込んだまま、ゆっくりとジンが顔を上げる。
 こちらを見つめるその瞳には、侮蔑と薄く猛る憎悪に似た怒りがあった。

「それともなんだ。NOC同士の謀か?」

 囁くように吐き出された言葉に一瞬硬直したバーボンが、舌を回すその前に。

「……ジン」

 今まで黙っていたブロンクスが、張り詰めた場を切り裂いた。

 全員が視線を向けた先で、意識も朦朧としているのだろうが、それでもはっきりとジンを睨むように見つめたブロンクスがいた。
 翠緑と、茶とも紫紺とも取れぬ色彩の交錯は、一瞬だった。

 舌打ちと共にジンがブロンクスの腹の上を抑えつけていた足を外した。
 加虐に染まった口元が消え失せ、常の彼の表情が戻ってくる。
 そのまま銃身の熱を払い、しまい込んだ。 

 そのままジンはゆっくりとしゃがみ込み、静かに音もなく片膝をつく。そのまま、する、と先程までの暴力と似使わない優しさでブロンクスの頬を撫でた。目の下の隈を撫で、ジンが行った行為を裏切るような労わる指先の動きだった。
 それに眉を寄せた彼女だったが、直後に、ふ、と体の力を抜いた。疲れたように目を閉じて首を横に倒す。
 それにジンは薄く笑い、そのままバーボンとスコッチを見た。

「失せろ」
「それは、」
「──スコッチ。行きましょう」

 何かを言いかけたスコッチを制止してバーボンは踵を返す。
 恐らく、今のはジンにとって何かしらの譲歩だった。そしてその譲歩を引き出したのはブロンクスだ。
 それをスコッチは理解している筈だが、自身の正義感が彼女を救うべきだと思ったのだろう。
 優しさでもあり、それは弱さだとブロンクスが称した幼馴染のそれは、今は発揮されるべきところではない。

 この組織にいる時点で、いくら自分が助けたくても救えなかった命など幾らでもある。
 見て見ぬふりはしなければならないのだ。

 スコッチがちらりと視線を向けると、困ったようにブロンクスがこちらを見ていた。

 ごめん。

 音もなくそう呟かれて顔をしかめる。それを見て取ったジンの舌打ちに、バーボンが急くようにスコッチの腕を掴んで部屋から引きずり出した。
 扉が閉まる寸前、ソファーに座りながらブロンクスを眺めるジンと、それを寝たまま見上げる彼女の姿があった。







 最初に見えたのは白い天井で、次に鼻についたのは消毒薬の匂いだった。
 ぐるりと見渡して、ああ、病院かと理解する。
 横にいたらしい黒の男の顔を見て、変に安堵を覚えた。

「じん」
「起きたか」

 掠れた声に思わず喉を押さえる。それに彼は、く、と喉で嗤った。
 そのままゆっくりと体を起こすのと同時に、差し出される開封されていないペットボトルを受け取ったが、重たい。
 指が震えるだけでキャップすら開けられない女に溜息を付いて、ジンが一度彼女からペットボトルを取り返すと蓋を開けた。
 握りこぶしの中、パキ、と開封される音がして、そのまま渡される。
 緩くなった蓋を開けて水を一口飲むと、そのままジンに目線を映した。水を飲み、自分を見つめたブロンクスに、ジンは促すように視線を上げる。

「痛いんだけど」
「今は痛くねぇだろ。鎮痛剤が効いてるはずだ」
「でも痛いんだけど」
「そりゃあ悪かったな」

 嘲笑混じりに吐き捨てられる。ペットボトルの中身を見ながら、ブロンクスはぽつりと呟いた。

「どうして私を殺さなかったの」

 NOCでなかったにしろ疑いのあった人間を逃がすという事は、本当に彼らが裏切り者だった時に行う可能性があったという事だ。
 NOC退治が終わった今、組織が目をつけるのはそれを逃亡の補助をしたものだ。
 スコッチと言うネームドの幹部を逃がしはしなかったものの黙秘、そして監視カメラの映像を改竄するという真似をしたブロンクスを組織として見逃すわけがないのだ。

「理解していることをわざわざ聞くな」

 ジンが殺すはずがないと思ったのは事実だった。
 だがそれでも撃たれるのならばジンが良かったし、ジンだからこそただ従順に撃たれることを受け入れた。

 そして受け入れた自分が、全てを理解しているのを、ジンは見越して自分を撃った。
 ジンが裏切り者の可能性があったものを逃がした幹部ブロンクスを撃った、という事実さえあれば組織は一度対処したということにするだろう。
 撃つ場所はどこであれ、自分を撃ったという事実が大事だった。
 ジンが対処しなければ恐らくジンではなく、他の誰かが対処しただろう。そうなった場合、ブロンクスは殺されたかもしれない。
 だからこそブロンクスの目付けだったジンが対処することが、自分たちにとって最善だった。

「……何膨れてやがる」
「ジンに守られたっていうのが腹立つ」

 人の診療ベッドの机で、銃器の解体整備しているジン。そのすまし顔に更にブロンクスは唇を尖らせる。
 笑うだけで否定はしない。だが認めもしないだろう。
 この男はそういう男だ。

 ジンは自分を撃つとき、一瞬目を走らせた。それは多分撃つ場所を選んだからだ。
 何より、臓器を避け太い血管をさけて撃つなんて芸当はジンでなければ出来ない。

 だがこの男に言ってやらないといけないことはまだあるのだ。
 多分裏切り者に関与する、ということはジンにとってさほど大きなことではなかった。ブロンクスが関与した以上は対処するだろうが、元々それは予想していた筈だ。
 この男が非道なことなどとうに知っている。

「ジン。私は、逃げたりなんかしないよ」

 それに一度瞬きした。銃の乾いた音だけが鳴り響く。黙々と行われる整備をぼんやりと眺めながらブロンクスは言葉を紡いだ。

「ジンが私を撃つなら、私はそれを受け入れるし、私を引き上げたあなたを嫌いになることなどないよ」
「シェリーと姉がいるからか」
「理解してることをわざわざ聞かないで」

 意趣返しに近いやり取りに、ジンは一度目を閉じる。

「お前は、」

 視線を上げ、ブロンクスの顔を見て、ジンは呆れたように息を吐いた。

「お前は、お前の片割れと違って物分かりがいい」

 溜め息混じりに告げられた言葉に、ブロンクスは薄く微笑む。どこか遠い微笑に腹が立ったのか、ジンがその側頭部を弾の入った銃の先で小突いた。

「ブロンクス。てめぇがいる場所はここだ」

 かしゃん、と組み直された銃が乾いた音を立てた。一度手に持った愛器に目を移し、そのまま滑るようにこちらを見た。宝石のような煌めきを放つ、その瞳で。

「ここでしか生きられない。お前がいるべき場所は日向じゃない」

 ブロンクスは何も言わなかった。ただそれを受け止め、瞳を伏せる。
 それが答えだった。

「陽だまりはお前には似合わない」

 銃の鈍い輝きが、ブロンクスの網膜を灼く。

「逃げれば撃ち抜く。いいな」

 こちらを見つめる翠緑の虹彩。
 その薄い氷のような繊細な色が、ブロンクスには途方もなく美しく見えた。
 眩し気にジンの瞳を一度眺めてから、ブロンクスは口の端を自嘲気味に吊り上げる。

「──言われなくても、わかってるよ」

 銃口を掴んで顔の脇からどかす。大人しくどかされた先で、ジンが何かを言う前にブロンクスはジンを見た。

「でも、許してない」

 きゅ、と片方の眉を器用に吊り上げて見せたジンに、ブロンクスは鈍い腹の痛みと共に吐き捨てた。

「何が」
「一発目、わざと外したこと」

 それにジンが、ふ、と唇を吊り上げる。余りにも白々しい笑みに、忌々しさを隠しきれず、ぼす、と腕を殴る。ジンの腕にもダメージは無いし、こちらにもない。それでも何度かぼす、ぼす、と殴れば今度こそ耐え切れなかったのだろう。喉の奥から吐き出すように低い笑いを零し肩を揺らした。

「ほんとに、痛かったんだから」

 痛みを覚悟したブロンクスの一発目は、その彼女を嘲笑うかのように調度品であった花瓶に向かった。
 音がしてそれでも自分の体に痛みが無いことに気付いて気が緩んだ瞬間、狙いすましたように脇腹を撃たれた。

 この男があの至近距離で外すわけがない。どう考えてもわざとだった。
 受け入れたことに対する躾か。それとも言い訳をしなかったことか。もしくはそれ以外か。
 ただジンに撃たれることを受け入れたことに対して、目の前の男がある程度怒りの溜飲が下げたのを知っている。
 ジンに撃たれることを受け入れ、それに抗うことをしなかった彼女に対して、ジンはあのとき既に怒りを鎮静化させていた。

 それでもそのようなずらした射撃を行ったのは、彼の加虐的な思考回路によるものだろう。基本的に彼は弱った獲物を嬲るような真似はしないが、気に入ったものなら別だ。
 胸、もしくは頭を一発。そんな男がわざと初弾を外し、脇腹を撃つ。
 付き合いも長いし、基本的にブロンクスが撃たれるようなことはない。
 あるかないかだからこそ、次にこんな機会はないと思い、こんなことをしたのだろう。

「サド野郎。くそ野郎。鳥のフン、帽子に落ちちゃえ。ふんだ」

 子供じみたことを言っていても、散々不満があったとしてもジンのお陰で助かったのは、確かに事実であることを、ブロンクスは理解していた。


2022.06.17