百代の過客

6


 弾かれるように机上に置かれていた端末を取った。それと同じように自分のポケットに自分専用の物が入っていることも確認する。
 そのまま慌ててどちらもポケットに突っ込んで、ジンの横を通り過ぎてドアノブを掴み。


 ドアノブにかけた手の上に、黒い手袋に覆われた指先が重なった。


「──何してる。お前は外出禁止だ」

 耳に触れる低い声に、眼を見開いた。咄嗟にドアノブから引きかけた手を、黒い手袋をつけた掌が、やんわりと上から覆うようにして手に重ねられる。覆う、ではなく実際は上から抑えつけるようなものだ。緩く力が籠められる。
 たいした力ではないのだろうが、事務職のブロンクスに引き剥がせるわけもなく、手は動かせない。そればかりか長躯が覆いかぶさっているように背後に立っているせいか身動きすら取りにくい。
咄嗟に引き抜こうとしたが、ぐ、と手の付け根で体重を軽くかけられるだけで動けなくなる。

 身体能力の差は歴然で、ブロンクスに後出来ることといえば、睨みつけることだけだ。
 至近距離で、ギ、と睨み上げればその表情に、目の前の男は瞳を細めた。

「……離して」

 声だけで誰だかわかるぐらいには、付き合いが長かった。ぐ、と肩に力を入れて背後の存在を押し退けて首だけで振り向くと、こちらを見下ろすジンと目が合う。
 つまらなさげに緩く首を傾げてこちらを見るジンの奥で、蛍光灯がぼんやりとした光を放っていた。

「どこに行く気だ」
「……スコッチのところ」

 絞り出したような自分の声は、思った以上に緊迫感を纏っている。
 どうしてこのような状況に陥っているのか、どうして自分の動きが封じられて目の前のこの男の纏う空気がこんなにも不穏なのか、何もわからなかった。
 ブロンクスの返答は予期したものだったのだろう。つまらない表情を変えることも隠すこともせず、ジンは黙ってブロンクスを見下ろす。

 上背のあるジンを見るには、首を上げなければならない。それにこんなにも至近距離では大分首を上げなければならなかった。
 互いの鼓動が聞こえるのではないかといわんばかりの距離だが、両者の間に男女の甘さは無い。

「自分の役割を超えて動こうとするな。お前の居場所はここだ」

 確かにそうだ。
 ジンの言葉は間違ってはいない。ブロンクスの幹部としての立ち位置も自分で培ったものとは言え、戦闘員ではなく事務員だ。
 出来ることといえば限られてくるだろう。それでも。

「あいつはNOCだ。お前、組織を裏切りつもりか」

 煌々と光る濃緑の瞳が、ブロンクスを映し込む。
 刃物のようにひやりとするものが潜む声に、軽く肩を動かした。
 ジンは基本的にブロンクスに敵意を持たない。それはつまりブロンクスを警戒していないということだ。こちらの存在を脅威と思っておらず、侮っている。

 だが今は違った。
 害そうという意識があった。気を抜けば突き刺すような、そんな尖ったものが声に含まれていた。

「スコッチはNOCじゃない。どいて」

 嘘だ。もう既に調べてある。スコッチも、バーボンも、ライも。
 全員NOCだった。だからこそ止めなければならない。
 彼らは全員味方なのだ。ジンはライを向かわせたといった。ならば起こるのは味方同士による分裂だ。

「何故言い切れる」
「スコッチはNOCの情報が集まってなかった。そんな粗の目立つもので、幹部を一人みすみす殺せない」
「何故そこまでスコッチの肩を持つ?」

 射抜く瞳から目を逸らす。その理由を言い表す言葉が見つからない。
 だがそれでも助けたいと救いたいと思ったのだ。

「私の周りで死んでほしくない」

 自分でそう呟いたとき、そうだ、と自分でも強く思う。
 家族と比べてしまえば彼らの存在は無きに等しい。だけれどそれが関係ないのなら、自分にとって彼らは大事な存在なのだ。
 
 その瞬間ジンの眉が、ぐ、と寄った。到底理解できないものを示すようなその表情の表れにブロンクスは苦笑する。
 自分自身でも今の今までその気持ちを理解していなかったのだから、ジンにだって理解できるわけがない。

「だからどいて。それに“疑い”でしょ。まだ晴らせるよ」
「お前、今、自分が何しようとしているのかわかっているのか」

 ここまでジンが食い下がるのは珍しい。というよりもジンに自分が噛みつく方が珍しいのかもしれない。

「私の責任の処理をするのはいつだってジンだよ。私を罰するのもあなただけ。ジンにしかそれは出来ないんだよ」

 だからお願い。

 そう呟いた言葉はしっかりと届いていたらしい。
しばし黙っていたジンは、ドアノブを掴むこちらの手を抑えつけるように絡んでいた指先をゆっくりと離した。
 それが彼なりの許可だと理解したブロンクスは踵を返す。ドアを開けてそのまま飛び出ていくように走り去ったブロンクスの開けた弾みで取り込まれた空気が、ジンの服や髪を揺らした。

「本当に救えない馬鹿だな」

 呆れたように言葉を落としたジンは、そのまま背を向けた。





 駆け出しながら、重たく揺れる動きのポケットから携帯端末を取り出す。それと同じように

 そのまま携帯を操作する。幹部には特定の端末が与えられている。それを使わなければ開けられないデータなどがあるためだ。
 組織の機械以外で端末を開けばデータ消えるように仕組まれているものもある。ナイトバロンというらしいが、それにはブロンクスは関与していないため詳しいことはあまり知らない。
 ともかく幹部全員に特定の携帯が支給されているのは確かで、スコッチがそれを今持っているかはわからないが一か八かで逆探知してみるしかない。

 タクシーを電話で呼ぶ傍ら、もう片手で操作する。使い慣れないため手間取ったが、スコッチの移動中の文字。点滅する移動を示す点、そしてその近くに。

「ライ……と、バーボン?」

 全員が近くにいる。間に合えば今までで一番好機だ。ただ間に合わなかった場合が地獄の始まりでもある。
 居場所の割れたスコッチが逃げているのか、それを追う二人の同僚。
 居場所がわかったのはいいが、走っていくわけにもいかない。ブロンクスの送迎は基本的にジンだし、今の今で送ってと言える訳が無い。

 せわしなくうろうろ外を彷徨い、思った以上に近くにいたタクシーに飛び込むように入り込む。
 口頭で携帯の地図上に示された場所を伝えれば、こちらの切羽詰まった様子を理解してくれたのかタクシーが急発進する。

 右に曲がってくださいだの、左でお願いしますだの散々運転手を振り回しながらスコッチやライに近づく。
 GPSの点が示す移動速度からして、彼らが車を使っていないのが幸いだった。
 もはや身を乗り出しつつ外の暗闇に目を走らせる。この近くの筈だ。
 というか、この場所を恐らく通るはずで。

「見、つけたァ!」

 叫んだ自分に運転手がびくりと肩を震わせた。

「降ります! 降ろして降ろして!」

 タクシーが急停止し、ガチ、とドアのロックが外れる音がする。ガチガチとせわしなくドアを動かす。迷惑な客だなと冷静な頭の一部がそう笑った。

「ちょ、お客さん!」
「待って! 払うからそこにいて!」

 そのままドアを開け放ちブロンクスは転がり出るようにタクシーから飛び出た。
 尋常ではない速度で走る男。見慣れたその姿の前に、ブロンクスは飛び出す。飛び出して来た対象に咄嗟に身構えたその動きは、手慣れていて流石としか言いようがない。

「スコッチ!」
「ッ!……あ、はぁっ!?」

 ば、と両手を広げて進路妨害した自分にスコッチは目を瞬く。数瞬動揺が走った男の指先が迷ったように自分の服の内側に動いたのをブロンクスは見た。
 それでも構わず直後に後ろから猛然と聞こえた足音にスコッチの後ろへと飛び出し、庇うように同じく両手を広げる。

「止まって! ライ!」
「ブロンクス! ……何故、君が」
「詳しい話はあと! 大丈夫、もう一人来るから」

 と、と……と軽やかな音を立てて足を止めたライの後ろから直後「スコッチー!」と声が聞こえる。
 自分はわかっていたが、その後ろにいたスコッチはわかっていなかったらしい。
 ぎょっと後ろで更に驚く気配がした。
 最初握り拳ほどの大きさだった男が徐々にその姿を現してくる。

 早い怖い早い。
 わかっていたこととはいえ、凄い速度だ。ブロンクスはもとより、同僚であったスコッチですらその勢いにわずかに腰が引けていた。

「スコッチ!」
「バーボン!? 何故お前までここに!」
「あんなメール寄越されてみろ! 来るに決まってる! ブロンクス!? 何故あなたが!? ライ! いったいこれはどういうことです!?」
「せわしない……」
「誰のせいだと!」

 肩で息しながら眦を吊り上げて怒り狂うバーボンが、あらゆるものに怒り狂いながらスコッチへとずんずん歩み寄る。
 そのまま胸倉を掴み上げて怒鳴るバーボンに、ライは頭痛を堪えるような顔をした。

 猛然と眦を吊り上げて走ってきたバーボンが、ひとまず全員に怒鳴り散らした後、はたと動きを止め、次いで困惑したように目を動かした。

「これは一体どういうことですか……?」
「落ち着いたようで何より。とりあえず説明するから」
「ブロンクス、そういえば何故あなたも」
「だからその話もあとなんだって。後なんだけど、」

 ちょい、とブロンクスが先程から所在なさげに止まっているタクシーを指さした。
 眉が困ったように八の字を書いた。

「ごめん。後でお金払うから、そこのタクシーのお金払ってくれない……?」

 財布が無くて。
 そう言えば、全員が一気に脱力したような空気になった。





「とりあえず全部説明するから、場所を移したいんだよね」

 そう言えば全員賛同を得られたようで、じゃあ近場を紹介しますよとバーボンが案内したのはよくわからない雑居ビルだった。もとは組織が管理していたようだが、今は無人だったようだ。バーボンの流れるような足技で鍵を壊し、そのまま中に侵入する。

「ふ、不法侵入だ……」
「あなた組織にいてそれ以上のことしてるのに、こんなものでびっくりしてるんですか?」
「それはそうなんだけど、不法侵入は褒められることじゃないよ……」

 呆れたような言葉に、む、と膨れる。それにスコッチが困ったように笑って、自分の背中を叩いた。
 奥の見えない闇を、バーボンとライが躊躇なく進んでいく。その闇に躊躇しておお……と呟くと後ろからスコッチが優しく先を促すように押してくれた。

「にしても、君はわりと猪突猛進的な人間なんだな」
「そうかも。ジンを振り払って出てきたから」

 困ったように呟いたスコッチに返した言葉でぎょっと全員がこちらを見るが、当のブロンクスは困ったようにひらひら掌を振って彼らの歩みを進めさせる。
 暗い廊下をスマホの明かりだけで歩いて、辿り着いたのはどこかの部屋だった。
 埃っぽくはない。比較的この会社が動かなくなってから、そんなに時間は経っていないらしかった。

 恐らく事務方の仕事をしていたのだろう。沢山並んだデスクから付属の丸椅子をバーボンが人数分引きずり出す。四つ並べて、それでも窓に近いところで全員椅子に座った。

「何かあればあなたは隠れてください。僕らが応戦します」
「いや、多分ね。大丈夫だとは思うんだけど。それ含めて説明するから」

 とは言ったものの、ブロンクスは困ったように視線を天井へ逃した。そのまま三人分の視線を受けながらしばし天井を見ていたが、言いたいことが見つからなかったのかバーボンを見る。

「とりあえずどこから説明したらいいかな。どうするバーボン」
「何故僕に話を振るんです?」
「いや、話すことが多すぎて何から話していいかわからない」

 全員がまた微妙な顔をする。
 先程から気を引き締めるたびに、ブロンクスに気が抜かれるということばかりを繰り返している。

「まぁいいや。とりあえず話していくから気になったところがあったら質問して。それが一番いいかも」
「あなたがそういうなら、それでいいですけど」
「了解。まず全員盗聴の心配はない?」
「恐らくは」

 三人がごそごそと慣れた手つきで自分たちの体を探り、最終確認を行う傍ら、あ、と思い至る。

「あ、ちょっと待って。私があるかも」

 そう言いながらちょいちょいと端末を弄り始めたブロンクスに、また全員が何とも言えぬ曖昧な顔をする。そんな全員を無視して、彼女は自分の端末を弄った後に、しばらく操作して、うん、とブロンクスは頷いた。

「大丈夫だと思うわ。これに関しては私プロだし。いや、待って。服についてるかも。ジンと接触したんだよね。ちょっと見てくれない?」

 くる、と丸椅子を回転させて背中を無防備に見せるブロンクスに、バーボンが溜息を付いて近寄った。そのまま襟元やら首筋やらを叩いたり覗かれたりする。
 そのまま「正面」といわれくるりとまた丸椅子を回転させると、正面も同じように確認された。

「全員大丈夫そう? 見ようか?」
「あ、いや大丈夫……だ」

 だよな、といわんばかりに困ったようにスコッチがライとバーボンの顔を見る。それに二人が頷いた。

「じゃあ、本題ね」

 全員がブロンクスを見る。その視線に怖気づくことなく、そのままとびっきりの爆弾を投下した。

「まずね。ここにいる私を除いた全員がNOCだってことを私は知ってるよ」

 束の間の沈黙、直後にブロンクスを除いた全員が一瞬で顔つきを変えた。
 警戒するような、今までの緊張を吹き飛ばすような、重たく昏い瞳へと。
 一斉に張り詰めた雰囲気へと転じた室内にブロンクスは困ったように笑う。一番最初の前提の話し方から失敗したかもしれないな、と思いながらブロンクスは困ったように姿勢を変えた。その些細な動きにすらスコッチが過敏に反応して肩を揺らした。

「何を、言い出しているんですか?」

 侮蔑を込めたような、バーボンの瞳にスコッチも頷く。まるでそう思われたことが心外だという言葉の音だった。

 小奇麗な顔が、美しい微笑を描く。
 少し首を傾け、口元に笑みを刷いた。
 意図して口角をあげたような、双眸は冷えたままの。そしてそれを相手にわからせるような。

 紺碧の瞳が笑う。初めて見るバーボンとしての瞳だった。
 誰にも本心を読ませない、人心掌握にたけたその笑み。

 ブロンクスの一挙手一投足に警戒し動揺するほど、彼女の今の言葉は彼らに重たい。自分がそれほどの爆弾を投下したとわかっているのかわかっていないのか、ブロンクスは困ったようにどこか感心したような、曖昧な笑顔を浮かべているだけだ。
 バーボンに至っては膝の上に置かれた指先が、先程から何かを探すように人差し指の第一関節が折れたり伸びたりしていた。まるで銃の引き金を引くような動作だった。

「とりあえず話を続けるね。多分あなたたち全員の場所を知ってる。ジンはあなたたちがNOCだと思っててそれを確認しろって言われてたからね。それで私は調べたら、ドンピシャだったってわけ」

 そのままバーボン、スコッチを見る。その視線に対して、スコッチがゆるりと目を細めた。いつもふわふわと笑っていた男のその顔は、今や組織の幹部に恥じないものだ。
 スコッチを含め彼らの鍛えられた体は、今ここで容易くブロンクスを制圧できるだろう。
 それをしないのは彼女自身の希少性と、その後ろ、彼女の後見人とも言える男のせいだ。

「あなたたちは公安だよね」

 そして同じようにこちらをじっと見つめるライを。

「あなたはFBI」

 断言するかのように告げたブロンクスに、バーボンとスコッチがちらりとライを見た。だがライの表情は変わることも、自分の顔を見た二人に視線を合わせることもなく自分の真意を探るようにじっとブロンクスの顔を見ている。
 バーボンが、ハッ、と嘲るように笑った。

「それが、事実だとしてじゃあ何故あなたはその情報を上にあげないんです? そうすれば、」
「馬鹿じゃないの、動揺もわかるけどいつもみたく頭を回して。私が組織に忠誠なんか誓ってると思ってるの? 第一私これでも組織のネームドだよ。功績ならこれ以上上げなくたって、息吸ってプログラム弄りまわしてるだけで勝手に上がってくの」

 ほんの一瞬、ブロンクスが見せた冷めた笑いは、誰かに似ていた。
 それに思い至ってライは目をほんの一瞬伏せる。
 姉妹を、彼だけが良く知っていた。

 だが、そんなライとは裏腹にバーボンは警戒するように黙り込んでいる。
 じっとこちらを探る瞳に、ブロンクスは一度目を閉じる。
 警戒するのは当たり前だ。彼らの潜入には命がかかってる。それを信用ならない同じネームドに知られている。これが他の名前をもらっていない構成員であれば話は違っただろう。だが、ブロンクスは腐ってもネームド。それもジン、ラムとの繋がりも確認されるほどの存在である。
 必死で考えているのだろう。頭を回し、現状をどう打開しようか考えているに違いない。

 だけれど同じように自分も信用してもらわねばならなかった。この機会は二度と訪れない。この三人が揃って、かつ盗聴の心配がない今だからこそ出来た話だ。

「あなたたちがNOCだということを知ってるのは私だけ。ジンを含めそれ以外誰も知らないよ」

 ここで彼らの弁を待つだけ時間の無駄だろう。警戒した彼らの言葉を待ったところで意味はない。
 ブロンクスが疲れたように目を閉じる。その下には色濃く隈が残っていた。

「スコッチにライをつけたのは恐らくジンの当てつけだろうね。ジンはNOCだって疑ってやまないから、潰し合いがさせたかったんだと思う」
「……妄言の類もいい加減にしてもらいたいですね」

 苛立ったように告げたバーボンにブロンクスは溜息を付く。
 それに露骨に顔をしかめるが、気にせずブロンクスは続ける。

「ここにいる全員に対して、私は害するつもりもないよ」
「僕らがそんなことを言われて信じるとでも? 現に今、僕らはあらぬ疑いをかけられている」

 皮肉交じりの言葉に、ブロンクスは黙って笑みを湛えることで応えた。
 いくら姿かたちが美しかろうが、彼らは黒の組織の幹部にいる。黒の組織に身を置くNOCであることを知っている上で彼らの所属先を他の幹部に告げるようなことはしないが、それを彼らが理解できるはずもない。
 さらりと何気ないことを告げるかのように自分たちの所属先を明かされて、ポーカーフェイスを保っているもの今彼らは頭の中を働かせ続けている筈だ。

 彼らにとって所属先がバレるということは、その死を意味する。
 黒の組織は裏切者に対して、加減などしない。そしてその実働部隊はジンが主立って動くものだ。自分の後ろにいる彼の存在を、彼らは無視できるわけがない。
 今頃ブロンクスの姿は、彼の手先に見えていることだろう。

「……わかった。それで?」

 それを切り裂いたのは、スコッチの言葉だった。
 拮抗するような、平行線の状態を、このきっかけを作り出すに至った人物が打ち壊す。
 バーボンが、ぎょっと目を剥いた。

「スコッチ、どういう、」
「彼女の妄言だ。けど、聞く価値のある妄言じゃないか? 滅多に外出許可も取れないような幹部が、ジンを振り払って無理矢理飛び出てきたんだ。それだけで十分だろ」

 信じられないと、顔にありありと書きながらバーボンが横にいたスコッチを見る。

「そうだな。確かに、その点で考慮すべきだ」
「ライまで」
「それにブロンクスとは個人的に繋がりがある。それに彼女が黙っていた理由も予想がつく。信用しない訳が無い」

 スコッチに続いてライまで認めるに至った。バーボンはまだ悩んでいたようだが、スコッチの顔を尻目で一瞥し、深々と溜息を吐いた。

「……お前は甘い」
「ごめんな」

 呆れたように心底溜め息をついたバーボンに、スコッチが苦笑交じりに応じる。
 ぎ、と古い椅子に背を預け、バーボンが厳しい瞳でブロンクスを見た。

「僕は未だに心外ですが、あなたの妄言だと仮定して話を進めますが、いいですか?」
「まぁいいよ。話が進むなら」

 それに、ぎろりとバーボンがブロンクスを睨むが彼女は飄々と肩を竦めただけだった。
 明確に脅してはないにしろ、撤回する素振りを見せない。
 仕方がないとバーボンは話を進めることにした。

「質問があります。あなたはジンに僕らのことを告げていないと言いました。それを証明することは出来ますか」
「あなたたちが死んでないことが、私の証明」
「ふざけた回答ですね……それもまた事実の一つでしょうけれど」

 薄く唇の端を吊り上げて笑う。意図して作り上げられた表情とは裏腹に、その声音は脱力していた。

「他には?」
「……あなたの携帯の操作が録音かそうではないかだけ」

 ブロンクスはそれに肩を竦めると先程触っていた端末二つをバーボンに無言で向ける。それを受け取ったバーボンがなにやら操作を始めるのを尻目に見ながら、ブロンクスは話を続けた。

「これまで通りあなたたちを裏切るつもりはないよ。何ならこれからも出来る限り守る」

 その言葉はやけに室内に響いた。バーボンも、スコッチも、ライも。
 全員一度目を瞬かせる。発言したブロンクスでさえ、口を抑えて眉を下げた。
 声が大きかったわけではなかったが、それでもその言葉はどこか実感のこもったもので部屋にふわんと広がった。

「それでここまでして、あなたがしたかったことは?」
「いいね。本題に入ってきてる。正解は下心だね。多分こうして集まる機会はもう二度と来ないだろうし、ここで全部言う」
「下心……?」

 ブロンクスは笑う。だけれどそれはすぐさま真剣なものに取って代わった。
 全員がそれに表情を改め、彼女の話を聞く姿勢になる。

「あなた達三人に何としてでもお願いしたいの。多分こうして腹を割って話す機会は二度とこないだろうし、こうして四人揃う機会もないと思う。だからこれから全員揃っての意思の疎通は図れないから先に言っておく」
「……それはどういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。多分、今回の件で色々と厳しくなることは確かだから。あなたたちよりも私の方が、多分警戒されるから」

 スコッチは当分ブロンクスから離される。そしてブロンクスもまたジンからの監視は強くなるだろう。
 ブロンクスは『厳しさ』を身をもって知っている。けれど、その覚悟があってここにいた。

「他にも何か交換条件を付けてもいい。私が出来ることなら、可能な限り取り計らってみるよ。あとは、そうだな。貴方たちがNOCであることを黙っていることを条件に、とかでもいい」
「それ、条件とかいうよりも脅迫に近いけどな」
「それで? 君がそこまでしてでも出したい条件とはなんだ」

 ライがかすかに笑いを含めて茶化せば、スコッチが引き継ぐ。
 バーボンは薄く笑っているものの、雰囲気は尖っていた。

「私たち家族を守ってほしい。宮野明美、シェリー、つまりは宮野志保を。何としてでもこの組織から救いたいの」

 ブロンクスの望みはただそれだけだ。
 ただそれだけを願っている。

 自分の希望はおおよそ予想がついていたのだろう。彼らの表情に変化はない。

「姉さんの方は、ライに任せたいと思ってる。だから必然的に、バーボンとスコッチはシェリーの方になると思うんだけど」
「そうだな」

 にべもなく頷いたライにブロンクスも同じように小さく頷く。
 互いの分かり合ったような動作に、バーボンが縦皺をくっきり眉間に刻んだ。

「そういえばあなたさっき『個人的な繋がりがある』とか言ってましたよね。あなたたち二人はどういう繋がりが?」

 そう言えば言っていなかったな、とライが小さく呟いた。

「ブロンクスの姉と付き合っている。彼女とはいわば家族ぐるみの付き合いだ」
「、はぁああああああ!?」

 驚くスコッチの横で、一拍遅れて状況を理解したバーボンのけたたましい声が鳴り響いた。唖然とした様子のスコッチはライを見て、口をぱかりと開けたままだ。震えたバーボンが、ばっ、と髪を派手に揺らしてこちらを見てくるのにブロンクスは諦めたように肩を竦める。
 それに事実だと理解したバーボンもスコッチもなんとも言い難い顔をする。

「わかるよ。姉さんにこの男と付き合うことになったって言われたときに、どうしていいかわからなかったから」
「人様の交際相手について口出したくはありませんが、どうにも……」
「お姉さまが騙されている可能性については?」
「散々な反応だな」

 心外だ、といわんばかりに眉を上げる男に、全員が据わった瞳を向ける。
 だが大っぴらに発言しないのは得策だ。姉さんを危険に晒すことが減る。

 ライが女を使って組織に入り込んだことは有名だったが、それが誰かはわかっていなかったらしい。
 ブロンクスとシェリーという非戦闘員の中でも突出して専門性の高い替えのきかない幹部の二人。その姉という存在は、あまりにも大きい。

「とりあえず姉さんはライに任せたいの。出来る? 何としてでも守ってほしい」
「……やってみよう。ただ今すぐは無理だろう」

 歯切れの悪そうな返事に、わかっているというようにブロンクスは頷いた。

「わかってる。共倒れにはなりたくないでしょうから。でも、お願い。姉さんは現状ライにしか任せられない」

 姉はまだ組織とは関わりがない。どこまでも一般人だった。
 非合法の組織に家族を人質に取られている被害者。そしてそれは自分たちもだった。
 シェリーも、ブロンクスも、それぞれ他の家族を人質に取られているに等しい。

「シェリー、志保……志保に関しては多分本当に難しいと思う。あの子、ネームドだし。話す機会もない、っていうか組織が私と距離を取らせてるから」
「会話も出来ないんですか?」
「やろうと思えば会話できるよ。ただ本当に機会は少ないし、絶対に他の人間がつくと思う。それ以外でやるとしたら、向こうの研究室のパソコンをハッキングして、遠隔操作で文字を打ち込む、とか。でもそれをあの子が信用するかしないかに関しては一か八かだし……」

 ううん、と唸る。
 組織はこれに関しては徹底していると言わざる得ない。未だにシェリーにはジンがついていて、彼がいない時には代わりに他の幹部がつく。

「他にもあるけど、私のパソコン自体がまず組織にリアルタイムで録画されてるから。それを誤魔化すのも一苦労だし……」

 ブロンクスが彼女に関して出来ることはほぼない。

「理解はした。出来るかどうかわからないが、今回の件については上と相談して確保に当たりたいと思う。それにこちらにも強い味方がついたみたいな気持ちだ」
「妄言ですからね! 僕たちがNOCだという彼女の妄言の上での話です!」
「その設定まだ続けるんだ」

 余計なことを言ったらしく、バーボンの眉が鋭く持ち上がる。
 それにごめんごめんと謝った。
 勿論理解はしているが、ブロンクス自体も出来ることには制限がある。
 可能な限りアシストすると誓って、細やかな部分の擦り合わせをしていたときのことだった。

 ふと、バーボンが気づいたようにブロンクスを見た。

「そういえばあなた飛び出してきましたが、ジンから何も言われないんですか?」
「言われないよ。大丈夫」

 へら、と笑ったブロンクスに、スコッチが大層嫌そうな顔をした。
 強く眉を寄せて、不快さをありありと晒す。

「ブロンクス」

 スコッチの強く輝く青い目にひたと見据えられて、ブロンクスは「あー」と声を上げる。
 澄んだ青い瞳は、バーボンほど色は強くもない。常ならば深い聡明さと悪戯げな色が同居する眼差しは、今この時ばかりはこちらの嘘を憤る色が宿っていた。

「わかっちゃった?」

 そう困ったように聞いたブロンクスにスコッチは更に顔を険しくさせる。
 いつも柔らかく笑う男が不快さを出せば、ここまでプレッシャーを与えるのかとぼんやり思った。
 こちらの反応を待っている男に、いつもならば煙を巻くブロンクスもさすがにやんわりと話を流すことは難しいと悟る。

「多分、処罰の対象には、なる……と思う」

 それにバーボンが顔を跳ね上げた。困惑がありありと浮かんだ顔に、ブロンクスは眉を下げる。ライでさえ、目を細めた。

「処罰の対象って」
「一応スコッチがNOCだという前提で組織が動いた。その流れに逆らったからね。物事の摂理だよ」

 けろっとした顔でそういったブロンクスに、バーボンは言葉を失う。
 スコッチが苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、顔に嵌め込まれた瞳の色だけが鈍く光っていた。
 不機嫌だと理解していたが、それが怒りを起因としたものだと遅れて知る。

「それあなたどうなるんですか?」
「例えば……犯罪者を庇った人間がどうなるかわかるでしょ。それだけで犯罪なんだよ」

 犯人蔵匿罪とか、証拠隠滅罪とか、犯人隠避罪とか。
 指を折りながら、一つ一つ数えるように告げたブロンクスに、不快そうにバーボンが眉を顰めた。

「NOCの疑いがある人間を庇ったんだから、それだけの処罰はあるよ。まぁ殺されはしないから大丈夫。組織にとって私を殺すのはちょっと損失が大きいと思うし」

 今までコツコツ仕事してきた成果が出たね、と笑う。
 だけれど茶化すような空気ではなく、それは空回りした。

「どういう処罰が?」
「わからないけど、私の行動責任はすべてジンの管轄だから。あの男がしたいように私を裁くよ。まぁ、何しようと別に」

 ブロンクスのその声は、どこか奇妙だった。
 遠くの出来事を見ているような、おかしな響きを持っていた。今からそれが自分に降りかかってくるのに、危機感が無いというか、どこか違う世界を見ているような変な実感の薄い言葉。
 それをバーボンもライも感じ取ったのだろう、彼らも同じように不可解そうな顔をする。

「……悪い」

 掠れた、どこか悲痛な謝罪だった。
 そうスコッチに謝られ、首を傾げる。

「スコッチには謝ってもらってばかりだね」
「……悪い」
「別に謝られるようなことじゃないよ。今回は、私が悪いよ。確かにNOC疑惑の幹部を庇ったのは事実だけど、それでも私がやらないといけないと思ってやったことだから」

 スコッチが顔を上げる。その困ったように眉根に寄った顔に、ブロンクスが薄く笑いかければ目を揺らして下を向く。
 組織で生きるには優しすぎる。優秀かもしれないが、この場所でそれは欠点だ。付け込まれる以外の隙でしかない。
 スコッチの発言は全て常識的で気遣いがあり、不用意に人を傷つけないように柔らかいものだ。
 今のは確実に自分が悪かった。

「生きててよかったね、スコッチ」
「は、」
「死ぬ気だったでしょ。わかるよ、そういうの」

 味方を犠牲にするならば、自分を殺すような強さがある。
 それは他の世界で言えば、美徳だろう。美しい自己犠牲だ。
 だけれど、それはこの組織の中では弱点でしかない。それはスコッチの弱みであり、脆さとなりえるものだった。
 スコッチというネームドになるまでひたすら功績を積み上げ続けた男が、どれだけ自分を擦り減らしてきたかブロンクスは知る由もない。

「だからバーボンも怒ったんだよ。残された方は、つらいよ」

 失う辛さは知っている。そして失った辛さを、その戻ってこない過去の美しさも。
 振り返る過去を持つものならば、誰でもわかることだ。決して戻らない記憶の残酷なまでの美しさ。苦しかったこと、悲しかったこと。それさえも時には美しく返り咲く。
 過去のものになった記憶は、誰にも侵されることはない。他人の手出しを拒む、それを後生大事に抱えて動けなくなることだってある。

 自分は、そんな記憶をずっと胸の奥に持っている。
 私に全てを与えた人と。この世界での両親の姿を。
 だからこそ、今回は失いたくは無かった。

「命があるならいいの。話す機会はいくらでもあるんだから。だけど、命を無くすのは駄目。バーボンを一人にしたら、駄目だよ。私と志保みたいなものなんだから」

 バーボンはスコッチと同じだった。同じ苦しみを分かつ、仲間だった。
 同じ信念をもって、同じ理想を持った人間だった筈だ。ここまで肩を並べて、ある時は競い合って、二人で成し遂げたのだから。
 その片割れを、置いていくことなど、ただの残酷な悲劇に他ならない。

「私も。私も、志保や姉さんが死んだら、どうしていいかわからない」

 だから、わかるよ。そう呟けば、三人とも黙った。
 にしても、アメリカは個人主義だからいいが、ライはよく一人で潜入捜査をしたな、とぼんやり考える。
 ライに視線を移せば、彼は笑みを浮かべて首を傾げた。
 酷く女をたぶらかしそうな顔だ。実際その手の仕事も多かった気がする。
 姉と付き合い続ければ、この男は義兄になる可能性があるのか、とふと考えブロンクスは苦い顔をした。
 ライの顔を見ながら、ふと思い出す。

「ちなみになんだけど」
「はい?」

 しんみりとした空気を壊すように、ブロンクスはライの顔を見ながら笑う。

「貴方たち三人のことをジンが調べろって言ったから調べたんだけど。貴方たちはその前から私はNOCだってわかってたよ」
「それは何故……?」
「あのねぇ、教わったのか何なのか知らないんだけど、下積み時代の頃からあなた達三人ちょっと異質だったの気付いてなかったでしょ」

 思い出しても呆れてしまう。

「私は基本組織の情報を統括してるから、作戦報告書の出来も見るの。私の仕事の一部分ね。あなたたちの作戦報告書、出来過ぎてたのよ」

 普通組織に入ったばかりの時は、初々しい形式そのままの作戦報告書が提出される。しかし彼らは、対象のフルネーム、両親、出世の日付と場所、職業、宗教、人種、性的指向まで書かれていた。これほどのことを書くのは、元々『やっていた』人間だけだ。
 バーボンとスコッチはここまでではなかったが、特に。

「ライ。あなたの作戦報告書、本当にやばかったよ。あの作戦報告書の完成度は基本SISのベテラン情報部員ぐらいしか書かないし」
「それはそれは」

 薄く笑ったライに呆れかえりながらブロンクスは溜息を付く。
 SIS。イギリス秘密情報局。
 一瞬疑ったが、彼の所属がFBIだと知り呆れてしまった。

 本当によくできた報告書だった。マニュアルにしたいぐらいである。
 だけれど同じように手間もかかることは間違いない。
 そう思った直後、メールの受信を知らせる音に、ブロンクスは目を眇める。

 それはバーボンの手元で鳴っていたが、彼は、あ、と驚いた顔をしてブロンクスに端末を渡す。確認作業が終わって返しそびれていた携帯端末の表示画面を見て、彼女は苛立たし気に顔をしかめた。

「ジンからだった。私はもう戻るよ」
「ブロンクス、あのな」

 立ち上がったブロンクスに、スコッチが声をかける。

「助けてくれて、ありがとう」
「……いいってこと。いつも助けられてるのはこっちのほう。ギブアンドテイクだし」

 に、と笑って颯爽と寂れた建物から立ち去ってゆく音を聞きながら、残された三人は顔を見合わせた。

「擦り合わせが必要なようだな」
「そうですね……彼女からもたらされた情報が多すぎる」

 それにライが目を細める。

「君たちは随分と彼女を気にかけているが、何かあるのか」
「純粋に味方だと思ってます。何があっても組織から助けるべき人間かと」

 それに納得したような、してないような曖昧な返事を返しながらライは頷いた。

「彼女がそう望んでなくとも、僕は彼女を助けます」
「……歪んだ正義だな。それが正しいと思ってるのか。いつか足元をすくわれるぞ」

 どこか呆れるようにも感心したようにも聞こえる響きで、ライがしじみじといった言葉ににべもなく返答する。

「正しい、正しくないではない。そうするべきだ。彼女は組織に相応しくない」

 き、とバーボンがらしくなくその碧い瞳を光らせて断言した。犬歯を剥き、吼えるようなそれにスコッチもライも目を瞬かせる。

「あの子は陽だまりにいるべきなんです。家族三人で笑いあうべきだ」

 束の間、その瞳に哀愁がよぎる。遠い記憶を覗いたような。

「バーボン……」

 スコッチが困ったような声を上げた。







「怒ってる?」
「まぁ、機嫌はよくはねぇな」

 ウォッカが運転する車の中でした会話だ。
 歯切れが悪そうな時点で、薄々察していた。
 だけれどジンから、仕事部屋に戻ってこいという短文の連絡と、続けてウォッカからの迎えに行くから場所を送れという連絡を無視することは出来なかった。

 憂鬱な気持ちを抱えて仕事部屋に向かう。
 エレベーター脇の警備に会釈する。
 しんとした空気の、一本道の廊下。その突き当たりがブロンクスの部屋だった。
 開ければ暗い部屋に、おや、と思う。

 だけれど、電気をつけた瞬間、ブロンクスは一瞬息を呑んだ。
 悲鳴を上げそうになったほどだった。

 電気をつけなければ真っ暗なそこに、同じように黒い男が佇んでいたからだ。
 長い足を組んで、電気をつけたブロンクスへとゆるりと視線を上げたのを契機に、ブロンクスは察せざるを得なかった。
 これは、これから起こる嵐の前触れだ。

「ジン」

 ホラー映画も真っ青なその光景に、その男の名前を呼ぶ。

「ああ」

 それに応えるようにたった一言呟きを落とす。ゆったりと男は重い腰を上げるように立ち上がった。獣が身を起こすような、奇妙な静けさと恐ろしさが滞在していた。
 その片手に握られたベレッタM1934がどろりと鈍い光を放っていた。

「遅かったな」

 照明が光を落とし、帽子が彩る陰影の中。
 暗く染まった黒づくめの男の顔の中で、その濃い緑の瞳は瞬きもせずにこちらを見つめていた。責めるような言葉の筈なのに、揺らぎも、咎めるような強さもなかった。
 ただ事実を零したような、テレビ越しに起きた事件を片手間で見ているような。
 乾燥した響きで、そう告げられた。

 責められた方が良かった。否が応でも理解する。
 声音はどこまでも静かで、冷淡だった。
 だがそんな声とは裏腹に、瞳は言葉の意味通り苛烈に染まっていた。
 射抜くように真っ直ぐこちらを見つめる瞳は、燃えるような仄暗い炎を飼っていた。
 激しく燃える、鬼火じみたそれを顔を引きつらせ、それでもブロンクスは。

 受け止めるように、目を伏せた。

「そうか」

 受け止めたブロンクスに驚くことなく、ジンは笑う。
 薄く口の端に笑みを乗せて、そのまま片手をゆるりと持ち上げる。
 乾いた音を立てて、暗い穴が自分に向く。

「躾が、足りなかったようだな」

 その指先が、引き金を引いた。


2022.06.17