あまりにも日差しが強かったので、建物の裏の椅子でぼんやりと休んでいたら、人の容姿を値踏みした最悪の噂話を聞いてしまった。
初めはそこまでのものではなかったが、段々と露骨なものになってきており、出ようにも出られない。何せ、自分の話であったからだ。
ただ休みたかっただけなのだが、とほとほと疲れたように溜め息をついた。
彼らが立ち去るのを待つのがいいのだろうが、あまり聞いてて気分のいい話でもない。
ここで出るのもな、と思っていれば、前方で人影が見えた。青色を基調としたきっちりと首元まで締まった服装とコバルトグリーンの髪が、燦然と太陽に照らされて輝いている。
この暑苦しい時期に首まで着込んでいるのは流石だな、と思いながら眺めていれば、遠くでこちらの視線に気づいたであろうローエンが、丁度こちらに顔を向けた。
視線がぶつかった瞬間、ローエンはほんの僅かに目を細めた。こちらを認識したというだけの反応で、愛想の欠片はあまりない。であるのに不思議と目を逸らし難いのは、彼の纏う空気が周囲から浮いているせいだろうかとぼんやり思う。
夏の日差しは容赦なく石畳を焼いているというのに、ローエンだけは別の季節に立っているようだった。青を基調とした服は熱を吸っているはずなのに、暑さに辟易した様子すら見せない。首元まで隙なく覆われた装いは息苦しそうで、見ているこちらの方がむしろ暑くなる。
近くの店先では氷を削る音がして、通りを歩く人々は袖を捲り、額に汗を滲ませている。そんな中で一人だけ、彼は涼しい顔をして太陽の下に立っていた。
「どうした」
近づいてくるなり、開口一番そういった。
影の落ちた場所では、長めの前髪の間から覗く目はどことなく膿んだように気だるげで、耳元のピアスが首を傾げた拍子に小さく揺れて、彼の肩に青い光を散らばらせた。
「困ってる」
それに困ったように建物の背後を指さす。ローエンがそれを覗き込むようにして建物から伺えば、数人のたむろしている人々がけたたましく笑い声をあげた。
その内容をぼんやりと聞いていたが、こちらの言わんとすることを理解したらしい。
ローエンがふぅんと納得したような、していないような曖昧な声を上げた。
興味があるのかないのか分からない顔のまま、ローエンは壁に肩を預けた。騒ぎ立てる声は通りの端まで響いているというのに、彼にとっては羽虫の羽音程度にしか感じていないのだろう。実際、向こうへ向ける視線にも警戒や苛立ちはなく、ただ面倒臭そうな色だけが滲んでいた。
「それでどうするんだ」
短く促され、思わず口を噤む。
背後ではまた一際大きな笑い声が上がる。昼間から既に酒でも入っているのか、内容のない声ばかりがやけに響いて耳障りだ。何より時間が経つほど戻りづらくなってきているのも事実だった。
黙っているこちらを見下ろし、ローエンは僅かに眉を動かした。
「通りたいのか」
「……まあ」
「助けてやるよ」
そう言った声には親切さも恩着せがましさもなかった。ただ暇潰しを引き受けるような軽さだけがある。
実際、こちらの意見を聞かずにローエンはそのまま一歩、路地の外へ踏み出した。すると先ほどまで騒いでいた連中の声が、目に見えて小さくなる。こちらより頭一つ分は高い背中がするりと建物から離れて彼らの方に向かった。
最初に空気が変わったのは、ローエンが路地へ踏み込んだ瞬間だった。
直後に聞こえたのは、何か硬いものがぶつかる鈍い音だった。
続けて短い悲鳴が上がる。だがそれもすぐに途切れ、代わりに肉を殴る湿った音が狭い路地へ響いた。次の瞬間には重たい音が響き、呻き声が地面へ落ちる。靴底が石畳を擦る音の直後に重たい何かが転がる音、短く詰まった呼吸音、それらが連続して小さく広がった。 それが何度か続いて、やがて辺りは静まり返った。
思わず身を竦める。
建物の陰から覗けば、最後の一人が地面に崩れ落ちる所だった。煉瓦に背中を打ち付けた衝撃で空気が抜けたような声を漏らし、そのままずるずると崩れ落ちる。
先ほどまで耳障りだった笑い声は跡形もない。
残ったのは、夏の熱気と、微かに漂う夏の匂いだけである。
死屍累々とした人々に囲まれながら、ローエンがかったるそうに彼自身の額を擦っていた。
白目をむいて気絶しているようで、頭突きでもされたのか、全員額は痛々しく腫れていた。話に盛り上がっていた彼らからすれば、突然頭突きで気絶されたのは真夏の悪夢だろう。
呆気にとられたこちらをローエンは一瞥し、緩やかに目を細める。薄く赤くなった額は前髪に隠れて見えなくなる。前髪の下の弧を描いた瞳を魅入られたように見つめていると、彼は顎をしゃくって「行くぞ」と告げ、何事もなかったかのように歩き出した。
背後に転がる者たちが時折あげる呻き声すら耳に入っていないかのような足取りで、夏の熱気を切るように揺れる青い上着の裾が光を跳ね返す。さっきまであれだけ乱暴な音を立てていた人間とは思えないほど、ローエンの歩調は普段通りだった。
待ってくれないローエンがさっさと歩きだしてしまうが、助けてくれたことは明白で礼を言おうとしているうちにも、ローエンはさっさと先へ進んで行ってしまう。
その背中を見失わないよう、自分は慌てて足を速めた。
2026.05.24
2026.08.20 加筆修正