熱で起きた。体が熱い。暑苦しいが近いだろう。
風邪などではなく、恐らく外的な要因だ。別段そこまで暑い時期でもなかったが、起きてすぐに察した。
隙間なく抱き締められている。暑いはずだと、小さく息を吐いた。
目の前の寝顔を見ながら、男を起こさないように抜け出す方法を、眠い頭を働かせながら考えるが、どれも上手くいかない。
まぁ無理だろうな、と思う。
そもそも現状、腕ごと抱き締められて拘束されているような状況だった。それに目の前の男は、気配に聡い。ふ、と笑ってシーツに頭を戻したとき、慣れた感触がしなかった。
弾かれたように目を開く。目の前の男が起きてしまうのもわかっていながら、それでも両耳を触った。
常にあるはずの感触がない。先程までの配慮を忘れて、耳を触った。
暑かったのに、一気に冷えていく。頭の先から血の気が引くのがわかった。心臓が嫌な音を立てて大きな音を立て始める。
居ても立っても居られなくて、体を起こした。
薄く息が上がってくる。どうしよう、と更にベットから起きようとしたとき、それを制するように腰にぐるりと腕が絡みついた。
「……どうした」
囁くような声だった。どこかぼんやりとしている。気が抜けているのだろう。
その声を、低い柔らかな声を聞いた途端、自分がしでかしてしまったことに喉が震えて、胸がきつく締まった。駄目だ。泣きそうだった。
ぐ、と目を閉じたこちらに、寝起きでも本当に聡いらしい。すぐに何かあったと理解したのか体を起こした。
「どうした」
先程と同じ言葉だったのに、顔を見たら駄目だった。
薄氷の色が、暗闇の中でも伺うようにこちらを見ていた。
一瞬隠そうか迷う。それでも、多分目の前の人はすぐに隠し事を察するだろう。それで悩すことなど考えたくもなかった。
突然起きて情緒不安定、睡眠だって邪魔をされている。なのに、責めることもなく、文句を言うこともないひと。謝らないといけないのに、口をついて出てきたのは泣きごとだった。
「リオセスリさん」
声は震えていた。途端に、せき止めていた何かが壊れてぼろぼろと涙が零れ落ちる。
申し訳なさと、苦しさと、悲しさが同時に押し寄せて、胸を詰まらせた。
ぎょっと目を見開いた男──リオセスリがこちらに手を伸ばしてくる。その手が触れる前に、ゆるゆると首を振った。
「貰ったピアス、無くして……」
顔を覆った。誕生日に目の前の男から貰ったものだった。
二つ、誕生日に貰った。こちらの誕生日を祝うものと、恐らくはまた別の意味の贈り物。
11月の誕生石のトパーズだった。青色の、美しい石。瞳のようだと思った。
目の前の男の美しい瞳を示している色だった。
誕生月の宝石の色と、目の前の男の色。
本当に綺麗だった。目の前の男の瞳と近しい色を飾るということの意味を、嬉しさを理解し、本当に喜んだのだ。ずっとつけていた。貰ったときから、ずっと。
なのに、無くしてしまった。
「ごめんなさい。無くして。本当にごめんなさい」
心からの本心だった。ちょっと困ったように、どこか照れたように渡してきたことを思う。
よかったら、つけてくれないか。
本当に嬉しくて、ずっとつけていたのに。
顔を覆った腕ごと抱き締められる。その優しさが辛かった。
ごめんなさい。もう一度そうして謝った時、「いや」と妙にはっきりと告げた。
「いや、悪い。謝るのは俺の方だ」
とん、と背中を二度叩かれた。優しく、宥めるように。
「失くしてない。俺が外したんだ」
ぱち、と驚いて瞬きをした。涙が止まる。最後の涙の残骸が頬を伝って零れ落ちた。
顔を覆っていた手を退けると、少々困ったような、微苦笑でこちらを見ていた。
「あんたがそんなになるとは思わなかった。大事にしてくれてるのは分かってたんだが、夜に気付いて泣くほど大事にしてくれてるとは思ってなかった」
「……いつ?」
「ああ、邪魔になったからな」
いつ外したのか、という問いに、どこか悪戯めいた顔でリオセスリが応えたことで察した。
思わず言葉を失えば、するりと何もついてない耳朶をなぞられる。
その指先の動きで完全に察し、耳朶に走る、じり、とした鈍い痛みに顔を歪める。
あんたは、耳が弱いな。そう言われて耳朶を弄ばれたのは、数刻前だ。
みるみるうちに血の気が引いていた顔が赤くなっていくのがわかる。それをどこか楽し気に、リオセスリが見ていた。
「う、嘘……」
「勿論本当の話だな。俺は外していいかと聞いたな」
全く覚えていない。リオセスリを見ると、彼は口の端を吊り上げた。
「まぁ、覚えてないのも無理はないさ。今と同じような顔をしてた」
同じような顔。朱が差しながら、泣いた顔。
声を立てずに喉で笑いながらリオセスリがこちらの目の下を親指で撫でた。
夜半に起こしてしまったのに、機嫌は悪くなさそうだった。それどころか少々上機嫌だ。
一瞬文句を言おうと口を開いたが、出てこない。安堵と、気恥ずかしさで、口ごもる。
確かに、泣かされた記憶はあった。
珍しく二人とも夜にまとまった時間が取れたから、久々に外食をしたのだ。メロピデ要塞に戻ってきて、なだれ込んだ。当たり前にそういう行為まで流された。
最中によくわからなくなることは多いし、専ら泣かされる。泣くまで追いつめられるのも常で、それでも止めてもらえないのも慣れた。
どうして欲しい、と聞かれる甘言に乗るとこうなる。余裕を保てたことなんて一度たりともなかった。
じわじわと頬が紅潮していくのがわかる。黙り込んでしまった自分に、リオセスリは今度こそ声を上げて笑った。
いつだって理性は溶かされて、いつだって本当に嫌なことはされない。
よくわからなくなって泣きじゃくってるときにピアスを外されたのなら、覚えてないのも無理はなかった。
「……それで、ピアスは?」
話をどうにか戻そうと睨むように見上げた。多分、向こうも照れ隠しだと分かっていて、その余裕が本当に憎たらしかった。
目の前の男はにっこりと笑う。誤魔化すときの笑顔だ。
「それがどこに置いたかわからないんだ」
「え?」
「外した記憶はある」
唖然としてみると、彼はにっこりとしたままベッドサイドを見た。
そこには一つ、ピアスが置いてある。
「ひとつはあるな」
「もう一つは!?」
「探そうか」
上下左右しっちゃかめっちゃかにしながら探した。ない、ない、と呻きながら探している自分に、何か思い立ったようにああ、と声を一つリオセスリが上げる。
「あった」
声を上げたリオセスリは自分たちの散乱した服の下から落ちたピアスを見つけたようだった。
広い掌の中で夜闇を切り裂くように光を変える宝石。掌を転がすようにして動かせば、そのブリリアントカットの煌めきが爆ぜた。
それを掌の上で転がし、そして滑らせながらこちらに渡してきた男が、ほっと息をついた自分に目尻を緩めた。
「大切にしてくれてるようだな」
その言葉に、顔を上げる。彼は軽く首を傾けて、こちらの動きの続きを待った。
そのまま寝てしまったから何も纏っていない状態で向き合うのに恐慌状態が開錠された今かなり羞恥心を伴ったが、向こうはそれに何一つとして羞恥心を抱いていないらしい。
柔らかなシーツの上で、深い呼吸をする度に動く広い胸板に溜め息をついた。
「あなたがくれたものなので」
リオセスリはそれに一度視線を上にあげたが、ふ、と笑ってまたシーツを自分たちの上にかけ直す。強制的に寝転がされて不満そうに掌の中で元通り光る二つの宝石越しにリオセスリを睨めば、彼は眠いのか幾分か緩やかな声で告げた。
「俺は……物にこだわるが、あまり執着はしない方だとは、思う……が」
暗闇に溶ける様な囁き声に近い声に目を向ける。既に瞼を閉じた男が眠りに向かっているのか無防備な姿でそこにいる。
こちらが寝首を掻くとも思ってもいないし、こちらが何かできるとも思っていない。
それが事実からなる彼の驕りであっても、無防備な姿を晒してくれるぐらいには警戒心をこちらに持ち合わせていない事実が、自分にとっては嬉しかった。
警戒する対象ではなく、横で寝ても許される存在だという何よりの証左であるからだ。
「……俺がこだわった物に執着してくれるあんたを見るのは、気分がいい」
唖然とした束の間、落ちるように眠りに入っていった男を起こして聞くのも憚れて、呆れたように虚空に息を吐く。
夜の夢の様な一瞬だったが、手の中にある二つのピアスが現実であると知らせるように、その煌めきを失うことなく緩く開いた自分の五指の中で輝いていた。