久遠の富貴など

 きっとこの柱は柱の中でも、というより、人間の中でも輪をかけて馬鹿なのだろう。童磨はそう思った。

(俺の考えを理解できないどころか、俺の優しさを錯覚? そんなのあり得るはずがないのに)

 口から溢れる血液を、晄夏は服の袖で拭おうとし、片腕が無くなっていることを思い出して舌打ちをした。息が全く続かない。身体中をすっかり刻まれ、止血すら叶わない。足も、恐らく罅が入っている。立っているだけでも激痛が走った。

(あああ! クソ! これが上弦だと、ふざけるのも大概にしろ……!!)

 対峙するよりも前に、敵わないことは分かっていた。足のハンデがあってもなくても、自分はこの鬼の頸を斬ることはできないだろうと。戦うことでその事実を痛感させられた。

 雷の呼吸を扱う晄夏は、鬼殺隊随一の攻撃速度を誇る。にも関わらず、最初こそ目で捉えられていなかった童磨は、次第に晄夏の速度に対応し、反対に晄夏は血鬼術の影響でどんどん動きが鈍くなった。
 冷気を纏う術もそうだが、童磨自身の身体能力も非常に高い。いくら斬ってもすぐ様完治し、鈍い動きでは鋭い扇に捉えられる。

 加えて、童磨が生み出した、本体と同程度の術を繰り出す氷の人形が三体。次から次へと冷気を撒き散らす癖に、どうやら致命傷は避けている。遊ばれているのだ。それでも刻一刻と、確実に死へ向かわされている。

 これが上弦。常軌を逸した、ふざけた強さだ。

「どうして立っていられるのか全く分からないけど……まあ、仕方ないか。無駄だと理解する頭が無いんだものな、そこまで愚かだと、さすがに同情するぜ」

 一歩踏み出そうとして、晄夏は吐血した。身体が前に倒れたが、膝だけは付くまいと刀を杖代わりに支える。

「信者でもない男はまず喰わないんだが、仕方がないから喰ってやるよ。俺の救済を受けられれば、きっと君にも生まれた意味くらいできるだろ?」
「……お前は、何を……言ってるんだ」

 童磨は笑顔で両手を広げ、「遠慮しなくていいよ!」と言う。

「俺はもう何人もの人間を救ってやってる。君みたいに生まれた意味も、生きる理由も無い人間を、ちゃんと俺の一部として昇華し生かしてやってるんだ。だから、」
「哀れだな」

 童磨の演説がぴたりと止まる。広げていた両手を下ろし、硬い表情で晄夏を見つめた。

「本気でそう思うのか。本当に分からないのか。人が生まれるのは、誰かを……愛する為だ。家族、友人……師や、恋人……見知らぬ誰か、でさえも。尊び、慈しむ」

 刀を支えに体勢を立て直す。たたらを踏みながらも、晄夏は確かに自分の足で立った。ぼたぼたと血が滴り落ちる。

「お前が喰った人々は、誰も……救われていない。お前と、生きてはいない。だからお前は何も感じない……心に、誰もいないから」

 哀れだな。晄夏は再度童磨に告げ、優しく微笑んだ。

「同情する」

 ──何を言っているんだろう? 童磨は心の底からそう思った。
 一体どの立場で、そんなことが言えるのか。どういう思考回路をしていれば、そんな言葉が口から出てくるのか。

(哀れ? 俺が? 同情する? 俺に?)

 晄夏はどう見てもただの人間だ。鬼殺隊の柱であるという特徴はあるものの、呼吸もまともに使えない現状で、それでも尚刀を握っている、ただの死にぞこないだ。

(えー……コイツ、本当に馬鹿なんだ)

 身の程を弁えることが出来ない。自分の立場を理解していない。
 そんな人間が浮かべる、仏のそれとは違う安らかで綺麗な微笑みを、童磨は不快に感じた。

「カナエの哀れみは、正しかったな……」

 小さくそう零し、強く、床を踏み締める。刀を鞘に収め、体勢を低くした晄夏の、空気を裂く独特な呼吸音は長く、そして深い。
 そんな余力は残っていないはずだった。しかし晄夏は、まだ動こうとしている。今までの戦闘で頑なに出そうとしなかった壱ノ型だ。童磨は結晶ノ御子≠スちを晄夏へ向かわせる。

 ──血鬼術・冬ざれ氷柱
 ──血鬼術・蓮葉氷
 ──血鬼術・寒烈の白姫


 ──雷の呼吸・壱ノ型 霹靂一閃

 『霹靂一閃』は、晄夏にとって諸刃の剣だ。
 一度刀を収める必要がある居合い。雷の呼吸最速の技であるが故の力強い踏み込み。筋繊維の一本まで意識と血を巡らせ、爆発的な加速を生み出す。

 恵まれた筋肉が、骨を握り潰す。故に一度しか使えない。──必殺の型だった。

 
 御子の放った攻撃が届くより速く、晄夏の姿が消える。踏み締めた床が砕ける音で、そこにいたのだと初めて把握することが出来た。通り過ぎざまに斬られた御子の頭がゆっくりと落ちる。

 童磨も、御子に倣うはずだった。
 晄夏の動きを捉えることは出来ず、全て理解する頃には、晄夏は既に童磨の背後に倒れていた。

(刀が……!)

 真ん中でぽきりと折れてしまった刀。霞んだ視界で尚、悪鬼滅殺の文字だけが浮かんで見える。戦いの中で摩耗し、居合の振り抜く速度に、ついに耐え切れなかったのか。

 童磨は、自身の頸の中程まで食い込んだ刀を抜く。途中で刀が折れたからよかったものの、そうでなければ斬られていた。

「危ないなぁ……。あれ? この足折れているね」

 既に虫の息であるというのに、晄夏はどうにか立ち上がろうとしているらしい。そんな無駄なことはしなくてもいいのだと教える為、童磨は晄夏の両足を斬り落とした。

「雷の呼吸を使う癖に、足が耐え切れないのかい? 壱ノ型を使いたがらなかったのはそのせいか、可哀想に。まあ、俺の頸は斬れなかったけど」

 懲りずに握り締める刀を蹴飛ばし、童磨はニコニコと笑って晄夏に話しかける。

「俺は優しいから、お前を救ってやるよ。喰われるより、お前にはこっちの方が救いになるだろう」

 晄夏は、己に向かって鮮血が滴るのを見た。